5話 鼻が利く王女
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少し、ある王女の話をしよう。
彼女の名はリスチェリカ。
王都アストレアの第三王女の話である。
この国の君主は王の時代も女王の時代もあるため、彼女も王位継承権を有している。とはいっても所詮は第三位。次代の王都を治めるのは彼女の姉だろう。
そんな予想も、彼女の異彩さを前に覆った。
第三王女は「鼻が利く」。
それも、常軌を逸し、神域に至るレベルで、と。
全ての発端は、ある曇天の一日だった。
ふらっと王女が部屋を抜け出したことがあった。
当時彼女は齢4つ。王城内はてんてこ舞いである。
幸い、王女はすぐに見つかった。
彼女は王城の敷地内の井戸端に立ちつくしていた。
お部屋に戻りますよと伝えるお迎え。
だが彼女は首を振るばかりだった。
「――この井戸から嫌な臭いがします」
迎えに行ったものはほとほと困り果てた。
綺麗な物しか知らない王女のお戯れだと思ったからだ。だがしかし、リスチェリカがあまりにもしつこく井戸を取り壊すようにと言うものだから、形式上水質調査が行われた。
そして井戸水からは、毒物が検出された。
神経系や脳に障害を与えるような、強い毒性が検出されたのだ。もしもリスチェリカがおとなしく室内に戻っていたら、王城にいる人間は全滅していたかもしれない。
この時の関係者の反応は、王女の戯れに助けられたという軽い物だった。誰も彼もが「王女殿下のおかげです」なんて口にしながら、敬意は無く、子供の遊びに付き合うような感覚だった。
評価が変わったのは、それから少し後の事。
「――この侍女からはおかしな香りがします」
その次の日、また部屋をひょっこりと抜け出した王女はそんな事を口にした。断っておくが、この侍女とプレセアは全く関係が無い。言うまでもないかもしれないが、当時のプレセアは見習いである。今も二流侍女だが。
今度は侍女かと誰もが思ったが、前日の事もあり、調べることになった。もしかすると流した毒物を有しているかもしれないからだ。
結局、侍女は毒物を持っていなかった。
王に仕える者たちは皆こう考えた。
やっぱり前回のはただの偶然か、と。
だが。
「申し訳ございませんでした!」
その日のうちに、侍女が罪を打ち明けた。
「生まれの故郷を魔族に占領され、王城の井戸に毒をまかなければ皆殺しにすると脅されていたのです!」
王城内に、困惑が漂い始めた。
王女の戯れに付き合わされているのかと聞いても、侍女は首を横に振るばかり。それどころか流した毒物の名前、毒物を封入しておいた試験管を埋めた場所、犯行時刻を打ち明けた。
毒物の名前は侍女が口にしたものと一致した。
彼女が言った通りの場所から試験管が見つかった。
犯行時刻、見張りが居眠りをしていたと分かった。
ここにきて、ようやく王女の予感が正しかったと皆が理解する。侍女の里は討伐隊によって奪還され、居眠りをしていた見張りは解雇された。
この時点での王女の評価は、危機察知能力に敏感なセンスの持ち主というもの。だがしかし、その評価も誤りであったことが判明する。
「この洋服店は必ず繁盛するわ。投資しなさい」
「今年は大寒波が来るわ。寒さに強い食物を育てるようにお触れを出しなさい」
「流行り病にはこの草花がきくわ。急いで薬の開発に取り掛かりなさい」
それはもはや、予感ではなく予言。
彼女が繁盛すると言った洋服店は瞬く間に成長し、大寒波が来ると宣言した年は大雪に見舞われ、彼女が示した雑草からは薬効が見つかった。
ついたあだ名が峻厳巫女。
まあこれは嘘である。さすがに王女を王女殿下以外で呼ぶ不届き者はいない。
それでも、第三王女がいる限りこの国は安泰だ。
そんな風潮が徐に浸透し始めていた。
だがある日。
予言はプツリと途絶えてしまった。
