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 「王子、私達の婚約を破棄しましょう」


 少女が問いかけると、王子は手にしていたハサミを置いて向き合って来た。

 お日様は未だ高く、日差しはやや強い。

 土いじりを好む少女に付き合って作務衣を着ていた王子は首を傾げる。


「どうしたんだい、いきなり」


「この国に私という人間は納まりきらないと確信したのよ」


「君は偉人か何かになるのかい?」


「いずれ歴史を動かすわ。だから、大陸の西にも東にも交わらない小さなこの国では、私を収める器足り得ないのよ」


「凄いね」


 膝をついた王子と、立って話す少女、二人の目線は近しい高さにあった。

 腰元に手を当てて胸を張る少女に王子は楽しげに笑う。


「でも残念。僕は君を手放すつもりはないよ」

「むぅ……なのよ」


    ※   ※   ※


 収穫したトマトをかごに乗せて、二人して東屋へ足を運ぶ。

 用意させていた麦茶を飲み、タオルで汗を拭く。


「愛情とは移り行くものよ」

「あれ? さっきの話、まだ続いてるの?」


 少女の汗を拭いてやれば、目を閉じて身を委ねてくるので王子は丁寧に丁寧に肌を叩いて拭き取っていく。


「新しい女が現れれば、貴方の想いなんて風に吹かれた草の如く流れ行くのよ」


「新しい女ねぇ……国内の婚約者候補とは全て顔を合わせてるし、国外となるとウチの国がつり合える相手なんてそうそう居ないね」


「城下を歩いていてふと遭遇した町娘とかどうかしら。堅苦しい王宮に居ては出会えない、やんちゃで型破りな相手に惹かれることもある筈よ」


 王子は無言で胸を張る少女を見た。

 土いじりで膝や袖口に汚れが付き、そのことを当たり前とする彼女の表情はどこか得意気だ。

 愛らしいほっぺに土汚れが残っていた。


 ぽんぽん、と拭き取ってやる。


「間に合ってるね」


「? そうなのよ?」


 二人で齧ったトマトはとても美味しかった。


    ※   ※   ※


 散歩へ出かけた先、轍の続く道から少し離れた草原の上で二人は並んで座っていた。

 眼下の麦畑では害虫の駆除やら間引きやらで作業を続ける民が居る。

 王都周辺は取り分け水が豊富で農耕に適しているから、民は壮健で穏やかだ。

 大陸東西を繋ぐ交易路からは外れてしまっているものの、中継地へ大量の食料を輸出している為に外資の獲得は比較的容易い。


「愛は永遠ではないのよ」


「そうなのかい?」


 感心したように王子が言えば、少女は世紀の大発見をした科学者みたいに真剣な表情で指を一本立ててみせる。


 なんとなくその指を掴んでやると、しばし無言で見詰めていた少女はちょっとだけ頬を膨らませて振り払ってきた。


「手に入らないからこそ美しい。そんなことを語った劇作家が居たのよ」


「成程。高嶺の花はいつだって皆の憧れだよね」


「だからちょっと、私をあげるわ」

「君は何を言ってるんだい?」


 意味が繋がらずに首を傾げていると、草原を這って王子の脚の間に納まった少女が膝を抱えて言う。


「さあどうぞ」

「そうかい? なら、ありがたく」


 折角なので腕を回してみる。

 少女の方も最初はぎこちなく納まっていたが、やがて膝を抱えているのも疲れたのか力を抜いて脚へ凭れ掛って来た。


 半時ほどそうしていた。


「飽きた?」

「? 全く」


 手を繋いで王宮へ帰る途中、子ども達が大喜びで手を振ってきた。

 振り返していた少女は楽しそうで、嬉しそうだった。


    ※   ※   ※


