9話 あ、あのキスも所望してよろしいですか!?
本日3話目です。
お間違えないようお願いします。
懐から取り出したるはクリスタルアルラウネの花。勇者パーティを追放されたあの日、リラのために摘んでおいた一輪だ。
その花を足元の石畳の目地に突き刺す。
刮目せよ、前衛華術……。
«生け花»ッ!!
よし、きちんと刺さったな。
ちなみに俺に華道の知識は全くない。
単純に地面に突き刺しただけ。でも準備完了だ。
行くぞ、……すぅ。
「ど、ど根性クリスタルアルラウネだーっ!」
怒号で視線を掻っ攫う。
先ほどまで騎士VS咎人の構図を面白そうに傍観していた町民が、何事だといった様子でこちらを見る。
俺は大仰な身振りをして、集めた視線を誘導する。
その先にあるのは先ほど生けたクリスタルアルラウネの花。ほとんどの人は事態が飲み込めず、呆けた顔をしたままだ。だが、中にはクリスタルアルラウネを見たことがある者もいたのだろう。
『なっ、に、逃げろォォォッ!!』
『クリスタルアルラウネがどうしてこんな町中に!?』
すぐに恐慌が場に満ち満ちた。
恐れが、不安が、波紋のように伝播する。
寄らば大樹の陰とはよく言ったものだ。
突如町中に現れたBランクモンスター(死骸)。
その時、民衆が向かった先は一箇所だった。
『騎士様ぁ!! お助けくだせぇ!!』
「なっ、待て! 今は罪人の確保が優先だ!」
『そんな、おらたちを見捨てるってんですか!?』
『騎士道の精神はどこに忘れてきたのですか!!』
そう、少女を取り囲んでいた騎士たちの元である。
そしてそれは俺も例外ではない。
むしろ誰よりも早く動き出したのが俺だ。
騎士の隙間を、アヒルが水に潜るように低い姿勢で潜り抜ける。その先には渦中の少女がいた。
「こっちだ」
少女の手を取り、押し寄せる民衆の荒波を掻き分ける。人と人の隙間を見極め、最速で人垣を超えられる道筋を見出す。
「質疑、あなたは誰?」
「ゼクス。逃げるよ」
クリスタルアルラウネが死体だとバレるのは時間の問題だ。それまでに、できるだけ離れないと。
「審問、接近は敵対行為とみなすと警告したはず。ゼクスは敵?」
「返答、警告は騎士に行ったものと判断。よって俺がどう行動しようとも敵対行為には当たらない」
「順当、逃亡シークエンスを継続する」
ひとまず群衆からは離れられた。
あとはひたすら、人の少ない方へ少ない方へ。
狭い路地を、彼女の手を引いて走り続ける。分岐路に差し掛かった時は鑑定眼を頼りに行先を決め、ただひたすらに遠くを目指した。一歩でも先へと走り続けた。
だからこそ気付いたことがある。
そういえば俺、体力無いんだった。
「ぜぇ……はぁ……」
「懸念、ゼクスは危険?」
「人を爆弾みたいに言うなよ……ただまあ、体力は、ちと厳しいな」
まずいな。
俺の足がどんどん遅くなってきている。
騎士に追いつかれるのは先かもしれないが、あの場にいた民衆がそろって捜索に乗り出した場合はまずいかもしれない。
というか、この少女、息切れどころか汗すら――。
「ゼクスさん、こちらです」
「うぇっ!? ちょ」
不意に、路地の隙間から手を引かれた。
陽の光が当たらずじめじめとした空間だった。
「静かに、ここならしばらく追っ手の目をごまかせるはずです」
暗がりで、引き込んだ人物を見て驚愕する。
なぜならば、まかり間違ってもこんな掃き溜めのような場所にいるべき人間ではなかったからだ。
「王女殿下……里帰りしたはずじゃ……っ」
「不倫の香りがしたもので」
「あ、本物なんですね」
一瞬偽物の可能性まで考えたが、この脳内お花畑な返し方は間違いなく第三王女だ。
「ゼクスさん、私という人がありながら他の女に手を出すとは何事ですか」
「手を出すじゃなくて手を差し出すって言って?」
「似たようなものでしょう?」
「偽善者と性犯罪者レベルで違う」
言いつつ、呼吸を整える。
あー、キッツ。
引き籠りにこの仕打ちはないわー。
「訂正、当機は機械人形。性別は存在しない」
……あー、そして案の定かよ、この子。
さて、面倒くさいことになったな。
機械人形とは、数世代前の魔王が生み出した工作員の事である。伝承では魔王も機械人形も、当時の勇者によって一人残らず討伐されたことになっている。
歴史が間違っていたか、どうやってか勇者の目を逃れた個体なのか。分かるのは一つ、機械人形は魔界の遺物ということのみ。
俺でも知っている一般教養だ。まして、一国の王女であるリスチェリカがそれを知らないはずもない。
