第二十二話 外部の者
第二十二話 外部の者
あの湖の騒動の翌日、自分で思っていたより疲れていたのか私が目を覚ましたのはお昼過ぎだった。
側で控えていたらしく、サーラは音も無く出て来ると私の着替えを手伝ってくれた、淡い紫色のドレスに身を包むと少し背筋が伸びる気がする。指先からつま先まで繊細なレースがあしらわれたこのドレスは見た目よりもずっと軽い、どれほど高価な物なのだろうかと考えると緊張してしまう。
「シア様、こちらは恐れながらオーダーメイドではございません。間に合わせの様なものですので気負わなくて良いのですよ。」
そのうち職人を呼び寄せますので新しく仕立てて頂きましょう、とにっこり微笑むサーラに私はぎこちなく笑みを返した。
まだ袖も通していないドレスが山ほどあるのにこれ以上買ってどうするのだろう、と心の中で思ったが私は知らないふりをした。サーラがとても楽しそうだし、決定事項の様な口ぶりだったから。
私がそんな事を考えている間にサーラは流れる様に鏡台の前に私を座らせ、優しく丁寧に私の髪を梳いた。
「明日にはリッタも戻って参りますので色々と落ち着いてからにいたしましょう…それと、リッタと共に数人、外部の者が参ります。」
外部の者、という言葉に私が思わず反応してしまうと、優しく私の髪を結っていたサーラの声が少しだけ硬いものとなる。
「ミッドランドの王太子殿下がシア様にお目通りを、との事なのです…シア様の体調が優れない様であれば私が対応致しますが、いかがでしょう。」
ミッドランドの王太子がこの屋敷へやって来るというサーラの言葉に私は驚きを隠せなかった、私を王都に呼び寄せるのではなく、王族の方が自ら赴くなんて、と思ったのだ。
後ろのサーラを化粧台の鏡越しに見ると彼女は不安そうな顔をしていた、男性が苦手な私を心配してくれているのだろう。サーラの提案は私の体調が悪い事にして、私と王太子殿下と会わなくても良い口実を作る、という事だ。
その真意に気付きながら私は苦笑しつつ首を横に振った。
怖さが無いわけではない、寧ろすごく怖い事に違いは無いけれどヴェルスナーからミッドランドに半ば亡命し、こうしてこの国の宰相であるアベルの屋敷で匿って貰っている身分の私が、そんな対応をするのは流石に不誠実だと思ったのだ。
寧ろ本来ならばこちらから出向くべきだろう、私にそれが出来ないと分かっているから王族の方がわざわざ出向いてくれているのだ、それには感謝しなければならない。
「…かしこまりました。しかし、シア様のお心と体調が第一ですので、途中私が口を挟む事があればお許しを…いかがですか、シア様。」
私の長い髪のサイドを花飾りと一緒に編み込み終えたサーラは満足げに私を見た、鏡に映る私の姿は、つい数ヶ月前まで幽閉されていた人物とはとても思えない。
嬉しくてゆっくりありがとう、と口を動かしながらサーラに向かって微笑むと彼女も光栄です、と笑ってくれた。
「残念ながら卿はただいま東の森の偵察に出ておられます、しばらくしたら戻られるかと。」
早速アベルに見てもらいたくなったが忙しいだろうかと、そんな事を思っていたらサーラにそう告げられて私は驚いてしまった。
そして、当然そんなに顔に出ていたのだろうかと恥ずかしくもなる。
「シア様はとても素直でいらっしゃいますから…いえ、良い事なのですよ?」
弁明しようとするサーラの言葉に私は顔を赤らめつつ苦笑を返す事しか出来ず、とにかく話題を変えようと必死に思考を巡らせた。
丁度今はお昼という事を思い出し、身振り手振りで食事にしようと伝えるとサーラは若干微笑ましそうな表情をしながらも私の意図を汲んでくれた。
「ではすぐにご用意を…シア様?」
部屋を出ようとする彼女を私が引き留めるとサーラは怪訝そうな顔をしたが、私も散歩がてら一緒に行きたいという意味を込めて自分を指差すとサーラは理由を察してくれたのかかしこまりましたと丁寧に扉を開けてくれた。
テテが今日も腕を振るっているであろう厨房はどうやら屋敷の一階、東側にあるらしい。温室は西側にあったがこちらには備蓄の為の倉庫と併せて、規模は小さいが菜園があるらしく厨房から直接外へ出れる様な構造になっているのだとサーラは道すがら説明してくれた。馬車を入れられる様な荷物の搬入口もこちらの裏手にある様だった。
「テテ、シア様の昼食を…あら。」
サーラを先頭に厨房にやって来たもののそこにテテの姿は無かった、美味しそうな良い香りが充満しているから察するにどうやら大鍋の中身は完成している様だったが、肝心の彼は何処へ行ったのだろうか。
「ここに居ないのでしたら菜園の方でしょう。」
サーラの目線の先を見やると確かに外から何かを降ろす様な物音と、それとボソボソと微かに声がしている、テテが倉庫から食材や調味料を出しているのだろうとすぐに想像出来た。
出来るならば手伝いたいが、かえって私では邪魔になるだろうか、とそう思ったが私はなんとなくサーラの後を追って裏口の扉を開けた彼女の後ろから顔を覗かせた。見ればどうやら食材の荷下ろしをしている最中だったらしく、翡翠色の髪をしたテテ以外にも馬車に商人らしき人の姿がある。
「テテ、今よろしいですか。」
「あーはいお嬢様のお食事ですね〜、ちょっと待ってて下さ……い…?」
使用人らしからぬフランクさで返事をしながらこちらを向いたテテの表情が何故か硬直した。
サーラの後ろに居た私と数秒、ばっちり目が合うとテテは口をあんぐり開けて呆けたまま、手に持っていた瓶を地面に落とした。
「…気持ちは分かりますが、貴方には事前にシア様のお姿について連絡してあったはずですよ、テテ。」
若干の苛立ち混じりの咳払いをしながら、サーラが私の姿を隠す様に前に出て視線を遮るとテテはハッと我にかえった様に慌てて落とした瓶を拾い上げた。
中身は香辛料だろうか、もしそうなら比較的高価な物のはずだ。幸い落ちたのは土の上だった様で、瓶は割れていない様だった。
「…!」
私がそんな事を考えていると、ぞくりと急に寒気がした。
サーラが私を隠してくれているのに尚も見られている様な気がして顔を強張らせていると、サーラは私を安心させる様に笑いかける。
「シア様、ご心配には及びません。さあ、戻りましょう。」
サーラの言葉に素直に従って私はすぐに厨房へと戻った。
だから、私の去った方をいつまでも微動だにせず見つめていた商人の存在など、私には知りようも無かった。