21話 件
ということでやってきたのはニキミタマ。
土下座とか武士道の発祥の地である。
「このあたりだと思うんですよね、怪異の『香り』」
ここは牛舎。
乳牛や牛肉用の家畜が育てられている場所である。
リスチェはこの周辺で怪異が発生すると予言しているが、俺には全く分からない。しいて言うなら獣臭いなぁという程度。もー。
「牛ックワでも出るのか?」
「なんですか牛ックワって。牛鬼やミノタウロスより有名な魔物なんですか?」
「牛ックワをご存じないっ!? 俺も知らない」
なんかそういう妖怪がいるっていう話を聞いただけ。見た事は無いし、どんな姿をしてるのかも知らない。
「補足、牛ックワはニキミタマに生息すると言われる牛に化けた妖怪。力が強く夜行性」
「ドラちゃん詳しいね」
そんな使い道の無さそうな知識を……。
一体数代前の魔王は何を考えてドラちゃんにこんな知識を吹き込んだんだ。謎である。
いや、違うのか。
ランダム転移した際、できるだけ生存確率を上げるために一見無駄な知識でも詰め込む必要があったのか。もっとも、そのほとんどは破損してしまったようだが。
「夜行性なんですか、それじゃあ日が暮れるまでは観光にしますか」
「いやなんで牛ックワ前提で行動してるの」
「え、違うんですか?」
「多分」
マイナーな妖怪にはマイナーな理由があるのだ。
例えば発見事例が少ないとか、しでかす事件がしょっぱいだとか。ドラちゃんの言葉から察するに牛ックワは凶暴な妖怪っぽいし、多分発見例が少ないタイプだ。
「でしたらこの場でお茶会を開きましょうか」
「自由か」
「是認、当機がお茶を用意する」
「あれ? ドラちゃんいつのまにリスチェの軍門に下ったの」
プレセアより手際よく準備をするドラちゃん。
いやそのテーブルやら茶器やらどうやって運んだ。
え、収納ボックス系の武装展開も存在するの。
そうなんだ。すごいね。
あんなことからこんなことまでできるのね。
質量保存の法則から考えると、ドラちゃんって実はめちゃくちゃ重いのでは……いやいや考えるまい。
「あら、おいしい。プレセアより上手ね」
「感謝、お茶を入れるのは得意」
「よく牛舎でお茶を楽しめるなぁ」
俺は無理だわ。獣臭くてかなわん。
「ちょっと外の空気吸ってくる」
すぅ……はぁ……。
はー、あんまり変わんね。
室内でも室外でも獣臭いのに変わりないじゃん。
やー、スローライフを考えた時に畜産業を選ばなくてよかった。こんな生活してたら参っちゃうよ。
とはいえまだましなんだよな。
牛舎の中に戻りたくないって考えてる自分がいる。
うーん、どうにかして時間を潰せないものか。
「ん? 子牛だ」
ふと気づくと、牛舎の前に子牛が倒れていた。
逃げ出したのかな?
『ブ、ブモ……っ』
「おー、よしよし。ちょっと待ってろよ。すぐに飼育員さんを呼んできてやるからな」
『……ル、……ジマ、ル』
「ん?」
気のせいか?
こいつ、人の言葉を話していないか?
落ち着け。
よく考えろ。
牛が人語を操る訳がない。
よってこれは幻聴、気のせいだ。
そうだよな、鑑定眼様!
