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本当の嘘  作者: marusato
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本当の嘘 第1話


「…参ったなぁ…」


 僕は今、「雨宿り」をしている。公園の中にある屋根のついた休憩所のようなところにいる。僕の仕事は雨が降り出したら中止する業種だ。小雨程度なら続けることもできるけど、水たまりができるほどの雨が降っている。僕は空を見上げた。黒に近い灰色の雲が覆っていた。


「しばらく様子をみるか…」


 僕は自転車が濡れないように内側に寄せた。自転車には前と後ろにカゴがついている。そのカゴにはチラシが3種類入っている。僕の仕事はチラシ配りだ。チラシは大切な商品なので濡らすわけにはいかない。もし使い物にならなくしたなら会社から怒られることになる。


 カゴに入れてあるチラシは、一応大きなビニール袋で包んではいる。けれど、安心はできない。この仕事をはじめて3日目に大失敗をしたことがある。ビニール袋に穴があいていたのだ。そのときはチラシの半分以上が雨で濡れてしまった。そのときはまだ初心者だったので注意される程度で済んだ。だけど、次回は注意では済まないだろう。実際、怒られていた人がいた。


 考えようによっては、ビニール袋に穴があいていたのだから「責任はない」と言い張ることもできるかもしれない。けれど、その程度のことで気まずい関係になるのは得策ではない。とにかく、ビニール袋を信用してはいけない。



 雨が降っているときの公園は静かだ。僕以外は誰もいない。広さは小学校の体育館くらいだろうか。左手のほうにブランコと滑り台、右手のほうに大きな木、その先に通行口がある。


 公園の外のほうを見た。傘を差しながら歩道を歩いているちょっと肥り気味の中年女性が僕のほうをチラッと見た。公園にひとりポツンと雨宿りをしている光景が目立つようだ。公園の前を通るほとんどの人が一度は僕のほうを見る。


 雨が一段と強くなってきた。僕はスマホを取り出し会社に連絡しようと思った。けれど、なんとなく躊躇する気持ちもある。安易に電話をすると「早く帰りたがっている」と思われてしまう危険性がある。怠け者と思われるのは悔しい。仕事に対するプライドはまだ少し残っている。


 会社と言ってもマンションの一室で中年夫婦が二人で経営している小規模の会社である。従業員などはいない。この場合の従業員とは「固定給が支払われている」という意味だ。僕の賃金は出来高制なので正社員とは違う。会社から配布員はスタッフと呼ばれていた。スタッフの入れ替わりは多い。一日で辞める者もいる。一日に三万歩以上を歩くのはやはり苦痛だ。スタッフの顔ぶれも様々だ。僕のように専業でやっている者もいれば自営業者の副業だったり学生だったり役者の卵だったり、ニートだったり…。


 スマホがバイブした。僕は会社からの連絡を期待した。「雨が強いから今日は中止」などと連絡がくればうれしい。

 スマホを取り出すとバイブの原因は電話ではなくメールだった。


 実は、僕はメールというか、それ以前にスマホが好きではない。今の仕事に就くまでスマホは持っていなかった。前の職場では会社から支給されていたので購入する必要もなかった。しかし、小規模の今の会社では支給するほどの余裕はない。面接のときに「スマホを持っていますか」と尋ねられた。採用されたいばかりについ「近々、買うつもりです」と答えてしまった。配布員という仕事ではスマホは特に必需品だ。


 そのスマホにメールがきた。しかも、会社からではないメールがきた。知らない人からのメールだった。僕のアドレスを知っている人はほんの数人だ。母親と姉貴と友人知人の数人だけだ。


 基本的にメールもあまり好きではない。文章を考えるのが面倒だからだ。最後にメールをした相手は唯一の知人である前の会社の後輩だ。知人というレベルに相応しい相手だった。


 後輩とアドレスを交換したのは半年ほど前である。駅で偶然再会したのだ。僕は以前ガラスを扱っている商社に勤めていた。職種は営業である。辞めた理由は、会社に勤めていれば誰でもが経験するであろう人間関係だ。そもそも僕には営業は向いていなかった。今の仕事を選んだのはそんなことも影響している。配布に出れば誰にも会わず人間関係に煩わしさを感じることもない。


 退職後、雇用保険の手続きで会社に行く必要があった。その帰り道に駅で後輩に声をかけられたのだ。声をかけられたとき僕は少々驚いた。後輩の顔は知っていたし、言葉も交わしたことがあるけど仕事上での事務的な会話に過ぎなかったからだ。彼女は人事部で働いていて、僕が人事部に用事があったときに言葉を交わした程度の知り合いである。


 彼女と話しかけられたときは緊張した。基本的に僕は女性が苦手である。生まれつきの奥手という性格が災いして彼女と呼べるような女性とつきあったことがない。営業という人と接する仕事に就いてはいたけど、人と接することにいつも苦痛を感じていた。いっぱしに「彼女がほしい」などと思ったことがないでもないけど、結局は仕事に追われて作るきっかけがなかった。そんな僕だから、彼女に話しかけれたときは緊張した


 声をかけられて「こんにちは」と返したけどあとが続かなかった。彼女にしても、「声はかけたけど」そのあとどうしていいかわからないようだった。緊張感だけが漂っている不思議な空間だった。そんな空間を和ませるために僕は買ったばかりのスマホを見せた。


「まだ、誰からもメールをもらったことがないんですよ」


 彼女は微笑みながら自分のスマホを取り出した。


「それじゃぁ、私が一番目になりますね」


<こいにちは>


 僕はメールの画面を見ながら彼女に訪ねた。


「<こいにちは>ってなんですか?」


「えっ、<こんにちは>って送ったんですけど」


 僕が画面を見せると彼女は笑い出した。


「私、オッチョコチョイなんですよね」


 それ以来彼女は僕のメル友である。しかし一般の人の感覚ではメル友とは言えないかもしれない。彼女からメールがくるのは1ヶ月に2回程度にすぎないからである。普通、メル友なら2~3日に1回はメールのやりとりをするだろう。少なくとも1週間に1回はするはずだ。それが1ヶ月に2回である。


 メールの内容にしても彼女が最近見た映画の感想やおいしかった料理のことだ。僕の返事はたいがい<それはいいですね>で始まり<頑張ってください>で終わっている。



 僕に届いたメールは彼女からではなかった。普段なら知らない人からのメッセージなどに返信などしない。しかし今は雨宿り中である。暇である。雨を見ているだけでは退屈しのぎに限界がある。


 僕はメールを開いた。


つづく



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