 明くる日、執務をしていた王子の傍らで、少女は真剣な表情で紙束を睨みつけていた。

 勉強をしているのだ。

 少女は王子の婚約者として仕事の流れを把握する必要がある。

 実際に行うのは配下の文官だが、小国である為に人手は足りず、完全に人任せとはいかない。

 指示を出すにも判断を下すにも、事情を知っているかいないかで大きく変わる。


「私は我が侭な女なのよ」


 休憩時間になって、果実水を口にしつつ少女は言い出した。

 くたびれた様子でグラスを置き、山と積まれた書類を恨めしげに睨み付けつつ。


「女には、男の知らない嫌な部分が沢山あるわ」


 王子は休息の傍らでも次の嘆願書へ目を通している。

 執務中に比べれば遥かに気が緩んだ、もののついでといった様子ではあったが。


「そうなんだ。例えばどういった部分?」

「勉強が嫌いよ。こんなの放り出したくなるし、今日もセロリを食べるのに時間が掛かってしまったわ。好き嫌いが激しくて、ちょっとお転婆な所もあるのよ」

「分かるよ、僕だって時折、執務を止めてだらだらと過ごしたくなる」


 少女は意外そうに目を丸くした。


「貴方もそうなの……?」

「そうだよ。それで?」


 うん、と言葉を落とし、指先に付いたインクを拭き取り始める。


「セロリが苦手な私は、いずれこの国が飢饉に襲われた時、こんなの食べたくないって言い出すわ。ほかにもいっぱい、食べたくないものがあるのよ。そんな嫌な所を見ていたら、貴方もいずれは私に嫌気が差してしまうわ」


「でも君はセロリをちゃんと食べてくれたね?」


 爪の部分は容易く拭き取れたが、間に入ってしまった部分に苦戦する。

 すぐ気付けていれば簡単だったのに、時間が経つと乾いて拭き取り辛くなる。


「嫌な部分を見る内に、いずれ君への愛情が薄れていってしまう、か。確かに、僕も誰かを愛したのは初めてだから、この気持ちが絶対だなんて無責任なことは言えない」


「でしょう?」


「でも君の困った部分や、僕ら草原の民にとっては非常識な行動も、受け入れたいなと思っているんだ」


「……どうして?」


 王子は書類を置いて、窓の外を眺めた。

 王城とは言っても古い時代にどこぞの帝王が建てた砦を使っているだけだから、絢爛豪華とは程遠い。

 古戦場には歴史と共に灰と泥が堆積していって、今や肥沃な農地と化している。


 牧歌的で独自の文化と呼べるものが少ない。

 南北を繋ぐ交易路の傍らで、時折入ってくる異国の文化を取り入れて、ゆっくりと変質していくのがこの国の有り様だった。


「どうしてだろうね。ただ、一点の曇り無く好ましい相手しか愛せないなら、人は誰しも孤独になるしかないんだよ。君だって寂しいのは嫌だろう?」


「えぇ。寂しいのは……辛いのよ。手を取ってくれた時の温かさを失うのは怖いわ」


「だから僕は、君を追いかけてくる不幸や苦しみを怖いと思っても、君を失う怖さを思って立ち向かいたいと思うんだ」


「でもそれは、いずれ人の王となる者がすべき決断ではないのよ」


 大勢の人を巻き込んでしまう。

 それを承知で言うのであれば、少女にとって王子の嫌な部分が増えてしまう。


「自分の望みを叶える為に、係る辛苦へ立ち向かおうと思わせる事。王の求める幸福の中に、自分達の幸福もあるのだと思わせる事。それが王政というものの本質だよ。失敗すれば首を落とされてしまうけどね」


「傲慢よ」


「傲慢でない者が人を支配することは許されない。傲慢でない王は、支配した民を彷徨わせてしまう。実際、大きな流れの中で、小さな幸福を見付けることはそう難しくはないんだよ」


