新たな日常
ピピピピピ
アラームの音で目が覚める幸せ。こんな事、少し前までは考えもしなかった。二度寝を決めたいところだが、眠気もそこまでないというのと、今日は作業をしようと決めていたため、体を起こす。
カーテンは閉め切ったまま、石に手を当てる。じんわりと温度を持ち始め、手を離すと灯は作動する。暗かった部屋が照らされる。
綜馬は飲みかけの水を取り出すと、ぐいっと息に飲み干した。喉の渇きは満たされ、ぼんやりとしていた意識も次第に覚醒し始める。
シャワーも浴びようかと思ったが、洗濯を忘れていたため、下着の残りが心許ない。帰ってきてからにしよう。大きな水桶の中に手を当て、水が満ちるのを待つ。7割くらいの水嵩になったくらいで手を離し、洗剤を取り出して、水の中に入れる。
溜まっていた洗濯物をまとめて入れて、洗剤につけておく。今日の仕事はそこまで時間がかからないはずだからこの状態で放置していても大丈夫なはずだ。
動きやすい格好の上から胸当てを着けて、腰には2本の脇差し反対側のポーチにマナポーションとヒールポーションがある事を確認する。数本の鍵がまとまっている束を持つと準備完了。
これまでの魔道具と同じように結界石に数秒手を触れて、温度を持ち始めたら手を離す。薄い発光を確認した後、ドアの覗き穴から外に何もいないか見回す。
5階とはいえ、先週数匹のコボルトがここまで登ってきていた。油断大敵だ。パッと見、いない事を確認して今度は通路に取り付けて置いた電池で動く防犯カメラの映像を確認する。
最初にドアの前から見るのは、録画モードから監視モードに切り替えた防犯カメラは発光し、機械音がするため、モンスターに破壊されてしまうおそれがあるからだ。
モンスターの不在も分かったところで、ゆっくりと開錠し、外に出る。
雲ひとつない快晴で、肌を撫でる風が心地いい。時々聞こえてくる魔物の鳴き声と、雲ひとつない空をなん度も往復するワイバーンさえ無ければもっと心地いいはずだが、今更そんな事を言っていられない。
「隠密、」と頭の中で呟き、魔法を発動させる。階段を使わず、本来ならエレベーターが迎えに来る開けた場所から隣のマンションに続く木の板。どうにでも不安定なこの木の板の上を歩き、隣のマンション『レジデンス多田』まで渡る。
今度は階段を使って7階まで上がると、ここまで渡って来たのと同じような板が、アパート屋上まで続いている。
さっきと同じようにその板を渡り、屋上に着いた綜馬は、アパートの下にモンスターがいないか確認する。ゴブリンが3体、コボルト2体、ハウンドウルフが数匹。今日はいつもより多そうだ。
綜馬は、リモコンを取り出すと、さっきまで自分のいたマンションに向けてボタンを押す。すると、1階に設置してあったスピーカーから大音量の音楽が流れ出す。
その音を聞きつけて、さっきまでアパートの下にいたモンスター達が移動を始める。最後のゴブリンがアパートから5メートルほど離れたのを確認して、3階まで降り、そこからはロープを使って地上に降りる。
「ガルァァァグゥゥッ」
地上にちょうど足をついた直ぐに、死角で見えていなかったハウンドウルフが襲って来た。咄嗟に脇差しを構え、飛びかかって来た勢いに合わせるようにして切りつける。
踏み込みが浅かったせいか、ハウンドウルフの身体能力が優ったのか、切り傷は浅い。次の攻撃で命を刈り取ろうという殺意が伝わってくる。
綜馬もそれを受け、目の前のモンスターへの殺意を高める。ハウンドウルフが飛びかかるために全身を僅かに硬直させたタイミングで、ハウンドウルフの眼前まで詰め寄る。一瞬の動揺の隙をついて脳天に一撃突き落とす。
力なく横たわるハウンドウルフの腹を掻っ捌き、魔石を抜き取ると急いでその場を後にする。ハウンドウルフは同族の血の匂いに敏感だ。集まられても厄介だ。
この世界の仕様上、モンスターの死体は数時間で塵になり溶け消える。それがどこに行くのかも、なぜ塵になるのかもわからないままだが、そんな事を言い出すとこの終わってしまった世界全てに噛みついていかなければならない。
綜馬は、魔法を駆使しながらシェルター800を中心に郵便物を集めに取り掛かる。道中にある『ポスト』を確認するが当然何も入っていない。
シェルター外で生活する物好きなどほとんどいない。そんなことわかっていても、綜馬はつい確認してしまう。
サブの空間魔法を使って目測できる場所まで移動する。綜馬の家からシェルター800までは凡そ10キロなるべくモンスターの気配が少ない道を選んで進んでいく。
空間魔法に頼りきりでは魔力が欠乏する恐れもあるため、直線で距離を稼げる道のみ、瞬間移動を使う。
メインである陰魔法の隠密と、気配察知を常時展開しているため、魔力の無駄遣いはできない。
今日は県道に中型モンスターがいなかったおかげで、楽にシェルター800付近まで来れた。青白い光を放つ幕が見えて来て、綜馬は適当な建物の上に登る。平屋の一軒家の塀に手をかけ、屋根まで上がると木の板を取り出し、隣の2階建てに伸ばすと空間魔法を使って2階建ての屋根まで進む。
