16話 防犯カメラ
夜通し大地を打ち続けた雨雲も、朝が来る頃にはすっかりと澄み切り、青々とした空が延々と続いている。
窓を開けると、にわかに漂う若葉の香り。吹き抜ける恵風は新しい一日を祝福する歌声のように、活力を与えてくれる気がする。
と、その時。
ふと玄関先を二階から見下ろすと、そこに立っていた女性と目が合った。彼女が愛嬌を振りまくものだから、俺は笑顔で窓を閉めようとした。
「やーやーゼクスさん。お忙しそうですね」
のだけれど、機先を制されてしまった。
ねぇ、どうしてこんな朝早くからここに居るの。
「殿下はお暇そうですね」
「やだなぁゼクスさん。殿下だとアルメリアお姉さまと区別できないでしょう? 私の事は親愛を籠めて、リスチェと」
「それが目的か」
おかしいと思ったよ。
いくら姉とはいえ、この王女殿下が俺の情報を横流しする理由が分からなかった。だが、今の話を聞けば納得だ。いや、理解できる理由ではないが、この脳内ピンク一色王女殿下なら納得だ。
「いえ、アルメリアお姉さまはあんななので定期的に手柄を用意しないと第二王女派閥の皆さんがフレデリカお姉さま暗殺を企ててしまうので……」
「なんか意外とまともな理由だった」
フレデリカお姉さまというのはアストレア第一王女のフレデリカ殿下のことだろう。そして第二王女に入れ知恵をしたのはリスチェリカだったことが判明。
あれ? 意外ときちんと活躍してる……。
もしかして色眼鏡で見てるだけで実はまとも?
「さぁゼクスさん! 時は満ちました! 今こそ私をリスチェとお呼びになられる時! さあ、さあ!」
でもないな。
安心した。
「やー、遠慮しておきます。第三王女殿下」
「ふぐっふぅっ」
王女はまるで横隔膜をライフルで打ち抜かれたようにうずくまったかと思うと、それからふらふらと歩き出す。その先には玄関があるわけで、どこからともなく取り出した鍵で当然のように入って来た。
なんで外で待ってたの?
まことに遺憾ながら、一応は一国の王女の訪問である。仕方なしに着替えを済ませ、居間へと向かう。そこには俺が作った椅子の上でだらしなく倒れている王女の姿があった。
そして、ふと思い出す。
そう言えば昨日の夜はしきりに雨が降っていたと。
まさか。
「殿下! まさか一晩中雨に打たれて!?」
「えへへ……」
「打たれてないなこれ」
「なぜバレたんです!?」
慌てて鑑定眼を発動させて損したわ。
普通に生命の光ぴんぴんしてるじゃん。
「あれだろ、俺が起きるより早く家に着いて忍び込もうとしたけど昨日の夜雨が降っていたことを思い出して、『一晩中雨に打たれて風邪を引いたので看病してください』とか言うつもりだったんだろ」
「乙女の心を読まないでくださいまし!」
「顔に書いてんだよ」
「そんな、見つめられると、あんっ」
この王女大丈夫か?
「大体、風邪なんて秒で治すからな。ただ単にしんどいだけだからもうこんなことすんなよ」
「えへへー、分かりましたっ!」
言いつつ、茶棚から急須と湯飲みを取り出して、お出しするお茶の準備をする。普段ならもっとぞんざいに扱うのだが、彼女の身勝手とはいえ苦労を掛けたんだからとってしかるべき対応だろう。
「それで、こんな早朝からどういったご用件で?」
お茶の準備をしながら用件を聞く。
「分からないんですよね」
「はぁ」
「不意に、唐突に、天啓を授かるかの如く、『あ、今ゼクスさんの所を訪問するといい事が起きる』って香りがしまして」
「曖昧みーまいん」
よくそんな理由で腰を上げられたな。
王城を抜け出すのだって簡単じゃないだろうに。
おてんばにもほどがあるぞ。
「で、先日アルメリアお姉さまが訪問していたことも思い出しまして、ついに愛称呼びしてくださるのかと期待していたのですが違うみたいですし……」
「権力反対」
「もしやお泊りイベントかと思ったのに一瞬で看破されてしまいますし」
「唐突に論理性を見失ったな」
そして最後に、「ですから、よく分からないんですよね」と締める王女。いや落ち着く結論そこなんか。まあいい、大体わかった。
俺はセンテンスプロセッサーとはまた別の筐体を取り出した。それは16の画面からできていて、それぞれがここ周辺の森の状況をリアルタイムで映し出している。
