再び瓦解
自分が今いる世界はもう知っている世界ではない。何度も突きつけられて来た事実が、ここに来て再び顔を出す。ファンタジーの定番、エルフという種族。見目麗しい容姿を持ち、魔法に長け、長命で、森に住まう者。鉄を嫌うとか、ドワーフとは犬猿の仲だとか、手に取る作品によって様々なトッピングをされる存在でもある。
彼女は綜馬を見ながらどう動こうか悩んでいる様子だ。綜馬も手に負えないこの状況に混乱しており、ただ呆然と立ち尽くすだけ。攻撃してこない綜馬に対して、彼女も目の前の存在に対して自分は敵対行動をとるべきか、それとも対話すべきなのか決めきれていない。
先に動いたのは綜馬。自分が敵ではない事を示す必要がある事に気がつき、テント唯一の入り口から離れ両手を顔付近まで上げる。恐らく万国共通の交戦の意思がない事を伝えるジェスチャーだが、これが異世界にも通じるのかはわからない。もしかすると全く逆の意味にも捉えられるかもしれないと、手を挙げた後に考えた。
ただ、エルフの彼女は綜馬の意図を汲み取ったようで、待てと言いたげなジェスチャーを送り返し、一度入り口のファスナーを閉めた。
そう言えばと、開けた時の彼女の格好がパジャマ的なものだったと思い返して気がつく。人間たち同様、全身を締め付ける構造のないゆったりとしてふわふわな様相。エルフという衝撃に視界情報と脳の処理が全て持っていかれていた。
エルフの準備を待つ間、綜馬は再び頭を悩ませる。そもそも解決していない問題を、後回しにしただけで彼女を見た瞬間からどうすべきなのかは考えついていない。
彼女だけが特異なのか、それとも他にもエルフがいるのか。もしそうならこの県境の中級ダンジョン内だけなのか、可能性としてこの世界ではモンスターに該当する存在なのか、考え出すと問題点は尽きる事がない。
ただ、それら情報を集めるためにも彼女とは敵対すべきではないというのが現在綜馬の中で決まっている唯一だった。
その唯一を遂行するために、言語の問題と、ここがダンジョン内であるという大きな壁があった。今考えるべきはこの二つだろうと、思考の使い道を決めて綜馬は待っている間、答えの出ない問題に頭を使うのだった。
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[シェルター813 警察署内]
田邉は報告書を受け取り、その内容に視線を落とす。報告書には桜川真緒が代表を務める『ブライス』がここ2日の間、どのような行動をしていたのか事細かに書かれていた。
その中でも特に代表の桜川真緒と、副代表の飯島聖の行動は詳細に記載されており、起床時間から就寝時間までのすべてが丸々監視対象だった事がわかる。
反対意見もあったが、『ブライス』を受け入れる事になったのは田邉が責任を取ると明言したからだ。『ブライス』の言動によって生じる影響は田邉自身にも関係してくる。
やりすぎと言われるくらい入念に彼らの行動を見張る必要があった。田邉が報告書を読む横で、星5等の片桐と佐山は監視中に撮影された桜川真緒の際どい写真を見て楽しんでいる。
プライバシーや人権意識といった先進的道徳感はとっくのとうに廃業しており、旧時代の価値観へと元通りになっている現在では、田邊の監視という命令が絶対でありその最中で生じる監視対象の心情など慮る配慮は初めから用意されていない。
「今のところ、特に問題はなさそうだな。」
「田邊さん、真緒ちゃん隔離させるの勿体無くないですかぁ?田邉のお気に入りって話ならお下がりでも我慢しますけど、そういうわけじゃないんでしょ?手っ取り早く遊ばせてくださいよ、」
「あぁー、初めて見た時から思ってたけど真緒ちゃん肌白すぎるわ。すげぇタイプ。」
片桐と佐山は鼻息を荒くしながらいつも通りの願いを田邉に話す。
「お前ら今回は少し我慢しとけ。下手に問題を起こすと厄介ごとが増える。警戒期間が終わって、『ブライス』との契約が終わった後なら好きにしていいからそれまではいいな?」
「まぁ今回はしゃーないか。それじゃあもう飽きてるけど別のおもちゃで我慢しよっと、」
「我慢の時間が増えれば増えるほど気持ちは膨れとくからな!んんーこれが純愛か!」
下卑た欲情を我慢出来ない2人は田邉の指示を受け、この先の楽しみを待ちきれない様子で部屋を出て行った。
「あの馬鹿二人は、実力がある分厄介だがわかりやすい欲望が動機になっているから扱いやすくて助かる。」
監視だけでなく報告役や、事務作業も行なっている田邉の右腕、天谷は田邊の独り言のような言葉に小さく相槌を返す。
「あの二人と、議長の監視も引き続き頼むぞ。混乱に乗じて体制を変えようとするバカがいるかもしれん。どんな状況でも先手を打てる奴が勝つからな。」
天谷は再び頷き、音もなく姿を消した。田邉の抱える小さな野望。現状維持といえば控えめに映るだろうが、現状が完成されているのだ。まるで自分が王様になったようなこの世界。自分の王国に歪みが生まれるように願う。田邉の願いはそれだけだった。
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警邏隊の仕事を終えたレオはすっかり暗くなったリビングに明日の朝食を用意して、音を立てないように心がけて階段を上がる。明日は早朝からしゅんとララが警邏隊の番だ。朝シフトと夜シフトがあり、レオ達4人、それぞれ別の班なのにも関わらず朝シフトばかりを担当している。
ただ時折今日のように夜のシフトを入れる事で、朝シフトに慣れた体を生活習慣ごと破壊してくる。議長含む議会のやり口は分かっているが、これは思ったより気が病む。
生活習慣がズレた四人がダンジョンに潜れたのは警邏隊の仕事が始まってから2日目の時の一回のみで、1週間と2日経つ現在では各々近隣市街地でセコセコと魔石集めをするに留まっていた。
昨日の仕事前に食べた炒飯以降レオは何も腹に入れていない。腹をさすりながらレオは横になる。冗談まじりに話した協力者について。
あの晩以降、これからの展望について顔をつき合わして話してはいない。しゅん達が楽観的な性格というのは長年の付き合いから重々理解している。
そのため彼らが自分をリーダーとして決めてくれた以上、自分が指針としての役割を果たすしかないのだ。
「綜馬くん、か。」
かつてダンジョンで出会った心の優しい青年、彼の力は特別だった。深く知ろうとは思っていない、彼も詮索されるのは嫌だろう。綜馬が仲間に、と考えるのは充分な実力を持っている事ではなく、ララの話に心から慈しみを持ってくれたから。
一人の時間が増えるとどうしても理想の世界が広がってしまう。太陽が夜の溶かしきる前に眠ろうと瞳を閉じた。
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