第十三話 力の一端
第十三話 力の一端
テテが作った美味しいサンドイッチに舌鼓をうち、湖を眺めてしばらくのんびりした後、私はなんとなく水に触れてみたくなり、花々を避けつつ湖畔まで歩いて行った、もちろんリッタとサーラも一緒だ。
虹色に波打つ水面に手を伸ばし、水に触れるとひんやりしていて気持ちが良い。水遊びの経験など無かった私は好奇心に勝てず、少しだけなら良いかな、と思い切って靴を脱いで丈の長いワンピースの裾を持ち上げながら、そっと湖の浅瀬に足を踏み入れた。
気分が高揚しているからか冷たい水がかえって心地良い、一歩踏み出すとその度に水面に波打つ波紋と水が跳ねる軽い音が綺麗で楽しかった。
リッタはともかくサーラには止められるかと思ったが、二人は私が一人水遊びする様子を何も言わずに近くで見守ってくれていた。
その音に誘われたからか、水を飲みにやって来た小鳥が私の周りを舞っている、それにつられて私もくるくると回る様にステップを踏むと、鳥達と一緒にダンスを踊っている気分になった。
「…そこの者、何者です。」
突然、サーラがそう言い放ちながら私の目の前に立った、その視線の先は林の中だ。何かを感じたのか今まで戯れていた鳥達も一斉に羽ばたいて姿を消す。
先程とは打って変わって張り詰めた空気の中、しんと静まり返った木々の隙間からゆっくりと姿を現したのは数人の男性達だった、それを見て私は思わず後退る。
「リッタ、シア様からくれぐれも離れないように。」
サーラの言葉に無言で頷いたリッタがぎゅうっと私を隠す様に抱きしめる、私は震えてしまいそうになりながらもサーラの後ろ姿を見ていた。
「一体何用でしょうか。私はミッドランド王家に仕える使用人、サーラ・ナイトレイ。こちらのお方はあなた方が拝謁する事など叶わぬ、やんごとなき身分のお方…無作法にもその様に隠れ、姿を覗き見ようなど不敬ですよ。即刻この場から立ち去りなさい。」
サーラは毅然とした態度で目の前の男達にそう警告した、見るからに相手は商人といった風貌の男性達だったが、何故か誰一人として焦る様子も無く、また去る気配もない。
更に言うなら全員が揃って私を見ているのだ、品定めされている様な気持ちの悪い視線に背筋が凍り付く。
「…俺のものにする。」
沈黙を破ったその声は離れた所に居たというのにいやにはっきりと聞こえた、思わず声のした方を見ると欲望を煮詰めた様な赤い瞳と目が合う。
その瞳の色は、ヴェルスナーの皇族の証だ。
「ッ、シア様?!」
声にならない悲鳴を上げて私は膝から崩れ落ちた、体が勝手に震え出し、思う様に息をする事さえ出来ない。声をかけてくれているリッタとサーラの声さえも、どこか遠くに聞こえた。
あの色を見るとどうしてもあの日の出来事を思い出してしまう、憎しみと殺意の込められたあの瞳を、幼かった私の首を絞めたあの皇帝の姿を、そして胸を貫かれたお母様の姿を。
髪色は違う、けれどあの目を、私が間違えるはずが無い。
どうしてヴェルスナーの皇族がミッドランドに居るのだろう、まさか私を連れ戻しに来たとでもいうのだろうか。
なんとか顔を上げ、涙で歪んだ視界で目の前を見るとサーラがナイフや剣で襲い来る男達をフォーク一つでいなして応戦していた、後ろに私が居るからか中々攻勢に転じられず、また躱す事も出来ない様だった、明らかに私が足手まといになっている。
「シア様、そこから動かぬよう、お願いいたします。」
サーラが無表情のままフォークを投げ飛ばし、相手の目を抉ったその時、木々の隙間から遠くで弓矢が光ったのが見えた。当然サーラもその気配に勘付いたのか視線をやったが、放たれた矢を見ても彼女はその場から動かない。
後ろに私が居るからだ、サーラが矢を避ければ私かリッタに当たってしまうから。
サーラ…!
