6.再会
「王宮の夜会に出られるなんて、本当に楽しみだわ」
今夜は、いよいよ王宮で夜会が開かれる。着飾った私とモニカは一緒に馬車に乗り、王宮へ向かっていた。彼女は馬車が走り出してから、ずっと喋り通しだ。
「王族の方々もおいでになるし、高貴なお方というのがどんな方なのか、すっごく興味があるのよね、私」
少々強すぎて品性を欠く香りをぷんぷんさせながら、モニカがにんまりと笑う。獲物を見つけた猫そっくりの顔だ。
「それはそうと、あなたはそんな格好で良いの? 少し地味じゃない? 行き遅れとはいえ、まだそこそこ若いんだから、もっと華やかにすればいいと思うのだけれど」
そう言うモニカがまとっているのは、社交界の流行の最先端をいくドレスだ。胸元は大きく開いていて、あちこちに光る飾りが縫い付けられた華やかな印象のものだ。結い上げた髪にもたくさんの飾りがついていて重そうだ。
一方の私は、少々古風なドレスを選んでいた。飾りは控えめで、代わりに繊細な刺繍がたっぷりと施されている。確かに地味ではあるが、その分上品でつつましやかな雰囲気のものだ。
このドレスなら、きっとベアも褒めてくれるだろう。あの野原で一緒に過ごしていた間に、彼の好みについてもある程度理解していた。彼は私と同じで、華やかなものよりはつつましやかなものを好んでいたのだ。
そんな考えをさとられないように、短く答える。
「……今の流行は、私には似合わないから」
「確かに、そっちの方が似合ってはいるけど……せっかくの夜会なのに、埋もれてしまうわよ? いいの? あなた、結婚相手を探しに行くんでしょう?」
埋もれたところで何も困らない。探しているのは結婚相手ではなく、ベアだけだ。
夜会の会場にベアがいれば、間違いなく気づくことができる。彼は人一倍大柄で、ひときわ存在感のある人だったから。私が目立つ必要など、どこにもない。
そんな言葉を飲み込んで、無言で微笑んだ。モニカはどことなく不満そうな顔をして、すぐに話を切り替えていった。
またも始まった彼女の自慢話を聞き流しながら、私は膝の上でそっと手を組んだ。祈るように、こいねがうように。
私たちが王宮に着いた時、既に辺りはにぎやかになっていた。着飾った貴族たちが、笑いさざめきながら大広間の中をゆったりと歩いている。
モニカはさっそく目を輝かせて、周囲の人間たちを品定めし始めた。そんな彼女と並んで、ゆるゆると足を前に進める。私もまた、必死に周囲を見渡していた。
大きな姿を、ベアの姿をひたすらに探す。けれど、どこにも見当たらない。
また、駄目だった。
失望には慣れてしまっていた。彼を探しに出かけていき、何の成果もなく屋敷に戻る。もう幾度となく、そんなことを繰り返していたから。
まだ次がある、いつかきっと彼を見つけられる。そう自分を奮い立たせても、ため息がこぼれてしまうのを止めることはできなかった。
モニカは私を置いて、一人で大広間の中を歩き回り始めた。さっそく声をかけてきたどこぞの令息と、楽しげに話し込んでいる。
もう一つため息をついて、その場を離れた。さすがに、夜会に来てすぐに帰るような無作法な真似はできない。しばらく、その辺で時間を潰すしかないだろう。
壁際に移動して、大広間を行きかう人々をぼんやりと眺める。彼のいない夜会になど、もうこれっぽっちも興味を持てなかった。
「ジーナ、こんなところまで来て壁の花になっているなんてもったいないわよ」
ひたすらに時間が過ぎるのを待っている私に、モニカが歩み寄ってきた。その後ろには、鼻の下を伸ばした男性が三人も付き従っている。見たところ、普段彼女とはあまり縁の無さそうな、かなり上の家の令息たちだ。
「やっぱりこれだけ大きな夜会だと、色んな方がいて楽しいわ。今日も、こんなにたくさんの方々と仲良くなれたし」
ころころと笑う彼女の口元には、明らかな優越の笑みが浮かんでいた。
「あなたももうちょっと頑張ってみたら? そんなだから、妹に婚約者を取られたあげくに行き遅れたりするのよ」
ああ、やっぱりモニカは嫌いだ。こんな人前で、しかも周囲に聞こえるような声でそんなことをわざわざ口にしなくてもいいのに。
しかしこの程度のことに、いちいち目くじらを立てるのも大人げない。そっと息を吐き、困ったように微笑んでみせる。
