8話 冤罪
町に近づくにつれて人の気配が色濃くなる。
木々の囁きは徐々に鳴りを潜め、代わりに響くはわずかに人の営みの音色。
工業都市と言われるファクトリア。
至る所から煙突が伸び、もくもくと白い煙をたなびかせている。
「……変ですねぇ」
隣を歩くリスチェリカ第三王女殿下が口にする。
そうなのだ。おかしいのだ。
俺は一つ大きく首肯して彼女の言葉の続きを紡ぐ。
「確かに。なぜ俺は一国の王女と一緒にお出かけしているんだ」
「それは星のさだめなので至極当然ですが、そうではないのです。なんというか、ファクトリアに近づくにつれて不吉な『香り』が強まるような」
また『香り』か。
相変わらず嗅覚で判断する物ではないことに対して『香り』と表現する意味がよく分からない。
でも、一つだけ推測は立てられる。
彼女が言う『香り』と俺が見る『不可視の世界』は延長線上にある知覚かもしれない。
俺のこの目を鑑定眼と例えるならば、彼女の鼻はさしずめ鑑定鼻だ。弱そう。
「言っとくけど、家に帰るつもりも無ければ勇者たちがいる方角にぶらり旅する気も無いからな」
「はい、初デートと言えばジュエリーショップですよね」
「市民の金を食い潰す気か?」
貴族のデートってジュエリーショップなの?
それとも一般的なことなの?
割と衝撃的なんだが。
いやちょっと待て。
ツッコミどころはそこじゃなかった。
そもそもデートじゃないだろ。
そのことに気付いた時には彼女はルンルンとしており、口に出すのははばかられてしまった。そんな些細なことで幸せになられてしまったら、あえて摘み取るというのも気が引ける。
そんな事を考えていると、分かった。
彼女の言う不吉な香りの正体がなんなのかを。
「あ、騎士団だ」
「えなっ、ななななにゆえですか!?」
「王女様を捜索しているんじゃない?」
「ですよねー!?」
王女がローブを目深に被り直す。
怪しさ120パーセントマシマシ。
どう考えても顔を見られたら困りますと言っているようなものである。
「ゼクス様、深窓の令嬢にこの日差しは厳しいものがあります」
「騎士さんに頼んだらお家に帰れるかもしれないね」
「それより先に土に還ってしまうかもしれません」
あー、なんか王城だと危ないとか言ってたね。
「まあまあ。騎士様が付いていたら大丈夫でしょ」
「騎士の中に刺客が紛れ込んでいるかもしれません」
「確かめるには蓋を開けてみるしかないわけだ」
「そんな軽い気持ちで私の命運を放り捨てないでください」
軽い気持ちと言われるのは心外だ。俺は真剣だ。
いたって真剣に、どうすれば働かず、人と関わり合いを持たずに過ごせるかを常に考えている。最有力候補は家具屋さん。理由はまだない。
「とりあえず、その辺の人の話を窺ってみよう」
「ええ……、人と接触するのはやめましょうよ。ほらゼクス様ってインドアじゃないですか。帰りましょうよー」
「人をコミュ障みたいに言うな」
まったくもって心外である。
俺はただお外より室内が好きで孤高を好むだけだ。
インドアであって人付き合いが不可能なわけじゃない。
「伺うじゃなくて窺うな、聞くわけじゃない」
「どういうことですか?」
「読唇術……唇の動きで言葉を調べる」
「そ、そんなことまでできるのですか」
できない。
でも言霊を見る事は出来るから同じようなものだ。
むしろ上位互換まである。
というわけで、彼女の嗅覚と俺の視覚を最大限に活用し、騎士から見つからないルートを構築。ひっそりと町に忍び込む。スニーキングミッションも自分に危険が無いと楽しいな。
しばらく町を中央の方へと進んでみると中規模工場周辺に安全地帯を見つけた。
蒸気機関を利用した機器ががしゃこんがしゃこんと稼働している。少しして、第一村人を発見した。これより覗き見を開始する。
『なぁ、今日は随分と騎士様が多くないか?』
ビンゴ! そうだ、その話題を探していたんだ。
『そうだなぁ。お前、朝食ってパン派、米派?』
『俺は断然米派だね。一日のエネルギーが違う』
おい、なんで急にパンか米かの話になった。
この国の人間はみんな自由すぎんだろ。
『ふっ、同士だったか。ならば無料で教えてやろう。実はな、犯罪者がこの町に忍び込んでいるらしい』
朝食がパンかご飯かを答えたおかげで無料で聞けたらしい。マジか。驚いたな。こりゃ驚いた。
まさか王女が犯罪者だったとは。
(ってことらしいですけど王女様、何悪いことしたんですか?)
