第十話 変化
2024 5/12 少し加筆修正しました。
第十話 変化
「シア様…?!」
ある朝の事だった、いつも通りシアの部屋へ行こうと廊下を歩いていると彼女の部屋から焦った様なサーラの声が聞こえて来た。
シアに何かあったのでは無いかとノックも無しに扉を開けた私は、一瞬にして目の前の光景に目を奪われた。
朝日に照らし出されて輝く銀髪に、長い睫毛に隠された伏目がちな薄い紫色の瞳、身を包む白いネグリジェはサイズが合っておらず傷痕が痛々しく残る白い肌を晒していたが、かえってそれが人ならざる美貌を強調しているかの様だった。
まだ眠いのか緩慢な動作でベッドの上で目を擦る絶世の美女はまだ自分の体の変化に気付いていないのか、固まっているサーラと私を見て不思議そうな顔をしていた。
「シア、様…なのですね?」
なんとかそう絞り出す様に問いかけたサーラにシアが頷く、そこでやっと自分の体の異変に気付いたのかシアは驚いた様に目を見開き、自分の素肌が見えている事に気付くと表情を曇らせた。
「…サーラ、すぐに代わりの衣服の手配を。」
「は、はい。かしこまりました、今すぐに。」
隣にやって来た私の指示にハッとした表情をしてサーラはすぐに部屋を出て行った、不安そうな表情をしながら隠す様に手で自分の体を覆っているシアに自分のローブをかけて覆ってやると、彼女はほっとした様に頬を緩ませた。
まだ平均的に見れば痩せているが、それでも人が見れば深窓の令嬢といった雰囲気だろう、それにこの美貌はいけない、一度男が目にすれば狂った様に心酔しシアを求めるだろう事は容易に予想が出来た。
シアが元気になってきたらこの辺りを散策したり、買い物をしたり、どこか遠出しても良い、これまでシアが出来なかったであろう楽しい時間を過ごしてもらいたいと思っていた私にとって、これはとても頭が痛い問題だった、このシアの美貌では下手に外になど出せない。
ため息を呑み込みながらそっとシアを抱きしめると、彼女は驚いた様な表情をした後、遠慮がちに私の体に腕を回して抱きしめ返してくれた。
「いっやぁ…驚いたね、ほんとに、いや面影はあるんだけどね?」
診察を頼んだベンジャミンも、当然ながらシアの突然の成長を見て驚愕していた。一応見てみたもののやはり異常は見当たらず、今はサーラとリッタにシアの事を任せて一度執務室へ戻って来た所だ。
「シアちゃん…いやもうこの呼び方は流石によそう。シア様だけど、極力外に出さない方が良いんじゃないかな。」
「分かっている…。」
自分の椅子に腰掛けながら、私は思わずため息を吐いた。
シアはサーラとリッタのおかげもあってか時折笑う事が増え、やっとベンジャミンにも慣れて来た所だ、しかしまだ根底では男が怖いのだろう、自分から彼に近付く事は一度も無かった。
「はじめに話したと思うけど、シア様は性的虐待も受けていたと確信をもって言えるからね…これ以上何かあったら心が壊れてもおかしくないよ。」
シアの診察をしたベンジャミンから初めてこの話を聞かされた瞬間、私は頭が沸騰する様な気分を初めて味わった、暴力では飽き足らずそんな事までしていたのかと、本気でヴェルスナーを滅ぼしに行こうとしたくらいだ。
今までの人生でシアがどんなに辛い思いをしてきたのか、私には正確に推し量る事など出来ないが、だからこそ、これ以上彼女が傷付く事の無いように、心穏やかに平穏な日々を送って欲しかった。
それなのに、立場がそれを許さない。
「…何故、彼女が〝聖女〟なんだ。」
そう、シアは間違いなく聖女なのだ。それは五年前、シアが私のこの呪いを封じてくれた時から分かっていた。
聖女としての力が弱まり、今は抑える事しか出来なくてごめんねと、涙ながらに謝られたあの日の出来事は今でも鮮明に覚えている。
