第10章 獅子 中編
イーグルが中へ入ると同時に、低く重たい機械的な正弦波の音が耳に響いた。
常夜灯の明りが照らす施設内の機械が順不同に明滅していく。
やがて常夜灯は明るいLEDライトに切り替わり、通電の合図を出した。
施設内は使途のわからぬ機械が整然と並んでおり、その背からは無数の配線がとぐろを巻いている。
埃っぽいサーバールームのようなその空間は、何かが起動する電子音と換気扇の唸りしか聞こえない。
他に誰かが居るような気配も、痕跡さえも感じられなかった。
イーグルは配線の束をまたぎながら奥へと進み、鉄の取っ手に大きな南京錠が付けられた重たいドアを引き開ける。南京錠のロックは外されていた。
金属のレールをごろごろと鳴らしながらドアが開けられると、中はいくつもの金属製の棚が並ぶ倉庫になっていた。
ほとんど全ての棚の扉に金網が付けられている事が、保管されている物の危険度を表しているかのようだった。実際、その”物品”はどれも、重厚で武骨── 無駄な装飾を省いた、機能性のみを考慮した造形に見えた。
補助装置、ということだったが──
無数に並ぶそれは、リョウのイメージする”兵器”そのものだった。
「今ここにある物は、ほとんどが試作品だ。正規運用された物ではない」
棚の上に乱雑に置かれた”試作品”を、品定めするようにひとつひとつ手に取りながらイーグルは話を続ける。
「そもそも、我々の”能力”は個人差がかなり大きい。…というより、『同一の能力』を持つドールズは居ないのだ。少なくとも俺の知る限りではな」
「ゆえに、補助装置も1つとして同じ物はない。作る意味が無いのだ」
「だが、試作品は別だ。これは運用方法を限定しない代わりに、ある程度”無難に”作られている。性能は未知数ではあるが、有用なものもあるかもしれない」
「なるほどねぇ… しかし、補助っていっても、いったい何をどうすりゃいいのか…」
考えあぐねるリョウだったが、ふと思い出した。
「あ、そういえば、こないだ会った時のアレ。 …瞬間移動みたいな?」
レイニーが”現れ”、イーグルと共に”消えた”、あの現象。
あれがレイニーの能力なのだろうか。
しかし以前に感じた、空間がヒリつくような圧とは少し違う気がしていた。
「レイニーの”傘”か。あれは、厳密には瞬間移動ではないのだが…」
イーグルはわずかに言い淀む。あの現象に対して、あまり快く思っていない様子だ。
「ああいうのが出来れば、便利そうだなー、なんて…」
至極まともな意見だ。確かに、気軽にあんなことが出来るならさぞ便利だろう。
イーグルは浅くため息をつきつつ答える。
「…あれは確かに補助装置によるものだが、あいつにしか出来ない芸当だ」
「量子テレポートという技術だ。…詳しくは省くがな。あれは、レイニーの能力に大きく依存している。俺やお前に扱えるモノではない」
補助装置はあくまでも補助であり、当人の能力と性質が違い過ぎる物は使えない、という事だった。当てが外れたリョウは肩をすくめてみせた。
「そうか… そういや、レイニーの能力ってなんなんだ? テレポートが装置の機能なら、本来の能力は別物なんだろ?」
「あいつの能力は、『物質の融合』だ。 あらゆるものを原子か、それ以上のレベルで融合させることができる」
「原子…って… 何だよ、そりゃあ」
──原子の融合。いつか学校で習った覚えがある。
確か、太陽の光の源となる化学反応だ。
あの少女は、星が放つエネルギーを生み出せるというのか。
「科学は苦手か? あらゆるものを融合できるという事はすなわち、”あらゆるものを破壊できる”事と同義だ」
「かなり精密な制御を要するが、『破壊する』という一点において、レイニーに不可能は無い。その気になれば、この街を蒸発させるぐらいは容易いのだ。…もちろん、レイニー自身も無事では済まんがな」