「お気遣いありがとう。でも、ちょっと人が多すぎて、のぼせてしまったの。どうか私のことは気にせずに楽しんで」
「……あら、そう。だったらそうさせてもらうわ。じゃあね」
モニカは肩透かしを食らったような顔になると、じきに立ち去っていった。
とっさの言い訳としてああ言ったのだが、人の多さに少々当てられていたのも事実だった。この大広間の外には広いテラスがあるし、そちらに移ろうか。
開けっ放しの扉をくぐり、テラスに出る。端まで歩いていって、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。すぐ近くに木立が迫っているせいか、しっとりとした濃い緑が強く香ってきた。
ベアと過ごした日々がよみがえってきて、目頭が熱くなる。泣きそうになるのをぐっとこらえて、夜空を見上げた。
泣いていたって、何も変わらない。今日駄目だったのなら、明日また頑張ればいい。いつかきっと、また彼に会える。
そう自分に言い聞かせながら、懐かしい香りに包まれて目を閉じた。
背後から聞こえるざわざわとした声に、ふと我に返る。振り返り、開いた扉越しに大広間の様子をうかがう。さっきまでのんびりと歩き回っていた人々は、みな立ち止まっていた。
彼らの視線は、大広間の奥に向けられていた。そこには豪華なカーテンがかかっていて、両脇には召使が控えている。聞こえてくる声から察するに、どうやら『さる高貴なお方』がいよいよお出でになるらしい。
大広間に近づきながら視線を動かすと、食い入るようにカーテンを見つめているモニカの姿が見えた。くだんのお方の目に留まるように、一番前に陣取っている。
テラスと大広間の境界に立ち、他の人々の後ろに隠れるようにして大広間の奥に目をやる。ちょうどその時、ラッパの音が厳かに鳴り響いた。
召使たちが、第一王子がお出でになる旨を声高に叫んだ。それに続いて、ゆっくりとカーテンが開いた。その奥から、今日の夜会の主催者である第一王子とその奥方、それと幼い息子が進み出てくる。
「……客人、ベネディクト様のおなり!」
召使たちが、声を揃えて客人の名を告げる。そのベネディクト様というのが、モニカが言っていた『さる高貴なお方』なのだろう。
やがて、男性が静かに姿を現した。その瞬間、全ての音が消え去ったように思えた。
そこには、ベアがいた。第一王子のすぐそばで、静かに微笑んでいた。
「ベア!」
気がついたら、そう叫んでいた。王族の御前だということも、頭から消し飛んでいた。
「……ロビン、君なのか」
彼の黒い目がゆっくりと動き、人ごみの一番後ろにいる私の姿をしっかりととらえた。そうしてベアは、まっすぐに歩き出した。こちらに向かって。
モニカが彼の視界に入ろうとして、身を乗り出している。しかしベアは軽く会釈しただけで、あっさりと彼女をかわしていく。悔しげに唇を噛むモニカを置き去りに、彼はさらにこちらに近づいてきていた。
周囲の人たちはみな目を丸くして、ベアと私を交互に見つめている。さっきの私たちの言葉が理解できなかったのだろう、戸惑いながら首をかしげている者もちらほらと見られた。
やがて彼は、私の前にたどり着いた。まとっているのは豪華な正装で、見慣れた姿とはずいぶんと違っていたが、それでも大きな体と優しい笑みは何一つ変わっていなかった。
「あのおとなしい君が、こんなところまで出てくるとは思いもしなかった」
「……あなたを、探していたんです。あれから、ずっと」
そう答えた私の言葉は、弱々しく震えていた。まるで以前の、泣きべそばかりかいていた頃の私のように。
ベアはにっこりと笑った。ずっと見たいと願っていた、優しく穏やかな笑顔だった。
「ならば、約束を果たさなくてはな。……私はベネディクト、隣国の王族だ」
「ジーナ、です。この国の、公爵家の娘です」
ベア、いやベネディクト様の姿が、にじんでぼやける。大急ぎでレースのハンカチを取り出し、目元に当てた。
「……こうしていると、初めて出会った日のことを思い出すな」
「あなたといると、嬉し涙を止められないみたいです」
そうして私たちは、顔を見合わせて笑い合った。あの森の奥の野原で過ごしていたあの時と、同じように。