10話 ドラちゃん
5分きっかり待機して、移動を開始する。
「検討、ゼクスはキスをしたかった?」
「それはどういう意図の質問だ」
「心境、当機はお邪魔虫かどうか」
「いや、益鳥だったよ」
危うく俺が喰い殺される所だった。
お前が目を光らせておいてくれて助かったよ。
「そう言えば、お前って名前あるの?」
「肯定、サンドラと申します」
「じゃあドラちゃんだ」
「否定、サンドラと申します」
訂正こそするものの、受け答えは淡々としたもの。むしろ、どちらかというとわずかに喜びの感情が見えるような気もする。気のせいかもしれないけれどね、少なくとも嫌がっている様子は無い。
「ドラちゃんはどこから来たの?」
「……不明、メモリの損傷を確認」
「そうなの? 他に悪い所は?」
「回答、魔力回路の一部の破損、及び動力源の損耗を確認」
ファクトリアの外へと向かって走る。
リスチェリカがしっかりと部隊を統率していてくれているからか、騎士とは一度も遭遇していない。町の人には時折目撃されているが、フードのドラちゃんと先ほどの罪人を結びつける者はいないようである。
「そうか、あいにく修理できる状況じゃないんだ。もうすこし我慢してくれよな」
「……? 質問、ゼクスは、当機を直せる?」
「んー、メモリとやらはわからんが、魔力回路くらいなら修復できるだろうさ。多分な」
何を隠そう、俺は彫刻の達人。
まあ、単純に鑑定眼チートなわけだが。
おそらくどうにかなるだろう。
「質問、ゼクスはどうして当機に優しくする?」
「反面教師ってやつだな」
あと少しで町の外だ。
そうすれば逃げ切れたも同然だ。
「すんごい嫌なやつらと一緒に居た時期があってさ、こういう局面に立ち会う度、思うんだ。『ここで楽な方へと走ったら、大嫌いなあいつらと同類になっちまう』ってな」
助けられるかもしれない命を見捨てたら、困ってる人の声に耳を傾けなかったら、それこそ俺はあいつらと何も変わらない。どれだけ優れた目を生まれ持っていても、背け続けていては宝の持ち腐れだ。
「だから、まあ。しいて言うなら『俺のため』だな」
「……難解、当機には不明瞭」
「そっか。いつか分かるといいな」
ドラちゃんは少しだけ口を尖らせていた。
なんとなく、分かったことがある。
この子は自身を機械だというが、感情はきちんと備わっている。ただの無機物として扱うのはおかしいだろう。
さて。
そろそろファクトリアの出入り口だ。
ここを抜けさえすれば……。
「げっ」
カエルを潰したような声が出た。俺の喉から。
ぐえっ、ぐぇっ。
「見張りだ。入る時はいなかったのに」
いやまあ確かにそうだよな。
誰だって出入り口を封鎖してから調べる。
だからこそ袋の鼠という言葉があるのであり、俺達は袋小路に追い詰められた状況になる。
「要請、強行突破の許可を」
「ダメです。人を傷つけてはいけません」
「提案、人を傷つけなければ問題ない?」
「なおかつ安全なら」
「了承」
こくりと頷いたドラちゃんが、俺を抱える。
「え?」
ちょっと待って。
その小さな体のどこにそんな力が?
「ちょ、うおぉぉぉぉぉっ!?」
次の瞬間、ドラちゃんは地脈を縮めたかのように快走を始めた。ちょっ、いだだだだ、千切れる、お腹がねじ切れちゃうぅぅぅ。
*
「酷い目に遭った」
本気を出したドラちゃんはすさまじかった。
あっという間に家についてしまった。
あ、あれ?
俺や殿下があれこれ画策する必要なかったのでは?
