黒い渦
ここ最近戦闘を常に意識して行動することが無かったため、隠密ベースのこれまでと違った別の集中力と疲労感が溜まっていくの肌で感じる。ダンジョンでの戦闘を考え、道中は半径5m内の感知のみに魔力を割き、移動優先、戦闘になれば肩慣らしのために時間を決めて戦闘することを意識している。
ここら辺りではダンジョンアタックが比較的頻繁に行われるのと、上級以上のダンジョンが一つしかないという事もあり、氾濫がおこらず街中にいるモンスターのランクも高くない。それでも上空を飛ぶワイバーンのように、イレギュラーで中型以上が湧くこともある。また、未発見や新たに生まれたダンジョンによる氾濫などもあるため、ある程度の実力が認められた人間は、綜馬が今やっているようにパトロールの義務が課せられている。
あまり来たことのない場所だったが、綜馬の住んでいる辺りと変わらず鉢合うモンスターの種類もほとんど同じだ。何も問題がないと思った矢先、奇妙な存在を察知する。
崩れたブロック塀の下。当然手入れのされていない庭の木が生い茂り、雑草がブロック塀の下から顔を出している。人の気配も、モンスターの気配も無いがそこに何いるという確証はある。
陰魔法の特性として、生物の存在感に酷く敏感というものがある。だからこそ、自分に向く意識から身を隠す、隠密という能力が強い。
敵意や害意の所在は確認できなかった事もあり、素手でそのまま近づいて瓦礫を退かす。大きな気配を発するのはそのまま倒れたブロック塀の下。再び周りに何もいない事を確認したのち、ブロック塀を空間魔法の中に放り込む。
大きな瓦礫は魔法で拾い上げ、その後処理した方が簡単だ。
空間魔法にしまったことで、その下から感じた存在感の正体が現れる。
黒い渦。渦巻く影といった方が適切だろうか。生き物では無い事は確かだが、意思があるようにも、呼吸をしているようにも見える。アスファルトの上に貼り付いているというより、元からそこにあったかのようだ。
渦に触れられる距離まで近づく。意識がそこに惹き込まれる。渦の中から感じる生き物の胎動、渦自体が持つ生命力に触れた事でこの渦がダンジョンの入り口である事を何と無く察する。
恐る恐る渦に手を当てると、渦に触れる事はなくどこかの空間にすり抜ける。アスファルトの感触も、散らばった瓦礫すらも感じない。空間がある事は確かだ。
慎重な綜馬が何もわからないものに対して、ここまで無神経にいられるのは、この渦の持つ魅力のせいかもしれない。理性を忘れ本能のままに動く。後になってこの恐ろしさに気付いたが、現状魅力にやられている綜馬からすると、渦に対する興味しか頭にない。
最初は左手、その後左腕、両手、両足、と、それぞれを空間に入れては出してを繰り返し、あちらの世界から何も影響がない事を確かめる。
最後に、僅かな遺伝子を引き継いだ分身体を作り出し、渦の世界に送り込む。破壊されていない事を把握すれば今できる安全確認はこれでおしまい。
いつもの綜馬なら家に引き返し、次の郵便の時に一輝は報告して終わりだろう。緊急性もなさそうという点と、渦を見つけた辺りは付近にシェルターがないため、万が一が起こってもすぐに実害が出ない。
しかし今の綜馬はいつもの綜馬ではない。それは少し前の行動が証明している。渦の中に手を入れる。けれどさっきとは違い危険性を確かめるためのものではない。
渦の大きさマンホール程度。足から入ればすんなり行けるだろうが、状況を確認するために頭から入る。両手を入れた後、頭を出す。
渦の中、つまりダンジョンの入り口は特に危険を感じられず、その事がわかると、顔を戻して足から中に入る。
ダンジョンの中は広く、空間魔法に近い構造でダンジョンは続いている。あまり多くのダンジョンを経験していない綜馬であっても、ダンジョンの性質や様子くらいはある程度頭に入っていた。
