26 続・お姉ちゃんたち
時が止まった。
そんな感覚に陥るほど、リビングは静寂だし、俺の思考も働かない。
「そらちゃん?」
「話を聞いて、凛月の考えは痛いほど分かった。けどさ、凛月にも悪い部分があるじゃん」
「そりゃあるでしょ」
「悪いとこ言ってみて」
「それは……」
沈黙が流れた。
俺が返答に困っていると、空音は大きなため息を吐いた。
「こういうのは自分で見つめ直して考えさせるのがベストなんだろうけど、私は凛月の姉で、今日こうやって話を聞いてますます血の繋がった姉なんだなと思った。だから、私が教えてあげるよ」
フサっと長い髪を靡かせる。
俺は息を呑み、緊張感を持ちながら空音を見つめる。
「自分の意見が正しいと思えて当然。ただし、相手の意見を少しでも理解しようとしないのは、凛月の悪いところよ」
それが俺の悪いところ?
理解が出来ない。
「自分の意見が正しくて当然だろ」
「それが一般論と違えば、社会から弾かれても文句は言えないし、正論を叩きつけられたらどう返すのよ?」
「一般論なんて知らないし、正論が来たら納得もする。何度だって言うけど、自分の意見が正しいんだから他人の意見なんて――」
「はい、ストップ」
「なに?」
「それだよ。その他人の意見なんてって言うのが凛月の悪いところだよ」
空音は呆れたようにそう言った。
そして溜め息を吐きながらも、共感は出来るぞと言わんばかりの笑みを浮かべて俺を見つめる。
「私もさ、正直周りの人間馬鹿なんじゃないのって思ってた時期があるわけよ。それで凛月みたいに衝突することも多々あったわけ」
やっぱり姉弟、同じじゃんか。
「でさ、一般論とかそういうのをぶつけられると、その考えが馬鹿じゃんって、当時の私は思ってたわけよ。でも、大半の人間はその一般論を正しいとしてるわけだし、弾かれるべきなのは私のような自己中な考えの人間」
「そんなことは……」
「そうだったんだよ実際。それを理解して私は少し成長したかなと思う」
「それ、成長じゃなくて退化だろ。周りに流されるだけのミーハーだろ」
少しキツイ口調で俺はそう言っていた。
「自分の意見が正しいと思うのは大いに結構。自分の意見すら言語化できない人も多くて話し合いにすらならない事があるしね。ただ、自分の意見を正しいと思い込む人ほど、相手の話を聞かない人が多すぎ」
「俺は聞くけどな。実際美織の考えが普通で納得もしたし」
「理解はしても、納得したかどうかは別じゃない?」
「……」
図星だった。
だから何も言い返せなかった。
「凛月の場合、自分の意見を理解されてなくても良いと思ってる節があんのよ。それと同時に、相手の考えを理解するつもりもないって、閉鎖的な考えが根本にあるの。それを納得したとは言えないでしょ」
「そうだな……」
「それコミュニケーションを取る上でめちゃくちゃ厄介だからね? 自分を正解として基準にしてる時点で、相手の意見は全部間違って聞こえるに決まってるじゃん」
まあ、そりゃそうだ。
「実際間違ってんだろ」
「はい、アウト!」
空音は呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる。
「椿ちゃん、どう思うこいつ?」
「えっ! 私!?」
「椿さんに聞くのは反則だろ」
姉に対しては強く言い返せていたが、椿さんが相手になると難しい。
俺はこの人にはどうしても強くあたれない。
幼馴染でどれだけ小さい頃から知っている相手だったとしても……。
「んーと……そうだなぁ……。とりあえず、りっちゃんの考えは、ちょっと前のそらちゃんとそっくり。それでいて、やっぱり閉鎖的なのは良くないかなって……」
「ほら、椿ちゃんもそう言ってる」
「くっ……」
二対一の構図。
二人側の意見が世間では通ずる一般論。
「で、でもね……。りっちゃんの考えを否定するのも惜しいかなって思うよ」
「ダメだよ椿ちゃん! 間違ってる時は間違ってるって言わないと!」
「け、けど。否定ばかりして理解させても、それこそ納得は出来ないんじゃない?」
「「っ……!?」」
俺と空音の反応は綺麗なまでにシンクロした。
もしこの場に椿さんがいなかったら、多分俺は相手の意見に頷こうとも、聞く耳すら持とうともしなかっただろう。
今この一瞬で、椿さんの意見に賛同できた自分がいた。
結局のところ、空音の意見も自分の方が正しいのだと信じて疑わず、それで俺を否定しようとしているに他ならなかった。
一方通行な思考の口論。そんな二人の口論にゴールがあるはずもなかったんだ。
「どうかなりっちゃん? 私に理解できるかは分からないけど、投げやりにならず話してくれる?」
この人はどこまでも優しい。
よかった……本当によかった。
椿さんがいてくれて本当によかった!
