8 とある巨人と若様
アンロスト伯爵の大喝を受けて若い男はビクッと震えた。
しかし、気丈に反論する。
「これはこれは伯爵様。ようこそいらっしゃいました。ですが、我が父は先の戦いで重傷を負い、回復の見込みはたっていません。ですから、今は私がこの椅子の主人です」
あ、ここは医学が発達していないから、大きな怪我をすると治るかどうかは運次第なんだ。
俺も気をつけないと。
「そんな事を言っているのではない! お前の父がここに居たらな、あいつはすぐに席を立って俺を出迎えたぞ。そして俺に上座を譲ったはずだ。それなのに、何故、お前はそこに座っているか!」
ブラームス子爵とアンロスト伯爵だものな。子爵と伯爵ならば伯爵の方が貴族として一階級上だ。
なるほどな、伯爵さんの不機嫌の理由は礼儀知らずの若造に対してのものだったか。
小ブラームスさんは大きな椅子からずれ落ちるように腰を抜かしている。
「しかもだ! それは平時の話だ! 自分の領地が攻められて一部を切り取られる寸前。そこを救ってもらった相手に対してなら、屋敷の中で迎えるなど非礼の極み。町の外まで出迎えるのが常識だ」
「あああ」
可哀想に。
小ブラームスさんはパニックでも起こしたのか、言葉を使うことも出来ず手足を無意味に動かしている。
三角顎の伯爵はそれを鼻で笑った。
若造に顔を近づける。
「そもそもだ。ブラームス領は戦で大敗した直後であろうが。次期領主たらんとするならば椅子の座り心地を確かめる前にやるべき事があるはずだ。……寝食を忘れて軍の再編に励んでいたのならば、多少の非礼には目をつむるが、な」
そんな風には見えないな。
責任感がなく、打たれ弱い。現代っ子はひ弱でいけない。
あ、現代っ子じゃなくて貴族のドラ息子か。
若い子への教育的指導は伯爵さんに任せて、俺は周囲に目を向ける。
この部屋にはブラームス子爵側の人間ももちろん居るが、自分たちの主人より高位の貴族に対して手出し口出しできずにいる様だ。
俺はギョッとした。
いつの間にか俺の足元にお婆さんが立っていた。
小柄な老婆は俺からは見えづらいとは言え、俺に気配を悟らせずに接近するとは只者ではない。
「ふぉふぉ。伯爵様、その者を責めるのはそのぐらいにして下さらんか。そやつに席を温めておくようにと勧めたのはわしらなのでな」
「星読みのオババ様か」
「いかにも。星読みのウルーリカじゃ。……お見知りおきを」
ウルーリカと名乗ったお婆さんはなぜか俺に向かって挨拶して来た。
俺も挨拶を返そうとして、身をかがめた……だけでは足りず、膝をついてもまだ俺の頭の方がずっと上で困る。目を合わせるためにもお婆さんにはもう少し離れてほしい。
「俺はジャイアントと名乗っている。こちらこそ、よろしく」
「ほう、ジャイアントか。本名ではないが、偽名でもない。微妙な所じゃのう」
星読みのお婆さんのこちらの言うことがわかっているかのような受け答えに、俺は目をパチクリさせる。
驚いたのは俺だけではなかったようだ。
「オババ様、この御仁の言葉が分かるのか?」
「他人が言っている内容を察するのは、ちょっと徳の高い者ならば難しい事ではないよ。このお方もこちらの言葉を理解しているはず。……違いますか?」
俺はうなづいた。そしてちょっと目をそらす。特に意識して隠していた訳ではないが、バツが悪い。
「なんと、只者ではないと思ってはいたが。それではこの御仁はどこかの高僧?」
「いや、そんな大それた者ではないよ」
「本人は否定しているが、どうかのう? 僧ではなくとも人々の尊敬を集める立場であるのは間違い無いが」
いやいや、ホントに大した事ないって。
俺の名前なんて俺が死んで2、3年したら誰も覚えてないだろうよ。
「本格的に見てみるかのう。これほどの徳を感じさせるお人がどんな方なのか、実に興味深い」
お婆さんは懐から小さな水晶玉らしき物を取り出した。
それを俺に向けてのぞき込む。
さすがファンタジーな世界。水晶玉占いでイロイロ分かるのか?
俺のプライバシーは、まぁいいか。
どうせ、有名人としてしか生きられない俺だ。有名税を払うのには慣れている。それよりも、俺がこの地にどうやって出現したのか、あちらで確認してくれるのならばありがたい。
水晶玉が淡い光をはなつ。
「見えてきたぞ。このお方の性質は善良。正直で実直」
そうか?
