1 とある巨人の異世界召喚
「唐突ですが、あなたには異世界へ行ってもらいます」
「は?」
それはまた、えらく唐突だな。
目の前にいるのは神様だか閻魔様だか、神聖でとっても偉く感じられる何者か。なんとなく女神さまのような気はするが、よくわからない。菩薩様かな?
俺は確か、さっき死んだんだよな。
病気になって、苦しくて苦しくて、それが楽になって。……うん、俺は死んでいる。それが異世界へ、って、何事?
「異世界って、それ、行かなきゃダメか?」
「嫌なのですか?」
「だって、俺も結構な歳だし。身体も若いころほど動かないしな」
「大丈夫です。あちらでは全盛期の体を用意します」
「いや、俺はもう現世に未練なんかないんだよ。俺は結構、好き勝手に生きてきた気がするし。控えめに言っても大金持ちと言えるぐらいに金を稼いで、若い者も育てた。あっちに残してきた物が全然気にならないと言ったら嘘になるが、後はあいつらが立派にやっていくだろう。俺としてはもう極楽往生したいんだが」
目の前の神様は難しい顔でため息をついた。
ひょっとして、俺って地獄落ち? 正直に誠実に生きて死んだつもりなんだけどな。
「実は、あなたは戒名が足りなくて」
「え? 俺って葬式代をケチられた?」
「そうではありません。常識的に考えて一番いい戒名はついているんですが、あなたの徳のほうが大きすぎるのです。神や仏としてそのまま祭り上げたほうが適切なぐらいに」
「そんな馬鹿な」
「そんな訳でして、普通に極楽に行ってもらうのが難しい状況なのです。かと言って、あなたを祭る神社仏閣を新たに建立するようにと神託を下すのも……」
「やめてくれ!」
そんな事されたら死ぬ。
もう死んでいても恥ずかしさでもう一回死ぬ。間違いなく死ねる。
俺の遺産を使えば小さな社ぐらいは造れるだろうが、そこへ俺を拝みに来るやつがいるなんて耐えられん!
「という事で、あなたに異世界に行ってもらってそこでさらに徳を積み、誰からも認められる完全な神格を得てもらうのが一番簡単な解決法なのです」
「神格って、それも面倒そうなんだが」
「別に悪行を行って徳を落としてもらっても構いません。おすすめはしませんが」
「極楽でも煉獄でも、適当なところへ送ってもらうんじゃあダメか?」
俺は困った顔をして相手を見つめた。
生前はこの方法で譲歩を引き出すのが得意だったんだ。
だが、敵はさすがに神様だった。
俺の困った顔攻撃を小首をかしげて返してきやがった。
「お願いできませんか?」
俺はここにはいないレフリーがカウント三つを数えるのを聞いた。
俺は両手を挙げた。
「わかった。徳が増えなくても文句は言うなよ」
「はい」
「悪いことばかりするかもしれないぞ」
「そんな人はここまで徳をためませんから」
「で、どんなところへ行くんだ?」
「いわゆる、ファンタジー系の世界ですね。指輪物語とか、その系統の」
「ほう」
「治安はあまり良くありません。戦うのは得意でしょう?」
「殺し合いが得意なわけじゃないぞ」
だが、まあ、治安が悪いぐらいなら何とかなるだろう。そういう所へ行くのは初めてじゃない。
「特典として現地の言葉は理解できるようにしておきます」
「さすが神様だな」
言葉が通じなくとも意外と何とかなるものだが、この歳になって新しい言葉を一から覚えなくて済むのはありがたい。いや、あちらでは若返っているんだったか?
神様ってのは何でもありだな。
「あなたには既に神仏に近いぐらいの徳がありますからあちらに転移したら何がしかの能力を獲得すると思われます。そちらはご自分で確認してください」
「わかった」
神様が、じゃなくて反則気味なのは俺のほうだったのか。
ま、もう死んでいるのだから反則技は勘弁してもらおう。
「では、転移します」
え? もう行くの?
