蹂躙
堂島が異変に気付いたのは、問題が大きくなった後のことだった。
町長室という名目で様々な書類や文献が乱雑に置かれている会議室。ここ数日、堂島はこの会議室に寝袋を持参して泊まり込みで作業をしている。
日々の業務でも手一杯なのに、合同ダンジョンアタックの件以降、その内容と付随して、今後も連携したいという話や、戦力を貸し出す協力同盟の話など、仕事が増える一方だった。
そんな時にシェルター内での異常事態。未然に防ぐのなんて、未来予知が出来ない限り無理だろうと言いたくなる。
いつものように綜馬の配達で各シェルターへの伝達用手紙を書いている時、
「町長!!モンスターが!!」
報告に来たのは倉庫管理をしている天谷だった。戦闘能力は低いが、情報処理と計算能力に優れ、魔法もそれらを補助するような内容のため天谷には数字に関する相談をいつもしてもらっている。
いつも冷静で、口数の少ない彼が必死の形相で町長室の扉を勢いよく開けた。
「数と方向は?」
堂島は最低限の質問しかしない。天谷も堂島の意図を汲み、
「西側のシェルター側に確認されました。数は少なくとも4。手の空いている討伐隊に四方のシェルター際を巡回するように指示は出しておきました。」
「ありがとう。冬弥は?」
「冬弥くんはダンジョンアタックに出かけていたので、副隊長の聖さんに指示は任せました。」
「わかった。それじゃあ、天谷は西側の避難を警備隊と協力してやってくれ。俺は現場に向かう。」
「かしこまりました。指揮権は警備隊と自分どちらに、」
「天谷に全指揮権を渡す。避難場所は小学校体育館で、今晩はとりあえず炊き出しの用意も指示しておいてくれ。」
天谷は深く頷くと警備隊本部のある宿舎へ向かっていった。彼の働きぶりと有能さには頭が上がらない。堂島がなんとかやって来れているのは天谷の力があってこそだった。
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「あれはサイバさんの力のだよ。」
元町長、現在は要職にはついていないものの、シェルター800内の治安と問題に対して相談役を務めている羽間は、召喚魔法の使い手、長月琴に話しかける。
後ろから急に話しかけられ、長月は肩を震わし驚く反応を見せた。
「驚かせてしまったか、」
と前置きをしつつ、困惑する長月に羽間は話を続けた。
「長月さんだったね、君はここの暮らしどう思うかな?」
長月は怯えた目を向けるだけで返事はない。
「聞き方を変えようかな。シェルターの暮らしは窮屈だと感じた事はないかな?」
長月はさっきまでとは違った反応を見せる。言葉を返すわけでも、頷くみたいな動きがあるわけでもないが、彼女の眼は理解を示したものだった。
「僕はね、元々この辺りの市議会議員だった事もあって、シェルター長、まぁ町長だね。それに選ばれたんだけどね、どうやってみんなを幸せにするのかじゃなくて、どうやって不幸せの数を減らして、見ないふりをするかという、そんな仕事ばっかりだったんだよね。」
羽間は議員時代の癖で口角をあげたまま、話し続ける。
「だからね、途中であぁ、これダメだって気付いちゃったの。僕、能力自体は大したものじゃないから、政治力とか顔役が務まるかって問題より、強くて逆らえないって本能的に理解させられないとダメだなって。だから堂島くんに全部譲ることにしたんだけどね、」
長月がゴクリと唾飲む音が聞こえる。微かに震える指は冬に近づく気候のせいか、それとも怯えからか。
「けど、それも全部ダメかもしれないって気付いたんだ。僕に相談に来る人は長月さんみたいな強い人たちじゃなくて、配給の食パン2枚と、蒸したジャガイモで1日過ごすような人ばっかり。日用品とか、戦うための道具を買わなきゃダメだからみんなご飯を我慢するんだって。こうなる前の世界では僕に力を貸してくれた70になる地主の方々がね、泣きながら僕の足を掴んで頼んでくるんだよ。」
「それが、これとどういう関係があるんですか、」
長月は震える声で問いかける。質問されとは思ってもいなかった羽間は、驚いた反応を少し見せたが、長月の疑問にすぐ答える。
「ここでみんながやっているのは有り体に言えば、ギャンブル。けどね、本質は少し違う。人が落ち着く時っていうのは安心感を覚えた時と、もう一つ、自分は安全圏にいながら他者が落としあう瞬間を見る時なんだ。僕はここにシェルターが生んだ闇を眠らせる場所を作ったんだ。」
「この事、堂島さん、町長は知ってるんですか?」
「彼はダメだった。器じゃないんだ。」
「それじゃあ、」
