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カナリア  作者: 藤倉楠之


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11 銀杏の木の下で ――A

 僕はサトカさんの提案に驚いた。僕自身は日頃の習慣のせいで歩くのは全く苦にならないが、ここまで歩きっぱなし、立ちっぱなしである。女性にはつらいのではないか。そう聞くと、彼女は、大したことではない、というように肩をすくめた。


「仕事では昼休憩の時しか座れない日なんてザラです。コーヒーなら、途中でコンビニで買って公園で飲んだっておいしいじゃないですか」


 正論である。


 僕だってひとりなら、こんなところで高いだけのコーヒーなんて飲まない。サトカさんをもう少しだけ引き止める口実がほしかっただけなのだ。


「じゃあ、散歩がてら、行きましょうか」


 モールから出ると、線路から少し離れた、古くからの街道筋をもと来た駅に向かって戻ることにした。自動車はさらに先の幹線道路を通るため、この道路は自転車と歩行者が中心で歩きやすい。風もなく、穏やかな日だった。


 軒の低い昔ながらの木造住宅と個人商店がならぶ。黄葉の遅い銀杏の葉がどこからともなく転がってきて、道の隅にたまっていた。誰の句だっただろうか、銀杏の葉を小鳥にたとえた有名な俳句があったな、とふと思い出して、ピヨを保護した日、彼女が身につけていたカナリアイエローのスカートのことを連想した。


「黄色、お好きなんですか」


 話がとぎれた時に聞いてみた。

 今日のバッグも黄色だし、首もとにきゅっと小さく結んであるスカーフも紺と黄色の柄だ。


「これですか」


 彼女は小さなショルダーバッグのチェーンを持って軽く揺すった。


「私がというより、家族が。私に似合うからと言ってよく買ってきたものですから、黄色のものばかり集まってしまって」


「確かにお似合いですよ」


 彼女はすこしうつむいた。


「自分ではよくわかりません。でも、そう言ってくださって、ありがとうございます。

 ……自分だったら絶対買わないですけど、今日でこのバッグのこと、ちょっと好きになりました」


「自分だったら買わないんですか?」


 黄色が似合っていると言ったのは社交辞令やお世辞のつもりではなかったので、意外だった。彼女の色白の肌によく映える。それに、紺やグレー、白みたいな落ち着いた色の中に少しちりばめられた明るいイエローは、穏やかなようでいて時折見せる彼女の強い心意気みたいなものと響きあっている気がした。どうあがいても歯が浮きそうなことしか言えそうになかったので、あえて言葉にして説明はしなかったけれど。


「だって、お財布とスマホと薄いハンカチ入れたら後は何にも入らないですよ。こっちのバッグに、ストールもポーチも入れて二個持たなくちゃいけないんです。効率が悪いと思います」


 一緒に持っていたキャンバス地のトートバッグを揺すってみせる。不服そうにちょっと唇をとがらせた表情に僕は笑ってしまった。


「確かに、登山やトレッキングには不向きでしょうね」


 冗談めかして言うと彼女はうなずいた。


「向き、不向きがあるのはしかたないのかもしれません」


 不意に彼女は足を止めた。道端の小さなほこらを覗き込む。


「お地蔵さまですね」


 彼女がごく自然に拝するのにならって、僕も手を合わせた。小さな地蔵堂は、世話をする講がきちんと機能しているのだろう、きれいに清められて花が生けられていた。


「すみません、突然」


 彼女は申し訳なさそうに僕を振り返った。


「いいえ、全然。神社仏閣、よく行かれるんですか」


 最近はパワースポット巡りや御朱印集めと称して、神社仏閣巡りをするのが好きだと公言する女性も多い。サトカさんもそうかな、と思ったが、彼女はいいえ、と首を振った。


「わざわざ参詣のために出かけたりはしません。吉見さんは?」


「仕事柄、それなりに立ち寄ります。地域社会の研究をすると、どうしても関わりが出てくるので」


「どんなご研究ですか?」


「ええと、どう言ったらいいのかなあ。いまは、狩猟とか、山菜採りとか、そういう自然の恵みを採集する集団と、その地域社会の関わりみたいなことをやってます。……でも、なんていうか、聞いてもらって面白いお話はあまりできないかなあ」


 僕が困って首筋に手をやると、彼女はちょっと首を傾げてじっとこちらを見た。だが僕の居心地悪さを察したのか、にこっとしてそれ以上聞かず、また歩き始めた。


 しばらく歩くと、行く手の道の先、せいぜい二階か三階建ての家々が並ぶ界隈の屋根ごしに、ひときわ大きな銀杏の木が見えた。傾きかけた午後の日差しに、色づいた葉が黄金のように輝いている。


