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永応斬鉄録カナコ  作者: 土井平蔵
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暗黒アドベント<終>

永応斬鉄録かなこ20


天賦てんぷ


 20年前、下総の剣豪新笹香威斎(にいざさこういさい)は、心道修行のために京洛をおとずれた。

 剣はすなわち随神かんながら(神の御心にそった)の道――……?。

 そこまではつかみかけていたが、何となくシックリしない。剣とは本来凶器である。キレイ事をならべても結局は欺瞞ぎまんではないか。

 そこで天下の剣豪、傑僧、神職、風流人、能楽師、連歌師……ともかく手あたり次第、彼らと質疑応答しつつ、ときに他流の剣士と立ちあいつつ、結局京洛まで旅をつづけてしまった。

 そこで一人の公家と会った。霞修寺かしゅうじ少将家の経慶つねよしという貧乏公家である。

「わが子に武芸を仕込んでやってほしい」という。

(これはまた変わったお公家)と香威斎は思った。

 当時公家があまり武芸に熟達していると「妖術のたぐい」「足軽の手わざ」「いやしき技芸」などと陰口をたたかれるからである。高位の武家ですらそういう発想の者が多かった。

 しかし経慶の子の経臣つねおみは生来虚弱であり、健康のために剣を習わせようとした。

 当時経臣は16歳。一見ぼんやりしていて、貧相で、とても剣術修行に耐えられそうな体つきではない。

 それでも人柄がよく、いつもニコニコして、腹に一物ためるという事がない。まるで善童子を絵に描いたような青年。

(ああこれは)

 こういう種類の弟子を持つのは初めてだったが、経臣の穏やかな性質は「随神の道」に通じるのではないか。と思い、これに剣を仕込んでみた。

 すると経臣は真綿に水を吸うがごとく、みるみる匝瑳神当そうさしんとう流の要諦ようたいを吸いとっていく。

 ふつう3年かかる奥義も1年で習得してしまい、ついには竿の上に立つという、香威斎ですら10年かかった絶技でさえ2年で身につけてしまった。

 おどろき呆れる香威斎に、あるとき経臣ははにかんだように笑いながら、

「剣とは楽しいものでございますな」

 と言った事がある。ふつうだったら聞き流すか「剣術を楽しいとは何事だ」と怒るところを、香威斎は、禅僧が大悟たいご徹底した時のような激しい衝撃をおぼえた。

「剣とは楽しいものだったのか――」

 兵馬倥偬へいばこうそうの乱世に生まれた香威斎は、はじめてその事実に気づかされたといっていい。相手を傷つけるとか殺すという要素を抜いた、純然たる「剣」とは楽しいものだったのかと。

 笑いながら楽しいという。ワラ楽し。みんなで楽し。万民和楽。

 この瞬間、香威斎はついに匝瑳神道流の極意を完成した。

「霞修寺経臣こそはわが師なり!」

 そう叫ぶや、香威斎はただちに経臣に免許皆伝の印可いんか、そして名刀銀杏(いちょう)を授け、みずからも京洛を去った。

 あまりの感激ぶりに、宿所にしていた霊然寺りょうぜんじに黒竿の刀を忘れてしまうほどだった。

 その後も経臣は独自に修行を重ね、その剣名は帝の耳にすら届くほどになっていた。

 ただし公家で武芸を学んでいると色々とカドが立つので、その事実を知っている者は朝廷でもごく数名にかぎられていた。他流との立ちあいも能面をつけて行なっていた。

「霞修寺少将経臣をわが護衛の頭たるものとする」

 その勅命ちょくめいにより経臣は25歳のとき「北面の武士」という称号を拝領する。

 それを聞いた公家仲間たちは「あの薄髭殿が北面の武士」と茶飲み話のタネにしていた。いかに有名無実の地位になったとはいえ北面の武士と、あの虚弱そうな経臣の落差ギャップがおかしかったのである。


●密命


 7年前、経臣が30歳になったばかりのある夜、彼は内裏だいりに呼び出された。

 その暗い一室には、西軍の山宝殿宗禅さんぽうでんそうぜん、東軍の京兆院晴氏けいちょういんはるうじ、そして朝廷代表たる霞修寺権中納言清房ごんちゅうなごんきよふさの姿があった。

