47 兄に縋る時
「綺更ちゃん、大丈夫かな?」
「どうなんだろうな……。俺たちに心配させないために平静を装ってはいたけど、話を聞いてる感じ大丈夫ではなさそうだったな」
綺更と駅で別れた弥恵と慎二は、地元の駅で降りて閑静な住宅街を歩いていた。
「知らなかったな。まさか綺更ちゃんがヤバめの男子と付き合ってたなんて……」
「俺もびっくりした。だけど、本人にとっては後悔した過去で、複雑な想いがあるんだろうなってのは、前々から察してたからな」
「え、そうなの?」
「あ、いや……サッカー部で一緒の時とか話すとさ、何となくそんな感じがして……」
慎二は誤魔化すように笑うが、弥恵の心はチクリと傷んだ。
やっぱり慎二は綺更が好きなんだと再認識した。
それでも、前みたく話せるようになったのは気のせいではない。
「ねえ慎二。私たちで綺更ちゃんのために出来る事はないかな……」
「俺たちに何が出来るのか……。浅はかだが、彰人って奴を説得するしかないように思える。結局、そいつがデタラメに言いふらしてるのが原因なんだしさ」
「そうだね。けど、私たちが接触する方法はないよ? 綺更ちゃんを通して接触するのは難しそうだし、何より赤の他人で、はじめましての私たちの言葉なんて聞く耳持たないだろうし」
「そうなんだよなぁ……結局、俺たちに出来ることなんてないのかもしれない」
慎二は半ば諦めた様子でそう呟いた。
他人事だからどうでもいい……そんな薄情な男ではないが、当事者でないからこそ必死になれない。
助けてやりたい気持ちは強いが、助けられるだけの力も策もない。
クラスメイトに出来ることなど、たかがしれているいるのだ。
「あさみって子も意地悪だよね」
「多分だが、あの子が本当は彰人って奴と付き合いたかったんじゃないか?」
「だろうね。なんか嫉妬みたいな感じだったし」
「最上に男をとられたってところだろうな。俺たちから見れば醜いが、本人にとってはそれだけ最上が許せなかったんだろうな」
そう言う慎二の横顔をチラッと窺い、弥恵は儚く俯いた。
その感情を痛いほど実感しているのは、知ったように語る慎二ではなく弥恵の方だ。
振られて、振った男は別の女を好きになって、それを察して遠くから見つめることしか出来ない自分。
今でこそ仲良くしている弥恵と綺更だが、少し前までは、弥恵から綺更に対して一方的な嫉妬心が向けられていた。
それでも、綺更の人柄の良さに惹かれ二人は仲良くなった。
「だけど……」
「え……?」
ボソッと呟いた弥恵。
慎二はその言葉を聞き取れず、視線を弥恵へと向けた。
「気持ちは分かるけど、それで相手にあたっても虚しくなるのは自分だけだよ」
「弥恵……」
「出来ることがないなら、探すしかないよ。今の綺更ちゃんを見てるとちょっと怖いから」
「たしかにな」
「気持ちが強い子なのか分からないけど、さっき様子を見てた感じ、本当に困ってることだけは私にも伝わってきたし、助けてあげたいから」
慎二は感銘を受けた。
半ば諦めていた自分と違って、弥恵は本気で向き合おうとしていた。
出来る、出来ないなんて天秤ではなく、助ける、助けないという選択肢を天秤にかけていた。
人はリスクと成功の可能性に目を向ける。だから出来るかどうかを判断材料にしてしまう。
それでも、弥恵は違った。
そんな弥恵を見て、慎二の中で止まっていた何かが動き出した音がした。
「そうだよな……同じサッカー部として、力になってやらなきゃな」
「うん、その意気だよ慎二!」
嬉しそうに笑う弥恵を見て、慎二の胸は久々に高鳴った。
◇
「ただいまぁ……」
「お帰り。遅かったな」
「友達とケーキを食べに行ってて……」
帰宅してリビングに足を運んだ私を迎えたのはお父さんだった。