 休憩時間が終わってしまう。

 語った言葉を悔やむように眉尻を下げる王子の横顔に、少女は口の中に残った果実水の強い甘味を飲み込んだ。


 隙間を埋める言葉は見付からず、来た道を戻る他無かった。


「どうして、諦めてくれないの?」


「まだ君が、僕の嫌な部分を許してくれているからだよ」


    ※   ※   ※


 視察へ向かう馬車の中、外の景色を眺めていた少女が口にする。


「貴方、特殊な趣味があるの?」


「……いきなりどうしたんだい?」


 騎士が列を成して警護をする馬車の周り、農地で働く人々は少女に比べて一回り以上も大きく、顔付きも遥かに大人らしい。

 対し、少女は身体が小さく、顔付きは幼子のようでもある。


「私は草原の民のように大きな胸にはならないわ」


「僕は胸部の大きさで君を望んだつもりはないけど」


「半分くらいの背丈にしかならず、頬はちょっとだけ膨らんだままなのよ」


「ぷにぷにしていて可愛いね」


 窓の外を覗くのは止めたらしい少女が座りなおし、脱いでいた靴を履く。


「西方の書物で読んだわ。確か……ロリータ? そういう趣味なの?」

「君は勉強熱心だね」


 馬車は進む。

 流れる景色は変わる事無く、空には薄い雲が掛かっていた。


 少女に代わって外を眺めていた王子は、手を振る民に笑顔を返す。


「今確信したけど、僕はロリータ趣味ではないようだよ」

「そうなのよ?」


 うん、と王子は頷く。


「ほら、あの辺りで遊んでいる子どもらを見ても、君を想うような気持ちにはならない。結果として君が僕らにとっての子どもに等しい身体をしていたというだけじゃないかな? 第一、君は僕より二つも年上だろう?」


「えぇ」


 少女は王子の見ていた景色へ目をやる。

 そこでふと眉が寄った。


「話は変わるけど、道行く子どもをそんな目で推し量ろうとしていたなんて、ちょっと気色悪いのよ」

「傷付くよ?」


 轍を踏んで、馬車は行く。


    ※   ※   ※


 険しい岩肌の見える渓谷で、積み上げられた木箱を背負って細道を行く者達が居た。

 背丈は王子の半分ほど。

 小柄だが、屈強さを思わせる筋骨があり、各々が伸ばした髭を編んだり、玉や紐で飾り付けたりしている。

 少女の姿を見て一部の者が嬉しそうに手を振るので、彼女も眉尻を下げながら振り返す。


「戦いが始まるのね」


 天幕にも入らず道端で打ち合わせをしていた王子が、ふっと書類から顔をあげた。


「僕達は、食料を売っているだけだけどね」

「東側にだけ、とても沢山の量を、でしょう」

「そうだね」


 東西を分ける中継地、そこを境に対峙を続ける両国にとって、大軍を維持する食料は欠かすことの出来ない重要物資だ。

 西側には不作だの何だのと理由をつけて供給を減らし、余った分は東側へ回している。


 食料は運ぶのが大変だ。

 何せ運ぶ人間も、車を引かせるなら馬か牛かも食料を消費する。

 ある程度の距離が開いてしまうと、目的地へ辿り着くまでに運んでいた食料を食べ尽くしてしまう。

 だから、現地で手に入る食料は価値が大きく、戦争をする者は専ら現地から奪って軍隊を維持してきた。


 この国が対峙する両国の間で食料を転がしていられるのは、どちらも決戦へ訴えるには早いと考えていることと、勇んで占領してしまうにはあまりに無防備な土地であるからだ。先に踏み込めば守りに適さない土地での消耗を強いられる。