リョウには想像もつかない規模の話だった。
ドールズによる世界の掌握── たったひとりで街を壊滅させる事ができるなら、不可能ではないだろう。
「とんでもねえな… ドールズってのは、みんなそうなのか?」
「いや、あいつは別格だ。あれほどの破壊能力を有する者は他に居ないだろう。ドールズは戦闘兵器ではあるが、全員が攻撃型の能力を持つわけではない。俺のようにな」
持っていた装置を置き、イーグルはリョウに向き直る。
「…俺の能力も、説明しておこう。共同で事に当たる以上、お互いに手の内は晒しておく方がいい」
淡々と、機械的に話を続けるイーグル。
厳めしい風貌、かつ異能持ちであるこの大男にリョウは不思議と怖さを感じていなかった。
目標が同じという連帯感もあったが、それだけではない何かがあった。
「まあ、仲間だもんな。…今のところは。助け合う事もあるだろうし、知っておいて損はないよな」
イーグルは少し間を置き、答える。
「…それは民間人の感覚だな。手の内を晒すのは、お互いに”裏切らせない”ための抑止力だ。相手が出来る事を把握しておけば、背中を刺されることもない」
いかにも軍人らしい解答だった。リョウは理解しながらも、首を傾げている。
「うーん… まぁ確かにそうなんだろうけど、俺はもうちょっとこう、ポジティブに考えたいなぁ。あんまりギスギスすんのもアレだし」
リョウの意見に、わずかに反応を見せる。
「平和主義者…だな。キレイごとだが、嫌いではない」
これまでより少し穏やかな声で話すイーグル。
リョウは、イーグルの前に一歩進み出て、言った。
「…なぁ、イーグル。あんた本当は、こんな事望んでなかったんじゃないのか?」
問いただすようなリョウの視線。
「…どういう意味だ?」
イーグルには、リョウの意図が掴めない。
「争いだよ。ドールズとしての任務ってやつ」
「あんた、ナリはいかにも軍人って感じだけど… 争い事が好きなようには見えないぜ」
思ってもいなかった他者からの意見に、かすかに困惑の色を見せるイーグル。
ドールズとして生を受け、自身の使命を理解して生きてきた彼にとって、選り好みなど全く思案の外だった。
戦闘兵器として存在する自分には無縁のものだと思っていた。
そしてそれは、他のドールズたちも同じであるはずだ、と。
「好き嫌いではない。我々は明確な目的のもとに造られたのだ。『親』の命令を遂行する以外の選択肢などない。我々の行動は、自分で決めるものではないのだ」
棚に置いてある装置を再び物色しながら、厳しい口調でイーグルはきっぱりと言い放つ。
だが、リョウは確信めいた物言いで告げる。
「…やっぱりだ。あんた自分では意識してないだろうけど、攻撃的な言葉を避けてる。キライなんだよ、そういうのがさ」
イーグルの手が止まった。
「…興味深い意見だな。考えたこともない… 自分のことなど」
リョウはなおも訴えかけるように言う。
「今は、制御装置ってのが動いてないんだろ? だったら、なんというか…チャンスなんじゃないか?」
「…何が言いたい?」
イーグルは自身を見つめるリョウの目を見据え、真意を探ろうとする。
まっすぐなリョウの視線に、戸惑いを覚えた。
「争うのがイヤなら、やらなきゃいい。 …それが父さんの目標、だったんだ」
「いや、今は俺の目標だ。あんたとなら──」
リョウがそこまで言った時、強烈な”リンク”のざわめきが走った。
「!!」
重く鋭い── 敵意。それははるか遠くに感じたが、これがドールズ同士の戦闘である事は明白だった。イーグルも瞬時に反応し、ほぼ同時にふたりは同じ方向へ顔を向けた。
「これは…!? ミナと…」
「レイニー、だな。あいつめ…」
