軌道
日々更新され続ける世界の状況の中で、人々はその脅威を後に残すために語り継ぐことをやめない。
初めて出会うモンスターの特徴を命からがら持ち帰り、世界にいる同志に向けて掲示板に報告する。そんな彼らの意思が線となり、確かな情報として明日生きるための武器に成り変わる。
実際見たことは無くても、モンスターや脅威への知識が蓄えられ続ける光景はかつての人類を彷彿とさせるような推進力を感じさせる。シェルター700から900までが広がる旧北関東エリアでは、出現するモンスターの種類はある程度固まっている。
旧居住区にはコボルト、ゴブリンなどの亜人種。時折、体躯の大きな人型モンスターはホブと呼ばれる進化種か、オークやハウンドマンと呼ばれる上位種が現れる。
他にはハウンドウルフ、アルミラージ、ダストラットのような獣型モンスターも多く見かける。見慣れないモンスターも目にしない事も無いが、基本的にはこれら数種類で構成されており、旧北関東エリアで行われるモンスター討伐はこれらモンスターを対象にした陣形や狩り方になっている。
中型と呼ばれる縄張り意識を持っている強力なモンスターは、各地域で認識はしているものの討伐しようという意思が共有される事はない。
自ら火の中に飛び込む必要はないという意識が共通しているのだろう。
ランダムスポーンを除き、中型モンスターは基本的に縄張りから出る事はなく、自発的に人を襲う事も少ない。そのため、ヌシ的な捉え方をされる事が多い。
シェルター800を中心とした縄張りを持つワイバーンにもそれは同じ事が言え、クロウに乗り郵便をしていた綜馬が1番初めに約束されたのがワイバーンの進行方向は妨げず、なるべく視界に入らない事というものだった。
近隣シェルターに郵便利用を呼びかける際も1番気にされたのが、ワイバーンについてのものだった。それだけこの辺りのヌシであるワイバーンは禁忌的な存在になっていた。
一度だけ起こったワイバーンの戦闘。それが網膜に焼き付いて取れなくなってしまったのだろう。
見慣れないモンスター群、後になってガーゴイルというモンスター群れだという事がわかった。
自分の縄張りを堂々と縦断するガーゴイルの群れ、ただ横切るだけではなくつまみ食いをするようにシェルターを覗いたり、シェルター外にいる人間に襲いかかっていた。
シェルターの住人たちはガーゴイルの襲来に警戒心を強め、武器を取るのではなくシェルターに籠ることを選んだ。ガーゴイルの放つ爪の斬撃音が早く止まないかと、誰もが願った時轟音が町中に響き渡った。
ギャァオオオオ!!
聞いたことのない咆哮は、空から降り注ぐ。ガーゴイルたちの攻撃かと勘違いした住民たちは自分たちが緩やかに死んでいく事に覚悟を決めていた。
しかし、次の瞬間目に映ったのは空に所在をなくしたガーゴイル達。1匹、また1匹と地面に落ちていく。
ゴブリンの雨が止んだのは、咆哮が轟いてから1時間後のことだった。その間、ワイバーンの一方的な蹂躙をシェルターから見届けていた。
ガーゴイルの持つ強靭な爪や、唸りをあげる槍の攻撃。連携は練度が高く、縦横無尽に飛び回る姿は悪魔を彷彿とさせた。
しかし、ガーゴイルの攻撃がワイバーンに届くたび、傷ついたワイバーンの肌は瑞々しく蘇る。それだけではなく、一度羽を振り下ろすと、ガーゴイル達は首をあらぬ方向にひしゃげて墜落する。
ただ撫でているだけのようなワイバーンの攻撃、もしかすると攻撃をしていると思っているのは自分たちもガーゴイルだけなのかもしれない。羽虫を払うかのようにワイバーンは羽と腕を振り、群れのボスらしきガーゴイルには最初と同じような咆哮をお見舞いし、戦闘は終了した。
これで終わりだと告げるようなワイバーンの咆哮は、余韻が大気を震わせ見ていた者達は暫く放心して動けなかった。
そんな脅威を植え付けたワイバーン。まるで天災のような存在に、ここらの住人達は畏れを持って生活していた。再び鳴り響く咆哮が自分たちに向いていない事を願って。
ワイバーンの咆哮が鳴り響き、シェルター813の住人達は直ちに避難準備に取り掛かる。今度はガーゴイルのような不穏分子の姿は見受けられない。
つまり、ワイバーンの攻撃が自分たち人類に降り注ぐ可能性が最も高いと考えられた。規模の大きいシェルターでは莫大な維持費がかかるため、このような緊急事態に陥った際、近隣シェルターに分散して避難するのが鉄則となっている。
つい最近シェルター800の件があったため、同じ中規模シェルターのシェルター813は万が一に備え避難訓練をはじめとした緊急時行動を綿密に作り上げていた。