 サトカさんが僕を振り返った。


「あれも、神社じゃないですか」


 普段この辺は歩かないので断言はできないが、そうだろう。住宅街の中で切られずに残っている様子と、木の大きさから想像できる樹齢から、大事にされているご神木という印象を受けた。神社ではなく、神木のある公園になっている可能性もあったが。


 サトカさんは、ためらうように下唇を軽くかんだ。何かを言いだしあぐねているようだったが、きゅっと唇を結ぶと、伏せていた目をあげて僕と視線を合わせた。


「お参りしても、構いませんか」


 ただならぬ気迫を感じて僕はうなずいた。


「そこにコンビニがあるから、飲み物でも買って、参拝がてら一休みさせていただきましょう」


 提案すると、彼女はほっとした様子だった。


 僕がカフェオレ、サトカさんはブラックコーヒーを買って、銀杏を目指した。たどり着いてみると、銀杏の木の横に先ほどの地蔵堂より少し大きいだけのこじんまりしたほこらと、ちょっとした遊具とベンチがあるだけの、猫の額ほどの公園だった。子どもたちにはもっと遊具の多いほかの公園が人気なのか、人の姿は見当たらない。


 サトカさんは、コーヒーを脇のベンチにおくと、ほこらの正面に立って柏手を打ち、静かに頭を下げた。きちんと形の整った参拝だった。


 ベンチに並んで腰掛けたところで、僕は疑問が押さえきれず、尋ねた。


「さっき、わざわざお参りには行かないと言ってましたよね。でも通りがかった神社や仏様は熱心にお参りされているみたいです。なぜですか?」


「祖母の影響です。信心深い人で、小さいころから、神社やお寺の前を通るたびに、手を合わせて頭を下げるようにしつけられました」


「それだけですか? 何かお願い事があるのかな、とも思いましたが、わざわざ参詣にはいらっしゃらないみたいだし」


 僕はまだ熱いカフェオレを少しだけすすろうとしたが、熱すぎて口に入れられず、所在なくカップを手のひらの中で持て余した。そんな僕を見て、やっぱりコーヒーに口をつけられない様子だったサトカさんは少し笑った。


「猫舌ですか? 私もです」


 それこそ、面白い話にはなりそうもないんです、と目の前の地面に転がった銀杏の葉を見つめて呟いた。


「面白くなくてもいいんです、話すのが嫌でなければ。でも、別の話でもいいです。あなたのことをもう少し知りたいな、と思っているだけなので」


 僕がぼそぼそと言うと、彼女は少し考えているようだった。


「どこからお話ししましょう。本当に、つまらない話です」


 僕に限って言えば、サトカさんの話すことにつまらないことなんて一つもない。でも、そんなことを言って流れを止めてしまっては元も子もないので、僕は黙って続きを待った。


「何かの時に、私、母と二人暮らしだとお話ししましたね。父は、私が中学一年生の時に亡くなりました。以来、母が働いて、私を大学六年まで勉強させてくれたんです。祖母は、そのころからずっと、私の母代わりのようなものでした。母は外で仕事するのに手いっぱいで、家のことは祖母がみんな私に教えてくれて、二人でやってきたんです。ですから、私にとって、祖母が言うことは、迷信だとかそういう風に思えなくて、守らなければならないという気持ちが強いんだと思います」


 彼女は小さく息をついた。ふわりと落ちてきた銀杏の葉が、音もなく地面に横たわった。


「それに、うちはあまりいい状態が続かなくて。母はがむしゃらに働いていましたけれど、私も、浪人や留年をする余裕はありませんでしたから、家のことと勉強で手いっぱいで、母の体調にきちんと気が付けていなかったんです。私が何とか、ストレートで卒業して資格も取ったころから、母はこれまでの無理が祟ったようで、体調を崩してしまいました。もう二年近くになりますが、今でも、病院に通っています。母が体調を崩してからしばらくして、祖母も急な病気で亡くなってしまいました。ですから、もう、神頼みというか。こうして、神様や仏様の前を通ったら、無視して通るとよくないんじゃないか、という気持ちになってしまって」


 想像以上に深刻な話に、僕はなんと相槌をうっていいかわからず、ようやく冷めてきたカフェオレを一口飲んだ。


「すみません、重い話で」


 サトカさんは申し訳なさそうに肩をすくめた。初めて会った雨の日のサトカさんのことを不意に思い出した。今みたいに、所在無げな、不安そうな顔をしていた。


「話してくださいと言ったのは僕です。つらい話をさせてしまいましたか」


 気遣うと、彼女は首を横に振った。


「今まで、わざわざ人に言ったことはなかったです。でも、言葉にしたらなんだか少しほっとしました。この暗い話が、どちらかというと本来の私なんだと思います。今日、ずっと私笑ってて、すごく楽しかったけど、なんだか、嘘をついているみたいな気がずっとして、心苦しかった。聞いてもらえて、よかったです」