もう少し、行先の地理とか注意事項とか、何かないの? 豚肉を食べちゃダメとか現地のタブーぐらいは聞いておきたいんだけど。
そこまで考えた時、俺の視界が暗転した。
暗転したと思ったらもとに戻った。
いや、戻ってないな。まったく別の場所だ。
焦げくさい臭いがする。
火事場にやってきたのかと思った。だが、違う。そんな生易しい代物ではない。
どっちかと言うと戦場だ。敵味方が入り乱れる市街戦。
これは治安が悪いっていうレベルの物じゃないだろう。責任者出てこい。さっきの神様、名前を聞いておくんだった。
指輪物語みたいな世界と言っていた通り、銃器とかは使われていない。剣とか斧とかで交戦中だ。
銃がないのは一安心、と言いたいが人を殺すには小さなナイフが一本あれば十分だ。それを俺は嫌というほど知っている。刃渡りが60センチから1メートルぐらいの剣ならばオーバーキルと言いたい。
俺は自分の持ち物と服装を素早くチェックする。
飽きるほどに着慣れた、いつもの格好だ。つまり丸腰。凶器はなし。防具もなし。
どうするか?
戦争の当事者たちと関わりがないのだからどこかへ逃げ隠れしたいが、俺は隠れるのはとても苦手だ。どうせすぐに発見される。それぐらいならば堂々と身をさらしていたほうが有利かもしれない。
ま、俺が剣を持っていても使いこなせはしないだろう。俺が振り回せる物と言ったら、野球のバットぐらいだ。
長々と考えている暇はなかった。
こっちに向かって綺麗な娘さんが逃げてくる。俺を頼って逃げてくるわけではない。後ろからゾクッとするほど醜い小男が追いかけてきている。世界には色々な人種がいるし、そいつも同族の間では美男子だったりするのかも知れないが、俺の日本人的な審美眼だととても醜い男だ。顔だけではなく表情も醜い。娘さんがその男に捕まったらどんな目にあわされるか、容易に想像できるような表情だ。
実際、俺は考えもしなかった。
無意識のうちに体が動いていた。
二歩三歩と大股で歩き、そのまま足を振り上げる。
俺のブーツが小男の胸板にぶち当たる。
俺とそいつの体重差は三倍以上あるだろう。小男は自動車にぶつかったような勢いで後方へ吹き飛んだ。
今のスピードとパワー、確かに全盛期の物が戻ってきているな。
やりすぎちまったかな、と心の片隅で思いつつも、俺は笑みを浮かべるのを抑えられなかった。
いきなり現れた俺に驚き、娘さんが俺を見上げた。
ビックリした、か?
ビックリして、そして怖がっているな。
俺を初めて見た人間が俺を怖がるのは、別に珍しい事じゃない。もう慣れた。ちょっぴり傷つかない訳じゃないけどな。
吹っ飛ばした小男の後ろから、同じような奴らが5人ほどやってくる。1分隊ってやつか?
完全に敵にまわしちまったな。
俺は醜い小男たちと娘さんの間に立った。
娘さんが俺を見上げて何か言った。その言葉は日本語でも英語でも、俺の知っているどんな言葉でもなかったが、なぜかその意味はわかった。
いや、神様からボーナスをもらっていなくても意味を察するのは簡単だったかもしれない。それは俺を表す言葉であり、俺の名前でもある。
「巨人」
そうさ。俺はジャイアントだ。
人並み外れた身長をもつプロレスラー。
俺は身につけていた豪華なガウンを脱いだ。
その下から現れたのは記憶にあるより厚みを増した肉体。俺は死ぬまで現役を続けたが、やはり歳をくって来ると肉体は衰えた。現役=第一線、ではなかった。今のこの身体なら、弟子たちにも引けは取らない。
身につけているのは赤のショートタイツと16インチサイズのブーツのみ。
「持っていてくれ」
俺はガウンを娘さんに持たせた。娘さんの身なりは結構良い。持ち逃げされたりはしないだろう。ガウンのあまりの大きさに目を白黒させている。
さて、世界の、異世界の巨人のデビュー戦だ。
俺は小男たちに向かって構えようとした。
相手が小さすぎて構える意味がない。
俺は両腕を上げて相手を威嚇するポーズをとった。
小さな男たちは足を止めた。どう見ても怯んでいる。
あっちは刃物を持っていて、俺は素手だ。俺の側が一方的に有利な訳ではないのだけれど。
俺は相手の戦意を挫く言葉を必死で探した。
「こんばんは」
あ、違った。陽は高い。
「こんにちは。……ここは平和的に話し合いで解決しないか?」