鳥籠
目を覚ました綜馬は、いつも通り朝食の準備をすべく空間魔法の中に入った。完全に魔力が回復しきっていないせいか、畑で働く分身体の動きがいつもより遅く感じる。綜馬の影響を一身に受ける空間魔法内の分身体たちは、機能を大きく簡略化して作っていることもあって、空間魔法を通じた綜馬の状態に大きく結びついてしまっていた。
回復に努めるためにも良い食事をとって、ゆっくりしようと考え蟹缶を開けることにした。昨晩は碌な調理も出来ずに菓子パンを頬張るだけで寝てしまったため、お腹が空いてるだけでなく心持ち的にもなんだか侘しかった。
こんな時卵があったら、何て考えるが、それはいくらなんでも贅沢を言い過ぎだろう。色々と悩んだ末にパスタと和えて食べることに決めた。
蟹缶とトマトのホール缶を使って濃厚なクリームパスタを作る。チーズもふんだんに使う。削っていく度に溜まっていた疲れやモヤモヤが晴れていくような錯覚に陥った。
料理を作り終え、外に出て食事をする。空間魔法内で食べても良いが、なんだか味気ない。
綜馬はパスタを夢中になって食べた後、満腹により眠気が襲ってきた。歯を磨かなきゃと考えたが、睡魔には勝てず水で軽く口を濯いでそのまま全身を布団に預けた。
二度寝から目を覚ましたのはお昼過ぎだった。締まり切ったカーテンの隙間から漏れ込む日の光が、寝返りをうった際に意識に火をつけた。
あくびを溢しながら伸びをする。時間を示す魔道具を確認して、睡眠時間を把握する。
こうやって欲に任せて生活するのはいつぶりだろうか。堂島から仕事を貰ってからは、その仕事の時間に起きられるように、何もない日であっても、ある程度整った生活習慣を送っていた。味の濃い食事を済ませて、眠気に負けて倒れ込むなんて少し前では考えられなかった。
頭がはっきりとし、気持ちも落ち着いた事で今後についての考えもいくつか浮かんでくる。まず初めに思いついたのは堂島達の捜索。
しかし、ただ闇雲に探せば良いという話ではない。普通に考えればどこか別のシェルターに避難しているはずだが、そのどこか別のシェルターを探すのに途方もない時間がかかるだろう。
今の綜馬にはクロウがいない。と、考えたところで[カンジ]の事が頭に浮かぶ。それだ、と思わず声に出して反応した。
カンジによる空からの偵察は概ね思い通りに進んでいる。近隣のシェルターは郵便をしていた事もあって、ある程度把握している。シェルター800の住民は多く、全員が歩きによる移動だと考えればアテをつける事は簡単だ。
自分が訪れた事のあるシェルターを重点的に、幾つかのシェルターを回って見ると、シェルター800の住人達らしき人影が映る。
カンジの視覚を共有して空からの景色を見ることを覚えた綜馬だったが、初めて使ったダンジョンの時とは違い、長時間発動していた事もあってか、見える景色の解像度がやや荒い。
明らかに小規模シェルター内に多くの人影が見えているが、一人一人の顔まで認識出来ないため、確実にシェルター800の住人であるとは言えないが、概ね間違い無いだろうと決めて、その場でカンジの召喚を解いた。
この時の綜馬はシェルター800の住人達がバラバラに逃げているという発想はなく、堂島、長月、椎木、天谷などの顔見知りは全員空から見つけたシェルター812に全員揃っていると勘違いしていた。
堂島から頼まれていた案件もあるため、急いで準備を始めて、家を出る。クロウがいないとここまで移動するのが大変だというのに気付かされ、琴には感謝しないといけないなと、彼女の顔を思い浮かべて心の中ではあるが感謝を込める。
魔力は回復しきっていないが、近隣シェルターに行くまでならどうにかなる。それに、ダンジョンや夜とは違いモンスターの強さや種類も限られてくるため、対処のしようはいくらでもあった。
一晩中歩き続けたことで、筋肉痛になっていたが足取りは軽く、少し急いでシェルター812に向かっていた。人に飢えているというより、彼らの安否が気になって仕方なかったからだ。
昨晩、シェルター800が壊滅した理由を考えようと頭を捻ったが、当然考えが浮かぶはずもなく、ましてやその元凶を嬉々として自分が処理しただなんて気づくはずもなく、ただ知らない脅威があるんだなとこの世界に対する不安が増すだけの夜になっていた。
きっと堂島達が色々と考えて対処してくれるに違いないと、ここ最近の綜馬は堂島や天谷の行動に全幅の信頼と、信仰に近い期待を持っているため、ごちゃごちゃと考えることはせずに彼らに任せようというマインドになっていた。
これは、ここ最近の心境の変化でもあり、元々信じたいと思っていた綜馬の心が日々の堂島達の行動や、ララ達の無垢な善意によって自ら歩み寄ることを学んだのがきっかけだった。
あの時の自分が見たら馬鹿らしくて笑ってしまうほど、今の綜馬は善意を前に寛容で無警戒になってしまっていた。その事に綜馬は気付いていなかった。
シェルター812までは思っていたより早く着くことが出来た。モンスターが討伐され、リスポーン時間前に通れたからだろう。
シェルター812には始めて来たが、空で見た通り小規模シェルターであっていた。ここから一番近くにあるシェルター813が大規模なシェルターであるため、規模が小さいのだろう。
シェルター813にはレオやララ達がいるはずなので、タイミングが合えば会いに行けるかもしれないなんて考えながら、シェルター812の正門の前までやって来た。
普通なら門番的な見張りがいるはずだが、見当たらない。小規模シェルターであればシェルター側の許可がなくても自由に出入り出来るため、「おじゃまします、」と呟くように門をくぐった。
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岸は拘束された両手足の拘束を『切断魔法』で切り取る。自由になった両手で目隠しをとって周囲を確認する。この部屋には岸だけが拘束されていたようだ。
カーテンを開けて外の様子を見るわけにはいかないため、差し込む光の強さでなんとなくの時刻を把握する。朝か、夜か、なんとなくでもそれがわかるだけで少しだけ気持ちが楽になる。
突然の来訪者。彼らによってここシェルター812の生活は一変した。それもとても悪い方に。
代表者を務める佐和田さんの好意で数日泊めることを許可したのがおそらく五日前。初日と、その翌日は大人しくしいてた避難民達だったが、三日目から怪しい動きが増え、四日目となる昨日、300人程度のシェルター812は、あっという間に制圧され、市営団地の一角に監禁される事になった。
いわゆる戦闘魔法を持つ住人が岸と武邑しかいないここシェルター812が、2000人近い人間の叛意と敵意を弾き返せる力はあるはずもなかった。モンスターとの戦闘は経験してきた岸にとっても、対人戦闘は気が引けてしまう部分があり、結果的に拘束される事となった。
その時『切断魔法』を使わずに対峙したため、ただの結束バンドで拘束されるだけで放置される事になったのは結果的に見れば良かったなと、自由になって全身を伸ばしながら考える。
彼らがいつこの部屋に来るかわからない以上、何か行動をするのなら二の手、三の手を用意する必要がある。しかし、それを考えている時間もあまりなかった。
わからないこと尽くめの現状を打開するには、それこそ情報を得るしか方法はない。協力者でもいればと、考えるがそれはいくら何でも望み過ぎだろう。下手に行動して今度は監視も付けられるみたいになったら本末転倒だ。
いくつか考えを出してみたが、どれをとってもリスクは大きいか少し大きいかの違い程度。結果、この部屋からこっそり辺りを見回すという一番初めに思いつく作戦に決まった。