見つめる先
冬弥は気怠さの残る全身を無理やり起こした。死線に何度も身を置いていた冬弥だからこそ会得した荒治療の気づけ方法だった。
明りに慣れるまでの間は、視覚以外の五感を無理やり目覚めさせ周囲の警戒に当たらせる。何度も唇を舌で濡らして空気の流れを読み取る。
「やぁ、起きたかね。冬弥くん。」
冬弥は声の方向に向き直り、すぐさま戦闘の構えをとる。
「まだ戦いの空気が抜けていないようだね。それも仕方ないか。」
相手は冬弥の向けた殺気を返すことはなく、それによって交戦の意思がないことを証明してみせた。過敏になっている警戒心をゆっくりと溶かしながら、声の主が知っている声だという事に気が付く。
「もしかして羽間さんか?」
「やっと気づいてくれたか冬弥くん。久しぶりだね。シェルター800が襲われてバラバラになって以来だね。」
「羽間さん無事だったのか。羽間さんの逃げた先のシェルターが壊滅したって、」
「お互いの詳しい話はまたあとでしよう。時間は十分にあるんだ。それよりも冬弥くん病み上がりで悪いんだが人を紹介していいかな?」羽間はそう言うとわざとらしくドアを開ける音を立てた。
ちょうど冬弥の目は部屋の明るさに慣れて、目を開けられるようになっていた。
「時間があるって、あのモンスターはどう、」
「そのことについても、彼から説明があるんだ。紹介するよサイバさんだ。」
紹介された男は、冬弥に一礼し微笑みを向けた。スラっと身長が高く端正な顔立ちのサイバは、こんな世界になる前はきっとモデルをやっていたのだろうと邪推するほど、容姿が整っている。
サイバは冬弥の瞳を覗き込む。吸い込まれるような黒目に冬弥の意識は持っていかれる。
「冬弥君、身体の方はどうかな?ここに連れてこられた時は酷い損傷だったと聞いたけど、」
第三者からの情報で冬弥は自分が酷い状況にあったことを気付かされる。自分の痛みなど考えずに戦いを続けていた弊害だろう。戦闘中はアドレナリンが止むことなくより前へ、より早くを意識していたため痛みが滲み出ないのは理解できるが、サイバの言う通り酷い傷を負っていたのであれば不思議と現在は痛みを感じない。
「身体はこの通り、もしかして治してもらったのか?」
「大事な客人だからね。僕たちの仲間には幸運なことに【治癒魔法】を使える者がいるから。」
「それは助かった。感謝を伝えておいてくれ。」
「もちろんだとも。ところで、冬弥君話良いかな?」
「あぁ、はい。あ、」
相槌を返したタイミングで冬弥の腹が鳴る。
「腹で返事ですか冬弥くん。」
隣で話を聞いていた羽間が笑いをこぼしながら言葉を返す。
「二晩何も食べずにいたんだ、仕方ないよ。せっかくだから食事を囲みながら話をしようか。羽間、先に言って準備頼めるな?」
「任せてください。それじゃあ冬弥くん。また後でね。」
羽間は頭を下げて部屋を出ていく。無機質なコンクリート打ちっぱなしの部屋に残された2人。冬弥は気まずさを覚えながら、未だ両手に残る僅かな痺れと調子の悪さをぐっぱぐっぱと握りながら確認する。
「冬弥君、一つだけ先に確認しておきたいんだけど。君は【使徒】ではないよね?」
聞きなれない単語に冬弥はポカンとした表情を浮かべるしかできなかった。
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様々な事を考えた結果、綜馬はシェルター804には帰らない事に決めた。1番の理由はクラゲだが、空間魔法にしまえばどうにかなる問題ではあった。
しかし、綜馬の中で自分の居場所はあそこには無いと潜在的に感じてしまっていた。
温かい歓迎で受け入れられ、緊急ミッションをクリアしたと知れればシェルター804の住民はこれまで以上に綜馬の事を受け入れてくれるだろう。ただ、綜馬にはずっと奥に刺さって抜けない棘があった。
堂島と長月の安否だった。冬弥の話で、椎木や顔見知りの住人達の生存は確認できたものの、綜馬が最も生存を案じていた2人が現在消息不明だった。
岸と共にシェルター812で羽間から話を聞こうとしたのも、元を辿れば堂島達の生存が理由だった。
何を行動するにも綜馬の頭の片隅には堂島と長月。そして、岸の事が浮かんでいた。無理やり自分を納得させてきたが、自分の居場所とも呼べる場所を意識し始めた事で、脳裏に刻まれた意思から逃れられない事を悟った。
