過去の出来事1
今回は奈月の過去編第1弾です。
多少重い感じになりますが、ここからがこの物語のスタートです。
私は比較的幸せな人生を今までおくれてきたと思う。あの時までは…
私が生まれたのはいわゆる富裕層と呼ばれる家だった。
家は大きく広い庭もある一軒家で父は大手企業の幹部クラスで次期社長とも呼ばれていたような仕事人だったが私には甘かった。
今思えば私が天才と呼ばれるようになったのも父の遺伝子と、親バカだった父が原因だと思う。
私は赤ちゃんのころ人よりもはやい時期に喋れるようになったり、歩けるような子で何かあるたびに父が「奈月は他の子よりも頭がよくなる」や、「奈月は運動もできる天才かもなぁ」などと言っていたと、母から聞いたことがあった。
そんな父は私に早くから英才教育をうけさせて天才に育てようと、県内でも有名な私立の幼稚園から大学までがエスカレーターの学園に私は入園した。
入園してからは高いレベルの勉強やスポーツの授業を幼稚園から受けさせられた。私の場合それだけではなく学習塾やピアノ、水泳の教室、さらには護身術として空手の道場にも通っていた。
元々高かった私の身体能力や思考能力は学んだことの全てを吸収した。
勉強では中学にあがる頃には高校の範囲を全てマスターしていたし、空手は小学校までやっていたが全国大会で2度の優勝と6度の出場を経験して、水泳では中学で全国2連覇、ピアノではでたコンクールでは絶対に何らかの賞をとっていた。
こんなにいろいろな種目で大会に出場したり、表彰されるともちろん世間は黙っていなく、テレビで特集されたり取材を受けることもあった。私は少し恥ずかしかったが別に悪い気はしなかった。
そんな私を神様が憎んだのかある1つの事件がおこった。
約半年前、雪村家では毎年恒例のハワイ旅行があった。これは親戚全員で1週間お盆の時期にみんなでハワイに行くというものだった。
私は、来年からは学園の高等部ではなく父の母校の高校に通う予定だったため受験勉強するために家に残っていた。正直私は、学園に残って真白や他の友達と一緒に高等部にいきたかった。
両親はその日朝ごはんを一緒に食べたあと、空港に向かった。私はその日夏休みでも少ない塾が1日中休みの日だったため、家で勉強をしたりピアノをひいていた。
その日の夕方ふとつけたニュースでハワイ行きの飛行機が墜落したというニュースを見た。私は不安になり父や母、親戚の人全員に電話をかけたが誰一人として繋がらず、メッセージを送っても誰からも返信がなかった。
私は事実を受け入れることができなかった。そしてその日は、朝までリビングで泣いていた。次に時計を見たときには、ニュースを見てから2日後の朝だった。
私は携帯を見ると、お父さんの弟の奥さんである清香さんから大量の連絡があった。清香さんはどうしてもはずせない用事があって今回の旅行行けなかったらしく、親族がひとりでも残っていたことが唯一のすくいだった。
そしてその後、親族全員の葬儀を清香さんと2人だけで行った。私と清香さんは、親族ほぼ全員の大量の保険金と航空会社からもらったこれまた大量の慰謝料があったが、これからの学費と生活費以外は清香さんに成人するまで預けることにした。
清香さんは私に一緒に住まないかと、言っていたけど清香さんはまだ若いし、血縁関係の無いことを考えるとどうしても清香さんの人生を使ってしまうことが申しわけなくなって、一緒に住むことはしなかった。
しかし、保護者がいなくなった私の場合できないことも多いため、かたちだけ保護者になってもらった。
そして私は私立の学園ではなく公立の高校に通うことにしたが、学園側が特待生として私をとってくれることになり中等部を卒業しても高等部に進学できるようになった。
ただ1つメディアに露出していた私が事故でまわりの親族が死んでしまったことを世間が見逃すはずがなく、大きくテレビや新聞で取り上げられたことには今でも腹がたっている。
そんな私が何で今までやってこなかったVRMMOをやろうと思ったのは単純に寂しくなったからだ。
別に友達がいないわけではないし、清香さんも家に来てくれる。だけどほとんどの時間を大きな家で1人でくらしているうちにやっぱり父と母が思い浮かんでしまい、寂しくなってしまう。
だからこそ仮想空間にいることで寂しさをまぎらわして楽しく過ごしたいから始めることにした。そして私には第二目標というか夢ができた。
けれどその夢については話すと長くなるからまた今度の機会にでも話したいと思う。私が夢を叶える準備ができた時…