第7章 運命の糸
濡れたアスファルトにネオンが滲む。
大通り沿いの喧騒は、見かけ倒しの虚飾にすぎなかった。
リョウとミナの二人は、この街の中心部に位置する繁華街に来ていた。
繫華街とは名ばかりのこの一帯は、人が多いだけで、活気もにぎわいもなく、どこか冷えきった空気が支配していた。
小綺麗なビルの巨大スクリーンには、ざらざらした色の大袈裟な企業広告が垂れ流されている。
その味気のない記号や数字の羅列を、誰一人見ていない。
ファストフードチェーンの店舗の窓際、リョウとミナは対面の席にいた。
窓の外には、ぼんやりと光る看板や電子広告。
店内には、ほとんど音楽も会話もなく、カウンター奥で流れる調理の機械音だけが響いていた。
「…どうして、ここなんだ?」
紙コップに入ったぬるいコーラを見つめながら、リョウが呟く。
「ドールズは基本的に、目立つ行動は避けるはず。絶対に安全、なんて言えないけど… 少なくとも、下手にコソコソしてるよりはマシよ」
ミナはストローを指でつまみながら、いつもの無表情で答えた。
時折、目線だけで店の入り口付近を確認している。
「まさか、本当に襲われるなんてな…」
他者からの、ドールズからの襲撃。いままで”普通”に生きてきたはずのリョウにとっては、およそ考えもつかない事態だった。
「あいつは、初期ロットのドールズね。ナンバーは7… 確か、レイニーって呼ばれていたわ」
「ナンバー7か… すごい迫力だった。…あの目も」
リョウは、レイニーの暗く沈んだ闇のような瞳を思い出し、身震いした。
「リョウ、あいつの目をはっきり見てたのよね?」
「ああ、うまく説明できないけど、イヤな目だったな」
「そうじゃなくて。…あなた、ナンバーが見えないの?」
リョウはきょとんとしている。
「あ、そういえば『目を見ればわかる』って言ってたっけ?」
「そうよ。相手の目を見れば… まぁ、少し意識する必要はあるけど」
「相手がドールズなら見えるはずよ。数字が、緑色に光ってる感じ」
リョウは顔をしかめ、首を傾げつつミナの目を見る。
「うーむ…」
「あなた、私のも見えてないよね?」
ミナはリョウに顔を近づけ、目を見開く。
その大きな黒目がちの瞳には、店内の薄明りが反射しているだけだった。
「…見えてない、と思う」
曖昧な返事を返す。
リョウには、どのように『見える』のかがわからなかった。
──どういうことなの?
リョウにナンバーが無いのはわかる。
けど、私たちにあるナンバーはドールズ同士の衝突を避ける識別信号のようなもの。
ドールズなら、見えないはずがない。
──ドールズ、なら。
「…まさか、それって…」
ミナは口元を手で覆い、何かを逡巡するしぐさを見せる。
リョウは押し黙るミナを見て首を傾げながらも、口を開く。
「まぁこれも、訓練すれば見えるようになるんじゃないか?」
「…いえ、違うわ。たぶん」
いつも、何事においてもきっぱりと言い切るミナが言い淀む。
結論を出せずにいる、そんな気配が見てとれた。
リョウにはそれが何なのかわからなかったが、ミナからそれ以上言葉が出てこなかったのもあり、深く考えることはしなかった。
それよりも、リョウはミナに聞きたいことがあった。
聞かなければならないことだ。
「なあ、ミナ。ドールズってのは、いったい何なんだ?」
ミナが視線を上げる。
「俺たちは、その…なんのために」
造られたのか、と言おうとして口をつぐんだ。
自分が、ミナが、人工物であるということに、どこかでまだ抵抗を感じていた。
ミナはリョウの心を汲み、言葉を繋げる。
「私たちが造られた理由は、『世界平和のため』よ。少なくとも、最初は」
リョウは目を丸くする。
「世界…平和だって? こんな力が?」
リョウの頭の中では、この”異常な能力”と、自分の考える”世界平和”とが、どうしても結びつかない。
真逆の要素を孕んでいるとさえ思えた。
「私も、そこまで深く知っているわけじゃないし、造った側でもないから… 正直、わからないことだらけよ」
「でもこの『ドール計画』── 私たちを生み出す計画が始まった理由は、当初は本当に人類の未来のためだったの」
「人類の歴史は、戦争の歴史。今もだけど、人類は生まれてからずっと争ってきたわ。あなたも学校とかで習ったでしょうけど」
「まあ…そうだな」
「それ自体に問題はないの。いままでは、ね」
「これからの未来、このままいけば必ずまた大きな戦争が起きる。その時にもしも、地球を壊してしまうほどの兵器が、使われてしまったなら…」
「人類が滅ぶ、か…」
いつか聞いたことがあった。もし今、世界の全てを巻き込むような戦争が起きてしまったら、その発達し過ぎた兵器によって地球そのものが破壊され、やがて人類は絶滅するだろうと。
人の作り出した兵器は、もはや人の手には負えないものであると。
「そうならないためには、どうすればいいと思う?」
「うーん…」
リョウは考えるが、この問いに明確な答えがあるならば、誰も苦労はしていない。
