第十七話 誓いの炎
第十七話 誓いの炎
「…と、いうことで捕らえた者共から聞き出せた情報は以上でございます。」
眠りの魔法によって私がアベルに眠らされた後、アベルがその場を制圧し、リッタは王城へ飛び、サーラはあの男性達の取り調べを行ったらしい。
その結果出てきたのはやはりヴェルスナー帝国、あの男性達は雇われた傭兵だったのだという。
分かっていた事ではあったが改めて聞くと恐ろしい、ヴェルスナーの国民や、ましてや王族が属国でもないミッドランドへ無断で入国するなど本来ならあってはならない事だ、国際問題になってもおかしくはない。
それなのに、ヴェルスナーはそれを承知でミッドランドまで足を伸ばした。
探しているのだ…私を。
数刻前に目にした赤眼を思い出し、言いようの無い不快感に背筋がゾッとした。私には価値が無かったから幽閉し、奴隷の様な扱いをしていたはずのヴェルスナーが何故他国に侵入してまで私を探しているのか分からないのだ。
サーラの話では〝塔から逃げ出した子供を捕らえよ〟というこの命令は皇帝自らが出した公的なものだったらしいが、一体皇帝は何を考えているのだろう。
一度は私を手にかけようとした皇帝、なのに劣悪な環境で幽閉していたとはいえ長年、一応私を生かしておいた理由が彼にはあるのだろうか。
「…シア様、私がついておりながら御身をお守りする事が出来ず申し訳ございません。護衛としての任を仰せつかりながらまともな武器を所持していなかった私の落ち度でございます。」
私の前に膝をついて深々と頭を下げるサーラに私は慌てて首を振った、けれどサーラには見えないだろう、私はすぐにベッドから降りて彼女に抱きついた。
サーラが責任を感じる必要なんて何も無い、彼女のおかげで私の身には傷一つ無いのだから。
一対多数で、しかも私という明らかなお荷物が居ながらフォーク一つであの傭兵達の攻撃を捌いてみせたのだから、本来の彼女の実力は相当なものだろう。
「サーラ、今回の件についてだが誰にも非はない…完全な事故だ、シアもそう思っている。」
「ですが…ヴェルスナーにシア様がミッドランドに居るという事が知られてしまったのは…痛手にございます。」
サーラの言う事はもっともだ、私の存在がミッドランドにある以上、ヴェルスナー側から見ればヴェルスナーの〝聖女〟をミッドランドが奪った事になる、こちらがいくら皇族が不法入国した事を咎めても聖女を奪われたからだ、と主張されてしまえば国際的に見ても不利になるのはミッドランドだ。
〝聖女〟である私が自分自身で、ヴェルスナーにされて来た事と、それを救ってくれたのがミッドランドであると公に弁明出来ればその不安は払拭されるが、まだ言葉が戻る気配は無い。
もしもヴェルスナーから先に、ヴェルスナーの聖女をミッドランドに奪われたと公表されてしまったら国同士の衝突は避けられない、最悪戦争になってしまう。
それを回避するには私がヴェルスナーに戻るしか無い。
「…シア、今何を考えた。」
ハッとして顔を上げるとアベルが私の肩を掴んだ、彼の瞳は静かに怒りの色を湛えている。
「返すものか、そんな事は断じて認めない。」
「シア様、私も同意見でございます。」
諭す様に私にそう言って、サーラは床に膝をついていた私を恭しくベッドの上へと座らせた、続いてアベルが跪き私の手を取る。
「いいか、シア…君を犠牲にして得る未来など私には必要無い。今後ヴェルスナーが何を主張しようが、どんな手を使って来ようが、私にとっては些末な問題だ。ミッドランドの宰相として、そして一人の男として…私はどんな手を尽くしてでもヴェルスナーの脅威からシアを守ってみせる〝精霊王に誓って〟必ず。」
その言葉に私は目を見開いた、後ろのサーラまでもが息を飲む。