目の前に広がる景色で綜馬は悟る。一般的なダンジョン。つまり初級ダンジョンの様相とは全く違った世界がそこには続いていた。
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ダンジョンの区分は未だ完全なものではなく、岩肌で地下空間を彷彿とさせる世界が広がるものや、フィールドダンジョンと呼ばれる草原、氷河、火山など、特殊な地形が広がっているものもある。
基本的に階層数によって初級、中級、上級と分けられているが、層ごとのモンスターの強さや、ボスモンスターの強さにばらつきがあるため、一桁の階層しかなくても中級以上に該当するケースも存在している。
そもそも、中級以上のダンジョンに関しては階層数が判明していない事が多く、現時点で中級に分類されていたり、モンスターの強さはそこまででは無いが、終わりの見えない攻略のため、上級と位置付けられていたりなど、かなりアバウトな基準で区分けされている。
そして、綜馬が訪れたこのダンジョンはいわゆるフィールドダンジョンであり、フィールドダンジョンは多くの場合中級に該当される。
ただでさえ、環境が厳しいにも関わらず、フィールドダンジョンは地形という条件が常に付きまとう。
目の前に広がる景色。そこは暗闇だった。入り口と同じ黒が渦まくそんな世界。灯の効果をもつ魔道具で世界を照らす。光は影を照らし、照らされていない影はよりいっそう黒を濃くする。
ダンジョンに入った瞬間、綜馬は強く後悔する。さっきまでの自分がどうかしてると責めたくてたまらない。
周囲の環境がわからない以上、この場から動くことは難しい。ダンジョンへ入ってきた入り口が閉じているという事は、なんかしらボスを倒さないと出られないタイプなのだろう。
救援の頼りもなく、資源は潤沢にあるがこのダンジョンの情報がない以上下手に動けず、気づいた時には絶体絶命なんて可能性もあり得る。
そうなる前に、ある程度攻略を進めた方が良いのかもしれない。様々な考えが錯綜する中、不思議な気配を感じとる。
一羽の鳥。暗闇に紛れているため、目視では確認できないが感知に引っかかっている。その鳥は綜馬頭上まで来ると鳴いた。
「カァァッー」
それまで鳥と綜馬だけの空間に大量の気配が傾れ込む。気配の正体ははっきりとしないが最初からいた鳥とかなり似ている。
鳥達は大きな群れを成して、綜馬を囲むように飛び続ける。感知では数えきれないほど、辺りを埋め尽くしていた。しかし、一切の敵意や害意は感じとれない。
まるで綜馬を観察している様子だ。このまま立ち止まっていても何も進まないと思った綜馬は、足元を照らしながら下に続く道か、何か脱出の糸口になりそうなものを探す事にした。
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足元の注意と周囲への警戒を最優先に、暗闇を割いて進んでいく。鳥の群れは綜馬から離れる事は無く、距離を保ったまま滞空している。
特に意図せず、綜馬がある一定の方向に視線をやると鳥達は忙しなく動き出した。2回目までは偶然かと思っていたが、3回目にしてその違和感に気づく。
その方向というのは真下。1回目は靴紐が気になって、2回目は特に理由がなかった。確認のため、もう一度下を向く。鳥達は忙しなく動き、向き続けていると何か我慢できなくなったのか、鳴き出す鳥もいる。これは何かあるに違いない、そう考えた綜馬は白く照らされた地面の向けて短刀を突き立てた。
効果は劇的。ダンジョンを覆いつくしていた暗闇がすっと晴れ、石畳で作られた空間が顔を出す。頭上を飛んでいた鳥の群れは霧が散るように消えていきそこに残ったのは一羽のカラスだけだった。
このカラスに見させられた幻だったのだろうか、それとも何かしらの攻撃だったのか、どちらにしてもこの烏と一戦する必要がありそうだ。