起床
部屋の明かりをつけようと電灯の魔道具に魔力を込めるが部屋の明るさは変わらず薄暗いまま。再度魔力を込めるが結果は変わらない。魔道具の寿命が来たのだろう。家電で言うところの回路的な部分が不調をきたし、魔力が行き届かなくなるのは魔道具の壊れ方として何度も経験している。
魔道回路が破損したか、魔力の詰まりができたか、原因は様々思いつくがなんにせよ綜馬がどうにかできるものではない。替えの魔道具を得るか、修理できる人間に頼むかの二択だろう。ついにこの時が来たかと綜馬は内心深いため息をついた。
一週間着ているジャージの上から胸当てを着ける。胸当ての窮屈さが久しぶりでもしかすると太ったのかもしれないなと腹の肉をつまんでみた。2本の脇差しを空間魔法から取り出して軽く振ってみる。前は気にもならなかった重さに少しだけ心配になるが、どうにかなるだろうと軽く流す。ポーチにマナポーションとヒールポーションがある事を確認し、玄関にかかる鍵の束を持つと準備完了。扉を開ける前に屈伸と伸びを数回繰り返して頬を叩く、ドアノブに手をかけて息を深く吸ったタイミングに合わせて扉を開いた。
太陽の眩しさが目に染みる。前までなら用意周到に警戒していた部屋前の監視もカメラの電池がないため勢いのまま外に出るしかなかった。まさか本当に外に出られるなんて、つい言葉にして漏らしてしまう。シェルター812の出来事があってからどれだけ時間が経ったのか、時計も機能していないこの世界では正確な日の計算は出来ない。
ただただ物資を食いつぶし、それ以外の時間は眠るか魔法を弄るかの生活。一日という時間概念は綜馬の中には存在せず、腹の空き具合と眠気がその日の指標になっていた。
目覚まし時計は役割を無くし、洗濯や風呂などは限界が来るまで行うことはなかった。月日が流れる度に使えなくなる魔道具は増えていき、水場の作業は殆ど空間魔法から取り出した水で行うものに変わっていった。トイレと電灯の魔道具が壊れた時は外に出て貰いに行こうと決めていた綜馬にとって、今朝の出来事は大きなものだった。
隣のマンション『レジデンス多田』まで続く木の板が黒く変色している。綜馬が部屋にいた間何度も雨が降っていた。メンテナンスをしなければこの渡り道も数日でダメになってしまう事は随分前から知っていたはずなのに、黒く変色した板を見て部屋に戻りたくなっている自分がいる。何かと理由をつけて外の世界から逃げたくてしかたない綜馬だったが、明日からの生活を思い浮かべてどうにか前進を続ける。
「隠密」と呟き魔力の発露を行う。いつもの調整を忘れているため、かなり強めに隠密効果を発揮している。階段をゆっくりおりながら、各階に自分で設置しているバリケードをくぐったり登ったりして一階を目指す。一階と二階を繋ぐ階段の踊り場に用意したバリケードは破壊されていて、あの逃げ帰った日に壊れたんだろうと勝手な推測を立てた。
地上には思ったほどモンスターは湧いておらず、準備運動もかねて戦闘する事に決めた。
見たところゴブリン2体とハウンドウルフが3匹。隠密状態でゴブリンの背後から忍び寄ればゴブリンは確実に倒せるが、匂いと音でハウンドウルフに居場所がバレる。
先に仕留めるのはハウンドウルフに決めて、ゆっくりと距離を詰める。両手に脇差しを握り、部屋に籠っていた時に覚えた陰魔法を鋭利な刃として生み出す魔法も貯めておく。
微かな匂いを感じたのか、ボスと思われる1匹ハウンドウルフが鼻をひくつかせ、辺りを見回し始めた。ちょうど綜馬の方に視線を向けたタイミングに合わせて、刀を振るう。狙いはボスハウンドウルフの脳天。
久しぶりの感触に色々込み上がるものがある。それは吐き気とも悲しみとも自戒とも呼べる何かだった。生き物を殺した感触を腕に残しながら残り2匹も同じように刀で片付ける。隠密効果が強力だったため、綜馬が予想していた行動するとすぐに勘付かれるという状況にはならなかった。