まさか帰ってきているとは思わず、ケーキを食べに行くことを連絡していなかった。
それ故に連絡なしでの遅い帰宅。
心配していたのかどうかはさておき、連絡を怠ったことに対して失望されているかもしれない。
お父さんと話しているとプレッシャーが凄まじかった。
「遊んでいる暇はあるのか?」
「っ……」
空気が重たい。
普段は口出しなんてしてこないくせに、試験が終われば嫌味を口にする。
私は期末試験で成績を落とした。
確かに遊んでる暇なんてない。夜星くんにも勉強の誘いを断られた。
頼れる人なんて一人もいない……。
「綺更――」
お父さんの呼びかけを無視して私は自分の部屋に駆け込んだ。そして荷物を置いてすぐに隣の部屋に駆け込んだ。
「ちょっ、うわっ!」
ベッドで寝っ転がっていたお兄ちゃんのもとに飛び込んだ。
動画でも観ていたのか、スマホを横画面にしてイヤフォンを付けていた。けど、私が飛び込んできた事でイヤフォンを外し、スマホも置いた。
「ノックしろって……。一応俺のプライベート空間なんだぞ?」
「いいじゃん別に……」
「良くないって。もし俺がプライベートな事をしてたらどうするんだよ?」
「別に良い……」
「俺が気まずいわっ!」
私だって気まずいけど、人間そういうものだし軽蔑はしない。
「で、何があったんだよ……」
「……」
その質問に私は答えられなかった。
話したくて駆け込んだのに、いざお兄ちゃんと対峙すると何を話していいのか分からない。
自分の想いを整理する時間があまりにも足らなかった。
「悩みがあるなら迷わず打ち明けた方がいい。何事も行動を起こさなきゃ解決はしないからな」
「分かってる、けど……」
「綺更の心境も理解はしてる。悩みってのは今の自分にとって弱みでもあって、人は弱みを曝け出すのを恐れてる。それでいて大事にも至らせたくないって気持ちもあるだろうし」
「う、うん……」
「俺もそうだったからな。んで、綺更の性格を加味すると、その悩みは自分の責任でもあるからこそ言い出せない。一方的な被害者ってわけじゃないから打ち明けられないってところか」
凄い。
お兄ちゃんなだけあって私の事をよく理解してる。
私の悩みは私にも責任がある。被害者面したいわけじゃないけど、「お前が悪い」と言われるのが怖くて、誰にも打ち明けられていない……。
多分、お父さんとお母さんに相談しても、面倒事を起こすなって怒られるだけ。
「実はね……」
怖いけど、話さなきゃ何も起こらないと言うなら話すしかない……。
「あっ……」
「どうした?」
ふと気付いた。
別に他人に打ち明けるのは今が初めてじゃない。
私は既に打ち明けている。同級生の夜星くんに。けど、話したところで解決の一途は辿らない。
もちろん我儘で自己中な考えだと自覚しているけど、他人に話して何か変わるのだろうか?
勝手に夜星くんに縋って、勝手に失望して……。
「やっぱり話すのは怖いか?」
「ううん。私って本当に最低な女だなと思って」
「今に始まったことじゃないだろ?」
「どういう意味っ!」
「それだけ元気に声が出れば十分だ。くよくよしてる暇があるなら1日でも早く打ち明けたほうがいい」
お兄ちゃんの言葉に頷いて、私は悩みを打ち明けた。
実の兄に付き合っていた男について語るのはちょっと恥ずかしかったけど、思いの外スラスラと言葉が出てきた。
どれだけの不安と恐怖を抱えていたんだろう。私自身にも分からないほどに、愚痴が零れた。
涙が溢れた。
「とりあえず、警察で良いと思うぞ? 証拠も必要になるだろうから、今日一緒にいた友達もついてきてくれると証言になる。不安なら俺もついて行く」
「うん、相談することにする」
ようやく勇気が持てた。
相手にされなかったらどうしようだなんてウジウジしてる余裕はない。