4話 眠り姫
ややあって、王城にやって来た俺達二人。
自己紹介は道中で済ませた。
この侍女はプレセアというらしい。
王都アストレアの中心に位置する王城は、この国で一番大きな建造物。その中でも特に豪奢な一室に案内された。どうやらここに第三王女がいるらしい。
扉の前に立ったプレセアがドアをノックする。
「リスチェリカお嬢様、私です、プレセアです。お医者様をお連れしました。失礼いたします」
「返事も待たないなんて本当に失礼な奴だな」
「返事がくることはございませんので」
なるほどつまり屍か。
いやさすがに死者の蘇生は無理がある。
青命線と仮称している光の糸は、千切った瞬間から急速に光量を下げ、すぐに消滅する。死に立てほやほやの遺体なら分からないけど、少し時間が経てば干渉すらできないわけだ。
内開きの扉なれば、先に入るは彼女。
彼女に招かれるままに俺も入室する。
大きなベッドで横になる少女の姿があった。
その安らかな表情を見て思わず追悼しそうになったが、胸郭は確かに脈動しているのに気づき、モーションキャンセルする。
どうやら仏ではなくただのお寝坊さんらしい。
「おいおい、人を呼び出しておいて就寝中とは大層な身分だな。何様だ」
「第三王女様にございます。言葉にはお気を付けくださいませ」
「悪いな。あいにく、敬語を教えてくれる両親からは幼いころに勘当されていてね」
「……失礼いたしました」
「ま、使ってないだけなんだけど」
「使いなさい!」
猫が威嚇でもするかのようにフシャーと唸るプレセア。おお、怖い怖い。第三王女におかれましては飼い猫に手を噛まれないようにお気を付けくださいませ。
「当人が眠っているんじゃ仕方ないだろ。どんちゃん騒いで起こすのも忍びないし帰ろうぜ、故郷に」
「勝手に帰省しないでください。騒いでお目覚めになられるのなら、それに勝ることはございません。……お嬢様は」
プレセアはそこで口ごもった。
見えない何かと葛藤するように。
俺が感じたのはデジャヴュだった。
見覚えはない。だけど身に覚えはあった。
頭では分かっていても、感情で納得できない。
突き付けられた残酷な現実を認めたくない。
そんな様子だ。
要するに、自分とダブって見えた。
明らかに見捨てられたと分かっていながらも縋ってしまった弱い自分。救いの手を求めていた自分。過去の自分が重なって見えたんだ。
「クライン・レビン症候群。眠り姫病だろ?」
「……っ、どうしてそれを」
心境を知ってしまっては、彼女の口から告げさせるのはさすがに忍びなかった。俺が病名を知っているのはプレセアにとって想定外だったようで、驚愕の色を浮かべている。
クライン・レビン症候群、通称眠り姫病。
ほとんど発症することが無く認知度も低い奇病だ。
特徴としてあげられるのは以下の三つ。
突発的に訪れる深刻な眠気。
数日から数週間に及び目覚めない。
成人するまで再発の可能性が伴い続ける。
睡眠期間によっては衰弱死もあり得る危険な病。
って、鑑定さんが言ってました。
「昔から目だけが取り柄でな。大体の事は見ただけで理解できちまうんだ」
「それは、目がいいだけでは辻褄が合わないのでは」
「お、そうか。俺は頭もいいんだな。納得」
そう言うと、プレセアが「もうそれでいいです」みたいな顔をした。解せぬ。
「もうそれでいいです」
「口にすんなし」
「すみません、つい本音が」
口を慎めメイド。
「ご存じの通り、私は侍女として二流です」
「ああ、口軽かったもんな」
「……」
「ごめん続けて」
突っ込まずにはいられなかったんだ。
一瞬だけ彼女は目を白黒させた。動揺すんなし。
その後、再び続きを促す。淡々と語る彼女の目は、どこか遠くで焦点を結んでいる。