 宗禅入道は長い戦いで疲れ果て、もはや口もきけぬほどに衰弱している。

 晴氏がいう。

「あなたは若き日に新笹香威斎先生より剣を学び、皆伝を許された天才と聞く。そして帝を守護したてまつる北面の武士でも一等の腕前だという。そのあなたを見込んで頼みがある」

 龍衝寺りゅうしょうじ城の兵を全滅させよ――

「いま東西両軍は長き戦に疲れ、京洛は荒れはて、多くの百姓が苦しんでいる。それゆえ我らはこうして密議をかさね、和約の準備を進めている段階である」

「しかるに両軍ともに和平に反対する者を多く抱えている。とりわけ我が龍衝寺城に拠る三渕宮内みつぶちくないは抗戦派の急先鋒。彼らは欲心をおこし、管領家から莫大ばくだいな恩賞を絞り取ろうと東西の和平を妨害しております」

「あなたの実力はすでにこの中納言殿より聞いております。これまで何十人もの武芸者と立ちあい、すべて一撃で倒しているとか。しかも帝の御前にて、妙珍みょうちんの兜割りをただ一人成功させた人とも聞いております」

 他人事のように言っているが、この晴氏も京蔵馬きょうくらま流の達人である。かつて経臣と試合したが一本も取れずに敗れたことがある。

 あのとき相手は能面をかぶっていたので誰かはわからなかったが、

(これがあの時の男か……)

 と晴氏はあまり愉快ではない目でこの風采ふうさいのあがらぬ貧乏公家を見据えている。

「せっかくながら」

 と経臣は両手をついた。

「このお話、お断りさせていただきます」

「なにゆえ」

「それがしは生来脾弱(ひじゃく)の身。とても戦場の用には立ちません。しかも学んだ剣は匝瑳神当流。その極意は万民和楽。香威斎先生は殺人のための剣を厳に戒めておられ、それを守る事はそれがしも名誉として参りました。この儀ばかりはお受けできませぬ」

