第10章 獅子 終偏
照準器を覗いたまま、何かを思案するイーグル。
引き金に掛けている指に、動く気配はない。
迷いがある様子のイーグルを見て、リョウは困惑し声を荒げる。
「なんだよ、どうなってるんだ!?」
イーグルは照準器から顔を上げ、リョウに向き直る。
「…ふっ」
安堵したように息を漏らすと、銃を下ろして照準器を外し、それをリョウの方へ投げてよこした。
「見てみるがいい。面白いものが見れるぞ」
ずしりと重い照準器を受け取ったリョウは困惑しながらも、言われたとおりにミナたちの居る方へ向け、覗きこむ。
それは高精度の望遠鏡のように、はっきりとふたりの様子が見えた。
表情までも読み取れる。
何が起きているのか、ふたりの周りの空気が白く霞んでいる。
周囲に点在する資材は、所どころ不自然に変形していた。
時折、閃光がまたたき、空気が震える。今もなお、レイニーはミナに向けて力を行使しているようだった。
「…やっぱり戦ってるじゃないか! 止めないと──」
リョウは狼狽するが、イーグルはかぶりを振って答える。
「落ち着け、よく見ろ。 …まったく、たいしたものだ」
「…?」
そう言われ、歯噛みしながらも観察する。
明らかに戦闘しているふたり。
だが、何か違和感がある。
「…ミナ、笑ってるのか?」
──あの状況で?
いくら運動神経に自信があるからって、あの少女の『怖さ』がわからないはずがない… 何を考えてるんだ?
「あの、ミナとやら… かなり頭が回るようだな。レイニーの唯一と言っていい弱点を、的確に突いている」
「弱点だって?」
イーグルは壁に背をもたせかけ、ため息混じりに答える。
「怒らせているのだ。おそらくは、意図的にな」
まるで、この戦いの行く末を知っているかのように淡々と話を続ける。
「レイニーの融合は、恐ろしい破壊力だが… 破壊が起きているのは、作用の結果にすぎない」
「つまり、『対象にどういう結果が起きるか』は、レイニーがそうなるように融合反応をコントロールしている、という事だ」
「さっきも言ったが、その原理の性質上、破壊力に関しては上限がないようなものだ。 だが、それゆえかなり緻密な制御が必要となる」
「冷静に、正確に制御しないと、運用は難しいということだな」
そこまで言うと、イーグルは胸元からタバコを取り出し火をつけた。
「…じゃあ、ミナはわざと煽ってるってのか?」
銃床を地に置き、銃身部分を小脇に抱えた姿勢でゆっくりと煙を吐き、答える。
「そうとしか思えん。そうしなければ勝てない、と判断したのだろう」
イーグルはふっと笑いながら、続ける。
「最適解だな。レイニーと対峙して生き残る方法は、それしかない」
確かに、レイニーの脅威の最たる部分は、あの破滅的な破壊力だ。
的確に最大火力を行使されたなら、対処できるものではない。
だが、冷静さを欠いた状態であるならば──
わずかでも精度が落ちれば、その限りではない。
「だからって、無茶しやがる… それだけで切り抜けられるもんなのか? そのあとどうすんだよ?」
リョウはまだ落ち着きなく、照準器とイーグルを交互に見ている。
「そこなのだ、気になるのは。 あの、ミナと名乗るサード… あやつは自分で『能力が使えない』と言ったのか?」
イーグルはリョウに向かい、念を押すように問うた。
「ああ、『自分は失敗作だ』、って…」
リョウの言葉を聞き、腕を組んだままイーグルは思案する。
少しの間の後、口を開いた。
「…なるほど。では自覚していないのか。興味深いな」
リョウは驚いた様子でイーグルへ顔を向けた。
「なんだって? じゃあミナは、能力を… 使えるってのか?」
イーグルは即答する。
「使える、ではない。今すでに使っているのだ。常時稼働というやつらしい。そういうタイプが居るとは聞いていたが…」
落としたタバコを足で揉み消し、ふたりの居る方へ顔を向ける。
「俺の魔眼は、全てを見通す。 厳密には、見ているのではなく、光から得られる情報を”分析”しているのだ」
「対象の素材や組成、骨格、筋肉量… エネルギーの流れもな」
イーグルが放つ妙に静かな雰囲気はこの能力に起因しているのか、とリョウは感じた。
分析官… あらゆる状況を即座に分析し判断する。
ゆえに、先の展開もおおよそ理解できるのだろう。
あの気性が荒い少女の相棒としては、適任だ。
「あやつの能力は、運動エネルギーの増幅、といったところか」
「自身の四肢にその能力を作用させる事で、身体能力を大幅に上げているようだ。やり方によっては、人間離れした動きも可能だろうな」
ミナの『体術』が思い出された。
目にも止まらぬ速さ、無限ではないかと思うほどのスタミナ。
それらが、能力の行使によるものだったとしたら、納得がいく。
「代償にあたる作用はエネルギーの減衰だが、体の中で点対称に作用させる事で、より効率的に能力を運用している」
