死線へ
Xデーまで残り3日を切った。堂島は掲示板を使い、作戦は問題なく遂行することを発表した。近隣シェルターは堂島の発表を今か今かと待っていたようで、今日までの間急ピッチで合同ダンジョンアタックへの準備が進められた。
シェルター748の好意で、個人部屋が与えられた堂島は足りない情報を抱えつつも、Xデー向けて細かい調整に入った。綜馬に頼んでおいた情報が手に入れば、頭を抱えたくなるような現状も幾分かマシにはなるが、綜馬と連絡を取れない以上、頭を抱えながらどうにかするしかないなと机に向かった。
幸い、天谷達A班とはお互いに情報共有できており、明日天谷率いる数名がシェルター748に来ることとなっている。また、マークの面々も積極的に協力してくれるおかげで、実務の部分では、シェルター800にいた時よりも円滑に効率よく作業ができていた。
とは言っても、綜馬という圧倒的な存在と、天谷という気が置けない友人の事を思うと、無いものねだりの高望みをしてしまう。天谷とは今日の辛抱で出会えるため、無いものねだりとまではいかないが、なんにせよ堂島にかかるプレッシャーと責任は誰かと共有できるようなものではなく、常に言葉にはできない孤独感のようなものに苛まれていた。
「失礼するぞー。」
ノックはなく扉が開かれる。ここ数日の関係だが『マーク』のジンという男はよく言えば豪快、悪く言えば無神経で大雑把な性格をしていた。
機密情報も扱っているため、出来ることならノックをしてほしいと何度も頼んでいるが、治らないところを見ると堂島側が常に意識しておく必要があるようだ。
「ノックしてからでしょ、」今日はマオも同行してようで、ジンの行動に注意をする。
「あぁ、そうか。」
と、ジンからすれば失礼するぞの声かけをしている分、配慮をしているつもりだったが、マオからの注意を受けてコンコンとわざわざ後ろに下がり、ノックを付け足してから部屋に入ってきた。
「堂島さん、すいません。」
マオは何度も頭を下げて非礼を詫びる。堂島も大丈夫ですよと、謝罪を制して早速本題に入った。
「ジンさんありがとう。それはいくつあるのかな。」
「昨日と今日の分で橙が500集まった。近くに初級ダンジョンがあるおかげで作業が簡単だ。」
「その500から石井さんに100渡したのでここには400あります。」
シェルター748の町長であり、堂島たちを快く受け入れてくれた石井。滞在期間中は様々な用途を持つ魔石を定期的に支払う事で、お互いWin-Winな関係を作っていた。
「ありがとうございます。じゃあ、半分は倉庫に、もう半分はシェルターに支援物資を缶詰類に指定して魔石で支払っておいてください。」
「わかりました。他に何か協力出来ることあります?」
「えーっと、今のところは大丈夫かな。ありがとうマオちゃん。」
「いえいえ、また何かあれば呼んでください。」
「じゃあ、晩飯でまたなー!」
『マーク』の二人の背中を見送り、ドアの隙間からマオがぺこりと頭を下げた。堂島も頭を下げて、ちょうど扉が閉まった。大きくならない様に声を抑えながらため息をつく。
彼らに合同ダンジョンアタックを協力してほしいと、また今回も言えなかった。『マーク』は噂に聞いていた様な過激派ではなく、シェルター設備も普通に使う穏健的な存在だった。
もしかするとあの二人が特別なのかもしれない。どちらにしても、今堂島に協力してくれている二人はいろいろ協力的で問題を抱えている様子もない。助っ人としてみれば文句なしの存在だった。
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綜馬と岸はこの日の晩を団地の一室で過ごすことにした。作戦会議とお互いの秘密を共有していたことでいつの間にか辺りは暗くなっていた。意味のない鬼ごっこのせいともいえるが、あれは仕方ない出来事だったと理解している。
お互い別々の部屋に分かれる。明日の午前九時に三階の階段の踊り場が待ち合わせ場所だ。綜馬は二階、岸は四階の部屋を選んだ。一人の時間が欲しいことも関係しているが、二人が別々になったのは羽間たちに見つかる事を危惧していたからであり、両方捕まる最悪の可能性を避けるために階も離れて寝る事にした。
