4 とある巨人の意思疎通
三角顎の男はこの場では一番偉そうだ。この軍勢を率いる将軍か何かだろうか?
3000人規模の部隊を統率するなら将官ではなく大佐あたりかもしれないが、地球と同じ階級制度を用いているわけは無い。その辺りは考えるだけ無駄だろう。
いや、この規模の軍隊だと確か呼称は連隊。連隊の元になったのは大貴族の私兵集団だからこの辺の考察も無意味ではない、か。
つまり、三角顎の男は日本でいう『殿様』のような封建領主である可能性が高い。絶対君主の元での大佐クラスか小国の国王である可能性も同じぐらいあるが。
「叔父様!」
娘さんが歓声をあげた。
良いところのお嬢さんらしく殿様(仮称)と血縁のようだ。あまり似ていないが。
「リスティーヌ、無事だったか!」
三角顎の殿様は娘さんに駆け寄った。
殿様と俺の間にお付きの兵士たちがずらりと並ぶ。武器を構えこそしないが、今にも飛びかかって来そうではある。
俺はそちらには反応せず、叔父と姪の動向を注視する。今大事なのは権力者たちの意向だ。下っ端の言動などどうでもいい。
「はい、おかげさまで。私の神聖武装は?」
「一応、持って来てはある。って、まだ前線に出るつもりか?」
「もちろんです。武装さえあれば、私はそこらの兵よりずっと強いですわ」
「ダメだ。許可できん。お前にもしもの事があったら兄上に申し訳が立たん」
なんだか物騒な話をしている。
それにしても「神聖武装」とは何だろう? 神々しくて特別な何か、という事は分かるのだ。しかし、日本語にない概念だとはっきりとは伝わってこない。
跳躍する漫画雑誌に出てくるような何か、という理解でよいのだろうか?
「でしたら、私は何の為に……」
「それよりも、だ。そこの御仁は何者だ?」
おっと、注意がこっちに向いた。俺としてはあちらの内輪の話をもう少し続けてもらった方が、情報収集上ありがたかったのだが。
「わかりません。いきなり現れて助けてくれたのです」
「助けられた? どういう風に?」
「私を追いかけて来たゴブリン追い払い、その後に現れたオーガーと交戦。オーガーを素手で絞め殺しました」
リスティーヌと呼ばれた娘さんは、兵士が持つ生首に視線を向けた。
「何と! オーガーを一騎打ちで討ち取っただと? それも素手で? なんという化け物だ!」
三角顎の俺に向ける目に畏怖が混ざる。
彼の言う「化け物」が「化け物のような偉業を成し遂げた人間」という意味なら良いのだが、どうも正真正銘の「怪物」として語っているようなのが問題だ。
そして俺は気がついた。
俺はどうやってここへ来たと思われているのだろう?
俺のような身長、風体の者が旅をしていて噂にならないはずはない。俺が人里を移動していれば、ほぼ確実に噂が広がる。日本でもアメリカでも、俺がこれまで訪れたすべての土地でそれは共通している。
では、俺はどこから来た?
神様に連れてこられた、などという「正解」にたどり着けない者はどう考える?
