29 よだんなきすがきつり、したわ
「ヒナタの散歩、二人きりでするのは久しぶりだね」
「そうだな。ところで、荷物は家に置いておけばよかったんじゃないか?」
「散歩したらそのまま家に帰ろうかなって」
会話はそれで止まった。
以前はもっと会話が続いていた。続いていなくても気まずくなるなんてことはなかった。
美織は会話を探す。
しかし、欲している時ほど見つからない。
「バスケ部のジャージだけど、今日は試合?」
「うん、先輩たちのインターハイ予選」
「勝ったのか?」
「うん、快勝だったよ」
「そうか……」
当たり障りのない会話。
徐々に増えてきた会話のラリーに美織はホッと息を吐いた。
「懐かしいね、凛月が私の試合の応援に来てくれたのも一ヶ月くらい前だよ」
「ゴールデンウィークだったもんな」
色々あった。
この一ヶ月で色々ありすぎた。
過去一過酷な一ヶ月だったかもしれない。美織はこの一ヶ月を振り返るとそう感じてしまった。
「そういえば、俺も球技大会で優勝したんだ」
「もちろん知ってるよ」
再び沈黙が流れた。
踏み込みすぎたのだ。
バスケ関連の話題で欠かせないのは球技大会優勝だろう。
しかし、その球技大会がこの一件の始まりだったとも言える。
「クラスメイトからバスケ部に入れよって言われたんだ。けどさ、所詮はバスケ部のいないトーナメント。小さい頃からミニバスの連中に混じってバスケしてた俺が頭ひとつ抜けてて当然なんだよな」
「凛月なら案外スタメン取れるかもよ?」
「無理だって。全国に行くようなウチの部活で、俺がベンチ入りできる部活は何一つない」
「それでも、凛月が本気で努力すればいけるんじゃないかって……私はそう思うよ」
弱々しくそう呟く美織。
「俺がもし朔楽と同じタイミングでサッカーを始めてサッカースクールに通ってたら、いまの朔楽より上手くなってたと思うか?」
「なってるよ」
意地悪な質問をぶつけたつもりが、美織は何の迷いもなく自信に満ちて答えた。
それで凛月も確信した。
「美織って俺をヒーローか何かと勘違いしてる?」
「……うん。勘違いじゃなくて、ヒーローだと思ってる」
「やっぱりそうなんだな……」
今までは気付かなかった。
気付いたのは数時間前。食卓で空音と椿と三人で美織について話し合っていた時だ。
椿の情報をもとに、球技大会の日、美織がぶつけてきた想いと照らし合わせれば自ずと答えは見えてくる。
美織はどこか凛月を神格化している風な考えと言動がある。ただの幼馴染だというのに困った話だな、と凛月は笑う。
「ごめんな、ヒーローじゃなくて」
「そんなっ……!? ……謝るのは私の方だよ、本当にごめん」
自然と出た『ごめん』の三文字。
こうも簡単に伝える事が出来たならもっと早くしておけばよかった。
二人は内心そう感じつつも、当時はそれができる心境ではなかったのだ。
「幼馴染じゃなければ、姉が出てくることもなかったし、多分時間が解決してくれてただろうな」
幼い頃からの家族付き合いで、今も互いの家に行き来するほど良好な関係。
空音にとっては美織も、椿にとっては凛月も実の妹と弟のようなものなのだ。
姉たちは過保護で過干渉。
そんなのは今に始まった事じゃない。だから干渉してくることくらい容易に想像がついた。
二人に文句を言うのはお門違いだろう。
「ところで、美織の中でいつから俺はヒーローなんだ?」
「それを本人に聞く?」
「聞く側の気持ちを考えろ。さっきから俺、自分のことヒーローとか言ってちょー恥ずかしいんだからな?」
性に合わないのだ。
凛月は照れくさいのかそっぽを向いた。
「小さい頃の話だよ。私と私の従姉妹の女の子と凛月の三人で遊んでた時のこと」
「美織の従姉妹?」
「覚えてない? 最後凛月が泣かした女の子」
「あー、あったなそんな事」
「私こそ聞きたいんだけど、何があったの?」