「やはり魔族の手の者でしたか。ゼクス様おさがりください」
「否認、当機のメモリにそのような事実は無い」
機械人形から俺を引き剥がし、身を挺す王女。
わーい、王女の庇護下だー。
すごく不安。独立するわ。
「待て待て。機械人形がこう言っているんだ。本当に魔族とのかかわりは無いんだろうさ」
「ゼクスさん、人間というのは醜い生き物なんです。綺麗な仮面の裏側に隠した本音と向き合うのも大切な事なんです」
「知ってるよ、嫌というほどな」
思い返すは幼馴染の笑顔。
謝れば許すなんて言ったあの厚顔。
ああ知ってるさ。人間の醜さなんて嫌ってほどに。
だが、それはあくまで人間の話だ。
「だけどこの子は機械人形だ。なあ王女殿下、機械人形が全滅するに至った理由は知っているか?」
「……いえ、そこまでは」
「だろうなぁ。機械人形はさ、嘘をつけない種族なんだよ」
ついでに言うと騙されやすい。
その性質を利用され、討伐隊に一網打尽にされたとのこと。鑑定眼さんが言っているから間違いない。
「そのような文献を目にした覚えはございませんが」
警戒とも、悲哀ともつかない不思議な色を瞳に宿した王女が、震える声で呟いた。ごめん。
俺を心配してくれてるのはすっげぇ嬉しい。
それでも、君が俺の身を案じてくれるように、俺も似た境遇のこの子を放ってけないんだ。グレインと同じ過ちを犯したくないんだ。
「嘘の匂い、しないだろ?」
だから俺は、そう問いかけた。
王女は左右にしばらく目を泳がせ、それから一つだけ瞬きをして、頷いた。
「分かりました。暫定的に魔族と無関係とします」
「ずいぶんと温情的な処置で」
「ついでに器量もよしです」
「はいはい」
割と切羽詰まった状況にもかかわらず、余裕綽々な様子の王女。つられて俺まで、小さく笑みが零れたのが分かった。
そしてふと思った。
「殿下、この件は嫌な『香り』がするって忌避してませんでした?」
俺がこの子に手を差し伸べようとした時に、王女は関わらないのが賢明だと言っていた。それなのに、どうしてこんなところまで?
「ゼクスさんを一人にするはずないじゃないですか」
……言葉を失ったのは、俺だった。
当然じゃないですか。
そう言わんばかりに、きょとんとした表情を晒した彼女に、何も返せなかった。
なんだ。
人間だって捨てたものじゃないな。
「……問題は、どうやって脱出するかだな」
「それについても、ご心配なく」
「ん?」
王女は纏っていた白いローブを脱いだ。
中からはきらびやかな衣装が現れる。
一目見て要人だと分かる意匠だ。
殿下が少女の後ろに回り込み、ローブを被せる。
「私が表に立ち、指揮を執ります。5分後、ゼクスさんはここから最短ルートで自宅に向かってください」
「……待て」
用件だけ伝えて立ち去ろうとする王女。
思わず俺は、その手を捕まえていた。
だって、それは。
「殿下はその後どうする?」
「私は……そうですね。おそらく、王城に引き返すことになるかと」
「……刺客に狙われているかもしれないんじゃなかったのか?」
「狙われないかもしれません」
そう口にする彼女の顔は、驚くほどのっぺりで。
「大丈夫です。信じてください。必ず、全てを解決して帰ってきますから」
俺の手を、ゆっくりと引き剥がした。
止めないでくださいと、もう決めたことですからと、そんな声が聞こえるようだった。
「そっか、頑張れよ」
から、そのまま突き放してみる。
「あれ!? 今のは抱き寄せてキスをする展開では!?」
「やっぱりな! 実は結構余裕なんだろ!?」
おそらく王城に帰っても命を狙われる可能性は低いのだろう。だから俺のワガママにも付き合える、そんなところだろ。
「ななな、なにをおっしゃいますか!? 命賭けてますよ!? ほら、ぎゅっとしてください、ぎゅーって」
狼狽する王女。安心した。
最後まで欲望丸出しの王女で安心した。
「はぁ、ほら」
「~~ッ!?」
そっと、抱きしめた。
助かったのは、確かだ。
だからまあ、これくらいの見返りはね。
「あ、あのキスも所望してよろしいですか!?」
いや、それは遠慮しとくわ。
彼女のおでこを、トンと押し出す。
王女は口を尖らせながら、広場へと戻って行った。
だけどその表情はどこか生き生きとしたものだったとここに示しておく。
「また今度な」
すっかり小さくなった王女の影に投げかけた声は、この狭い路地の薄暗がりにかき消えていった。