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1.失意

「また、駄目だった……」


 そんなことをつぶやきながら、寝台の上にうつぶせに倒れこむ。ふかふかの枕をしっかりとつかんで、顔をうずめる。泣きたいのをがまんしながら、ぎゅっと唇を噛んだ。


 つい今しがた、私の婚約話が流れた。しかもその理由ときたら、婚約者が私の妹と関係を持ってしまったから、という、なんともひどいものだった。


 婚約が駄目になってしまったのは、これで二回目だ。最初の時も悲しかったけれど、今度はさらに悲しかった。


 そろそろ婚礼の準備を始めようと、両親とそう言っていたところだったのに。顔に押し当てたままの枕に温かなものがにじんで、すぐに冷たくなっていった。




 そうしていると、今までのことが次々によみがえってきた。公爵家に生まれた私は、三人姉妹の一番上だ。そしてあと三か月で、二十歳になる。


 よその国ではともかく、この国の令嬢たちは十代のうちにほとんど嫁いでしまう。二十歳になっても独り身だというのは、かなり恥ずかしいことなのだ。


 だから私が十七になってすぐに、両親は私に縁談を持ってきてくれた。お相手はとても素敵な、輝くような美男子だった。でも彼は、一つ下の妹に奪われた。


 引っ込み思案な私とは違い、妹はとても前向きで明るい子だった。相手の男性は私に会いにやってきて、そして偶然出会った妹と恋に落ちてしまったのだ。両親は渋い顔をしていたが、結局妹たちの熱意にほだされてしまった。両親は、妹が彼と結婚することを認めてしまったのだ。


 とても辛かったけれど、気持ちを切り替えて彼と妹を祝福しようと思った。どのみち、彼の心は私の上にはないのだから。両親も、またいい相手を見つけてあげるからと、そうなぐさめてくれた。


 そうして去年、次の相手との縁談が舞い込んできた。今度のお相手は私と同じように気弱で引っ込み思案の、大変おとなしそうな男性だった。ひょろひょろとした体格の、やけに色が白い人だった。


 彼は誠実そうに見えたし、私にも優しく接してくれた。彼の妻となって、今度こそ幸せになる。すぐに私は、そんな未来を思い描くようになった。二度も同じ苦しみは味わいたくないと、心の奥底でそんなことを恐れながら。


 けれど私のそんな予感は、最悪の形で的中してしまった。驚いたことに、三つ下の末妹がこっそりと彼を誘惑していたのだ。それも、彼が私の家を初めて訪ねてきたその日から、ずっと。


 彼はまだ私の手に触れたことすらなかった。それなのに、末妹は彼と関係を持ってしまっていた。末妹は女性の私から見ても肉感的な美少女だし、気弱な彼が押し切られてしまうのも無理はないと、そう思えてしまった。


 その後二人がどうなったかは知らない。私と彼の親同士があれこれと話し合っていたらしいが、私はその場に立ち会うことはなかった。もう彼には、一切関わりたくなかったのだ。


 私の胸を満たすのは、ただどうしようもない悲しさと、そして限りのない空しさだけだった。三年前、最初の婚約の時についた心の傷がぱっくりと開いて、鮮やかな血を流しているような気がした。




 そうして二回目の婚約破棄からこっち、私はずっと自室にこもっている。そんな私をどう扱えばいいのか、両親は困り果てているようだった。


 大急ぎで次の縁談を探すのか、それともほとぼりが冷めるまで遠くの別荘に静養にでもやってしまうか。いっそ、修道院で清らかに生涯を過ごさせてやった方がいいのかもしれない。両親はこっそりと、そんなことを話し合っているようだった。


 家を継ぐのは一番下の弟だ。私がいなくても、この家は何も困りはしない。むしろ、こんなお荷物はいない方がいい。両親の言葉は、私にはそんな風に聞こえてしまっていた。


 二回も捨てられた、魅力のない娘。きっと他の貴族たちは、私のことをそんな風に噂するのだろう。それを考えると、さらに気分が重くなるばかりだった。


 そうしていつものように、カーテンをきっちりと閉めた部屋の中で一人うずくまる。薄暗い部屋だけが、今の私の居場所だった。


 今が朝なのか夜なのか、そんなことすらどうでもよかった。お腹は全く減らないし、身づくろいをする気にすらならない。一日中寝間着のまま、ぼんやりと寝台の上で膝をかかえて宙を見つめる、そんな日々をぼんやりと過ごしていた。


 そんなある日、突然扉ががんがんと荒っぽく叩かれた。のろのろとそちらに目をやると、いきなり扉が開いて場違いに明るい声が響き渡った。


「ジーナ、体調が優れないって聞いたからお見舞いに来てあげたわ」


 そんな言葉とともに、きつい香水の匂いをまとわりつかせた女性が入ってきた。目が痛くなるような鮮やかな色をした服のすそが、軽やかにひらめいている。くっきりとした目元と気の強そうな顔立ちの、生き生きとした若い女性だ。


「……モニカ」


 突然の登場に、ただ名前を呼ぶことしかできない。そんな私に、モニカは大げさに眉をひそめてみせた。


「話は聞いたわ。大変だったろうけど、気を落とさないでね。男なんて星の数ほどいるんだから。きっとジーナなら、またいい人と巡り合えるわよ」


 耳障りな甲高い声で、モニカは勢い良くまくしたてる。聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。


 言葉そのものは励ましのようにも聞こえるけれど、にんまりとした愉快そうな笑みが全てを台無しにしている。彼女はお見舞いのふりをして、私をこき下ろしに来たのだろう。


 彼女は私の一つ下の従妹で、子供の頃から付き合いがある。そしてどういう訳か両親は、私とモニカが仲良しなのだと思いこんでしまっていた。


 けれど私は、ずっと昔から彼女のことが苦手だった。いつも彼女は親しげに近寄ってきて、こっちの都合などお構いなしに喋り続け、しかも私の大切なものをちょくちょくかすめ取っていった。


 お気に入りのお人形、大切な絵本、お母様からもらった装身具。全部、モニカが持っていってしまった。


 一度だけ勇気を出して両親に抗議したのだが、公爵家の娘がそんなちっぽけなものにこだわるなんてはしたない、と私の方がたしなめられてしまったのだ。確かに、彼女に取られたのはそう高価なものではなかった。けれどどれも思い入れのある、大切なものだった。両親はそのことに、気づいてはくれなかった。


 いつしか二人の妹までモニカの真似をして、私のものを取っていくようになった。じきに私は、大切なものを必死に隠すようになった。彼女たちに、見つからないように。


「ねえ、聞いてるのジーナ? せっかく社交界の噂を持ってきてあげたのに」


 どことなく居丈高に、モニカが鼻を鳴らす。正直な話、噂なんて聞きたくない。けれど彼女は、私の返事を聞くことなく一気にまくしたてる。


「やっぱりあなたのこと、噂になってしまっているわ。二回も男に逃げられた、もうすぐ二十歳の不運な令嬢だって」


 だから、言わなくていいのに。そんな反論を挟む間もなく、彼女は続けた。


「あの分だと噂が消えるまでにかなりかかりそうだから、それまで人前に出ない方がいいかもね」


 親切心から忠告してあげてるのよ、とでも言わんばかりの顔で、モニカはそんなことを口にする。


「それにしても、本当に災難だったわね……私だったら、とても耐えられないわ」


 じゃあ、お大事にね。そう言い放って、彼女はまた唐突に去っていく。棚に置いてあった小さな置物が一つ、姿を消していた。

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