「さあな。俺も今思い出したし全容は全く覚えてない」
小学生の頃の話だ。
覚えていなくても無理はない。
「まあ、その女の子が私はちょっと苦手で、痛い目にあえとか私は思ってたんだよね。そしたら凛月がその子を泣かして、私スッキリしたの」
「性格悪くね?」
「うん……綺更にも凛月なんて痛い目にあえばいいとか言っちゃったし」
「お、おぉ……」
あまりにも包み隠さずなストレートの意見に、凛月は黙り込むしかなかった。
「ごめんね本当に。全部私が悪いのに……」
しょげたように美織は俯いて表情を隠した。
そんな美織を見て凛月はピキッと青筋を浮かべるように顔を強張らせた。
「美織が全部悪いって事はないだろ。そうやって被害者ぶるのはやめろよ」
「被害者ぶるって……私が悪いんだから被害者だなんて思ってない」
「全部を一人で抱え込む必要ないだろ。俺だって悪い部分はあったし半々だ。なのにお前は自分が全部悪いと言って同情を誘おうとしてる。それは被害者の特権だろ」
「そんな事は……」
そんな事はない。そう言いたかったが否定なんて出来るはずがないと、その言葉を飲み込んだ。
自分から謝ろうと行動を起こさなかった時点で、自分は相手を傷つけた加害者だなんて一ミリも思ってなかったのかもしれない。
謝らなきゃとは思っても、その勇気はなくて、椿や空音が動くまでずっと待ってる立場にいた。
そんなのまるで、被害者そのものではないか。
「俺の悪いところは他人に意見せず、また相手の考えも聞かないところだって言われた。ごもっともだ。そんな俺に対して、美織の悪いところは自分本位の世界しか見えてないところだな」
そんなの、みんな同じじゃん……。
美織は反射的にそう思ったが、口に出して言うことはしなかった……いや、出来なかった。
「椿姉と空音ちゃんにそう言われたの?」
「俺の短所についてはな。美織の短所は俺が思ったことだ」
「そっか……」
凛月にそう言われたら受け入れるしかない。
「ごめん……」
受け入れた上で三度目の謝罪だ。
もはや反射的に出てしまうその言葉は、今の美織にとって最上級の誠意を示す言葉だった。
とにかく凛月の機嫌を損ねたくない。そんな邪な考えも混じった謝罪だった。
「もう謝るのはなしにしよう」
冷たく凛月は言い放った。
「そ、そんな……違うのっ。凛月に言われた通り私が一方的に悪いとか思ってるわけじゃなくて、迷惑かけたことに謝ったというか……。被害者ぶりたいわけじゃ――」
「落ち着け。そういうところだ美織の悪いところは。それに謝罪を受け入れるつもりはないとか、そういう事が言いたいんじゃないんだよ俺は」
「え……」
「謝るだけお互いに損だろ……不器用なところは朔楽にそっくり。やっぱり双子だよお前たちは……」
「な、何急に……」
「お互いについて知らなすぎたのなら、少しでも話せば理解できるんじゃないか? 今更恥ずかしがるような秘密もないだろ?」
そう言って凛月は語り出した。
「俺は別に勉強が好きじゃないし、努力も得意じゃない。義務感というか、父親の考えが幼い頃から埋め込まれてるから、大事なところでは手を抜けないんだ」
「……そっか。そうだったんだね」
知っていそうで、やっぱり知らなかった凛月の考えと言動のルーツ。
勉強が得意なのは知っていたが、義務感という言葉は凛月の口から初めて聞いたかも知れない。
「私は――」
美織も話した。
多くを語り明かした。
散歩だって一時間近く経ったかもしれない。ヒナタを連れているから適度な休みをとりつつ、二人は無我夢中に語り明かした。
今更恥ずかしいこともない?
確かに幼馴染として共有した時間は多く、気を遣わないという意味ではそうなのかもしれない。
しかし――。
「ねえ、凛月……」
想いを伝える時はいつだって、誰が相手だって緊張するに決まってる。
「私、凛月が好きなんだよ」