魔道具を取りに行くのは自分を取り戻してからにしよう。綜馬の覚悟はダンジョンに向けて足を伸ばしていた。シェルター804に顔を出すのも、家に帰るのも、全てが終わってから。自分は再び配達という日常を取り戻して、小さな幸せを噛み締める。
何か劇的な出来事が起こったわけでも、英雄的な力を得たわけでもない。これまで見ないように蓋をしていた現実を、一つの希望をきっかけに直視して進む事を決めただけだった。
シェルター804とは反対の方向。もちろん自宅とも違う方向に身体の向きを変える。冬弥から聞いた堂島の可能性。そして、自分が果たせなかった役割を少しでも果たすために再び県境のダンジョンを目的に歩き始める。
前回とは違うのは共に向かう仲間が大きな鳥から、宙に舞うクラゲになったのと、等身大の自分を思い知った覚悟。自分の行いは結局のところ、自己満だ。けれどここで自分を満足させてからではないとこの先一歩も前進できない。
過去と対峙するために綜馬は踏み出した。
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かつては町の中心だった商店街の地下に『マーク』の拠点は用意されていた。シェルターによって守られていないモンスター出現エリアだというのに、千人近くの住民が営みを作っていた。
このような『マーク』の拠点は日を増すごとに増加しており、サイバが自ら管理する廃校を利用した拠点には、各拠点を受け持つリーダー格のメンバーが定期的に訪れる様になっていた。
問題が起こるたびに廃校の拠点では議論がなされ、サイバの指示の下『マーク』の面々は動き出す。本日行われているのは冬弥の待遇についての話し合いだった。
サイバと羽間が不在の会議。集まった人数は15人ほどで、それぞれが意思を確かめ合うために主張しあっている。
大方の意見は受け入れに賛成の幹部級の身分を与えるというもの。冬弥の実力を知るサイバと羽間から事前に説明をされたことが理由だろう。また、『マーク』では元シェルター800の住民達を多く抱えているため、求心力としても冬弥の存在はとても大きかった。
しかし冬弥の幹部待遇で受け入れる方針に真っ向から反対する人物が2人。ラウとマオの2人だけは冬弥の受け入れには慎重になるべきだと意見を出した。
東西南北に分かれた『マーク』の日本支部。東地区のリーダーサイバに次ぐ、リーダー補佐であるラウ。
リーダー自ら戦地に赴き指揮を出すサイバとは違い、ラウは慎重に計画を進めていく。
そんなラウにとって冬弥という存在は未知の脅威以外の何者でもなかった。これまで『マーク』は色々と強引に物事を進めてきた。それは大いなる目的のためであるという前提のもと『マーク』に所属する面々は覚悟を持って動いているが、その行動が多くの悲劇を生んでいる事も事実である事を理解していた。
つまり、『マーク』にとって恨みを持つ者が当然であるとラウは自覚していた。そしてその場合冬弥は恨みを持つ側にあるとラウは認識している。
シェルター800へのスライム誘導、県境ダンジョン攻略の妨害、旧知の仲である天谷、西條が消息不明であり、慕っていた堂島もダンジョンに残されているという話だ。
『マーク』の暗躍を知らない現在はその鬱々たる実状に対して、自己嫌悪ややるせなさを噛み締めているだろうが、『マーク』の動きだとバレた瞬間冬弥は『マーク』を敵として認識するだろう。
そしてこの事はシェルター800内部から動いていた羽間や、その後合流したジンとマオも理解しているはずだと勝手に思っていた。けれどことの重大さを感じていたのはマオのみだったらしい。
「冬弥さんはここにいるほとんどの人より強いですよ。ジンと私が薬を飲んでやっと止められるくらい。」
「それなら尚更仲間にすべきじゃねぇか。ヒラからやらせるなんて勿体無い。」
「冬弥さんにも潜入させるって事ですか?」
「そりゃもちろん、」
「ガイネ、お前は馬鹿だな。冬弥に潜入の話をしてみろ。お前と違って賢い彼ならすぐに気がつくぞ。我々のこれまでに、」
「ラウさんの言うとおりです。そもそも羽間さんはわかってたはずなのにどうして、」
この場で決定権を持つラウが頷かない限り話は進まず、動きのない会議が行われる裏で、密かに羽間とサイバの思惑は進行していた。
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