空間魔法を覚えたての頃は、木の板はいらないと思っていたが、行きたいその場所まで地続きである場合と、空間が空いている場合では消費魔力の差が大きく違うことに気づいた。
それからは、常に木の板や縄、ハシゴ等常備し、都度使っている。
屋根に登った綜馬はそこで発音弾を空に向かって投げつける。パァァァーーンと鋭い破裂音が辺の静寂を切り裂いて支配する。これまで隠密に徹していたのに台無しだと思うかもしれない。
瞬間、全身真っ黒の羽毛に覆われる大きな猛禽類が綜馬に向かって飛んでくる。ここまで大きな体躯でなければ地球原産の生き物とも考えられただろうが、綜馬をひと飲みできるほどの大きさだ。モンスターとしか考えられない。
その鳥は綜馬めがけて飛んでくる。側から見れば綜馬は絶体絶命。一方的な捕食を見ることになると考えるだろうが、実際は違う。
「おぉ、クロウいつもありがとなぁ。」怪鳥とも呼べるそれは綜馬に近づくにつれて速度を落とし、ゆっくりと綜馬の隣に舞い降りた。そんな怪鳥の頭と嘴の下を撫でながら、綜馬は顔を寄せる。
先ほどの騒音でモンスターたちが近づいて来ている事を感知し、怪鳥、クロウの背に乗ると大きな羽を羽ばたかせ空に再び舞う。
そのままの勢いで青白か発光する幕に向かって飛び込む。どちらも登録され、許可を受けているため抵抗なくその空間に入っていく。
シェルター800内では相変わらずの毎日を送っているようだ。およそ6000人が住むこのシェルターは日本にある1000シェルターの中で中規模に分類され、外的要因に変化がない限り半永久的に存続可能なシェルターとして扱われている。
6000人もいれば希少魔法を使える人間も存在していて、綜馬をここまで連れて来たクロウは、召喚魔法使いで国内で保護指定されているテイマー、長月琴の召喚獣だ。
「おはようございます。綜馬くん。」
「おはよう、長月ちゃん。」
クロウの上に乗ったまま琴に挨拶を返す。時刻は9:30を回ったところ。世界は朝の涼しさから陽気を蓄え始め、シェルターの住民達は活動し始めている。シェルターの活気は決して騒々しくもなく、かと言ってモンスターに怯える悲壮感もなかった。
どうやっても勝ち目のなさそうなクロウの姿を見ても、騒ぎ立てる住民はおらず見慣れた光景のように捉えて、それぞれの生活を過ごしている。
琴とは少し遅れて、シェルター内の町長が木箱を二つ抱えてやってくる。シェルターを町として考えた時の代表者が彼、堂島一輝であり、年齢が35歳とまだ若いのに代表者に選ばれるほど一輝は筋力を持っていた。
シェルター内では力を持つものが管理者側に回るというのが常識であり、口に出していうものはいないが能力によるヒエラルキーも存在する。
これはシェルターから出た外でも同じ事が言え、全国にある約1000のシェルターでも同じような状況が作られている。顕著な差別や区分けがされているシェルターもあるが、ここシェルター800では、あくまでも無意識下に潜めている程度だ。
そして、そのそれぞれの生活を決定づける力も、様々なものがあり、この世界が破綻したと同時に分け与えられた『ギフト』。
『メイン』と呼ばれる四元素を軸に構築された7属性の魔法と、『サブ』と呼ばれる唯一無二のものから、生活魔法や強化魔法といった基礎的な魔法を、基本的にはそれぞれ1種類ずつ習得する。
魔力量や、精密性は個人によって開きがあり、その能力差と、『サブ』の特異性、能力性、有力性によって力の有無を判断される。また、そのほかにも先天的、後天的に発現する『スキル』の存在もそこの判断に大きく影響するが、『スキル』の発現は個人差が大きく、皆平等に扱えるものではない。
そのため、一般的には魔法の属性、魔力量、精密性、そして、熟練度で上がるレベルを総合的に判断される。
つまり、この場合召喚魔法を使う琴と、空間魔法を使う綜馬は、能力ヒエラルキーにおいてトップと呼べる存在だと捉えられる事は自然だ。
町長においても、その役職からある程度恵まれた何かを持っていると考えられる。
「綜馬君いつもありがとね。」
「僕のわがままを聞いてもらってるので、これくらい当たり前ですよ。」
一輝に渡された木箱を空間魔法で広げた空間に入れる。
「今日は少し多めだけど、」
「これくらいの量なら全然大丈夫です。」
「いやぁ、綜馬君は流石だな。」
「いえいえ、それでは15時頃にまた来ますのでよろしくお願いします。長月ちゃん、よろしくね。」
「はい!」
「用意して待ってるから、気をつけてね。」
綜馬は再びクロウの背に乗り、琴はクロウに餌を食べさせながら何か伝えている。
「よし!綜馬くん、大丈夫そうです。」
「ありがとう。それじゃあ行ってくるね。いくぞ、クロウ。」
綜馬はクロウの腹をポンポンと2度蹴ると、クロウは羽を広げ空に舞う。
「「いってらっしゃーい。」」
綜馬はシェルター800を出て、シェルター805、804の順に4つのシェルターを周り、一度家に帰ってからシェルター800に戻るいつもの仕事に取り掛かった。
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