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第二十六話 花から獣に感謝を込めて

「…………」


 少女がいくら待とうとも、“獣遣い”は何も答えない。いつもの軽口さえも見当たらない。


 少女はため息を一つ吐くと、覚悟を決めてくるりと振り返る。どうにも動きづらい。滞空させるのと同時に、動きを拘束する魔法も掛けられているのだろう、と少女は思った。


 少女が振り返るとそこには、黒い絵の具をぶち撒けたようなとしか言い様のない形の翼を持つ、禍々しい力を垂れ流しにしている悪魔がいた。その足元には配下だろうか、見覚えのある犬の形をした悪魔がいる。以前とは気配も雰囲気も全く違っていたが、少女はソレを“獣遣い“だと判断した。理由は述べるまでもない。


 少女は先程問うたものの代わりに、当たり障りのない問いを投げかける。


「まだあの龍、死んでないだろう?」

「ああ」


 “獣遣い“は眼下の瓦礫の山を指差した。


「龍を殺し得るのは魔女とそれに準ずるモノだけだからな。気になるならお前が殺せば?」


 少女は首を振る。龍を殺す程の魔法を放てば、この街も灰塵と化すだろう。それは彼女の望むところではない。


「誰かさんが派手に攻撃してくれたから、しばらく動けないはずだ。その間に私は帰る。まだやらなければならないことがあるからな。……だから貴様、さっさとこの拘束を解け」

「断る」


 即答だった。少女はむっと唇を歪める。少女が理由を訊ねる前に、“獣遣い”がぽつりと零した。


「……死ぬところだっただろ、お前」


 少女は目を伏せる。確かにそうだ。“獣遣い”がこうして()()()くれなければ、あの龍に殺されて、何も為せないまま終わっていた。……けれど。


「死ぬ気はなかった」


 死んでもいいとも、思えなかった。


 少女は真っ直ぐと“獣遣い”を見据える。


 師を殺した元魔女。自らの調整期間の保護者。そして、自分に要らぬ心配ばかりをしていたひと。自分が唯一嫌いな者。


 少女に嫌われていることを分かっていて、それでもこうして見守り続けていた彼へ、少女は生涯でただ一度だけ、感謝を捧げた。




「──ありがとう」




 ひまわりのようだと例えられる美しい微笑はなかった。優しい声でもなかった。……当然だ。 “獣遣い”へ贈る、本心からの言葉に、それらは必要なかったから。


 ゆるりと、魔法が解ける。自由落下していく少女に“獣遣い”ははっとしたように手を伸ばす。その手が届くより先に、少女は自らに浮遊魔法を掛けた。


(これを狙っていたわけでは、ないけど)


 少女はあたりに散らばる瓦礫を魔法で“獣遣い”の周りに浮かせた。目眩し程度にしかならないが、それで十分だ。まだ“獣遣い”は悪魔の強大な力を使いこなせていない。下手に少女を傷付ければ取り返しのつかない事態になるかもしれないというのだから、無理には動かないだろう。


 少女はふんと鼻を鳴らすと、別れの言葉を口にした。


「また森で。動物たちも待ってるわ」


 少女はだって、“ひまわり”なのだ。“獣遣い”が思い通りになせるモノではない。だから鳥籠の中の鳥にはなりようがないし、少女だって観賞用の切り花になるつもりもない。


 “獣遣い”に背を向け、少女は歩き出す。身体中が痛んでいるが、このくらいややもすれば治るだろう。


 帰ろう、と少女は思った。


 帰ろう、あの森へ。ひまわりの咲く、あの森へ。




 ○




 大陸の北東に位置する都市の一角にある廃墟の崩落。目撃者は多数いた。


 曰く、『悪魔』を見たと。


 曰く、『龍』を見たと。


 曰く、空を飛ぶ少女を見たと。


 証言はてんでんばらばらで、街の自警は首を捻っており、根も葉もない噂が世間に蔓延ったが、一月も経たないうちに噂はピタッと消え去ることになる。異端審問所の見解が発表されたからだ。


 彼らは新たな悪魔が出現したとし、周辺の住民に避難を呼びかけた。


 ……そしてその半年後、北東の都市が一つ地図上からなくなった。龍の大軍が攻めてきたそうだ。現地にいた人間は皆、行方不明となっている。


 また、廃墟の崩落事件の辺りから、ぴたりと魔女の目撃情報が途絶えた。そして、内部からの密告により異端審問所が魔女や龍と繋がっていたことが発覚。異端狩りで権威を保っていた異端審問所はあえなく失墜した。同時に教会への寄付も少なくなり、司教やシスターがいない、形だけの教会があちこちに点在するようになる。


 その後数百年間、魔女に代わり、魔法使いが台頭する時代が続く。魔女を知らない世代が、必然的に増加する。人々の記憶の中から、抹消されていく。


 こうして、名実共に魔女はこの世界からいなくなった。




 ○




 ──カタカタカタと、ポットに入れた湯が沸騰する音がする。少女は蓋を開け、適量の茶葉を無造作に入れると、また蓋を閉めた。


 人の気配がしない室内は、しかし無音ではない。卓上の籠に顔を突っ込み、出られなくなって足をバタバタとさせているリスを、少女は摘み出した。リスの手には木の実が握られている。どうやら少女が籠の中から出し忘れていたそれらを狙っていたらしい。


 貰ってもいいかと可愛らしく首を傾げてねだるリスに、少女は微笑み、「好きにすればいいわ」と言った。


 彼女は棚からクッキーを一枚手に取って齧り付いた。紅茶ができるまで待とうと思っていたが、美味しそうに木の実を食べているリスを見ていると、自分までお腹が空いてきてしまった。


 軽食をいくつかバスケットに詰め、少女は玄関へと向かう。師が眠る墓へと行かなければならない。


 少女はドアノブに手をかける前に、室内をぐるりと見渡した。少し寂しかった。

 気分を変えるために、少女は勢いよく扉を押し開ける。──瞬間、パァンと音がした。


 その既視感のある光景と、目の前で尻餅をついたこれまた既視感のある少年に、少女は驚き、そして笑いながら手を差し伸べた。


「あ、ごめんなさい。大丈夫?」

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