そうありたい、とは思っているけどな。
「多くの弟子を持ち、その名は広く知られている。……やはり高僧ではないか」
そんな偉そうな者じゃないよ。ただの人気商売だ。
まるで修行僧のような弟子は居たが。
「日常的に戦いの気配。しかし、殺しや恨みの気配はなし。試合、神様への奉納試合か?」
お客様は神様です。
ま、相撲辺りは神事としての性質もあるから、神様への奉納と興行が両立しないわけではない。プロレスは生臭だが。
「この方が人々の尊敬と憧憬を集めていることは確かじゃ。それは一国程度に収まる量ではない。世界中に広く轟くほどの名声じゃ。わしらが彼のことを聞いたことが無いのが信じられないほどの名誉が彼には詰まっている」
お婆さんがそこまで語った時、ピシリと小さな音がした。
水晶玉に亀裂が入った。お婆さんは悲鳴を上げて後ずさる。
「な、なんじゃ! わしの目の許容量をオーバーしただと! そのような事があるはずがない!」
「オババ様、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか、はなたれ小僧! わしの目でとらえ切れぬなど、皇帝陛下でもあり得ぬ。神話か伝説の英雄でもこれほどの名声を持っているかどうか怪しいものだ。ジャイアントとやら、あなたはいったい何者だ? 本名は何という?」
お年寄りが興奮しすぎるのは良くないと思う。
俺は相手を抑えるような仕草をしながら答える。
「本名を言ってもあなたたちは知らないと思う」
「そんなはずあるか! たとえあなたの国が世界の果てにあってもここまでその名が届く、それだけの名声をあなたは持っているはずだ!」
俺は頭を掻いた。
困ってしまう。なんと答えよう?
正直と実直こそが俺の持ち味かな。
「俺の国はその世界の果ての向こうにあるからだよ」
「何と! あなたは真実、天界の住人なのか?」
「そんな大層なものじゃないよ。普通の方法では行き来できない遠く離れた場所だというだけだ。悪戯な神様が俺をここまで運んで来ただけでね」
伯爵さんたちは俺の言葉は理解できないが、オババ様の言うことは聞こえているはずだ。それを考えて、俺は大きく身振りを交えて否定した。
「何処かの神の一柱が介入なさったのか。あなたほどの英雄に対してならばそんな事もあるやも知れんな」
「だから英雄ではないって」
「その言葉にはひとかけらの信憑性も感じられぬ」
英雄でも高僧でもなくて、ただのプロレスラーなんだけどな。
名声が異常に高いというのは単純に人口とマスメディアが原因だ。
過大な評価に気が重い。
「それはそうと、俺のことなど本来は些末なのではないのか?」
「ん?」
「そこの領主殿の御子息はどうされる?」
俺に話題が移ってすっかり忘れられていたブラームスさんは、その間に多少なりとも回復していた。
立ち直った、とは言い難いが何とか椅子にまっすぐ座りなおした。今は立ち上がろうとしている。
努力の片鱗ぐらいは認めてもよいと思う。
しかし、ウルーリカさんも伯爵も彼に虫でも見るような目を向ける。
会話に参加していないが、リスティーヌさんもだ。冷たい視線の破壊力という意味では彼女の目が一番ひどいかも知れない。
「見ての通り、コレは到底、乱世を生き抜ける玉ではない。兵たちにも見捨てられて、邪魔をするなとここへ押し込まれたのよ。本人は次期領主にふさわしい居場所だと思っていたのかも知れないが、な」
「それは、気の毒だ。こんな若い子が何も教えられずに大人たちを統率するのは相当に難しいぞ」
簡単だと思って団体を立ち上げて、そのまま崩壊させる者は結構多い。
腕力で言うことを聞かせられるぐらいに本人が強ければいいんだが、なかなかそうは行かないからな。
「その難しいことをやらなければならないのが子爵という立場よ。幸い、この者の下には弟御のサムラン様がいる。そちらを盛り立てていけば何とかなる」
ウルーリカ婆さんの言葉も、まぁ、わかる。
子爵っていう地位は貴族としても上の方だ。ぼんくらがやっていい事じゃない。
しかし、どうだろうな?
大人としては経験不足の若い子が一度や二度失敗したからといって、それで見捨てるのは良くないと思う。
本人に何とかしたいという意思があればの話だが。
俺はまだ名前を聞いてもいない若者に近寄った。小ブラームスというのは名前じゃないよな。通り名か?
ようやく立ち上がった若者を見下ろす。
若者は俺を恐れていた。
一歩、後ずさる。
そのまま腰を抜かすか? それとも悲鳴を上げて逃げ出すか?
どちらでもなかった。
俺を見上げて睨み返してきた。
俺は微笑んだ。
彼の肩に手を置き、その後ろにまわる。
若者は戸惑って俺を見上げているが、逃がさない。どこかの一族じゃないが、俺にだってアイアンクローぐらい使える。素人では俺の握力からは逃れられないよ。
俺の目は伯爵様やオババ様に向いている。彼も他の者たちもそれに気づいた。
異世界から来た巨人が次期当主の後ろに立つ。
この構図を説明するのに言葉は必要なかった。