「鑑定!」
対象はこの子牛。
まごうことなきこの子牛だ。
結果の見え透いた試み程虚しいものは無いな。
どうせ子牛って出るんでしょ。
知ってる知って――
「あが……っ!?」
――子牛と目が合った時、世界が無数に分岐した。
いくつもの可能性が折り重なり、脳に多大な負荷を掛けて行く。頭が、割れるように痛い。
世界がぐるぐると回る。三半規管が故障する。
まともに立っている事すら気分が悪い。
胃の中の物全部を吐き出しそうだ。
もう、限界だ。
そう思った時、急に世界が元に戻った。
そして子牛が声を張り上げた。
『――――――――ガ……ハジマル!!』
空気が痺れるような声だった。
脳を揺するような不気味な声に、一周回って思考が再び加速し始める。This is 除細動。
「ゼクスさん!? どうしたんですか!?」
「確認、ゼクス、何があった?」
牛舎から飛び出してきた二人は、目の前の光景を見て固まった。死んでいたのだ、子牛が。魔眼で食い止める暇すらなく、一瞬で。
「……件だ」
今度はしっかりと詳細を告げる俺の両目。
そこにはこの子牛の詳細が記されていた。
「人語を操る牛の妖怪、件。生まれてすぐに予言を残してこの世を去り、その予言は必ず現実になる、大凶事の前兆」
「ま、まさかこの子牛が目的の怪異!?」
「おそらくは」
うかつだった。
もっと早く鑑定眼を使っていれば、こいつが予言を残す前に殺せていれば、予言は防げたかもしれない。気が緩んでいた、手を抜いた。その結果がこれだ。
「質問、件はなんと予言を?」
「……始まるって」
「要請、詳細を求む」
詳細は、口にしたくなかった。
それを口にしてしまったら、認めてしまったら、それが現実に起こるような気がして、俺が聞かなかった振りをしたら、予言の効力も無効なんじゃないかなんて楽観的に考えて、言いたくなかった。
「ゼクスさん、何があったんですか」
だけど同時に、こんな責任、誰かに押し付けてしまいたいとも思った。ほとほと自分の醜さが嫌になる。
「ゼクスさん、教えてください」
ほら、二人が望んだことじゃないか。
口を割ったって、構わないだろ?
「……と」
「と?」
「『人族ト魔族ノ戦争ガハジマル』って」
甘えた。
後悔は先に立たなかった。後も断たなかった。
口にするべきじゃなかったかもしれない。
二人の優しさに甘えて、選択を見誤った。
「なるほどなるほど。そういうことでしたか」
「……リスチェ?」
「ゼクスさん、もしかして何か見えませんでした?」
……何がだ?
「例えば未来であったり、並行世界であったり、運命であったり、真理であったり。そんな超常現象を目の当たりにしませんでしたか?」
「……ああ。未来か並行世界か。どっちかを見た気がするぞ」
「ふんふん、やはりそうでしたか!」
なぜか嬉しそうに言うリスチェ。
困惑は深まる一方だ。
「ゼクスさん、件はどうやって予言を現実にしているかご存じですか?」
「……」
そこまで深く調べてないから分かんないんだよな。
調べようとしてあの気持ち悪い世界を見ることになったら嫌だし、表層知識だけ調べた後は鑑定眼を解除してしまったんだよ。どうやって未来を決めているかを知るためには、この妖怪をもっとまじまじと見る必要があるのだ。
だけど、知らないといけない気がした。
リスチェが何を言いたいのかは分からない。
それでもそこに、突破口がある気がした。
大体、俺がここに来たことが原因で件の予言が現実になるのだとしたら、リスチェが嫌な気配を嗅ぎ取って俺を連れて来ることなんてなかったはずだ。
俺がここに居るのには、何か理由があるはず。
そうだよな、リスチェ。
信じて、鑑定眼を発動する。
「……複数の未来から、望む世界を確定する?」
「というのが学者の見解ですね」
リスチェが言うに、王城の文献にもそのような記述があったらしい。その学者がどうやってこの真実に気付いたのかは知らないが、もしかすると俺同様に看破する才能の持ち主だったのかもしれない。
「おいおい待ってくれリスチェ。だとするなら、魔族と争わない未来もあったのに、俺がここに来たせいで歴史が最悪の方向に転換したってことじゃねえか?」
「いいえ。ゼクスさんが立ち会う必要があったのです」
「……は?」
わけが分からない。
俺が件と出会わなければこの予言も残されなかったかもしれない。その反実仮想は理解できる。
だが俺がここに来たことで未来がいい方に転ぶというのは、いささか理解に苦しむ。
「さ、ゼクスさん。今のあなたなら見えるはずです。無数に分岐する未来が」
狼狽したままの俺に、リスチェが言う。
「件の予言を上書きしちゃってください!」
……いやどうやって?





