第2章 再会
リョウは翌日、仕事の休みを使って、例の公園にもう一度向かった。
昨夜の会話が幻だったのかどうかを確かめるように、ベンチに腰を下ろす。
そして、ふたたび能力を試そうと手をかざした。
冷気が微かに走る——だが、どこか曖昧だ。
その瞬間、背後から気配。
「やっぱり、来てた」
昨日と同じ、女の声。だがわずかに、距離が近い。
振り向けば、そこにはまたミナの姿があった。昨日と変わらぬ装い。
フードから伸びる、しなやかで艶のある長い髪。
だが、今日は表情があった。少しだけ、憂いを帯びた目。
「本当に、やめなって言ったのに。無闇に力を使うなって言ったよね」
リョウは反射的に立ち上がった。
「……どうしてお前は、そんなに俺のことを知ってるんだ」
ミナは答える代わりに言った。
「説明すれば、信じるの?」
「それは…… 内容によるさ。俺だって、バカじゃない」
「なら、少しずつ教えてあげる。あなたの“正体”と、“意味”を」
リョウは目を細めた。ミナの言葉には、明らかに何かを含んだ気配があった。それは比喩や感情ではなく、事実を前提に語る者の重みだ。
「……正体って、どういう意味だよ。俺は、ただの——」
「ただの人間、ね。そう思ってるなら、それでいい。でも、少しずつでいいから聞いて。あなたにとって
も、他の人にとっても、 …無視できないことだから」
ミナはゆっくりとベンチに腰を下ろした。リョウの隣ではなく、少し距離を置いて。
湿った木製の座面が、きしりと音を立てた。
湿った風が通り抜ける。この街はいつもこうだ。溜息が出そうになるのを深呼吸で誤魔化す。
気分が晴れないのは、きっと風のせいだけではなかった。
「“異能”って言葉、聞いたことある?」
「……ない、と思う」
リョウはあいまいに答えた。
「簡単に言えば、“自然法則に逆らう力”。でも、万能じゃないし、代償がある。ここまでは昨日言ったよね?」
「あなたの能力も同じ。温度を操る力——それは、熱の移動を強制的に操作してるってこと。でも、熱は消えない。どこかに移ってる」
ミナは言葉を切り、リョウを見やる。澄んだ黒目がちの瞳。
「それって……」
「うん。どこかで、何かが“熱されてる”ってこと。直接じゃないにしても、ね」
ミナは空を見上げる。灰色の雲が、重く垂れ込めている。
「“異能持ち”って呼ばれる人間は、今はごく少数。でも、私は何人かを知ってる。皆、自分の力をわかってて、扱い方も知ってる。あなただけが‥ 違うの」
「……俺だけ?」
「そう。あなただけが、“自分の力を信じていない”。そうだよね?」
リョウは言葉を失っていた。
自分の中の違和感が、少しずつ形を得ていく感覚があった。
見透かされている。だがどこかで、望んでいたのかもしれない。
この異様な力を、認めてくれる言葉を。
「でも… いったい何のために、こんな力が?」
声に、安堵の色。自分だけではなかったことに、救いを感じていた。
ミナの声が、わずかに低くなる。
「世界のため── だと、私は思ってる」
「世界…だって?」
いくらなんでも大袈裟だ。しかし、ミナの表情はそれが冗談などではないことを語っている。
横並びに座った姿勢から、ミナは意を決したように顔を上げ、リョウの方へ向き直った。
フードから伸びる艶やかな髪が揺れ、鈍く光る。
黒く大きな瞳が宿す光は、憂いにも、覚悟にも見えた。
「お願い。私を──」
そのときだった。
「!?」
背後の金網の向こう、住宅街の路地に、ふとした“視線”のような気配を感じた。
ミナも何かを感じたのか、言葉を止めて目を細め、周囲に気を張る。
ネコ科の獣の警戒態勢。
だがそれは『狩る側』とは限らない。
空気が重くなる。
温度がわずかに上昇し、遠くで電柱のトランスが“ブン”と唸った。
「……誰かに、見られてる?」
リョウは感じたままを口にしていた。
「…!」
ミナがリョウを見る。視線は冷たく鋭いが、かすかに黒目が輝いていた。
「あなた、やっぱり…」
言いかけたまま、リョウが振り返るより早く、ミナが立ち上がった。
「今日は、もう戻ろう。私も、長くは居られない」
「おい、ちょっと待ってくれ、ミナ——」
「また来る。そのとき、もっと話す」
それだけを残して、彼女は背を向けた。
その歩みは迷いがなく、空気の層をすり抜けるように軽やかだった。
ミナが歩き去ると同時に、周囲の木々から鳥の一群が飛び立った。
街の喧騒がかすかに聞こえ、いつもの湿った風が吹く。
張り詰めていた辺りの空気が、今はもう淡く沈んでいた。
追おうとしたが、リョウの足は動かなかった。
視線の正体を確かめたい気持ちと、今はそれ以上のことを知るのが怖いという感情が、体を縛っているようだった。
もう一度、金網の向こうを見る。だが、そこには誰の姿もなかった。
ただ—— 彼の胸の奥に、確かな“気配”だけが残っていた