1話 うそつき
1話と2話は短編とほとんど同じになります。
よろしくお願いします。
ずんぐりとした森林を空から見下ろすと、少し開けた場所に湖がある。湖の周りにはログハウスが点在していて、小さな集落を為している。
時刻は早朝、山に掛かる暁霧はただ白く茫として、東の空が茄子色に染まるころ。集落から王都アストレアに続く道を俺は、幼馴染を乗せた人力車を引いていた。
「止まりなさいゼクス」
普段は眠りこけている彼女だが、今日は珍しく起きていたらしい。よく澄んだ空気に彼女の声が響いた。
「どうしたの? リラ」
「綺麗な、透き通った水色の花があるわ」
人力車を止めて幼馴染が指さす先をチラと見る。
確かに綺麗な花が咲いていた。宝石のように透き通った、薄明の中でも輝く花だった。
じっと目を凝らしてみる。
昔から俺は、幽霊であったり言霊であったり、人には見えないものが見えた。たいていは視界が騒がしくなるだけだけど、中には便利な機能も存在する。
「本当だ、あれがクリスタルアルラウネらしいよ」
例えばこの、鑑定能力。
詳しく知りたい対象を凝視すると、詳細が見えるのだ。俺はこの能力をいかして勇者パーティの鑑定士をやっている。ちなみにリラは勇者パーティの剣姫。
なんだろうこの敗北感。
アルラウネは花に擬態する魔物だ。
綺麗な花に誘われた獲物を不意の一撃で捕食する。
目の前にあるのはその中でもクリスタルアルラウネという、全身が水晶で出来た希少種である。擬態能力が通常個体より劣るため、栄養失調で枯れる個体がほとんどだ。
そんな珍しい花にお目にかかれるなんて。
今日はいいことがありそうだ。
「ふぅん、摘んできなさい」
「……なんて?」
え、摘んできなさいって言った?
クリスタルアルラウネの討伐ランクはBだよ?
熟練の冒険者がパーティで行動してようやく倒せるかってレベルの魔物だよ。それをただ人には見えないものが見えるだけの凡夫に取って来いと?
はっはっは、ご冗談を。
「摘んできなさい」
助けて。幼馴染が無茶に極振りしてきます。
略して無茶振り。
俺の人生、まるっと棒に振る気だよ。
ツーストライクだから慎重になろ? ね?
よし、どうにか話をそらそう。
「……幼馴染のお花摘みを手伝う勇気は無いなぁ」
「ぶっ飛ばすわよ」
「ごめんなさい」
俺のかじ取りはどうやらお気に召さなかった様子。
口元に浮かべていた笑みがサッと失せるのを見て、俺はすぐさま降参した。彼女はゴミクズでも見るように俺を蔑み、冷たく言い放つ。
我々の業界ではただのパワハラです。
「三度同じことを言わせないで」
「ねえ待って、言ったよね。あれはただの植物じゃなくてクリスタルアルラウネ、魔物なんだよ」
「だから?」
「死んでしまいます」
俺はその場で土下座した。
これぞ和の心。
武士道とは死ぬことと見つけたり……ダメじゃん?