 食料輸送は困難であるものの、今はまだ、余裕がある。


 いずれ困窮し、軍を抑え切れずにこの国へ侵攻した時、大義名分と有利を得た側が敵国を呑み込んで決着するだろう。


 あの牧歌的な景色が血で染まる。


 だから言うのだ。


「王子、私達の婚約を破棄しましょう」


 侵攻を受けた際、素直に明け渡せば酷いことにはならない。

 中立を謳い、従属を是としてきたからこそ、この国は危うい土地の上で存続してきた。


 だが食料供給に優先順位を定め、与する側を決めてしまえば、与されなかった側は容赦しない。

 飢えているからやってくるのだ。

 略奪は凄惨を極め、多くの男達が死んで、女や子どもは奴隷に落ちる。

 やがて東側の軍勢が助けにくるといっても、西側へ致命傷を与えるべく十分に引き込んでからになる。


「私達は、この国の傍らでひっそり生きてきた少数民族。古くから差別され、自分達と同じ背丈にならない珍品として時折人間狩りを受けてきたわ。この国だって、加担していた時期がある」


「そうだね。先々代の王は君たちを狩り、半数以下にするほど苛烈な差別主義者だった。今でも当時の意識は残っていて、僕らの婚約を悪く言う人も居るよ」


「私達だって同じなのよ。人狩りの一族に身売りした恥知らずの姫。老人達はこぞって私を嫌っているわ」


「売られた者の多くは西側へ流れた。だから余計に、西側は君たちを物品と見なし、差別しようとする。だけど東側は比較的マシだ。古くから君たちと関わりを持ってきた国もある。東側が勝てば、君達の現状は随分と良くなる筈だよ」


「その為にこの国の民に血を流させるの? もっと平和的な方法があるのに、自分の幸せの為に誰かを当然と苦しめるなんて、まるで――――悪に憑かれているみたいなのよ」


「悪……」


 呟いた王子は、ただただ穏やかに頷いた。

 言葉はない。


 己の幸福を定めた、いずれ王となる彼は、善悪を定める立場にある。


 けれど彼女の言葉を裁定することは避けたようだった。


「今日は友人の家へ泊まっていくんだったよね」

「えぇ」


「僕は……同行する訳にはいかないな」


 他民族を毛嫌いするだけでなく、恐れる者はずっと多い。


「それじゃあ、行ってくるわ」

「あぁ、また明日」


    ※   ※   ※


 少女が居なくなると、王子の周辺はとても静かになる。

 この穏やかで牧歌的な国にとって、王子の苛烈とも言える考えはあまり理解されない。


 王である父は、きっと弟に次代を任せたいのだろう。


 父に似て温厚で適度に無能な彼ならば、他国も強く警戒せず従属を受け入れやすい。

 労役や兵役を課せられるくらいはあるだろうが、東西のどちらへ軍勢が抜けていくにせよ、重要な食料供給源であるこの国から人手を奪いすぎるのは自分達の首を絞めるようなもの。最低限、他国に言い訳の出来る範囲に留まる。


 そうなった時、差し出されるのは弱い立場の者だ。


 少女と同じ、山岳の民。


 身体が小さく、それ故か少ない食料で何日だって歩ける彼女らは、兵士としても従軍奴隷としても優秀だ。

 差別という犠牲に出来る温床があるのなら、こぞって草原の民は山岳の民を差し出そうとするだろう。


 彼女と出会うまでは、王子もそうすべきだと考えていた。


 最も傷が少なく、最も内部を纏め易い、都合の良い案だったから。


 だが――――



「王子」



 バン、と寝室の扉が開け放たれた。

 慌てた様子の見張りと、降り積もった沈黙を打ち払うような少女の声。


 いや、それよりも。


 呆然とする王子へ向けて、少女はどこか怪しく笑ってこう言うのだ。



「夜這いにきたわ」



 夜風がそっと首筋を撫でる。

 僅かに身を震わせた王子が言葉の意味を理解すると同時、手にしていた書物がぽてりと床へ落ちた。






お読みいただき、ありがとうございます。

いいな・続きを読みたいと思って頂けたら、ブックマークや評価などよろしくお願いします。


全四話、書き上げ済ですので、是非もう少しだけお付き合いください。

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