36 槇村慎二はアタッカー
「悩みがありそうな顔だな」
「分かる?」
「なんとなくな」
放課後。
教室に残って自分の席で項垂れていると、安曇が声をかけてきた。
「その紙は?」
俺の机に置かれた紙を手に持ち、安曇は文字を読み上げる。
「演説の下書き用紙?」
そう、その紙は演説の下書き用紙だった。
「これって生徒会のだよな?」
「そう」
「生徒会の坂田先輩に声をかけられていたが、やっぱりその話だったんだな」
俺よりも生徒会について詳しいであろう安曇はおおよその事を察した様子で話している。
「今度の全校集会で話せってさ」
「夜星だけか?」
「一応あと2人……」
話に聞いていた通り、今回の校内模試で一位から三位に声がかけられたようだ。
ちなみに俺は二位と三位が誰か分からない。
「夜星が本当に一位だった時は驚いたが、生徒会長の条件が学年首席ってのも驚いたな」
「安曇の言ってた通りだな。それと、宮國先輩が言うには、生徒会長は内部推薦枠を優先的に選べるらしい。まあ、首席ならどっちにしろ最優先されるわけだが、生徒会長になっても同じ効果を得られるっぽい」
「やっぱり医学部進学をするには、どちらも目指したいところだな……。しかし、生徒会長はキツイか」
悔しそうに眉間に皺が酔寄った。
そんな安曇を見て疑問が浮かんだ。
「安曇は医学部進学を考えてなかったら、やっぱり生徒会長は目指さなかったのか?」
前に聞いた話だと、そもそも冥海に入学したのすら医学部進学を目指していたから。生徒会長もそれが理由なわけだが、もしそれがなかったらどうなのか……。
ふと、それが気になったのだ。
「はっきり言って目指してないだろうな。そもそも冥海に入学してたかも怪しい」
「やっぱりそうか……」
「ただ目指した以上、医学部がどうかなんて関係なくなったのも事実だな。今は普通に生徒会長に憧れてる」
「……そっか」
志は高く。
その方がモチベーションにも繋がるし、努力する事も出来る。
それに、やっぱりやりたい奴がやるべきだと俺は思った。OB会の思惑とか在学生には関係ないし、能力がどうのこうのも意味不明。
俺は人前に立つのとか苦手だし、学校のためにとかイベントで頭を使うのも得意じゃない。
「安曇が生徒会長になるべきだ。うん、絶対それがいい」
「なんだよ急に? それが難しいって話だろ?」
「諦めるな安曇。そもそも学年トップ5にならなきゃ医学部も怪しいんだろ?」
「最低ラインがそこだと思ってる」
「なら生徒会長を諦める理由がないね。学年首席なんて関係なく安曇がやればいい」
「無茶を言うんだな夜星って」
「医学部行くより生徒会長になる方が簡単だと思うんだけど」
「それは天上人の発言だな」
安曇はクスッと笑った。
半ば諦めかけていた自分を嘲るような、そんな笑いのように感じられた。
その証拠に、目つきが変わった。演説の下書き用紙を持つ手に力が乗った。
◇
安曇にはああ言ったけど、案外無責任とも思える発言だったかもしれない。
そもそも次期生徒会長を決めるのは現生徒会長らしいし、俺がああだこうだと言っても、最後は宮國先輩の意思。
「「はぁ……」」
大きな溜め息を吐いた。
すると俺の後ろから俺とは別の溜め息が重なった。
安曇が教室を去った今、残っていたのは俺だけのはずだ。俺はゆっくりと後ろを振り返った。
「夜星くん、何かあったの?」
目が合うと最上がそう尋ねてきた。
「最上こそ、今大きな溜め息を吐いてただろ?」
「まあね……」
「そう言えば今日部活は?」
「ああ、ちょっと今日は行きづらくて……」
何やら深刻な顔を浮かべている。
何かあったようだ。それも部活にはいけないくらい、深刻な何かが。
「悩みがあるなら聞くよ?」
