緞帳
全身に伝わる衝撃は神経をミキサーで回したみたいにすべての痛覚を刺激し、ぐちゃぐちゃに崩れてしまいそうな自我をどうにか繋ぎ止めながら顔をあげる。少しの失敗すら許されない。自分がもたらす結果が文字通り生き死にに直結していて、その事を嫌になるほど自覚していたはずなのにこの場から逃げたくなるほど絶望の息遣いが耳に触れる。
天谷の『結界魔法』がなければ今頃堂島は痛みに耐えきれず蹲っていただろう。『硬化魔法』で爆発的に上昇させた耐久力も痛みに対する慣れや、恐怖を相手取った時の落ち着きをサポートしてくれるわけではない。歯を食いしばりながら、一撃、一撃と堪え、綜馬の攻撃の隙を作り出す。
堂島の我慢に応えるように綜馬も力を惜しむことなく攻撃を繰り出す。[朔]を使えばしばらくの余裕は生まれるだろうが、その挑戦はあくまでも賭けでしかない。どれほど魔力を込めた分身体を作れば時間稼ぎができるのか、完全体であれば堂島達と協力し合って倒せるのか。思考の中でしか繰り返すことのできないもしものために、余裕のない魔力を振り絞れる勇気を綜馬は持ち合わせていなかった。
それほどまでに目の前の敵は強大で、それこそ[朔]やゴーレム、[スコル]と対峙したときとは比べ物にならないほどの圧をオークの王は持っていた。それに分身体の可能性はこの階層に入ってから全ての時間で常に考えていた。未だに正体不明の[シーナ]を出すことも頭には浮かんだが、彼、もしかすると彼女、は分身体と違って生と死の概念の中で存在している。綜馬の思い付きで[シーナ]を殺すなんて出来るはずがなかった。
魔石に魔力を込めた爆破攻撃。『陰魔法』とミケアに教わった戦闘技術を使い、オークをこの場で屠ると覚悟を決めて攻撃を繰り出す。綜馬の攻撃がそれなりにダメージとして響いているのが嬉しい誤算だが、その分オークの底なしの耐久力が際立つ。どれだけ大きな数字でも一を引き続ければやがてゼロにはなる。そう信じて綜馬は攻撃を繰り返した。
時間にしてどれだけの時間が経ったのだろうか、回数にしてどれだけの回数攻撃を仕掛け、攻撃に耐えたのだろうか。綜馬と堂島は肩で息をしながら天谷から送られてきた合図確認し、目標地点まで全速力で下がる。二人の消耗は激しく、特に堂島の疲労は著しい。それでもなお限界を超えながらも自分の出来る最善以上を求めて二人は動く。
綜馬の執拗な攻撃と、何度力を振るっても壊れる事のない堂島。怒りとして現れる食欲の暴発はさらに勢いを増し、破壊衝動はより力を増して、理性を飲み込んでいく。全身に残る傷跡、痛みという感覚がここまで全身を覆うのは初めてだった。生まれて初めての癇癪を起すオークの王は未体験の感情に支配されながら、この思いをどうにかして拭おうとその原因を排除するために“敵”を追いかけた。
「来たよ!」
天谷の声が響いた次の瞬間、オークの王は足元に仕掛けられていたワイヤーに足をひっかけられて体勢を崩す。そのタイミングに合わせて、「おりゃぁ!」と声を出しながら蘭香は飛び込んだ。その気配に気が付いたオークは握りつぶしてやろうと手を伸ばす。ぐしゃりと何かを砕いた感覚が右手に広がり、思わず口元を緩めたオークだがすぐさま痺れるような痛みが右手に広がりズタズタに傷ついた掌が残った。
何が起こった、冷静さも思考力も失ったオークは正体不明の異常事態により一層頭を悩ませるがその隙を好機と見た蘭香は一気呵成に剣を振るう。
左手首、脇、首筋、股関節、足首、と外皮が比較的柔らかい場所を狙って切っていく。前とは違い、冷静さと王としての圧が減ったせいで簡単に攻撃が入っていく。狙った箇所に吸い込まれていくように的確に斬り割かれていく様は解体ショーを見ているのではないかと錯覚するほどだった。
一度、蘭香は下がり再び堂島のターンになる。綜馬は蘭香の補助をしながら、次にできる事を常に考えていた。その甲斐あって、蘭香を握りつぶそうとしたオークの右手に用意していた爆発寸前の魔石を持たせた[カンジ]を送り込めた。明らかにオークの王は弱くなっていっている。そう確信したのは綜馬だけでなく、再戦となった三人も感じた事だった。
堂島はつい口元を綻ばせる。堂島を壊してやろうと、血の滴る肉塊にしてやらんとするオークの王の攻撃が弱くなっている。この程度であれば天谷の『結界魔法』が無くても受け止められるだろう。
光すら吸い込む暗黒の中を歩いていた。希望なんて絶望を飾るだけの偽りだと思っていた。しかし違った。今こうして目の間に広がるのは眩いほどの光。堂島は閉ざされていたと思っていた未来が再び目を出したことをはっきりと――
「堂島さんっ!!!!」
久々に聞いた綜馬の張り上げた声。歓喜の勝鬨をあげるのには少し気が早いなと、そんなことを考えたところで堂島の意識は消えてなくなる。ごとんと転がり落ちる音が静寂を強調し、その後オークの王の咆哮といくつもの召喚門から現れる中型モンスターの群れが喧騒を生み出す。
「くそがぁぁあああああああ」
少し前まで携帯していた冷静さをいつの間にか無くしていた綜馬は勢い任せにオークへ飛び込んでいく。爆発的な感情の行き場を無くしていた。反射的に使った『空間魔法』は綜馬の残り全ての魔力を代償にオークの右手を抉り取る。無理やり開けた『空間魔法』入り口はオークの右手を食らうだけでなく、中にあった魔石をぶちまけ爆発を起こす。
「だめ、綜馬!」
蘭香の声も、天谷の結界も間に合わない。突然手を失いきょとんとしていたオークが理解を追いつかせ怒りを叫ぶ。持ち手が半分になった棍棒を左手で握り直し、右手を失った原因であろう標的を見つけて振りかぶる。魔力を使い切った綜馬は気を失いその場に膝から倒れこんだ。瞬間、音が沸く。大気が震え、階層全ての存在が支配される。風を割り、彼女が現れる。
ミケアは綜馬を抱きかかえて天谷に視線を送る。意図を理解した天谷は静かに堂島を見つめてから、19階層へ続く道を目指して背を向けた。一瞬の出来事でオークは反応を遅らせる。追いかけようとするが、追い付いてきた右手の痛みが全身を支配しのたうち回った。二度目の敗北が刻まれ天谷たちは地上を目指し逃避した。
20階層で力をつけ続けたミケアと、さらに下の階層で時間を過ごした天谷たちにとって20階層よりも上の階層は地上と何ら変わらない安全地帯のようなものだった。数日かけて降りたダンジョンも来た道を戻るのは二日もかからなかった。
四人が県境ダンジョンを出たのと同じ時刻、掲示板は報酬を告げる。
〈緊急ミッションのクリアを確認 対象シェルターへの報酬譲渡を行います。また、今回ミッションのリザルトを一部公開いたします。〉
彼らの起こした変化は劇的にではないが、確実に世界を変えるきっかけとなった。
読んでいただきありがとうございます。
一旦ここで区切りたいと思います。新章はもう少し先になりますが更新しますのでお待ちください。その間別作品を投稿しますので、そちらの方もよろしくお願いします。
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