第二話 夢見た邂逅は
第二話 夢見た邂逅は
執務室で一人、仕事をしながらふと机の上に置いたブローチを見やる。こうして確認するのは何度目だろうか、いつも通り仕事をこなしたいもののさっきからそちらに気が逸れて全く仕事に身が入らない。
いつもならこの銀に紫の宝石があしらわれたブローチが不思議な少女と私を繋ぎ、このくらいの時間であれば今頃たわいもない話をせがまれている時間のはずだ。だが、いつまで経ってもそれらしい反応は訪れず、机に山の様に積まれている公文書関係の書類の中で一つだけ異質な絵本が、開かれぬまま所在なさげに置いてあるばかりだった。
今日は眠れたのだろうか、しかし何年も毎日決まって話をしていたのにと、言いようの無い不安が込み上げて来る、彼女に何かあったのでは無いかと思ってしまうのだ。
一旦書類に目を通すのを諦め、モノクルを外して小さくため息を吐きながら椅子にもたれかかると男性にしては長い自分の髪が後ろへ流れた。
改めて考えてみてもこのブローチを通して毎日話をしていた少女は不思議な子だったな、と私が初めて会話した日の事を思い返していたその時、ブローチが突然眩い光を放ち、輝き出した。
「なんだ、何が起こって…。」
思わずブローチに触れようと手を伸ばすと途端に光は消え失せ、その代わり私はある気配に気付いた。
「シア…!シアなのか?!」
魔法使いである私は密かに少女の気配を探った事がある、詳しい位置まではわからなかったがその時彼女は隣国のヴェルスナー帝国に居たはずだ、それが今はどうしてかここミッドランドに気配がある、間違えるはずがない。
私は立ち上がると同時に、このブローチを通じて分かる彼女の位置へと座標合わせてすぐさま転移した。
「うわぁああ?!」
「ヴ、ヴァルスタッド卿?!」
「え?!な、なんで宰相様がこんな所に…。」
転移した場所には何故かミッドランドの兵士が数人集まっていた、質問には答えず辺りをざっと見渡すとどうやらここはミッドランドと帝国の国境付近の森林で間違いない様だ、この兵士達は国境警備に当たっている者達だろう。
「答えなさい、何故集まっているのです。」
「じ、実は…。」
川辺に女の子が、まで聞いた瞬間頭が真っ白になり、私は兵が集まっている川辺の方へ駆け出していた。柄にも無く退けと大声を出し、兵士を退かせた先を見るとそこには確かに一人の少女が力無く横たわっていた。
その瞬間の絶望感を、私は生涯忘れる事が出来ないだろう。
いつか会いたい、実際に会ってこの想いを、感謝を伝えたいと思っていた少女は惨たらしいまでの凄惨な怪我を負っていた。飢餓状態の様な酷い痩せ方をしているうえに、全身に鞭で打たれた痕があるばかりか全身が打撲痕で変色している、こんな酷い状態の人間は奴隷であれ誰であれ、見た事が無かった。
「…貴様らが、やったのではあるまいな。」
「ひっ…。」
辺りに暗雲が立ち込める、あまりの怒りと悲しみに自分を制御する事が出来なかったのだ。
「ち、違います!誓って!我々が見つけた時には、既にこの状態で…。」
衣服すら身に纏っていない彼女を自分の外套で包み込みながら抱き抱え、震える手で息を確認すると彼女は辛うじて生きてはいた。
それになんとか息を吐き出すと、血が滲む程きつく握りしめられていた彼女の手が目に入り、やんわりと開いて見るとそこには自分のブローチと対になる様な意匠の、淡い青色のペンダントがあった。
やはり間違いなく、この瀕死の少女はシアなのだと思うと、年柄もなく泣きそうになった。
「…この少女は私が保護します。ここで見た事は他言無用…これは宰相である私、ドラグナー・ヴァルスタッドによる正式な命令である。」
背いた者にはそれ相応の罰を下します、と私が静かに告げると背後で雷が落ちた。
先程まで曇り空だった空はあっという間に荒れ狂い、強い雨が降り始め雷鳴が轟いた。
彼女を腕に抱えたまま転移で屋敷へと戻った私は、その場ですぐさま医者であるベンジャミンを呼び寄せた。
ベンジャミンは夜食でも食べている最中だったのかフォークを手に持ったまま転移させられ瞠目していたが、瀕死のシアを見せると血相を変えて診察を始め、脂汗をかきながら苦々しげに言葉を吐いた。
「これは…なんて酷い…。」
「それでも、何がなんでも助けて欲しい…シアは…彼女は私の呪いを抑えてくれた恩人なんだ。」
頼む、と吐き出す様にして伝えた私の言葉を聞いて、ベンジャミンは大きく目を見開いてこちらを見たが、その後、くしゃりと笑った。
「助けてみせるさ、僕の目標はなんたってファウスティーナ様なんだからな。」
自分自身を鼓舞する様に力強くそう答えてみせたベンジャミンはすぐさまシアに魔力を流し込み、魔石を割り、空中に淡く光る魔術式を描き始めた。
「あるだけ魔石を持って来てくれないか?絶対に足りないから。あ、あと集中したいからついでに誰もこの部屋に入れないでくれ、ドラグナー、君もだ。」
魔石は転移で部屋に入れてくれさえすれば良いから、とだけ言ってベンジャミンはシアの治療に専念するため私をも追い出した。今は使い手自体が希少である回復術式を扱うベンジャミンに託すしか無いのが歯痒かった。いくら私が魔法使いであれ出来ない事は山程ある、正に今の状況がそれだ。
今私に出来る事はなんだ、彼女のためにするべき事は、と考えながら、私は手持ちの魔石をありったけ部屋へ転送してから、王城へと飛んだ。