リョウの脳裏に、あの少女の圧倒的な殺意が蘇る。
異能を持たないミナがまともにやり合ったらどうなるかは、想像に難くなかった。
「まずいぞ、止めなきゃ! …ミナが死んじまう!」
部屋を飛び出し、外へと向かい走り出すリョウ。
「待て。 今から向かったところで間に合うまい」
イーグルが部屋を出ながら冷静に制止する。
「でも…!」
リョウは振り返るが、落ち着きなく出口とイーグルを交互に見る。
「ここは俺に任せておけ。 …ついて来い」
そう言って踵を返すと、惑いない様子で出口と反対方向の通路奥にある階段を駆け上がる。
「イーグル! …くそっ」
リョウは一旦躊躇したが、イーグルの後を追った。
4階建ての施設、その屋上に出たふたりは、ミナたちがいるであろう方角を同時に見る。
工業プラント群の隙間、わずかに見える水平線。
その霞の向こうに、少し開けた場所がある。
不穏な気配は、そこからだった。
だが、とても肉眼で見えるような距離ではない。
「5㎞弱、といったところか。ならば問題ない」
イーグルはコートの内側から棒状の物をいくつか取り出した。
鉄製に見えるそれを慣れた手つきで組み上げ始める。
「おいおい、それって…」
息を切らしながら、リョウはイーグルが取り出した物を見る。
リョウに専門的な知識は無かったが、”それ”が何であるかはひと目でわかった。
それは、瞬く間に組み上げられ、その長さはイーグルの身の丈ほどにもなっていた。
イーグルは左手でその先端を支え、もう一方を右の肩に預けるように置き、構えた。
──銃だ。
それも、異様に長い銃身を持つ大きな狙撃銃。
その銃が、いわゆる普通の銃ではないことはリョウにもわかった。
イーグルの身長は2メートルを越えようかという巨躯だが、その銃の全長はそれとほぼ同等だった。
加えて、先端の形状もリョウの知る銃とは異なるものだった。
その先端には、四方に穴が穿たれている箱状の大きな金属部品が取り付けられている。
──この部品の目的は、発砲時の発射ガスを逃がし、銃の反動を軽減させるためのものだ。
装薬されている火薬量によるが、銃身の長いスナイパーライフルには必須といえる標準装備であり、照準の安定性を向上させるものである。
マズルブレーキというその部品は、並の銃ならごく小さなもので事足りる。
だがイーグルの銃に付けられているのは、人の手のひらほどもある大型の物だ。
これの大きさは、発射する弾丸や、その威力に比例する。
イーグルの持つその銃は、対物ライフルと呼ばれる大口径の銃だった。
生体を対象とせず、装甲車両や硬質のものを狙い穿つための、高威力かつ長射程の狙撃銃。
かなりの重量を感じさせる銃だったが、イーグルは直立姿勢のまま構え、微動だにしない。
右目で照準器を覗いたまま、話し始める。
「…能力の説明がまだだったな。俺のは、この右目に光を吸収する能力だ」
「目に映る光を全て吸収し、分析できる。どんなに離れていようが、光が届きさえすれば、俺に見えぬものはない」
──攻撃型じゃない、というのはこれのことか。
イーグルらしい能力だな、とリョウは感じた。
何かが心に引っかかる感覚を覚えたが、今はそれどころではなかった。
「…詳細は後にしよう。今は、レイニーを止めねば」
イーグルは照準器を覗いたままの姿勢で、器用に銃の細かい操作を行いながら話を続ける。
「現状では、お前たちと敵対するのは上策ではないのだ。…心配するな、どちらも傷つけるつもりはない」
リョウの不安げな様子を感じて言った言葉だったが、場合によってはその約束を守れないだろうことを予感していた。
しかし照準器越しに見える光景は、イーグルの想定していたものとは少し違うものだった。
「これは……? 一体どういうことだ…」