206号室の扉をゆっくりと開けて中に入る。岸の話ではシェルター812の住人たちは二号棟に集まられているようで、三号棟のここは誰にも利用されていない。206号室の中はいくつかの家具が置かれているだけでとても質素な部屋だった。
玄関脇にあるスペースには小さな花瓶が置いてあった。玄関の段差を土足で乗り越える。昔ならきっと胸がきゅっとなっていただろう。しかし、この気持ちにはもう慣れてしまった。
玄関から見えていた通り、残された家具はシンプルなもので飾り気がない。フローリングの居間には四脚のイスと机。和室の方には本棚と押し入れとは別にクローゼットが置かれていた。押し入れを開けると二組の敷布団が入っていた。土足のまま畳の家に布団を敷き、掛け布団を置くから引っ張り出す。ふと下を見ると、下の段の段ボールからアルバムが顔をのぞかせていた。
特に理由はないが、なんとなくそのアルバムを手に取った。ここに住んでいた老夫婦の家族写真がページいっぱいに詰まっている。息子と孫たちの写真は容量いっぱいまで詰められておらず、大事そうに一枚一枚入っていた。そのせいで、アルバムは前半と後半で厚みが全く異なっている。
なんとなく選んだこの部屋にも生活があり、幸せがあった。言葉にできない感情が濁流のように押し寄せてきた。
綜馬はこの日、久しぶりに家族の夢を見た。お世辞にも仲がいい家族ではなかったし、これまで気にしないふりを続けていた家族の存在。目が覚めると目尻には涙の乾いた跡があった。無性に母が作る豚汁が食べたくなった。
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岸は昨晩綜馬に貰った菓子パンを齧る。久しぶりの甘さのせいか、糖分が全身に行き渡る様な感覚になる。
元々甘いものが好きではなかった岸だが、そんな岸であっても生活が一変した現在では甘みをありがたく感じるようになっている。井端の息子と娘にあげれればどれだけ喜ぶのかなんて、ふと考える。
そう考えると綜馬の持つ力はとてつもなく強大で、その分どれだけ辛い思いをしてきたのか。同じとは言えないが、似たような思いと経験を味わって来た岸だからこそ、あの一人の少年にかかる重圧の大きさが心配になった。
今日の作戦では綜馬の能力が不可欠だ。物資と人質の交換は最低条件で、その物資は綜馬が用意する。岸の仕事は綜馬を守る事と、交渉決裂した場合に実力行使も辞さない事を示す事。
綜馬に比べたら岸の仕事は比較的簡単だが、もしもの可能性を常に意識する必要があることを理解していた。その点では、綜馬は楽観的に考えているようで、岸の危機感が重要だった。
羽間達が行った襲撃を実際に体験した身としては、羽間が最悪の手段を取ることは考えられる。魔法があるとはいえ、それは両者に言える事であり、そう考えると人数差は圧倒的に負けている。
魔法以外の抵抗手段が必要だと考えた岸は、集合時間より一時間早く前に起きて、五階から一部屋一部屋中に入って武器になりそうなものをかき集めていた。
こんな物騒なものを綜馬には持たせたくないため、自分が隠し持てる分だけ選ぶつもりだ。
基本見つかるのは包丁のような刃物の類、木刀を二本見つけられたが持っていけば目立つだろうし頭を悩ませる。ただの団地だからこれくらいだろうと、妥協の気持ちで三階最後の扉を開ける。
何度も見て見慣れた間取り。家具や整頓具合で変化はあるがどの部屋もそこまで大差ない。入ってすぐの廊下は居間に繋がっており、途中に洗面所と浴室がある。フローリングの居間にはキッチンとベランダに繋がる窓があり、襖を挟んで押し入れ付きの和室がある。
文字としてフローリングと和室のある部屋と見ると、不自然に感じるが、何度も部屋を往復しているとその違和感も薄れてくる。
居間までは足を踏み入れ、どうせここも同じ感じだろうと、踵を返そうと体を翻す、ベランダに続く窓が和室の一角を反射し、その光景をふと目の端で捉えた。
見間違いではないか。視覚で捉えた情報の精査を一瞬にして脳内で行うが、判断できるはずもなく「それ」を確かめに再び体を翻す。和室に踏み入り、反射した姿ではなく実像の「それ」を目で確かめて確証を得る。
混乱したまま近づき、岸はクロスボウを手に取った。