GDPにかわる国の豊かさを定量評価する指標について
国の豊かさとは何でしょうか。
行政が考える国の豊かさを表す指標にGDPがあります。ところがどうもGDPがいくら上がっても国民が豊かになるとは限らない。ましてやGDPが国民の幸せを表す指標ではない。最近、そう思う人が増えてきているではないでしょうか。
だとしたら、国民の豊かさ、あるいは幸せを評価する指標とは何でしょうか。
GDP向上よりも、愛情にあふれた家族関係、みんな笑顔でいる明るい社会、他人を尊重し合える社会が大事といった、抽象的かつ文学的表現は、これまでいくらでも見てきましたし、それゆえ私に言わせればやや食傷気味ではあります。
もう少し定量評価する指標、つまり行政が明確に目標にできる指標を作ることが重要ではないでしょうか。
そこで以下の指標を提言します。
1.労働時間について
他の条件が全く同じなら、労働時間がより短い方が豊かだという考え方です。GDPや給料が同じなら週休二日制より、三日制が豊かだということになります。
”過労死”という語が世界的な日本の名物になっているとのことですが、こうした汚名を返上するためにも労働時間の削減が急務だと思います。
①労働拘束時間
ここで労働拘束時間という概念を提言したいと思います。労働拘束時間とは労働時間に通勤時間を加えた時間です。
労働者にとり、朝夕の通勤時間も労働時間と同じ、自分から強制的に奪われた時間です。残業が少なくとも遠距離通勤者は労働拘束時間が長くなります。
テレワークを推進することにより、労働時間は同じでも労働拘束時間は小さくなります。また東京一集中をやめ、地方の住宅地の側に職場を増やしても労働拘束時間は小さくなる可能性があります。行政としては、テレワークの推進と、東京一極集中を是正することが、国民を豊かにするための目標となります。
②非社長労働時間
ここでユニークな指標、非社長労働時間という概念を紹介します。簡単に言えば社長の労働時間はカウントせず、社員の平均労働時間だけを計算し、それを小さくすることを目標にします。
ここでいう社長とは、個人商店の店長や個人事業主も含まれます。
よく仕事の”やりがい”という言葉を耳にします。やりがいのある仕事なら、仕事をすることが本人にとって楽しいし幸せでもあるので、労働時間を短くすることが必ずしも幸せに直結しない。こういう議論がよくあります。
この”やりがい”を定量評価するのは困難ですが、ここでは会社の社長、個人商店の店長、個人事業主は仕事に”やりがい”があり、社長の命令下で働いている社員には仕事に”やりがい”はない、という単純な分類をしました。これは”やりがい”ある仕事を定量評価できるようにするためです。
社長は自分で仕事にスケジュールや仕事内容を自由に計画することができ、社員は上司の命令で、ある程度までこれらを拘束されてしまいます。これが社長には仕事の”やりがい”があり、社員には”やりがい”がないとした根拠です。
大企業のグループ会社の場合、子会社の社長は親会社の社長の実質、部下のような存在であり、グループ会社を一つの企業と見なした場合、社長というより部長である場合があります。こうした場合、子会社の社長は親会社の社長に仕事の内容やスケジュールを拘束され、”やりがい”は低いかもしれません。
このような場合は微調整が必要でしょう。
いずれにせよ、”やりがい”のないと見なされる労働時間については小さくした方がいい、というのが私の考えです。
たとえば、他の条件が同じなら、労働人口のうち、社長を増やして社員を減らせば必然的に非社長労働時間は小さくなります。
今日、個人商店はシャッター街ですが、70年代は経済の主流とまでいかなくとも、今よりかなり活発でした。もう一度、この流れを復活できないでしょうか。
③世帯労働時間
70年代では家族の中で旦那さんがサラリーマン、奥さんが専業主婦という家庭が一般的でした。この頃、共働きは貧しい家庭とされていました。
ところが今日では女性の社会進出とあいまって、共働きは標準といった感があります。
私は世帯労働時間という概念を提案します。
旦那さんが週休二日の企業で働き、奥さんが専業主婦の家庭の場合、世帯労働時間は週5日×8時間(残業なしと仮定)になります。つまり40時間です。
一方、共働きの場合、週5日×8時間✕2人分となります。これは80時間、昔の2倍です。
生活が同じなら、世帯労働時間がより短い方がより豊かだと考えます。
女性の社会進出は男女平等の理念に合致し、よいことだという考えがあります。私はこれに異を唱えるつもりはありません。ただし世帯労働時間が昔より長くなっていることに気づくべきです。
男女平等なら、これからの時代、旦那が専業主夫で奥さんがキャリアウーマンの家庭もありかもしれません。世界的に同性婚が認められる今日、ライフスタイルは何でもありです。
2.土地の所有について
他の条件が同じなら、国民が所有する土地の平均面積が大きい方が豊かだという考え方です。
土地は単純に面積だけで価値が決まるのか。都心の一等地と田舎の空家が面積だけで価値を比較できるのか。こうした反論が聞こえきそうです。
確かに同じ面積の土地でもジャングルの未開地とガス水道電気とブロードバンドが整備された住宅地が同一の価値だとは思いません。
しかしその一方で、今日の金融取引市場や証券市場で提示される資産価値の概念には疑問を呈します。
ある大企業の上場会社で一つ工場が火事で消滅したとします。すると工場の資産分だけ会社の資産が減り、株価総額が減るなら納得がいきます。
ところが今日の株式市場はマスコミでその企業の明るいニュースが流れると株価が上がり、悪いニュースが流れると株価が下がります。それこそ工場を建てたり、失ったわけでもないのに工場一つ分の資産価値が株式市場で増えたり減ったりします。
こうしたバブル経済下で資産価値を決めてしまう金融資本主義のやり方には以前から疑問を持っていました。
いずれにせよ、土地は原則、面積が広い方が価値がある、という考えを採用したいと思います。
行政が東京一極集中を是正し、地方に人口が移動すれば、必然的に国民が所有する土地の面積も大きくなるかもしれません。
また無駄な箱物建設をやめ、国民に土地を返すことも重要でしょう。
一方、固定資産税や相続税はまゆつばものです。国民が土地を所有しても固定資産税や相続税が高ければ、土地を行政に取られてしまいます。こうした税を十分安くすることも重要でしょう。
3.自殺率について
さて、ブータンでは政府が幸福度を定量評価する指標を採用しています。指標は20項目ほどありますが、一つを除いてどれもあまり役に立たない指標のように私には思えます。
しかしながら例外の一つ、つまり「自殺率」はなるほど国民の幸福度を定量評価する指標に使えそうです。
日本は自殺率が高い国の一つです。だとしたら自殺率の低減を、行政の大きな目標にしてもいいでしょう。
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以上、GDPと並行してこれらの指標を行政が目標にすれば、国民はより豊かに、より幸福になっていくのではないでしょうか。
(了)