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自分の居場所――怖くて悲しいお話たちより

作者: 天野秀作

「自分の居場所」

 私は最寄りの駅を7時40分発のJRに乗ることにしている。 

 大都市の動脈とも呼べる鉄道なので、通勤時間帯には3分も待たずに次の電車がやって来る。前後数本、どれに乗っても大して変わりはないが、ここら辺が私の変な拘りなのだろう。

 その電車は、まだ比較的早い時間なので空席こそないが、それほど混雑していることもない。私はいつも前から3両目の3番扉に乗り、扉の横のわずかなすき間に身を寄せることにしている。 

 ここが毎朝の私の場所だ。これも小さな拘りに違いない。でもそんな小さな拘りを持っているのは私だけではない。

 その扉前にいる他の乗客たち、老若男女、ホワイトカラー、ブルーカラー、学生たちも皆、月曜から金曜まで、毎日同じ顔ぶれで、私同様、それぞれが自分の場所を持っている。

 不思議なことは、何年間もこうして毎朝顔を合わせているのに、会釈の一つも交わさない。皆知っている。けれど知らない他人同士。車内は、薄い衣を被せたみたいな妙な連帯感が漂う。

 もう何年も前から、いつも反対側の扉の前に陣取る初老のサラリーマン風の男性がいる。

 彼も私同様に、扉の横で壁を背にして立っている。そこが彼の居場所に違いない。見た目、おそらく私よりも十は上だろう。ほぼ全員と言っても過言ではない乗客たちがスマホを見ている中にあって、その初老の男性はいつも空を見ていた。

 ある朝、彼はずいぶんとくたびれているように見えた。ただ横を向いて扉窓の外をじっと見ていた。その日はよく晴れていて、窓の向こうには悲しいぐらい青い青い空が広がっている。

 彼はその青い空を、次の駅に着くまで飽くことなくずっと眺めていた。と、その時、彼の痩せこけた頬に、ひとすじの涙が見えた。でも他の誰も気付かない。私にはその横顔がやはり、あの空と同じくらいに悲しく見えた。

 その日を境に、その男性を見ることはなくなった。定年だったのか、あるいはどこかへ転勤でもしたのか、泣きながら空を見つめる表情は、あれがきっと最後だったに違いない。

 男性の不在となった扉横のスペースが、やけにぽっかりと淋しく見えた。また誰かがそこへ陣取るのだろう。そう思っていたが、ひと月たってもふた月たっても、その場所を陣取る者は現れなかった。まるで皆がその場所をわざと避けているように見える。誰の場所であるか知っているみたいだ。

 3ヶ月経ったある朝、ふと見ると、なんとその初老の男性がそこにいるではないか。

 帰って来た! 私は妙に嬉しかった。次の日もその次の日も、その男性は定位置にいる。

 でも、何か変だ。3ケ月前のあの日と同じように、横を向いて、ただ空を見つめている。

 空はやはりあの日と同じように蒼くて、そして男性は悲し気だ。

  ――気付いた。

 彼は、人ではなかった。ただ毎日、同じ行動を繰り返す、人以外の存在になっていた。

 3ヶ月前の、あの最後に見た彼の悲し気な横顔。たぶんあれは、もう二度と見ることはないかもしれない蒼い蒼い空や、過行く風景をその瞼に焼き付けていたに違いない。

 ――お疲れ様でした。安心してお上がりください。

 そう祈ると、すっと男の姿は見えなくなった。

 翌日、制服姿の女子高生がその場所に立っていた。手にスマホを持ちながら。

                了

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