その中に、怪しい影が二つあった。
王女の予感はこれだろう。
「まあ、十中八九こいつらだろうな」
「……? これはなんですか?」
「防犯カメラ。この家近辺の状況をリアルタイムで映像化できる魔道具だ」
ドラちゃんの虹彩に刻まれている魔法陣は視覚情報をデータ化するもの。これをどうにか利用できないかと考えた結果、目を遠くに飛ばすことを思いついた。その結果できたのがこの防犯カメラである。
「な、なんですかこれは! 凄いじゃないですか!」
「おいコラ、今まさに命狙われてるっていうのによくそんな気楽に居られるな」
「羨ましいでしょう」
「それはない」
別にそんな豪胆さは求めていない。
知ってるか、長生きに必要なのは臆病さなんだ。
折角だから俺は臆病を貫くことにするぜ。
「ゼクスさん、この魔道具も買い取らせてください」
「悪いが、これは商品じゃないんだ。今はまだ映し出すしかできないからな」
「ほほう、今後はさらに高機能化を予定で?」
「当然。ゆくゆくは録画機能や人物検出機能なんかも取り付けるつもりだ。販売予定はない」
「えー、なんでですかー、売りましょうよー、王都の犯罪率が一気に下がりますよー? 治安が良くなりますよー?」
「作るのがめんどくさい」
例えば先日第二王女に渡した耳に掛けるタイプの通信魔道具イヤーフォーンは、割と単純な魔法陣だけで出来ている。というかそういう風にリファクタリングした。だからちょっと手先が器用な人なら刻印することなんて造作もないだろう。
だが、この視覚情報のデータ化を行う魔法陣は、緻密に作らなければ画質が荒くなってしまうのだ。加えて、伝送速度というか、要するにどれだけ遅延された映像になるかというのも綿密さに依存する。そんなのを量産なんて信じられん。
「大丈夫です! 王城お抱えの宝飾職人ならどれだけ細かい紋様だって埋め込められます!」
「設計図書くのもめんどくさい……」
「アルメリアお姉さまをもう一度けしかけますよ」
「え、やだ。リスチェのこと嫌いになる」
「っふぉぉぉっ!? ここでその台詞は反則……ッ」
イナバウアーでも決めたかと思うと、そのまま肩を抱いて恍惚とした表情を浮かべる王女殿下。ホント、楽しそうに生きてるよな。
「こほん、承知いたしました。魔道具は諦めます。ですが、私に仕向けられた刺客がいる間は出歩けませんね、その間泊めていただけませんか?」
「あー、刺客の方は問題無いかな」
「と言いますと?」
「そろそろドラちゃんが到着するころだから」
と、その時。
不審な影の上から何かが落ちた。
おさがりの白いローブを纏った少女は、言うまでもなく機械人形のサンドラである。
音もなく忍び寄り、一撃で意識を刈り取る様はまさに暗殺者。まあ刈り取るのは命じゃなくて意識だけだから安心して眠ってくれ。無くなるのが命なのか意識なのか分からん言い回しになったな。
ドラちゃんは続けざまに別の地点の影にも忍び寄ると、意識を刈り取り任務完了。数秒と待たずに家の扉が開かれて、頑丈な縄で拘束された刺客の簀巻きが二つ出来上がりである。
「報告、周囲をうろついていた不審者の確保完了。周囲1キロ以内に他の不審者は発見できず」
「おー、ご苦労様ドラちゃん」
実はドラちゃんには了承を得て、防犯カメラの映像を受信できるように改造を施してある。今回のように不審者が見つかった場合、捕縛してきてくれるのだ。セキュリティー面はバッチリだな。
「……今日は、どうもありがとうございました。おかげで助かりました。この二人は、王城にて審問に掛けますゆえ引き取らせていただきます」
また今回も、絶望しながら引き返す王女。
と、ぴったりその時だった。
「なあリスチェ、ちょうどお茶が出来たんだ。一服していったらどうだ?」
「いいのですか!?」
ぱぁと笑顔になる王女。
本来は微笑ましい絵のはずだが、その予備動作が怖すぎて俺は引きつった笑顔しか返せなかった。首から上が、ぐるんって、180度ぐるんって……。
「それではご相伴に預からせていただきます!」
「お、おう」
こっわ。
やっぱ愛称呼びするのやめようかなぁ。





