プロローグ
空は、今日も灰色だった。
色を忘れたような雲は、透けることも、晴れることもなく、ただ鉛のように垂れ込めている。
陽の光は遮られ、街は一日中、薄暮のような仄暗さに包まれている。
これがこの街の日常だった。
建物の外壁には長年の煤がこびりつき、道路は微かに油のにおいがする。
濡れた地面を湿った風が舐めていくたび、冷たさよりも、どこか鈍く重い感触だけが残った。
この街に季節の移ろいはない。
誰も口には出さないが、誰もが知っている。
空はもう、青には戻らない。
高架下を通ると、かすれた警告音とともに電車が頭上を駆け抜けていく。
音は響いても、誰の足も止まらない。人々は皆、スマートフォンの画面を見つめながら歩き、立ち止まり、時には何かを避けるようにして人を遠ざける。
言葉は希薄になり、視線は交差せず、誰もが“自分だけの世界”の中で生きていた。
その街の中を、カラサワ・リョウは歩いていた。誰ともぶつからず、誰にも見られず。
ただ、今日という日に踏みとどまるためだけに。
黒いジャケットに身を包み、無言のまま歩道橋を上がる。
酸を孕んだ有害な雨が、霧のようにさざめき、視界をわずかに遮る。
傘を差す気にはなれなかった。そもそも、持ち歩く癖がない。
どうせどこに居たって、晴れることなど無いからだ。
空も、心も。
日々は粘土のように形がなく、曖昧に流れていく。
目的も、意味も、ない。だが、それを疑問に思うことすら、どこか遠ざけていた。
この世界では、それが普通だった。
誰も本当の意味では他人に触れず、深く交わらず、少しずつ“自分”を希釈しながら、生きているふりをしていた。
リョウの足が、ふと止まる。
小さな空き地、公園と呼ぶにはあまりに殺風景な場所。
枯れた芝生と折れかけたベンチが、鉄柵の向こうに佇んでいる。
子どもの姿はない。遊具も朽ちかけ、ペンキの剥がれたブランコだけが、風に揺れていた。
この街では、こんな景色は珍しくない。だが、なぜか今日はそこに引き寄せられるような感覚があった。
……何かが、変わろうとしている。そんな予感だけが、微かに胸に残った。
それが何なのか、まだ彼は知らなかった。
そして、それを知るために、ある少女との出会いが待っていることも。