(おかしいですね、身に覚えは無いのですが)
酔っ払いと犯人はみんなそう言う。
俺は王女の肩をポンと叩き、囁いた。
(あったかいカツ丼食べて自首しような)
(冤罪です、信じてください)
その時、フード越しに彼女と目が合った。
どこまでもまっすぐで、深い色を宿していた。
……、ごめん。言い過ぎた。
(分かった。信じるよ)
(……私が言うのもなんですが、もっと疑うことを覚えるべきではないでしょうか)
(あはは、確かにな。でも、冤罪だって主張する人がいるのなら、俺だけは疑わないって今ここで決めた)
無実の罪を糾弾されるのは、辛いから。
苦しいから、悲しいから、切ないから。
だからせめて俺だけは、最後まで信じるんだ。
それが、この目をもって生まれた俺の仕事だと思うから。
と、ちょうどその時だった。
『――ピィィィィィ!』
甲高い音色が、工場の稼働音を切り裂いた。
その音には聞き覚えがあった。
警備職が使う呼子笛である。
それから、どんがらがっしゃんと物が崩れる音。
向かいの路地に立て掛けられていた竹が音を立てて倒れる。
その隙間を縫うようにして、一人の少女が現れた。
人ごみを掻き分けるように手を動かし、少女は走り続ける。纏う貫頭衣はところどころ擦り切れぼろぼろだ。足に巻いたサラシは工場から出た排ガスのせいか黒くくすんでいる。
『いたぞ! 囲え囲え!』
『そっちに行ったぞ! 逃がすな!』
その少女を、騎士たちが躍起になって捕まえようとしている。その様子を見て、俺が思ったことは一つ。この状況でフルプレートメイルで完全武装とかアホかな?
「騎士の目当ては殿下以外の人物らしいですね」
「ゼクス様、その殿下呼びはおやめになりません? いずれ契りを交わす者同士。親愛を籠めてリスチェとでもお呼びください。私はゼクスさんとお慕いいたしますので」
「承知いたしました第三王女殿下」
「あぁんっ」
騎士がその少女を捕まえるには速度が足りない。
当たり前だ。フルプレートメイルは重たい。
だが、さすがに数が数だったからか。
騎士団はやがて少女の包囲を完成させる。
『追いつめたぞ! 観念しろ!』
「……質疑、当機は何故追われている」
『しらばっくれるな! 魔族の内通者め!』
「応答、当機のメモリに魔族との接触は記録されていない。導出、その理由は不当」
少女は訴えるが、騎士は全く耳を傾けようとはしていない。それどころか、中にはニタニタと下卑た笑みを浮かべている者もいる。これじゃあどちらが犯罪者か分かった物じゃない。憲兵さん、コイツラです。
「警告、それ以上の接近は敵対行為と見なし排除シークエンスに移行する」
そう勧告する少女の目には見覚えがあった。
……いつだ。俺はいつどこでこの目を見た?
ふらっと動いていた足に気づいたのは、後ろから袖を引く力を感じたからだった。ハッとして振り返ると、そこには鋭い眼差しを向ける王女がいた。
「ゼクスさん、関わらないのが賢明かと」
その声はとても、……とても重かった。
ただの保身から出た言葉じゃない。
俺の身を、真に案じている。
そう分かる声色だった。
「それも、『香り』ですか」
「はい。先ほどから感じていた不吉な『香り』は、騎士団ではなく彼女から発せられたものでした。関わってはいけません」
「……そうか。王女殿下がそう言うなら、そうなのかもしれないな」
仮に、彼女の嗅覚と俺の視覚が同類だと仮定するのなら、その言葉はこの上なく重要で、軽んじていいものではない。俺自身も、鑑定眼のおかげで何度も命を拾ってきた。自身の感覚を重んじる気持ちは俺にもわかる。
「それでも」
反対の手で、俺を掴む彼女の手を取る。
こんな自分を思ってくれる優しさに、すこしだけ心が温まった。思わず頬が緩む。
「身に覚えのない罪で責められている人を、放ってはおけないよ」
だから俺は、ゆっくりと彼女の手を離した。
本当に、ごめん。
これだけは曲げられないんだ。