……王女には黙っておこう。
目にもとまらぬ速さという言葉には聞き覚えがあったが、まさかその上のステージがあるとは知らなかった。まあ俺からしたらどっちも止まってるようなものだけど、痛いのは痛い。
だがまあ、おかげで最終関門を突破できたのもまた事実。門番の目に映ることすらなく町を出たためか、はたまた殿下が奮闘してくれているからなのか、追手がやってくる気配はない。
「……質問」
「んー、なんだぁ?」
「当機は、ゼクスに、迷惑をかけた?」
ぽつり、ぽつり。
ドラちゃんが悔やむように口にするものだから、俺は一瞬言葉を失った。感情もあるのだろうとは予測していたが、それはあくまで希薄なものだと思っていたからだ。
だが、今の口調は間違いなく……。
俺と目を合わせようとはしてこない。
うつむいたまま、わずかに肩を震わせる。
なあ、ドラちゃん。
お前は一体、何をそんなに。
「……ああ、気にすんなって。俺が首を突っ込んだのは俺のためだ。ドラちゃんが気に病むことはないよ」
いや、聞くのはやめておこう。
俺だって、追放された時のことを根掘り葉掘り聞かれるのはいい気はしない。
彼女の過去がどんなものかは知らない。
あるいは鑑定眼を全力で行使すれば記憶を読み取ることすら可能かもしれないが、それはプライバシーへの配慮があまりに欠如し過ぎている。今まで試した事は無いし、これからも試す事は無いだろう。
俺が彼女の過去を知る時があれば、それは彼女自身が口にしたいと思った時でいい。それがいつの日かは分からない。もしかすると明日には話してくれるかもしれないし、死ぬまで聞けないかもしれない。でも、それでいい。
「困窮、当機は助けてもらった。だけど恩を返せるものはない」
少女の言動の節々から見受けられるは罪悪感。
これはあれだな。
どれだけフォローしようとしても、自責の念に苛まれ続けるタイプの奴だ。
機械人形も同じってか。
妙なところがやけに人間っぽいんだよな。
「あー、じゃあ好きに生きてみろよ。せっかく助けたんだから、人生を謳歌してくれたら俺は嬉しい。ドラちゃんはどうしたい?」
「蒙昧、当機には忘れてはいけない使命があった?」
「忘れたのか?」
「否定、メモリの損傷領域に記録していたと推測」
「忘れたのか」
思い出せなくなることを忘れるというのです。
そもそも、人間の記憶はどうやって出来ているかというと、一連の出来事が数珠のようにつながってできているのだ。一つの事象、つまり数珠の珠を一つ取り上げるとその周辺の珠も引き上げられる。この時に、一定以上の高さになると出来事を思い出せる。
一方で思い出せなくなるというのは、この数珠に通された糸の張りが弱くなるようなものである。こうなると連想されるべき出来事が連想されなくなり、思い出せなくなる。
「それなら、思い出せるまでここに居るといいよ」
それでも思い出したいときは、関連する複数の珠を同時に引っ張り上げる必要がある。極論から言えば、数珠そのものを一定以上の高さに引き上げてしまえば思い出せない事象なんて存在しないのだから。
「何かの切っ掛けで、思い出す事だってあるかもしれない。それまでここに居るといいさ」
もっとも、機械が同じ仕組みかどうかと言われれば分からないとしか答えようがない。むしろ多分無理。それでも、こんなにも人らしさを宿しているんだし、試してみる価値は十分にあると俺は思う。
「どうした?」
もしかすると、ここにはいたくないのだろうか。
俺ばかりが話していて、彼女は一言も発しない。
なんか俺が恥ずかしいやつみたいになるからそれ。
ややあって、彼女は吐き出すように口に出す。
「……確認、当機は、返す礼を持っていない」
「見返りを求めてるわけじゃないさ」
「……釈明、当機は壊れている」
「俺なら直せるかもしれないな」
その独白を、彼女はずっと俯きながら行った。
言葉の重みが彼女をがんじがらめにするように、彼女の足元で山を築いていた。
……はぁ、見てらんないな。
「どうにも、卑屈でいけないな。自分の価値を軽んじている。ドラちゃんには感情だってあれば、魂だってある」
その時、ようやく彼女と目が合った。
それが少し、嬉しくて。
「そこに負い目を感じる必要は無いんだよ」
俺は微笑みながらそう言った。
「……要請」
彼女の瞳から、雫が零れた。
「ここに、いさせてください……っ」
それが、我が家に居候が出来た最初の話だった。