ちょうど、それと同時期の事だった。
今まで風儀よかったリスチェリカ王女殿下は、唐突におちゃらけた態度を取るようになった。その時人は「降ろしていた神が帰られた」と口にしたそうな。
プレセアもそのころにはリスチェリカの侍女になっていたので、ある時思い切って尋ねた。どうして自身を貶めるような言動をおとりになられるのですかと。
「お嬢様、皆お嬢様をペテン師だの墜ちた巫女だのと口にしております」
「言わせておきなさい」
だが、王女はそれにまともに取り合わない。
それがプレセアには納得できず、食い下がる。
「どうして以前のように振舞われないのですか? お嬢様は私に生きる意味を与えてくれました。そんなあなたが貶されて、私は……!」
そこから先の感情を表す言葉をプレセアは持っていなかった。けれど、彼女の思いはリスチェリカに確かに届いていた。母が泣きじゃくる子をあやすように、王女はプレセアを優しく撫でる。
「ありがとう、プレセア。でもね? 王位をめぐって争っている場合ではないのよ」
リスチェリカは何も変わってなどいなかった。
これまでも、これからも。
彼女は誰かの為になる行動を起こしていた。
決して、女王になりたくて力を行使していたわけではない。
だが、結果として彼女を女王に祭り上げようとする者が現れたのも事実。貴族内での派閥争いも熱を帯び始めていた。だから彼女は身を引いたのだ。
すべては、世の為、人の為。
プレセアも頭では理解できた。
それでも、感情で納得できずにいた。
彼女から見てリスチェリカは理想の主であった。
このお方に仕えられて本当に良かった。
そう心から思っていた。
だからこそ、こんな主人は見ていられない。
「世の為、人の為というのなら! お嬢様が君主になられる事こそ道の為! お嬢様は本当に、このような悪評を望んでおられるのですか!?」
だが、プレセアの熱意はのらりくらりと躱された。
暖簾に腕押しとまでは言わないが、せいぜい、王女の眉毛をへの字にさせるのが限界だった。
「いいのよ。これが私の選んだ道だもの」
もはや、プレセアに勝機は無かった。
そもそもの話、リスチェリカが大きな選択を間違えたことはただの一度も無かった。そんな傑物を相手に「あなたは間違えている」と言えるものがいるとしたら、それこそ神か考えなしか。プレセアはどちらでもなかった。
「お嬢様には、欲が無いのですか?」
「あら、プレセアには私が仏か何かに見えるの?」
リスチェリカはくすくすと笑った。
こんなにも健康体なのに、おかしな子ね、と。
当然、そんな言葉でプレセアの心は晴れない。
リスチェリカは困った。
だから、プレセアだけには打ち明けることにした。
ずっとひた隠しにしてきた本心を、プレセアなら笑わずに受け止めてくれると思ったから。
「私だって欲しいものくらいあるわ」
「……信じられませんね」
「本当よ? 好きな人と結ばれたい。いっぱい愛されたい。愛されたい、愛したい。欲望でいっぱいよ」
「信じられませんね!?」
「運命の人と巡り合っていないもの」
リスチェリカは笑った、からからと。
「でも、いつかそんなお方と巡り合えたなら、是が非でも一緒になりたいと思うのよ」
「そうですか。ベルン侯爵令息はいかがですか?」
「ダメよ、胡散臭いもの」
「貴族なんてみな仮面で欲を隠しているものですよ」
リスチェリカは遠く、窓の外を見た。
その先にはどこまでも青い空が続いていて、白色の鳥がバタバタと羽ばたいていた。
「それならきっと、私の運命の人は一般人ね」
「それは、大変そうですね。主に相手のお方が」
「ふふっ、ハードルは高いほど達成感があるのよ」
リスチェリカは、その白い鳥に思いをはせた。
いつか自身も、あの鳥のようにと願いを込めた。
それから、少ししてからである。
リスチェリカが眠り姫病にかかり、そして、運命の人と出会うのは。