守らなきゃ、と私が強く思い願ったその時、サーラの体を貫くはずだったその弓矢は何かに弾かれて地面に落ちた。
時が止まったかの様な静寂に包まれた湖周辺は、いつの間にかふわふわと湖から湧き上がる無数の青い光で満たされている。
「な、なんだこれは…!」
その光の中で一際青く光る魔法陣が、私の目の前で存在を主張するかの様に強く輝いていた。
「馬鹿な、これは…結界だと?!」
そう、これが聖女が扱える力の一端、何年もの間ろくに発動も出来ずにいたはずの私の防護結界がサーラを包んでいた、青い魔法陣に取り囲まれたサーラも驚きの表情を隠さずにこちらを見ている。
私自身も驚きを隠せなかった、思わず水に濡れた手のひらを見ると先程までふわふわと浮き上がり、空中を漂っていた湖の光が収束し、私に降り注いでいる。
ディーネ?
何故か分からない、けれど浮かんだその名前を私は思わず心の中で確かめるように呼んでいた、するとそれに呼応するかの様に湖が漣を立てる。
『我が主の愛し子よ、水の加護を返しましょう。』
どこか懐かしい声が聞こえたような気がしたがそれを確かめる前にその声も気配も、すぐに分からなくなってしまった。
「この娘…〝聖女〟だ!」
男性の声にハッと我に返り、私が結界の範囲を広げて私とリッタも結界の内部に入れると、サーラはすぐさま私に駆け寄った。
周囲を改めて見てみると先程の青い光はいつの間にか消えており、今は私の結界だけが青く輝いている。
「〝聖女〟を手に入れろ、何をしても構わん。」
男達にそう命令した黒髪の男性は恍惚の表情を浮かべながら笑っていた、その目はじっと私を見つめたまま動かない。
瞳の奥に薄暗い感情を感じて、私は思わず自分の身を抱きしめた。
結界を壊そうと躍起になり、結界に何度も刃物を突き立て、鈍器で殴りつけている男達までもが狂った様に笑っているこの異様な状況に、私は恐怖から意識を手放してしまいそうだった、でもこの結界を解くわけにはいかない。
本来聖女の結界は何よりも強固で破れるはずは無い、けれど今の結界が不安定なものである事は私自身が一番よく分かっていた、このままではいずれ破られてしまう。
そうなってしまったらリッタとサーラは無事では済まない、聖女と知られた以上私はまたヴェルスナーに連れ戻され、あの塔へ閉じ込められてしまうだろう。
リッタとサーラは懸命に大丈夫だと私を抱きしめてくれていたものの、耐え難い恐怖が私の身を蝕んでいく。
誰か、誰か助けて……アベル…!
私の瞳からこぼれ落ちた涙がペンダントの、彼から貰ったハンドベルに落ちた時、ガラス細工の綺麗な音が鳴った。
「遅くなってすまない、シア。」
その声に、私はいつの間にか瞑っていた目を開き、顔を上げた。
緩く結んだ、灰色の綺麗な長い髪が目の前で揺れている。
「もう大丈夫だ。」
そう言って濡れる事も厭わず跪き、私の髪を撫でながら微笑んだアベルに私は胸が熱くなった。
声は相変わらず出せず、唇の動作だけになってしまうけど、確かめる様に何度も彼の名を呼ぶとじわじわと視界が滲んでいく。
「ああ、私だ…怖い思いをさせたな。」
アベルは縋り付くようにして泣きじゃくる私を抱きしめ、私の頬に手を当て上を向かせて親指の腹で涙を拭うと、涙で濡れた私の瞼に優しくキスをした。
「少し眠っているといい…すぐに済む。」
アベルの言葉を合図に、私はあっけなく意識を手放した。