「みんな仲良く! …ってワケには、いかないよなぁ」
出来そうにないことは承知の上だった。
しかしミナから返ってきたのは、予想外の返事。
「それよ。ドール計画が掲げた目標は、まさにそれなの」
「…なんだって?」
そんな事は、どう考えても不可能だ。まさに人類の歴史がそれを証明している。
少し考えれば子供でもわかることだ。
「事の発端は、ひとりの研究者。その人は、人間が持つ『特殊な能力』を発見した」
「まだその時点では、手品に毛が生えた程度のものだったそうだけど」
「どうにかして能力を大きく、自在に扱えるようにできないかと研究を重ねた結果、『受胎時の遺伝子操作』に行きついたの」
「遺伝子…」
「そう。結論から言うと私たちは、おなかの中に居る間に、ドールズにされる、ということよ」
「そんな…」
「なぜ、こんな事が世界平和に繋がるのか、なんだけど」
「その研究者は、争いが起きるのは格差があるからだ、と思っていたの。格差がなくなれば、争う理由もない。人類はみな、平和に生きていけるはずだと」
「ノブレス・オブリージュってやつね。地球規模の」
「その人が言うには、格差っていうのは、貧富の差もそうだけど、領土や資源のことでもあるの」
「水が無くて困っている地域には、豊富にある所から。緑地や食料、燃料なんかも同じように」
そこまで聞いてリョウは、息を飲んだ。
自身に宿る異能の力、その原理原則は、”交換”──
「それって…」
「なんとなく、わかってきたでしょ?」
「この”特殊な能力”を”全地球規模”で行使する── それが、ドール計画の目標だったの」
──そんな事が、本当に可能なのだろうか。確かに、この力をミナが言う所の格差の解消に使うことができたなら、理論上は可能だ。この力を有する者が、同じ目的を持って、平等に行使できたなら。
平等に、分け隔てなく、持たざる者に与える。
──しかし、
それができなかったから、今の人類の歴史があるのではないのか。
──夢物語だ。
リョウはミナの話を聞いて、そう思った。
ミナは続ける。
「リョウの考えてること、わかるよ。こんな事は、どう考えたって現実的じゃない」
「でもね、この話を聞いたとき、私は信じたいと思ったの」
「自分の存在が、誰かのために、どこかのためになれるなら」
「私は生まれてきた価値がある、そう思いたい。少しでも」
ミナはテーブルの上で手を組み、祈るような姿勢で話す。
自分に言い聞かせているようにも見えるその姿は、懺悔室で牧師に祈る殉教者のようだった。
「ミナ…」
ミナは物憂げな顔でテーブルを見ていたが、すこし息を深く吸い、顔を上げた。
「ごめんね、ちょっと話が逸れちゃった」
「で、その計画はやっぱり破綻したそうよ。人権とか、道徳的な障害もあって、計画はごく小規模で進めるしかなかったの」
「そして、どこかの国か、権力者が、この計画に目を付けた。計画そのものを丸ごと買い上げて、独占したの」
「そいつは、計画の目標を無視して、自分のためだけにドールズを造った」
ミナの目に静かな怒りの色。
祈っていた手は、握りこぶしに変わっていた。
「それが、初期ロットの9体と『親』ってわけ」
「私設軍隊…ってやつか」
リョウは眉をひそめ、呟いた。
「そんなところね。彼らの目的はわからないけど、計画の目標であるノブレス・オブリージュでない事だけは確かよ」
「だから、私は彼らを止めたい。…いえ、止めなきゃならない」
ミナは目を閉じ、組んだ両手を額に当て、うつむく。
しばしの沈黙。
リョウは信念と決意を、ミナの言葉から感じ取っていた。
そしてもうひとつ、責任のような重みも。
窓の外にぼんやりと映る巨大スクリーンには、相変わらず味気の無い無機質なCMが流れている。
大げさで無責任な記号を恨めしく思いながら、リョウが口を開いた。
「じゃあ、まずはやっぱり鍛えないとな」
ミナが、はっと顔を上げる。
「小難しい話は置いといて、要するに俺たちが負けたらダメだって事だろ?」
リョウはつとめて明るく振る舞う。
いろいろと思う所はあったが、思い詰めた様子のミナが心配だったからだ。
「よろしく頼むぜ、ミナ先生?」
ミナはしばらく呆気に取られていたが、ふっと笑い、答える。
「…ありがとう、リョウ」
ふたりは目線を合わせる。
いま初めてお互いの目標が、目指すべきところが、合致した気がした。
「…でも、手加減はしないからね?」
「う…」
リョウはまだ痛む背中に手を当てる。
外のわずかな雑踏と機械音が響く店内で、ミナはすまし顔でぬるいコーラをストローで啜る。
薄くため息をつきつつ、リョウはテーブルに肘を置き、頬杖をついていた。
表情はふたりとも、どこか穏やかだ。
一見するとそれは、ただの平和な若者たちの日常だ。
しかしこの二人の間には確かに、揺るぎない信念と決意の気配がある。
いつか思った、運命の糸。
それは、確かに手繰り寄せられている。
その先に行きつくものが何であれ、リョウは受け止める覚悟を決めていた。
店の外、はるか遠方からの視線を、わずかに感じながら。