第四話 二人の侍女
第四話 二人の侍女
「…喉に異常は無い。精神的なものだろうね。」
翌朝、アベルに連れられてやって来たオレンジ色の髪をした癖毛のベンジャミンという医師は、今にも寝てしまいそうなほど目が開いておらず、物凄く眠そうだった。
あくびをしながら私の側から離れていった彼にほっと胸を撫で下ろしつつ、無意識のうちに強く握りしめてしまっていた衣服から手を離す。
アベルの連れて来た人なのだから危険な人では無いという事は分かっている、それに医師なのだから近付くのも当たり前だ。けれど、どんなに自分に言い聞かせても体が勝手に震えて強張り、こうでもしないと反射的に拒絶しようとしてしまうのだ。
「シア、顔色が悪い様だが…。」
顔を上げるといつの間にかベンジャミンは退出しており、こちらが普段の姿なのだろうか、モノクルをかけたアベルが一人私の顔を心配そうに覗き込んでいた、三つ編みにされたアベルの長い髪が揺れる。
私が慌てて大丈夫だという意味を込めて首を横に振るとアベルは一呼吸置いてから、分かったと頷いて話を始めた。
「…実はシアの身の回りの世話をしてもらうため、侍女を二人程つけたいんだが…会えそうか?」
侍女、と聞いてまずはじめにエレヴィーラとその取り巻きの顔が浮かんでしまい、私は日常的に振るわれて来た暴力を思い出し、反射的に身を強張らせた。
それをアベルは目敏く見つけた様で、彼は私の手を取ると、その二人の侍女は私が眠っている間に世話をしてくれていた侍女であり、長年ミッドランドに仕える使用人の家系でもあり、義理堅く信用出来る人物である、ここに私の敵は居ないのだと、子供に言い聞かせる様に丁寧に教えてくれた。
「大丈夫だ。」
そう言い切るアベルに背中を押される様にして私が恐る恐る頷くと、アベルはすぐにその侍女二人を呼んだ、事前に扉の前で待機していたのかもしれない。
「サーラ、リタ、入りなさい。」
アベルの言葉で入室を許可され、部屋へ入って来たのは年若い二人の女性だった。
「お初にお目にかかります、私はサーラ・ナイトレイと申します。本日からシア様の護衛と身の回りのお世話を仰せつかりました、どうぞよろしくお願い致します。」
「同じく!目覚めてからはお初にお目にかかりますですにゃ!私はシア様のお世話係になりますリッタ・メーデリーですにゃ!」
はじめに恭しく丁寧にお辞儀をし、真面目に挨拶をしてくれた黒髪の女性はとても美人で背が高く、次に自己紹介をしてくれた元気な女性には桃色の髪と同じ色の猫耳が生えていた、彼女は亜人なのだろう、揺れる尻尾も可愛らしい。
私は思わず二人によろしくお願いします、という意味で恐る恐る頭を下げた、それにアベルがすかさず、私が一時的に喋れなくなっている事を彼女達に説明するとリッタは分かりやすく落ち込み、サーラは渋い顔をした。
「…卿、差し出がましいとは思いますがベンジャミン医師や他の方によく診察して頂いた方が良いのではないでしょうか。」
「それはシアがもう少しこの環境に慣れてからです、それとベンジャミンはともかく他の医師は私が許しません。」
「せっかく目を覚ましたのに、お話し出来ないの寂しいにゃー!」
リッタはうるうる、と分かりやすく泣き真似をしながらぴょこぴょこ私の方へやって来ると、その場にしゃがみ込んで自分の頭を私の方へと差し出した。
「あにまるせらぴー、だにゃ!」
私が呆気に取られて思わずアベルの方を見ると、彼は顔色を変えないまま私に向かって頷いていた、ついでに付け加えるとサーラは厳しい顔つきでリッタを見ている。
「リッタのお耳はふわふわだから、シア様もリッタのお耳もふもふすれば、元気出るかも知れないにゃ!」
どうすれば分からずおろおろしている私にリッタは弾ける様な笑顔を向けてそう言った、その笑顔に邪気や偽りなどは一切感じられない、リッタはこういう性格なのだろう。
私は意を決して恐る恐るリッタの耳に触れた、ふわふわとした柔らかい感触が手の平に伝わり、少しだけ安心してゆっくりと彼女の耳を撫でていくと、リッタはごろごろと満足げに喉を鳴らした。
「むふふー!ふわふわですにゃ?」
その問いにこくりと頷くとリッタは嬉しそうに尻尾をぱたぱたと揺らして、人懐っこい猫の様にもっと撫でてと喉を鳴らす。続いてその後ろから、私達の様子を伺う様にサーラも顔を覗かせた。
「シア様、私どもは貴方様の味方です。まだ出会ったばかりですので今すぐ手放しで信用して欲しいとは申しません。ですが、少なくとも私だけはシア様の味方です、それだけはどうか覚えていてくださいませ。」
そう言って再度恭しく頭を下げたサーラの訴えには何か心に迫るものがあった、懇願している様にも感じられたが明確には分からない。
何故見ず知らずの私に、この人達はこんなにも親切で優しくしてくれるのだろうか。遠く忘れていた日々の様な、あたたかな感情にまだ少しだけ困惑しているものの、本当に、悪意も敵意もこの人達からは感じられず、いつの間にか私はサーラもリッタも怖くはなくなっていた。