自分たちの知らないルート、情報を得ることができないルートで来たに決まっている。
この場合は鬼の軍勢だ。
鬼たちとともにやって来て、その後に仲違いした。そう考えるのが自然だろう。
焦る俺に気づかず、リスティーヌさんが言葉を紡ぐ。
「ですが、この方からは邪な気を感じません。鬼の一員ではないと思います」
「北方に住まうという巨人族なのか? 人とも精霊ともつかない者たちがいると聞いた事があるが」
「私はその者たちを知りません。けれど、この方はそこまで特別な存在とも感じません。まるで、ただ身体が大きいだけの人間のよう」
「こんな人間がいるものか。だいたい、身体がデカイだけの木偶の坊にオーガーを縊り殺すなど出来るはずがあるまい」
聞いていると俺の精神にザクザク突き刺さる。
前世から慣れっこではあるけれど、何も感じないわけではないんだぜ。
俺は居住まいをただした。
小さく一歩前に出る。三角顎をまっすぐに見つめた。
「お初にお目にかかる、指揮官殿。私はあなたの姓名・階級を存じ上げないのでこう呼びかけることをお許し願いたい」
俺は彼らの言葉を話せない。だから完全に日本語で話しかけた。
通じなくともいい。まずはこちらから話しかける、その行動そのものがメッセージだ。たとえ言葉が通じなくても、俺はコミュニケーションが取れない怪物ではない。まずはそれを伝えたい。
俺に話しかけられて、三角顎も表情を引き締める。身内に対するものではない、外交官の顔つきになる。
あちらも自分の言葉で返してきた。
「申し訳ないが、自分は貴殿の言葉を存じ上げない」
これでお互いに相手の言葉を話せないが、話し合う意思はあることが共通理解になったわけだ。
俺の方だけは相手の言葉を理解できる。このことは隠しておいたほうが良いだろうか? 彼らが「不思議なこと」にどれだけ耐性を持っているかわからない。だから判断が難しい。
俺が迷っていると三角顎のほうが先に言葉をつづけた。
「自分はクレシェント王国のドニオ・アンロスト伯爵です。以後、お見知り置きを」
「クレシェント?」
アンロスト伯爵は器用に首を上下左右に振った。そして「クレシェント」と言いながら足踏みする。クレシェントは地名だと言いたいのだろう。
彼は自分を指差して「アンロスト」とも言う。
俺は彼と娘さんを指差しながら「アンロスト」「リスティーヌ」とくりかえす。
さて、今度は俺が自己紹介する番だ。俺は自分の生前の名前を名乗ろうとして、口ごもった。
俺は誰だ?
別に記憶がなくなったわけじゃない。だが、俺は死んだはずだ。
ナントカ居士とかの戒名をつけられたらしいし、長年使った古傷や故障だらけの肉体は立派な棺に入れられて火葬されたはず。俺の身長にあう棺桶があるかどうか不安だが、そこは特別注文で何とかしたと期待しておこう。
ん? なぜか俺が自分の引退試合に出場したような記憶がおぼろげにあるが、そんなはずはない。リングの上に立って魔王な破壊者とがっちり握手したような気がするが、俺は病院で死んだはずだ。引退興行なんかできなかった。……気のせいだな。
気のせいな部分は横に置くとして、問題なのは俺が生前の自分と同じ人物かどうかだ。
今の俺の体は若返っているだけじゃない。このぐらいの年齢の時に既に抱えていた故障もその影すらない。時間が巻き戻ったのではなく、完璧に鍛え上げられた理想の肉体そのものだ。やろうと思えば野球のマウンドに戻ることもできるだろう。
同一の肉体を持っていない者は、はたして同一人物か?
転生だか何だかしたにもかかわらず、俺は成人の肉体を与えられている。だからややこしいが、普通に言われる転生、赤ん坊からのやり直しならば法律上は間違いなく別人だよな。別の両親を持ち、別の戸籍を与えられ、本人にどんな記憶があろうとそれは本人の内面の問題でしかない。
今の俺は前世では死亡しているが、今いるこの世界では両親どころか一切の過去を持たない異物だ。俺は何者でもないし、名乗るのならばどんな名前でも許される。
でもな、俺が生前積んできたトレーニングや試合でのダメージが全く蓄積されていないこの身体が俺だと言うのも釈然としない。
過去の俺の肉体は荼毘に付され、ただの遺骨となった。過去の俺は人々の記憶とフィルムの中に残る。それだけでいいじゃないか。
俺は生前の名前を使うのをやめた。
ならば俺は何者であるか?
簡単だ。
「私の名前はジャイアントだ」
巨人、を意味するこの地の言葉はすでに学習しているが、俺はあえて日本語でジャイアントと言った。
英語じゃないか、というツッコミは無しな。日本語のカタカナでジャイアントだ。そう発音した。
俺は自分を指さしながらもう一度言った。
「ジャイアント」
ま、この異世界でのリングネームだな。
俺はジャイアントだ。