「綺麗事を言うつもりかい?そりゃ、恵まれた君は綺麗事をはける権利を持っているもんね。けど彼らの前で同じことが言えるかい?僕はただギャンブルを楽しんでもらって、胴元が儲けた分は全て困窮者への支援に回している。」
「、、」
「まぁ、とにかくさ。今日見た事は全部見なかった事にしてくれないかな?それでお互い全て忘れよう。明日から僕は僕の。長月さんは長月さんの人生を歩むんだ。」
モンスター達の格闘が終わったのか、背後から聞こえてくる怒号や歓声が静かになっていくのを肌で感じる。
琴の頭の中では2人の顔が浮かんでいた。綜馬と蘭香の2人。彼らならこの場合なんて言うのだろう。どう動くのだろうか。正解なんて人それぞれ違うというのは身に沁みて理解している。
「そ、それは、」
「なんだあれは、」
琴が心を決めて口を開いたその瞬間、羽間の視線は琴のずっと後ろ。さっきまでモンスターを囲んで戦わせていた場所に向いていた。
琴も咄嗟に振り返る。そこにいたのは自在に動く水のかたまり。これが何か知っていた。世界が破滅したあの日、母を飲み込んだモンスター。
「どうしてスライムが、」
「やっぱりスライムですか。モンスター搬入の時に紛れ込んでいたのかもしれませんね。」
当初、スライムといえば初心者向けモンスター、誰でも簡単に狩れる対象という認識が広がっており、能力の低い者たちはこぞってスライム狩りに出掛けていた。
しかし、帰ってきた彼らは皆一様に憔悴し、必ず欠員が出ているという状況が続いた。
能力を持たない者達はスライムすら満足に倒せないのだと、馬鹿にされ、当事者の彼らも自らの非力を呪った。
そんな時にシェルター掲示板に、スライムの脅威に関する分析が飛び込んできた。
ゴーレムと同じように核を外骨格で覆い、ゴーレムは個体、スライムは液体に分かれている。ゴーレムは四肢を作り出し動くが、スライムにはその概念が存在しないため、環境や条件にもよるがゴーレムより危険度は高いと推定出来る。
この衝撃は世界各地に広がった。ゴーレムがスポーンする場所はダンジョン内がほとんどで、その脅威は上級冒険者、探検家の証言から確認されている。
逆にスライムはダンジョンに出る場合もあるが、近くに水場がない環境下である事が多く、スポーン箇所も地上である事が多いと考えられている。
この発表によって、スライムへの認識は一変し、小さいうちに対処するか、水場に近寄らないという意識が広がっていった。
スライムが脅威と考えられる点はいくつかあるが、物理攻撃が無効化されるというのはどのモンスターにも当てはまらない圧倒的な特異点だ。
攻撃のモーションが読めなかったり、分裂、巨大化、縮小化、次の一手が全く予想できないモンスターといえる。
それに、近くに液体がある場合、その脅威は何倍以上にも膨れ上がる。簡単に倒す事は難しいため、持久戦を前提に動かなければいけなくなる。
シェルター内に現れたスライムは当初、必要以上に怖がられただけで、シェルター800内の討伐隊であれば誰でも対処できる大きさだった。
しかし、その事を知らないシェルター際の住民達は脅威として発表されたスライムに怯えて逃げるだけで、スライムを完全に野放しにしてしまった。
結果、サイバの能力下にいないスライムはシェルターから受ける弱体化は影響しているものの、液体を身体として扱うため、弱体化の効果はあまり発揮されておらず、自由に液体摂取に時間を作る事ができた。
賭けの対象なっていた弱々しく息をするゴブリンとコボルト数十匹から血を吸い上げ、逃げ惑う人々の住居から水分をどんどん摂取していく。
あっという間にスライムの大きさは3メートル近くなっていた。
こうなるとどうしようもない。この辺りに住む人々が立ち向かってもそれは無謀にしかならない。
羽間は、散り散りに逃げる住民を見ながら頭を悩ませている。琴は羽間がぶつぶつと呟いている声を聞き流し、スライムへの恐怖感に立ちすくんでいた。
「おかあさーーん、」
目の端に子どもを捉える。スライムの進行方向に琴と同じように立ちすくむ子どもの姿。
少しの葛藤を蹴飛ばして、琴の体が勝手に動いた。召喚魔法で羊のモンスターと、狼のモンスターを呼び出し、時間稼ぎを頼んで子どもの元へ。
「お母さん、あっちにいるからね。お姉ちゃんと一緒に行こ。」
子どもの手を握り、ひらけた道の方へ進んでいく。行き交う人混みの中で「なおきー!」と名前を叫ぶ女性を見つけた。
「おかあさんだ!おかあさん!!」
無事の再会に胸を撫で下ろす暇もなく、後ろにはスライムの影が近づいて来ていた。琴はここで覚悟を決めた。自分がこれまで優遇されたのはこの時のためだったのだと。
『土魔法』を展開し、壁を作り上げる。魔力量は多くないが、時間稼ぎを出来るのは自分だけしかない。琴はスライムの前に立ち向かった。