「おっしゃる通り口も軽いですし、仕事も大して早くありません。そんなだったのである時、メイド長に叱責されたのです。『やる気がないなら侍女なんてやめてしまえ』と」
彼女がフードを外す。
綺麗な白銀色の髪があらわになる。
だが、それ以上に目を引く点があった。
「お前、それ……」
「醜い傷、ですよね」
彼女の額の左側。
そこに、鉄の棒で焼きを入れたような跡があった。
傷を負ったのはずいぶん昔だろうか。
顔立ちが端正で髪も艶やかなだけに、その傷跡はひときわ異彩を放っている。
「頭の中が真っ白に、お先が真っ暗になりました。覚えているのはただ一つ、私を蔑む、蠢く白い目の数々だけ。私のすべて、烏有に帰してしまったのです」
彼女は語る、苦くくるしいだろう思い出を。
ぽつりぽつりとそれでも。
「ですが、お嬢様だけは違ったのです」
プレセアは王女が眠るベッドの傍に近寄りひざまずくと、慈しむように、あるいは藁に縋るように、しがみつくように手を取った。
「『傷も痛みも、過去の全てが今のプレセアを作っているのでしょう? 何も失ってなどいないわ』なんて無茶苦茶なことをおっしゃりますよね」
ふっと、彼女のまなざしが実像を結ぶ。
マリンブルーの瞳に、彼女のお姫様が映っている。
「『それでも生きる意味を見失ったと言うのなら、私にその命を捧げなさい』なんて、それなのに、お嬢様がいなくなってしまったら、私は、何の為に生きればいいのですか……っ」
窓から差す光が、彼女の頬で煌めいた。
せせらぎ清らかな川に照り映えるように、その瞳から零れた雫を輝かせていた。
……うん。なんか、ごめん。
そんな重い話だと思わなかったんだ。
(やべえな。もう治しちまったんだけど。どうしようこのシリアスな空気)
弁明させてほしい。
王女が眠り姫病なのは一目見て分かるじゃん?
だって元鑑定士だし、診察くらいできるじゃん?
そりゃあ速攻で治療するよね? ねねね?
つまり俺は悪くない。
悪いのはこの寝た切り王女だな。
よし、俺は無罪放免だ。
まあプレセアの額の傷は面食らって治せていないけど、話を聞く限り思い入れのある痣らしいし、無断で治療はやめておこう。治したいなら治したいって言うでしょ。
「ゼクス様、そのお力で、どうか、どうにかお嬢様を救えないでしょうか」
「ボケ倒すのもいい加減にしろ!」
「……ふぇ!?」
はっ、しまった。
ついツッコミに回ってしまった。
プレセアの仕事を奪っちゃダメじゃん。
唯一まともにこなせる仕事を奪ってしまったら、彼女のアイデンティティが喪失してしまう。御無礼。
「というかそっちの王女! 絶対起きてるよな!? さっきからプレセアの独白楽しんでるだろ! 口角が微妙に上がったの見逃してないからな!!」
「……え? お、お嬢様?」
プレセアは機敏に動き、主人の顔を覗き込んだ。
なんだこれ、キスシーンか?
俺は何を見せられてるんだ。
「ふ、ふふっ」
あ、キスシーンじゃなかった。
これあれだ。睨めっこだ。
「あはは! いやー、バレてしまっては仕方ありませんね。本当はもう少しプレセアの狼狽する様子を楽しんでいたかったのですが」
「お、お嬢様! お目覚めになられたんですね!!」
「ふふ、もう、プレセアは甘えん坊ね。よしよし、心配かけてごめんなさいね?」
「お嬢様、私は……私は……!」
感極まったを体現するかのようなプレセア。
溢れ出した涙を必死に拭っている。ハンカチ使え?
少しして、視線の先は俺に落ち着いたらしい。
そのころには喜色が一面に浮かんでいた。
「ゼクス様、病魔だけを殺せたのですね?」
「おいおい、殺すだなんて人聞きの悪い。天を愛し、天に見捨てられた俺がそんな無情な所業に走るわけがないだろ。ぶちのめすぞ」
「完全に叛逆者じゃないですか!」
そのとき、王女殿下がくすくすと笑った。
小さな笑い方だったが、朗らかで、つい毒気が抜かれるような声だった。