 こんな人間なんです、とどこか自嘲めいた笑いが彼女の口からこぼれた。今日ずっと聞いていた鈴を転がすみたいな笑い声とは全然違う、僕の心がきしむような笑いだった。


 行きましょう、と立ち上がりかけたサトカさんの手を僕はとっさにつかんだ。


「サトカさん、待って」


 彼女は振り返った。おびえたように、暗い瞳で僕を無言でじっと見つめる。ヘッドライトの中の鹿のようだと思った、あの表情だった。


「また、お誘いしてもいいですか。僕はもっとサトカさんのことが知りたい」


「どうしてですか。さっきの話で、わかったと思います。こんな暗い人間ですよ」


「さっきの話でわかったことですか。ええと、サトカさんは誕生日が来ていれば二十六歳ってことかな」


 六年制の薬学部をストレートで卒業して二年近くという話だった。


 サトカさんは僕をきっとにらんだ。


「茶化さないでください」


「茶化してません。サトカさんにとってとても大事な話をしてくださったのですよね。でも、あれがサトカさんの全部で、だからもういいでしょう、とは僕には思えないです。これまでもずっと、僕のしょうもない冗談にあんなに笑ってくれたり、ちょっとほめるとすぐうろたえたり、僕がだめだったところはフォローしてくれたりしてたじゃないですか。そういうのはあの話に入っていないけど、僕がちゃんと観察している事実です。だから、僕はサトカさんのことがもっと知りたい」


 たとえば、と僕は言葉をつないだ。


「誕生日はいつですか?」


「……そう来ますか?」


「僕のことを言えば、僕は、打たれ強くて、空気を読まない人間なんです。いままでそれでしくじったことも何回かありますけど、今日は僕が僕でよかったと思う。こうやって、最後のチャンスまで食い下がれるから。もう、僕が嫌だなと思ったら、そう言ってください。空気を読まないかわりに、言われたことはきちんと受け止めます」


 サトカさんは、僕がつかんでいないほうの手をあげた。


「降参です。……八月」


「じゃあ、二十六歳ですね」


「ずるいですよ。吉見さんはおいくつなんですか?」


 すねたような顔で言う。さっきまでの暗い憑き物のような影は、その瞳から消えていた。


「僕ですか? 今二十九で、もう少しで三十です」


「じゃあ、やっぱりバブル期のトレンディドラマをリアルタイムで見ていた世代ではないですね」


「違うって言ったじゃないですか」


 僕が笑うと、彼女もつられたように笑った。


 そのまま黙って、二人で残りのコーヒーを飲んだ。誰かと一緒にいて、何も話していない時間が、こんなにリラックスしていたのは久しぶりだった。半年分の時間を三十分で過ごしたような気がした。


「行きましょうか」


 僕は彼女から飲み終わったカップを奪い取ると、二人分のごみをまとめてレジ袋に入れ、バッグに押し込んだ。先に立ち上がって、彼女の手を引いた。つないだ手をあっさり外されるかな、と思ったけれど、彼女はそのままで僕の横に立った。


「あの、名前」


 サトカさんは頬を赤くして、口の中で何かをぼそぼそと言う。


「なんですか?」


 問い返してから、思い当って僕も頬が熱くなった。なれなれしいと思って、声に出すときは、苗字で呼ぶように気をつけていたのだ。さっきは焦ってその配慮がすっかり飛んでいて、名前で呼んでいた。


「サトカさんって、このまま呼んでいてもいいですか」


 すこしかがんで目線の高さを合わせて尋ねた。彼女はうなずいた。


 どさくさ紛れにつないだ手をそのままに、僕が歩き始めると、彼女は半歩遅れてついてきた。あまりに小さい声だったので、僕は危うく聞き逃すところだった。


「私も、吉見さんをお名前で呼んでもいいですか」


 振り返ったらきっと、真っ赤な顔をしているんだろうな。


 僕はつないだ手に力を込めた。こういうときって、なんて返事をすればいいんだろう。


「光栄です」


 言ってから、ちょっと違ったかな、かっこ悪かったかな、と思ったけれど、取り消せないのでそのままにしておいた。振り返らなかったのは、顔を赤くしている彼女を見ない心遣いではなくて、やっぱり赤くなっている自分の顔を見られたら恥ずかしいというエゴだったと思う。


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