「チッ、本当にノロマね」
リラが悪態を吐きながら立ち上がった。
彼女の影が俺を覆うのが分かり、踏まれるんじゃないかと思って、あわてて顔を上げる。すると、一般人には見えないものが見えた。
言うまでもなく、プリーツスカートの中身である。むしろそれ以外何が見えるというのか。とりあえず拝んで、恭しく頭を垂れる。男の礼節である。
しかし紳士な俺はこんな状況下で、まして幼馴染に欲情なんてしない。きわめて冷静に、つとめて沈着に幼馴染を制止する。
「待って!」
「もう、何よ!」
彼女は相当お冠。
ともすれば般若面すら幻視できそうだ。
つまり般若はお姫様。
世界の法則が乱れる。
俺は秩序をもたらすべく、彼女の怒りをなだめることにした。誰だよ、こんなにも彼女を怒らせたやつ。
「クリスタルアルラウネはBランクの魔物だよ。どうせギルドに向かう予定だったんだ。みんなと合流してから再挑戦しよう、ね?」
「のんびりしてる間に取られたらどうするのよ!」
「確かに! 急いでギルドに向かわないと!」
「ええそうね……って違う! 今ここで私が倒したら済む話なのよ!」
ぐう……。
口車には乗せられなかったか。
人力車にはいっつも乗ってるのにね。
「離して!」
「ダメだ。危険すぎる」
「ゼクスのくせに私に口答えする気? 生意気よ!」
「リラ様、憚りながら申し上げます」
「言い方の問題じゃない!」
いよいよ怒ったリラが、膂力で俺の手を無理やり引き剥がした。彼女は俺と違って剣姫と呼ばれるほどの才能の持ち主で、力比べでは敵わない。
「ふん!」
「あ、リラ!」
俺に背を向け、クリスタルアルラウネに向かって走り出す彼女。急いで後を追いかける。
彼女の後ろを追いかけていたからこそ、俺は気付けた。彼女の後ろ、あるいは俺の前方の地面がぼこぼこと隆起している。
「リラ! 下だ!」
「下? ……っ!」
次の瞬間、彼女の足元から水晶が生えた。
イバラの鞭のように、するどくとがった水晶柱だ。
すんでのところで気付いたリラは、半身を翻しつつ跳躍。かろうじてクリスタルアルラウネの攻撃を回避する。
ほっとしたのも束の間。
クリスタルアルラウネの蔓は一本ではなかった。
さらに三方向から、彼女を覆うように蔓が伸びる。
「きゃあっ」
「リラ!」
触手が彼女の四肢にまとわりつく。
蔓から生えた棘が、彼女の柔和な肌を切りつける。
ミシミシと音を立てながら、絡み付く蔦がリラを締めつけた。いや、そんな生易しい物じゃない。
あれは骨ごと折るつもりだ。
「こっちだ化け物!」
冒険用のバッグから手投げ式炸裂弾を取り出す。
火打石で出来た指輪をカチンと打ち付け、着火。
両手で一つずつ投擲、ジャスト蔦付近で炸裂する。
断末魔を上げて地中に逃走したのは三本だった。
残りの一本は、突進で。
そう考えた時、アルラウネの矛先がこちらに切り替わり、リラが拘束から解放される。
「……剣姫リラを甘く見てるんじゃねえか?」
俺が体当たりするより早く、天に向かって伸びた蔓が頭を垂れて俺に降り注いだ。昔から目だけは良かったんだ。そんな見え透いた攻撃なら避けきれる。
その間に彼女が攻撃してくれれば、二人で逃げる隙だって作れるかもしれない。リラならきっと、俺の意図を汲み取ってくれる。
「ゼ、ゼクス!」
何年彼女の幼馴染をしていると思ってるんだ。
以心伝心。
口にしなくったって心と心で通じ合える。
そう、幼馴染ならね。
「私が逃げ切るまで、そいつの相手をしてなさい!」
彼女の放った一言が、俺を金縛りにした。
頭を鈍器で殴られた気がした。
実際にそんなことはなく、今のところ負傷も無い。
ただ、思考回路がショートした。
「……ぇ?」
繰り返し、繰り出される、アルラウネの触手。
攻撃の隙を縫い、彼女を探す。
「……リラ?」
見つけた。
見慣れた彼女の後姿。
見なければ良かった。
どんどん遠ざかる彼女の背中。
俺を捨てて、逃げ出した。
理解するのに、時間は掛からなかった。
ねえ、嘘だよね。
だって、一緒だって、言ったじゃん。
「どうして……」
胸の底がぎゅっと締まる。鼻の奥がツンとする。
目の裏側から、じゅっと熱くなる。
……まだ俺の背丈が、今の半分くらいだったころ。
人には見えないものが見える俺を、村の皆は不気味がり、異端児扱いした。村八分にあっていた。
でも、彼女だけは違った。
リラだけが、俺と一緒に居ることを選んでくれた。
――ゼクスしか見えないものがあるの? 凄いね!
――きっとゼクスの目は、神様からの贈り物だよ。
――大切にしないとね。
「リラが、言ったんじゃないか」
――私の大切な物? ゼクスだよ!
――だから、ゼクスはゼクスのままでいいんだよ?
「こんな、『目』しか取り柄の無い俺に、君が――」
――ずっと一緒に居てね?
「ずっと一緒にいようってッ」
守護霊のように浮かぶ思い出、彼女の言葉。
ずっと大切にしてきた、他の誰にも見えない言霊。
泡沫のように溢れては、次から次へと壊れていく。
「……うそ、つき」