第10章 獅子 前編
灰の街、その外周を囲むようにそびえる城壁のような工業プラント群。
その姿は外界と隔絶するかのごとく折り重なる影となって、ただでさえ薄暗い街に、より深く重い閉塞感を与えている。
その一角、現在はドールズが管理しているという施設に、リョウは呼び出されていた。
「ここ…で、合ってるよなあ」
指定された場所に着いたはずであるが、どれも似たような外観の施設が並び立っており、判然としない。
そこへ、ゆっくりとした足取りで近づいてくる大きな影── イーグルだ。
「時間通りか。 …あいつにも、見習って欲しいものだ」
「…あいつ?」
「いや、気にするな。 では早速だが、本題に入ろう」
機械のような抑揚のない声で話を始めるイーグル。
相変わらずの無表情とサングラスのせいか、その感情は全く読めない。
リョウも快活なほうではなかったが、あまりにも人間味の無い雰囲気に、少し苦手意識を持っていた。
「ああ、例の”補助装置”のことだな。 俺に使えるやつがあるといいけど」
補助装置── ドールズたちが一般的に”ガジェット”と呼ぶそれは、主に『能力の補助』に使用されるものである。基本的には、代償にあたる作用の軽減および無効化であったり、能力に指向性を持たせるなどのサポート目的で使われる。
リョウはイーグルからこの補助装置の存在を教えられていた。
ドール計画の黎明期に試作品が大量に製作され、この施設に眠っているということで、イーグルの提案でここに来ていたのだ。
自分に合うようなモノは無かったとしても、使えるものは使っておきたい。
なにより、『ドールズの管理施設』であるなら、父の手掛かりがあるかもしれないという思いだった。
小綺麗ではあるが飾り気のない鉄の壁。
冷たい氷の箱を思わせるその施設の中央に、重い鉄格子がはめられたドアがある。
絡みつく蛇のように無数のコードが鉄格子に伸び、認証システムであろうタブレット型の装置に接続されている。
ドアの上部には、セキュリティカメラと思しきレンズが2つ。
ドアに埋め込まれているそのレンズは、よく見るとわずかに動いていた。
イーグルはサングラスを外し、カメラを睨む。左手はタブレット型の装置に置いている。
ほどなく電子音が鳴り響き、重い鉄格子が素早くドアと壁の間に格納された。
続いて、排気音とともにドアが開く。
イーグルはサングラスをかけ直し、振り返る。
「あのサードは、連れてこなかったのか?」
「ミナか? あいつは… 能力が使えないんだ。装置の話はしたんだけど、『いらない』ってさ。今頃、どっかでトレーニングでもしてるんじゃないかな」
「……そうか」
そう言ってイーグルは中へ入っていく。
リョウはわずかに周囲を警戒しながらも、それに続いた。
同時刻──
街の外れにある、広大な資材置き場。
かすかに水平線が映るその場所に、ミナがいた。
いつものパーカーに、緑のジャージパンツ。フードは被っていない。
陽光を乱反射する海のおかげか、そこはいつもより少し明るい光に包まれていた。
艶やかな長い黒髪が赤みを帯びて見える。
資材といっても、堆積した煤や伸び放題に生い茂る雑草と同化して見えるそれは、もはや用途すら不明の置物だ。常識的な感覚で言うならば、ひどく寂れた殺風景な場所。
だが、人の手が入らなくなって数年は経過しているであろう、このだだっ広い敷地は、ミナのお気に入りのひとつだった。
この街で数少ない、海が見渡せる場所。
小高い丘に位置するここは、いつもの湿った風もいくらかは爽やかさを伴う潮風が混ざる。
わずかではあるが、心地よさを感じられる場所だ。
彼女は、ここで時間を過ごすことがルーティーンになりつつあった。
周囲に人の気配はなく、生命を感じさせるのは上空をゆるやかに旋回する鴎の群れと、自分だけだ。
ミナは海を背にして資材の端に座り、鴎の群れをぼんやりと見上げる。
自分という存在が、個体であるのか、群体であるのか── 答えは出ない。
そもそも、答えなどないのかもしれない。
そんなことを考えながら、自嘲気味にふっと笑った。
ミナは、ここが好きだった。
なぜ好きと言えるのかはわからなかったが、ともかくここが自分の居場所なんだと思っていた。
その、唯一といっていい居場所に── 不純物の気配。
すでに、ミナの視線はその不純物に向けられている。
視線の先にいるのは、レイニーだった。
「ごきげんよう、ミナちゃん? 相変わらず、男の子みたいな恰好しちゃって」
大きな黒の女優帽に、華美なフリルのついた白いドレス。
腰のあたりに淡いピンクのリボンを誂え、長丈のフレアスカートからは真っ赤なパンプスを履いた細い足が伸びている。
海側から吹く潮風に帽子を押さえつつ、レイニーは資材置き場の正面入り口からミナの方へゆっくりと歩を進める。
会話をするにはまだ遠い距離だったが、ミナは牽制するように声を張る。
「あんたこそ、そんなお姫様みたいなカッコで何しに来たのよ? 遊びに来た…って感じでは、無いようだけど?」
以前よりも柔らかい表情のレイニーだが、ぬくもりは感じない。
わずかだが、その目は確かに敵意を孕んでいる。それを敏感に感じ取ったミナは、警戒心を高めた。
レイニーがミナの前に立ち、腕を組む。
小柄な少女の外見とは真逆の、絶対的な自信からくる威圧感は相変わらずだ。
「ふふ… そうねぇ、遊びにきたワケじゃないわね」
「しつけに来た…ってトコかしら」
小動物を残酷にいたぶる子どものような、加虐的なまなざしでレイニーが嗤う。
──サディストめ。
心の中で毒づきながらミナが言葉を返す。
「あんた、あの男の仲間じゃないの? なんでいちいち私に突っかかってくんのよ」
「あら失礼ね、別にケンカを売ってるわけでは無くってよ。…ただ、借りは返さないと、ね?」
さざ波の音がかすかに聞こえる、広い資材置き場。
潮風が不穏な瘴気の渦となり、ふたりの間に停滞する。
鴎の群れは、いつの間にか見えなくなっていた。