「器用なものだ。 自覚がないなら、自然に習得した技術なのだろう。…レイニーも言っていたが、まさに野生の獣だな」
「野生の、獣か…」
その表現は的確だと感じた。
鋭い眼光、静止しているかと思うほど研ぎ澄まされた集中力。
そして、爆発的な瞬発力。
影を捉える事すら困難な、瞬き流れるような動き。
その動きは艶やかな黒髪と相まって、ある種の美しさを湛えていた。
一瞬、空が光った。
光の源は、ふたりがいる方角。
「…!」
レイニーが放つ殺気が、より大きくなった気がした。
あわてて照準器を覗くリョウ。
ミナの身を案じ、拳を握りしめている。
だが、その視界から、ミナの姿が消えた。
「これは…!」
刹那、ここまで衝撃が伝わるかと思うほどのミナの強烈な足蹴りがレイニーに突き刺さる。
冷静だったイーグルが組んだ腕を解き、少し驚いたように声をあげた。
「なんだ、今のは…?」
イーグルの魔眼でさえ、ミナの動きを捉えることはできなかった。
この距離、しかも裸眼では正確な分析は難しいが、それでも彼の魔眼は伊達ではない。
一瞬とはいえ、人間をひとり見失うというのは今まで一度も無かった事だ。
リョウは既視感を覚えた。
──今のは見たことがある。 いや、食らった覚えがある。
目の前からミナが消え、直後に背中を蹴られたのだ。
あの”訓練”での一幕だった。
「俺も、アレをやられたんだ。 とんでもないスピードだとは思ってたけど…」
動かない様子のレイニーを見て、ひとまずは胸を撫でおろすリョウ。
「気絶した…みたいだ。 しかし、すげえ威力だな…」
イーグルは何かを思い出したのか、記憶を辿るように話し始めた。
「…人間に成せる動きではない。あの威力も、普通ならば骨格がもたない。 異能の助けがあるとはいえ、そもそもの耐久値はどうにもならんはずだ」
リョウは少し考え、口を開く。
「トレーニングが日課だ、って言ってたから、そうとう鍛えられてる… てコトか?」
眉間にシワを寄せ、サングラスを指で押し上げながらイーグルが答える。
「それもあるだろうが、それだけでは説明がつかん」
少し間を置いて、続けた。
「眉唾ものだと思っていたが… ”獣化”、というものを聞いたことがある。単純なエネルギー変換などではなく、身体能力そのものに作用する力…」
「我々が持つ異能とは根本的に異なる、突然変異のようなものだ、とな」
リョウは顔をしかめ、イーグルに問う。
「ミナの持ってる力が、それだってのか?」
イーグルは肩をすくめるような動きを見せる。
「わからん。 だが、あれは明らかに、鍛錬を積んだだけで出来るようなモノではない」
「ビースト…ねぇ。 確かに、野生っぽいところはあるな…。 ネコっぽいというか」
リョウは渋い表情で、ミナの事を思い返していた。
イーグルはかぶりを振り、息を漏らす。
「ふっ、あれがネコなものか。そんな生易しいものではないぞ」
「じゃあ… トラ?」
「虎にしては、威嚇するような派手さがない。 例えるなら… 獅子、といったところか」
リョウは、ふっと笑い、頭を掻きながら言う。
「トラだのライオンだの、挙げ句にはケダモノ化、かぁ。 これ聞かれたら、さすがに怒られそうだな…」
「ククク… 確かにな。 では、『獅子化』と名付けてはどうだ? 少しは恰好もつこう」
軽口で話すイーグルを見て、リョウは少しほっとしていた。
最初に感じたロボットのような印象はもう抱いていない。
こんな顔で笑うのかと、リョウは苦笑しながら答える。
「うーん… まぁ、とりあえず迎えにいってやるか。レイニーってのもちょっと心配だしな」
気を失ったレイニーの身を案じての言葉だった。
「それなら、心配には及ばん。すでに格付けは済んだのだ。 レイニーはもう、あのサードに逆らう事はない。…そういうヤツなのだよ」
リョウはきょとんとした表情でイーグルを見る。
「そういう意味で言ったんじゃないんだが… ま、いっか」
少しだけ、リョウの心に引っかかっていたものが解けた感じがしていた。
異能者たちが持つ力、その能力の方向性は、”使用者自身の性格そのものを表している”のではないか。
少なくとも、強く結びついている。
──ではいったい、どちらが先なのか。
ミナが言うには、これは受胎時に操作を受けたもの── つまり、”後天的に植え付けられたもの”だということだ。
だが、本当にそうなのか?
後天的ではなく、”先天的に備わっていたもの”だとしたら。
わからない事が多すぎる。だが確実に、真実へと近づいている。
今はそれでいい。向かう先はわからずとも、間違ってはいないはずだ。
今まで、孤独に生きてきたリョウ。
ともすれば二の足を踏み、目を背け、逃げ出す事も珍しくなかった。
だが今は、『仲間』と呼べる存在が、彼に前を向かせていた。