突然鳴り響くワイバーンの咆哮。非常事態を伝える鐘以外の何物でもなかった。
訓練通りとまではいかないが、住民たちは連携の取れた動きを見せる。
孤児院と老人たちを先導するのはレオは、お互いが押し合わないように適度な距離をとって進んでくれと声を張り上げながら伝える。最も弱い立場にある子どもと老人。シェルター813を管理する幹部達は面倒な仕事を全てレオ達に押し付けていた。
当人達が前向きであるため、無駄な諍いは生まれていないが子どもと老人を守るレオ達の負担は計り知れない。
ララとしゅんが最後尾につき、遅れている者や調子の悪い者の様子を見ながら避難先に誘導している。
ここから先はシェルター外に出るため、各々の緊張感は強く張り詰めていく。事前にレオはみんなに作戦と心持ちを伝えてある。「全員生存、安全第一。」
レオは誰1人欠けさせる気はなかった。元々は他人同士の仲とはいえ、2年以上一緒に生活する仲間だ。作り上げた日常を傷つけられるのは何があっても許せなかった。
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サイバは近づいてくるワイバーンに腕を振る。タイミングよく頭上に拳が近づいた瞬間、ワイバーンの滑空が詰まる。
「流石に墜とせないか、」
そう呟くと羽間を呼んで作戦を告げる。
「時間稼ぎ頼みます。」
サイバは目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返し始めた。ワイバーンは、自分の身に起きた違和感を拭えないまま、本能に従い隙を見せたサイバに再度突進を敢行する。
が、視界の端に映るモンスター群に注意を惹かれ、結果モンスター群目掛けて加速を始めた。
騒ぎ立てるモンスターの群れ。モンスターが同族同士、または知恵を持つ同士徒党を組むことは何も珍しい話ではない。生まれながらにして強者であるワイバーンはその気持ちは理解できないが、弱い者同士力を合わせるという理屈は納得できる。
しかし、無意識的に塗り替えられた標的のモンスター群は明らかにおかしい。一見するといつも通り自らの欲に忠実な顔立ちを浮かべているが、隊列を組み全く別種族のモンスターが横並びにいてもその隊列を乱すことがない。
今この瞬間の快楽のみを求める蛮族である彼らが、騒ぐだけ騒いでその場にただ立ち続けているのだ。同種や、知恵を持つ者同士で手を組むとは言ったが、その関係は脆弱で一方の気まぐれで破綻する場面を何度も見てきた。
しかし、ワイバーンが現在目にする光景は、数種類のモンスター達が互いを攻撃することも、ただひたすらに歩き回ることもせずにその場に佇むという行為をしているのだ。
異変を異変として飲み込んだはいいが、その事態について思案する時間はない。猶予がないというのではなく、必要がないためだ。弱き者がどれだけ策を弄したとしてもその刃はワイバーンの喉元まで迫ってくる事はなかった。
いつも通り雑魚を薙ぎ払い命を刈り続ける。ワイバーンの一撃で全てが死なないように隊列は折を見ながら動き、長い時間生きながらえようと必死だ。ワイバーンは、おもちゃを与えられた犬のように舌を出して右往左往と飛び回る。
「充分です。ありがとう、」
モンスター群の残りを刻んだのとちょうど同じタイミングでサイバは羽間に合図を送る。羽間は合図に合わせて発動させた。
1匹の鳥型モンスターが空に放たれる。青白いその鳥は人に危害を加える事はなく、死骸を啄む程度の力しか持っていない。けれどちゃんと魔力を有するモンスターに該当する。決まった名前は持たず、鳥とか、あれとか、誰もが見ているはずなのに誰も気にしようとしないその鳥がワイバーンの頭上を通り過ぎていく。
ワイバーンの獲物を狩るために鋭敏になった感覚によって、意識はその鳥に持っていかれる。再びフリスビーが投じられたように、ワイバーンはその鳥目掛けて身体の向きを180度展開して飛び上がる。
加速しながらよだれを垂らし、鳥に近づいたワイバーンは一思いに牙を降ろした。
首の揺れに合わせて、全身が傾く。高度が落ち始め、羽が機能しない。首を動かし周囲を確認しようにも首を回すことすら出来ない。ただ垂直に落下していく。初めての感覚だった。
ワイバーンの巨体が地に墜ちる。それも落ちただけでなく地面にめり込むように伏せている。
「少し、このままでいてくれよ。トカゲくん。」
サイバはさっき漲るワイバーンに一瞥送り、その場を後にした。
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