「椿さんの発言こそ答えですよ」
「え、私の発言?」
「頑固者な俺たちじゃゴールには辿りつけなかった。むしろある意味、自分たちの醜い話し合いを反面教師にするべきなんだと、椿さんのおかげで気付けました」
相手の話を聞こうとする姿勢。
椿さんのような人にこそ信頼と安心は募る。そういう意味で俺は、その信頼と安心から一番遠い位置にいたんだ。
「そうですね。俺は――」
俺は自分の思いと考えを赤裸々に語った。
要約すると、大半の人間が共感する大多数の意見の中には間違ってる考えがいくつもあって、俺は俺なりの正しさを追求したいってこと。
「話を聞いて思ったのは、やっぱり空音の考えは間違ってると思ってなくて、自分の正しさを貫くのは大事だと思うんです」
「でも、孤立した考えは嫌われるわよ?」
「周りは馬鹿だったんだろ? なら空音が正しいだろ。頭良いし」
「いや、あの時は尖ってたというか……」
黒歴史なのか。
ちょっぴり恥ずかしがりながらそっぽを向いた。
「まあ、周りを馬鹿って蔑むのも良くないよな。別に俺も賢くないし」
そう、俺は賢くない。
賢くないんだと何度も否定してきたくせに、自分の意見は正しいんだと主張する矛盾。
無力でちっぽけな俺の意見は、きっと弱い。
「伝統や文化に縛られた古臭い価値観が現代で正しいことは多分なくて、そういう意味で俺は自分の理論が最先端……とまでは言えないですけど、正しいんじゃないかって思ってて」
「達観してんのよあんたが」
「それ、別の人にも言われたな」
「ならやっぱりそうなのよ」
「実感はないんだけど」
他人にそう思われたならそういうことなんだろうか?
そういえばさっき、空音にそんな事を言われた気がする。
「良く分かったわ凛月の考えは。まあ、色々苦労する気持ちも分かる。けど、そうやって話せるじゃない」
「美織にも話した気はするんだけど」
「多分その時は何に対して怒ってるのかというテーマに重きを置きすぎてたんじゃない? 冷静に話せば十分伝わるわよ」
「私もそうだと思うよ」
「椿さんがそう言うならそうなんでしょうね」
「おいこらっ!」
空音にガンを飛ばされる。
「さて、凛月の頑固思考は除去出来たわね」
「出来たんだろうか?」
「前までの凛月だったら話しても無駄だって諦めてたでしょ? 自分の考えを落ち着いて話せただけ立派よ。それじゃ次のテーマに移るわよ」
「まだあんの?」
「馬鹿かあんた。そもそもの目的は、美織について考えることなのよ。あんたが他人を理解しようとしないせいでややこしくなったけど、美織とあんたの関係を放っておけるわけないでしょ?」
「たしかに……」
そういえば、それが心配で椿さんはウチに来たんだもんな。
「あんな可愛い子と仲良く出来る意味を今一度ありがたいと実感した方がいいわよ」
「そうだな……」
◇
三人で話していると、不意をつくように凛月はゆっくりと席から立ち上がった。
そして何かを告げることもなく、リビングを出た。
「キザなことをするわねあの子も」
「え?」
「あれ、美織のところに行こうとしてんのよ」
「そうなの!?」
「プライドが高いし、茶化されるのが好きじゃないから謝ってくるなんて口に出して言わない子だけど、誠実さは誰よりもあるから」
姉として察したのだろう。
空音はそう言って優しく微笑んだ。
「話を大きくしちゃったけど、別に喧嘩一つで大袈裟だったのかもね」
「どうだろう……これが朔楽とりっちゃんならそうなのかもしれないけど……」
「いやいや椿ちゃん。その二人が喧嘩した方が多分私たちに入り込む余地ないって!」
考えるだけで恐ろしい。
ただでさえ芯が通った二人だ。今回の一件で美織を朔楽に置き換えると、絶対に譲らない二人の壮絶な争いが容易に想像できてしまう。
「りっちゃんが言ってたでしょ? 幼馴染でも異性は不便だって」
「確かに言ってたけど、美織は人懐っこくていい子じゃん」
まるで朔楽は違うと言わんばかりの発言だが、まあそうなのだろう。
「でも美織ってりっちゃんのこと大好きだから、やっぱりそういう想いも考慮すると、今回の一件はなかなか難しいなと思うよ」
「そうなのかな……………………って、え!?」
思わず聞き逃すところだった。
「いま、何て?」
「……? あれ、もしかして美織の気持ち知らなかった?」
「嘘でしょ……」
目を見開いて驚愕する空音。
今年一番驚いたニュースかもしれない。
「あえてさっきは言わなかったけど、美織がりっちゃんに当たっちゃったのは積年の想いなのかもね」
「積年の想いって……。い、いつから……?」
「正確には分からないけど、中学生になって異性の壁が出来ても美織はグイグイりっちゃんに絡んでたし、家でも朔楽を交えてりっちゃんの話をよくしてたからなぁ……」
「そんな前から……全然知らなかった」
あんな可愛い子がウチの弟を……。
空音はそう考えて、世の中何が起こるか分かったもんじゃないなと思いつつ、「やるじゃん凛月!」と、エールを送った。