「俺こそ聞くぞ? ちなみに俺の悩みはしょうもないから聞いても後悔するし」
「そうやって自己完結しちゃダメだって、美織が前に言ってたよ?」
「っ……そうだったな」
俺は考えを改めなければならないんだった。どうしても自分一人で背負う癖が抜けない。
それが15年間も続いていたんだから無理もない。
「本当にしょうもないぞ?」
「いいよ全然。他人の悩みを聞きたいし」
そこまで言うなら話そうか。
「実は次期生徒会長候補になりまして……」
「え! 凄くない!」
「やりたくないんだよ俺は」
「そうなんだ……。あ、だから悩んでたんだね。やりたくないのに候補になっちゃったから」
「そういうこと」
「確かにこの学校って生徒会の立候補の知らせとかないよね? どんなルールがあるのか分からないけど、夜星くんが候補者って事は成績順なのかな?」
鋭い、察しがいいな。
俺は肯定するために首を縦に振った。
「そっか……。確かに私も生徒会とかやりたくないタイプの人間だから気持ちは分かるよ。しかも会長なんてなおさら嫌だよね」
「どうにかならんかな……」
他人任せでどうにかなるはずもない。
誰かが助けてくれるなんてこともない。俺自身が行動を起こさなければ。
「そんで、最上の悩みは?」
「っ……言わなきゃダメ?」
「そりゃそうでしょ。俺も言ったんだぜ?」
「そ、そうだよね……」
そこまで嫌そうな顔をされると、聞く側は罪悪感を覚えるな。
俺は自分の悩みを言ったし、等価交換のつもりだが、俺の悩みとは比較にならないのだろうか。
この何とも言えない静寂が妙な緊張感を生む。
「何て言えばいいんだろう……。大きくまとめれば悩みは一つなんだけど……」
「逆を言えば、いくつか悩みがあるってことか?」
「うん……」
それは悲惨だな。
まとめられるって事は似たジャンルの悩みなんだろうけど、区別できるなら悩みは一つじゃないとも言える。
「俺は一つしか言ってないし、話せる範囲で話してくれ……。それか、本当に嫌なら話さなくていい」
「それはずるいから、ちゃんと話すよ。クラスメイトには知っていてもらった方がいいかもしれない悩みだから。けど、誰にも言わないでね?」
「命に誓う」
最上は圧を放つ。
ここまでプレッシャーを感じたのは久々だ。それも最上が放っているとなるとちょっと意外。
ふんわりしているというか、警戒心をむき出しにされたのは初めてだからな。
「実はさ……槇村くんから告白されて」
「っ!? マジか……」
想像以上に大きなニュースだった。
槇村が最上に好意を寄せているのは知っていた。それでも、告白までするとは……。
俺の想像よりも槇村はアタッカーだったようだ。
「悩みってのは付き合うかどうかって事か?」
「ううん、もう断ったよ」
「……なら、気まずいって悩みだな」
「……」
俺の言葉にうんともすんとも言わない最上は俯いて表情を隠した。
「槇村は良い男だと思うけどな。サッカー好き同士だし、イケメンだし」
「槇村くんは良い人だよね。でも、付き合うわけにはいかないの……」
「最上が出した答えだ。後悔がないならそれでいいと思う」
「後悔はないよ……」
後悔はない。
その先の言葉が何か紡がれそうでなかなか紡がれない。あえて言わないのは、それ以上はもう一つの悩みと直結するからなのか……。
それとも単純に槇村への配慮か……。
「夜星くん、またバイトでね」
「ん? ああ、またな」
そう言って最上は荷物をまとめて教室を出た。今日は平日。明日も平日。
今日はバイトを入れてないから、次会うのはバイトでじゃなくて明日の学校のはずだが……。
そんな疑問を抱えながら俺は後回しにはできない机に置かれた目の前の紙に視線を落とした。
そして翌日。
最上の席は空席だった。