私が蝕まれていた呪いはあの〝ヴェルスナーの至宝の日輪〟と呼ばれた聖女、ファウスティーナ・ラヴィンですらどうにもならなかった厄介な代物だ。それをこのブローチの少女が祈りによってあっさりと封じてくれたのだ、当時の私は訳が分からなかった。
今思えば日常的に暴力を振るわれていたせいで衰弱し、聖女としての力が弱くなってしまっていたのだろう。それに気付かず、聖女としての力が弱くなってしまったから周囲から嫌がらせをされ、眠れなくなっている少女だと思い込んでしまっていた自分を許せなくなる。
まさか聖女である彼女を日常的に虐げているなど夢にも思わなかったのだ。
「おーいドラグナー、庭園のバラが散るとシア様は悲しむんじゃ無いかな。」
「……。」
その言葉に深呼吸をすると荒れ狂っていた外の景色が次第に曇り空へと変化していった、これも呪いの影響か、困ったもので気を抜くとすぐに私の気分が天候に現れてしまう。
「まあ、シア様が聖女なのは疑いようが無いよ、君のもそうだし…これもね。」
「それは…シアが食べていた実か。何か分かったのか?」
ベンジャミンが見せて来たのはシアが幽閉されていた頃に唯一食べていた物だ、あれからも何度か鳥やリス、猫などが果物や木の実を運んで来ていたが、それらは全てベンジャミンの手に渡っていた。
「この木の実、色々試してみたんだけど、食べると体が成長しなくなるみたいなんだよね…シア様が幼い姿のままだったのは間違いなくこれのせい。これを食べなくなったから本来の姿に戻ったって感じだろうね。」
ベンジャミンの言葉を聞いて私は唖然としてしまった、そんなとんでもない代物、数百年生きているこの私ですら聞いた事も無い。
しかしベンジャミンが言っている事は事実なのだろう、シアの身に起こっている現象はそうでなければ説明がつかない。それに、あの動物達がわざわざこの木の実をシアに食べさせていたのは彼女が食事を与えられていなかったためだろう。
シアが小さな体のままだったから、木の実や果実だけの生活でギリギリのところで餓死せず、ここまで生き繋いでこれたのだ。
動物達の行動には、シアが木の実だけで生きられる様に体の成長をわざと止める、という明確な理由があった、これをただの動物が考えて行っていたとは到底思えない。
「聖女様はその力が強いほど精霊との繋がりが深いからね…まあ、なんにせよ、このままではいられないかも知れないよ。」
ベンジャミンの言う事はもっともだ、シアが聖女である限り国の利権問題は避けては通れない、ミッドランドの王はこのままシアが療養し続ける事をよしとしているが、一度シアが聖女だと外部に知れてしまったら隠匿する事は不可能だ、ミッドランドが良くても他の国が許さない。
聖女は癒しの力以外に、魔物の侵攻を阻む唯一の結界を張れる事が広く知られている力ではあるが、稀に、他にもう一つだけ特別な力を持つ者が現れる。
それが神聖魔法による浄化能力だ。魔物が生み出される渦を根絶し、その瘴気を浄化出来るのはこの神聖魔法だけ。しかもその神聖魔法は力ある聖女にしか発現せず、この魔法を使えた記録が残っている人物はごく僅かで、ここ数百年に至っては今は亡きファウスティーナ・ラヴィンのみ。
その類い稀なる力が、シアにはある。しかも、おそらくは歴代屈指の力を持っていたあの〝ヴェルスナーの至宝〟よりも、強い力が。
あの時、ブローチに触れていた私の手から呪いが浄化されている感覚が確かにあった、触れずとも誰かを浄化出来るなんて聞いた事もない、規格外の力に間違いないのだ。
私のこの呪いを封じてくれたシア、彼女に恩義を感じているのは嘘では無いがそれ以上に、私はずっと前から顔も知らない彼女に惹かれていた、恋焦がれていたと言った方が正しいかも知れない。
どんな姿でも構わなかった、どんなに何も出来なくても、なんの力も無くても、それで良かったというのに。
彼女はあまりにも持ち得ている。
「シア…。」
私の複雑な心境を表すかの様に、窓の外では季節外れの雪が降り始めていた。