ボスのハウンドウルフが優秀なだけだったようだ。身体が覚えていたのか、ゴブリンを片付ける時も変に躊躇したり身体が硬直するなんて事は起こらなかった。
何度も生と死を交互にやりとりする環境下にいた事を思い出し、心の奥に残る岸の面影がどうしたって拭えないという事実が突き付けられた気がした。忘れる事も肯定する事も、ましてや自分を責める事すら許されないというのは魂を縛り続けられているような感覚に陥る。
背後に気配を感じ、すぐさま物思いから復帰する。今自分が立つ場所の危険性を復唱するように思い出し、その場から離れてシェルター800に向かった。
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スライムやゴーレムといった核を有するモンスターはそう多くない。それこそスライムとゴーレムくらいで、それ以外は《ネームド》と呼ばれるモンスターであったり突然変異である場合が殆どだ。
モンスターのドロップする魔石は核としての役割が出来ない紛い物であり、ゴーレムやスライムを作り出す核が含有する魔力量は膨大である。この膨大な魔力を常に作り出し身体活動するエネルギーとして使うのがゴーレムやスライムというモンスターなのである。
普通ならばこの核がアイテムとして保持するのは不可能であり、放置するとスライムやゴーレムとして復活したり、魔石のようにドロップする確率が非常に低いなど、理由は無数にあげられる。
そのため核を長期間保存し、中に有する膨大な魔力を放出せずにいるとどうなるのか。誰も研究することのできない分野であり、研究する必要すらない分野かもしれない。この世界において魔力の活用方法は多岐に渡り、魔石や魔道具の作成、魔法の強化、シェルターのエネルギーにするなど、核の大きさにもよるが場合によっては核一つ手に入れれば、ミッションやクエストなどせずとも一生シェルターは安泰なんて事だってあり得る。
では、そんな魔力の発生源とも呼べる核が長期間、それも2つの核が放置された時どんな現象が起こるのか。想像しようにも無知を補うほどの情報があまりにも欠けている。
綜馬の空間魔法の中は基本的に時間経過が起こらない。しかし、『畑』という拡張空間では農作物の成長を促すために時間経過を許可している。倉庫に利用している空間の一部も時間経過を許可しており、その一部は綜馬が常日頃一番初めに開く空間でもあった。
時間経過を許可するこの空間には配達物や、別シェルターからシェルター800に向けて作られた農作、畜産物が入れられる事がほとんどだった。配達をしていない間の綜馬にとってここは不可触空間。つまり、そこで起こる異変に気づく事は出来なかった。
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《彼》は目を覚ます。意識というものの誕生を気づく前に、瑞々しい感覚による体験が情報として脳内に響き続ける状況に混乱していた。
目の前にある全てを破壊しろ、生物反応は駆逐しろ、人間は根絶やしにしろ、これまで脳内に響いていた全ては取り除かれ《彼》が感じるままの自由に言葉を思い浮かべ、感情を紡ぐ事が出来た。意識を手に入れた《彼》は少しの間自我とそれ以外の境界を理解する時間に充て、そのあと少し自分を構築する肉体の形成を図った。
これまで自分が肉体として利用してきた鉱石や、水とは違い極端な硬さや柔らかさは必要ない。気体でも液体でも個体でもない真っ黒な体を手にした《彼》は自分が生まれた空間をペタペタと這いずり回る。動き方はだんだんと変化し始めて転がり、歩き、行動に特化した動きへ変化していく。最終的に行き着いたのは浮かび上がるという方法。
《彼》は無限にも等しい母体の中を自由に移動し、初めてに囲まれた世界を徐々に既知へと変えていく。空間に残る『親』の残像を食みながら学習し始めた。
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