前伯爵の記憶
お父様の思い出話です
暴力あり、胸糞です
世界には良く似た顔の人間が3人いるという。
私の周囲に限ると、私の亡き妻マリー、娘のアナベル、幼い頃しか知らないがマリーの姪のアンナ・フェルトだろう。
そして、目の前にアンナ・フェルトがいる。
アーデンという娼婦として。
髪の毛の色は茶色だったはずだが、プラチナブロンドになっている。先程、アナベルに治癒魔法をかけている執事が廊下の端にいたのを見た。つまりは、アナベルが何か仕掛けてきたと思っていいだろう。
仕方ない、かかってやるか。
そろそろ、おしまいにしなくては。
アンナをマリーとして扱うのは退廃的で意外と楽しかった。酒を多めに飲まされたのは、途中から少し味に違和感のある酒を飲ませるためか。娼婦としては凄腕だった。
体調に異常はないのに、翌日からイライラすることが増えた。
毒かと思っていたら麻薬か。
アナベル、子どもなのにやるじゃないか。
父として最初で最後の賛辞を与えたい。
マリーと初めて会ったのは、マリーのデビュタントの時だった。銀髪に碧い目、とびきりの美女なのに仕草がやや幼く、庇護欲を誘う存在だった。マリーは今年一番のデビュタントと呼ばれ、男たちが群がった。近づきたいが高嶺の花だろうか、いや男爵家だから、などと輪から離れて考えていたら、私のジャケットに大きな虫が止まった。叫びたいのを我慢して、少しずつ窓際に移動していると、「まあ」と呟いて、マリー嬢はハンカチで虫を取った。可憐なマリー嬢は「田舎者で虫には慣れてますの。でも、はしたないって怒られますので、内緒にしてくださいませね」と笑った。私は、完全にマリー嬢に落ちた。
婚約の申し込みを送ったが、マリー嬢が選んだのは男爵家の男だったと聞いた。デビュー前から話が進んでいたらしく、出遅れたも何もなかった。しかし、フェルト家当主、マリー嬢の兄上が婚約を匂わせる返事をしてきた。爵位と財産を考えた当主としての判断だった。それ自体はよくあることだ。フェルト家では相当揉めたらしいが、マリー嬢と婚約できることになった。
フェルト家に改めて訪問すると、笑顔のフェルト家当主と泣いて瞼の腫れたマリー嬢が出迎えてくれた。こんなに泣くほど嫌なのか、と暗澹たる気持ちになったが、婚約の波に乗っていてどんどん話が進んでいく。
惚れた弱みで随分フェルト家に有利な内容の婚約になった。
心に温度差があることは分かっていた。
結婚したら、私のことを好きになってほしい。
婚約期間中も私にできるだけのことをしたが、空虚な笑顔が返ってくるだけだった。
結婚式の時、この時アンナ・フェルトも参列していたのだが、教会の庭に佇んでいる男がいた。あいつか。マリー嬢も気づいたようだった。
無理に別れさせたつもりはなかった。
でも、どうしようもなく好きだった。
マリーは結婚してすぐに、自分の庭を欲しがった。膨大な量の勉強の合間に気分転換したいのだそうだ。マリーは正直、伯爵家の奥方としては何もかも足りていない。だから私と過ごす時間は少ないが、頑張って勉強すると。マリーと私の庭の好みは違ったが、受け入れた。
何故か迷路を作ることになっていて、予定外の予算に頭を抱えていたが、諸々調整して乗り切った。
マリーは、完成した迷路に籠るようになった。最初はただの気分転換だと思っていた。
私の執務室から迷路の一部が見える。銀髪と濃い茶色の頭が寄り添っている。それどころか、明らかに性交を思わせる動きをしている。私は机を殴り、窓際に駆け寄った。
あの髪飾りはマリーに違いない。
マリーは男と密会していた。
あんまりじゃないか、マリー?
本当に嫌いだったら、断れば良かったんだよ。マリーだって、伯爵家での生活を享受しているだろ?君の浪費にも目をつぶっていたんだ。進まない勉強も黙認している。密会を目撃する度、私は、憔悴し眠れなくなった。
間もなく、マリーの妊娠が分かった。
あの日以来、マリーとは同衾していない。
その腹の子は誰の子だ?
会話はなくなり、日に日に腹は大きくなる。
その腹を食い破って何がでてくるんだ?
マリーがもうすぐ産み月というとき、一人で迷路に隠れて待っている男を見つけた。
執務室に飾っている剣を持ち出し、迷路に走った。男の背中に剣を突き刺し、一度抜いて出血させてからもう一度刺した。
「侵入者だ」騎士を呼び死亡を確認した。
今日はよく眠れそうだ。
私は、人から優秀だが大人しいと言われることが多かった。今まで暴力は野蛮だ、話し合いでどうにでもなると思っていた。それがどうした。そんなもの、ただの欺瞞じゃないか。
マリーは男との待ち合わせ時間に来たらし
く、やたらと人が多いことに怪訝な顔をした。
「不審者を始末したんだ、マリー」
マリーは小さな悲鳴をあげ、ふらついたので腰を支えた。
マリーはその翌々日、難産の末月足らずで女の子を産んだ。出血が止まらずマリーは亡くなった。誰の子か言わないまま。恐らくマリー自身も、分からなかったのだろう。
マリーの実家のフェルト家には制裁を加えた。当主が欲をかいていたのもあって、あっさり没落した。
小さな女の子は祖母の名をもらいアナベルと名付けた。考えるのも面倒だった。
頭の中は、マリーへの恋慕と憎しみ、安堵と悲しみでいっぱいだった。
完全に乳母に任せ、会わないようにしていた。顔を見るのが怖かった。
アナベルが3歳になった頃、中庭で見かけてしまった。
小さなマリーがいた。
その日から、私は全ての憎しみをぶつけた。
マリーの腹を食い破って出てきたのか。
マリーが死んだのも、不貞の証拠であるこの子どもが悪い。
抑えようとしても抑えきれなかった。
殺しはしない。マリーの子どもだから。
暴力が過剰になり、鞭を使うようになった頃、執事の1人が孤児院から治癒魔法を使える子どもを連れてきた。身元を調べ、ブレンデルのぼんくら息子の庶子だと分かった。子どもはまともそうだ。お陰で鞭打ちが捗った。
アナベルはマリーに良く似た容姿になり、貴族令嬢らしい振る舞いはできるが、愛情不足なのか、どこか不安定で妙な色気のある娘に育った。
それ以外は優秀で、伯爵を継ぐだけの能力はあるだろう。
アナベルに情欲を抱きそうで怖くなり、娼婦を呼ぶ回数を増やしたらこれだ。
暗殺かと予想していた。
聡い子だ。
マリーが不貞をしなかったら、アナベルを愛せたのだろうか。私は、ただマリーと幸せになりたかっただけだ。
アンナ・フェルトを身代わりに抱いている。いい子なのは分かる、情も湧いている、でも、マリーじゃない。
中毒になってきているのか、感情的になっている。多幸感と薬切れの渇望を繰り返す。いつまで自分で、いられるのか。
いや、もうすぐこんな人生から解放されるのか。
「マリー、マリー!愛してる」