〝精霊王への誓い〟はこの世界への宣誓に等しい、一度誓いを破ればその場で命を失う、自身の魂とこの世界との間で結ばれる絶対的な契約なのだ。
それを今、彼は行った。私が泣こうが喚こうが、もう取り返しがつかない。
「シア、あまり私を舐めてくれるな…君がヴェルスナーに戻るくらいなら私は死を選ぶ。」
アベルの青い、真っ直ぐで美しいその目に射抜かれて私は動けなくなってしまう、込み上げて来る感情をなんて表現すれば良いか分からなかった。
嬉しいのか、悲しいのか、怖いのか、あらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざって自分の想いなのに反別する事が出来ない。
「これでも私は魔法使いだ、大抵の事はどうにでもなる…だから、シアがあんな場所へ戻る必要は無いんだ。」
どうしてそこまでしてくれるのだろう、彼だけが支えだった私とは違って、アベルにとって私はただの話相手にすぎなかったはずだ。一応聖女ではあるが、私は本来の力をまだ完全に取り戻せた訳でもない、教養も何も無いただのみすぼらしい女なのに。
「それに、ずっと一緒に居たいと、そう言ったのはシアだろう?私は叶えると約束したはずだ。」
もう忘れたのか、とわざとらしく言いながらアベルが私の頬に触れる、いつの間にか頬を伝っていた涙が彼の指を濡らした。
感情があふれて止まらない私を優しげな表情で見つめるアベルとサーラに、私は何を返せるだろうか、私の安寧の地となるこの国、ミッドランドにも。
そうして私の胸の奥で湧き上がった感情は、次第に熱を持った。
『あー!フェリシア!早く宣誓してくれよ!そうすればオレ達は思う存分あの国に報復出来るんだ!』
ふと、どこからかそんな声が聞こえた、活発そうな男性の声だがその声の主はアベルでも、ましてやサーラでもない。
どうしてか私の脳裏に赤い竜が浮かんだ。
イムフート?
心の中でその名前を呼ぶと、突然部屋の中にあった燭台の炎が勢いよく燃え上がり、空中へ飛び上がった。咄嗟にアベルとサーラが私の前に立つが、その炎はお構いなしに分裂し私の方へ向かって来る。
アベルは防御の魔法を展開し、サーラは応戦しようと見慣れない片刃の剣を取り出していたが、それをすり抜ける様に、無意識に私の体が前に出る。
『オレの声が聞こえたんだな!我が主の愛し子、受け取れ、オレが預かっていた火の加護だ。』
「シア?!」
「シア様?!」
轟々と燃え上がる炎に私は全身を包まれていた、けれど全く熱くはない、ただ、私の中の何かをまた一つ取り戻した感覚があった。
『ああ、まだ見えないのか…またな、フェリシア。オレ達はいつもすぐそばに居る。』
そう言葉を残して、燃え盛る炎は私の中に収まっていった、残ったのは初めにあった燭台の小さな灯り一つだけだ。
「シア、今のは…一体何が…。」
思わずといった様子で私の体に異変が無いかを確認しながらアベルが問いかけた、炎に焼かれた様に見えた私の服にも体にも焦げ跡一つ無いのだから驚いて当然だろう。
けれど私にも説明のしようが無かった、なんとなく聞き覚えのある声と、一瞬脳裏によぎった赤い竜だけが唯一それらしい答えではあるが、それがなんなのかは私にも分からない。
「もしや、湖の時と同じように…シア様の力が戻られているのでは?」
サーラの呟きに私はおずおずと頷いた、まだ不完全ではあるが力が戻って来ているのは事実だった。
それ自体は喜ばしい事ではあるのだがアベルとサーラの反応を見る限り、あの声は私にしか聞こえていない様だった、あれは一体なんなのだろう、どうして知らないはずの名前や姿が浮かぶのだろうか。
…私は何か忘れているの?
その問いかけに答えは返って来なかった。