「殺人剣とは無礼でござろう」と晴氏は揚げ足をとるようにいう。

「これにより東西の和睦がなり、天下に泰平が来るのです。これこそ活人剣の最たるもの。これは帝よりの勅令でもあるのですぞ」

「帝の……」

 といわれてしまっては経臣も何も言えなくなる。そのためにわざわざ禁裏に呼び出し、霞修寺家の氏長者うじのちょうじゃである清房もこの場にいるのだろう。

 やがて香威斎から拝領した銀杏剣をたずさえ、小尉こじょうの面をおびて、龍衝寺城にむかった。

 そして800人の兵らと戦い、これを壊滅させた。

 しかし……話が違う。戦った者たちはいずれも目が「欲心」に濁ってはいなかった。いずれも武人としての高潔さに満ちていた。

 その中でももっとも若く、もっとも強かった青年の瞳は星のように輝き、なお生きようという力強さに溢れていた。

 その若者も倒した。

 やがて城に乱入してくる西国の軍勢。

 城門を出た時、経臣は馬にのった美しい姫君に出会う。

 燃えあがる炎をその澄明ちょうめいな瞳に映じながら、姫君は、

「そなたがやったのか……」

「………」

「そなたがやったのか!!!」

 狂乱したように襲いかかってきたが、経臣は、

「娘、命を粗末にするな――」

 ただの一撃で彼女を気絶させた。

 そして彼女を木の根方において敵兵に見つからないようにした。

 内裏の一室にもどった経臣は、小尉の能面、そして銀杏の一剣をおいた。

 そのまま立ち去ろうとする。

「剣を――」といぶかしむ晴氏に、経臣はさびしげに微笑しながら、

「もはや麿には必要ないものでおざる」

 そう言い残して去った。

 こんなものがあるからしたくない事までしてしまう。死ななくてもいい若者を死なせてしまう。二度と剣を取ることはあるまい……。

 それからというもの、経臣のまわりで良くないことがたくさん起こる。

「龍衝寺城の兵らはじつは立派であった」という噂が立ちはじめたのである。

「彼らには一切の欲心はなかった」と。

「管領殿は、三渕宮内に嫉妬しておりこれを亡き者にしようとしていた」

「彼らは鎮護ちんご国家の蘭山らんざんの寺院を守ろうとしていた」

 その噂は後華苑ごかぞの帝の耳にもとどき、帝は「嗚呼われあやまてり。晴氏めに謀られたり」と悔恨の言葉をのこし。体調を崩して病がちになった。

 経臣の奥方も、まだ2歳の喜鶴きつるを残して亡くなる。

 家来たちも逃亡するか死亡するなりして、京洛の屋敷には誰もいなくなる。

 そして経臣自身も病を得てしまう。

(やはり香威斎先生の教えに背いたからだ)

 その後、みずからの所領である神宮寺村に立ち寄った時、彼はあることに気づく。

 ちょうど真西にかの龍衝寺城があるのである。つまり夕陽を見るたび、龍衝寺城の方向を遥拝ようはいすることになる。

 このとき経臣はこの村への移住を決意する。

(ここで残る余生、彼らの菩提ぼだいを弔いつつ暮らそう)

 もちろん引っ越しの手伝いで霊然寺から遣わされたカナコが、かの姫君のなれの果ての姿であることは知らない。カナコも知らない。

 しかし両者は、友情でもない、恋愛でもない、何か言いようのない結びつきで結びついてしまう。

 それは同じ剣を学び、その極意をつかんだ者同士の共鳴作用だったのかもしれない。


慟哭どうこく


「いかん、出血が激しい!」

 経臣を抱きかかえ、彼の腹に布をおさえながら黒屋治兵衛が叫ぶ。

 負傷した経臣とカナコを商家の軒下に運んだものの、あたりはしの突くような豪雨である。

 この近辺の住民はみな洛外に避難しているため助けを呼ぶこともできぬ。

「カナコ殿! カナコ殿!」

 小竹こちくも泣きながらカナコの体を揺さぶる。

 於勝おかつは両手をこすりあわせ、さかんに気を送りこむが、カナコの脈拍も徐々に下がり、体が冷たくなっていく。

「カナコさん、ダメだよ、ダメだよこんな!」

 カナコの両腕を手でこすりながら於勝が絶叫する。しまいにはカナコに抱きつく。

「こんな、こんな終わり方って、あんまりだよォォ!!」

 あれほど会いたがっていた経臣とカナコが剣をまじえ、ついに両者がたおれる。こんな悲しい運命があるだろうか。これほど非情な結末があるだろうか。

 於勝は感情が破裂したようにカナコの名を呼びつづけた。

 馬崎権十郎うまさきごんじゅうろうは這いつくばり、蒼ざめた経臣の顔を見つめながら子供のように泣きじゃくる。

「だから言ったろうが、この人はタダモンじゃないんだって! ワシは前から言ってたろうが!」

 言った事はない。が、権十郎は経臣の「強さ」を以前から知っていたようなのである。

 権十郎が子供のころ「野犬から助けてもらった」という話は、あるいはもっとすごい話だったのかもしれない。

 ただ経臣はそのとき「みなには内緒な」と口に指をあてたので、権十郎は律儀にそれを守ってきた。

 いつかああいうすごい人に仕えたい、というのが彼の夢になった。それがカナコとかいう得体の知れない女が屋敷に入りこみ、経臣殿に慣れなれしくし、しまいに家族同然になっている。彼女への敵愾てきがい心はすなわち権十郎の妬みだったのである。

「ん……?」

 なにやら暗い路上がわずかに明るくなったような気がして、黒屋治兵衛はふと上空を見上げた。

 渦巻く黒雲を貫くようにして、巨大な星がぎらぎらと輝き、そのまわりに五色の雲を流している。光る雲はゆっくりと星のまわりを旋回していた。

 雨はその星から降り注いでいるようにも見える。

 治兵衛は目を細める。

(まるで……星がいているかのような)

 カチカチ、カチカチカチ――

 急に響きわたった金属の音に、一同その方向を見た。

 路上に落ちた銀杏と黒竿の双剣が、共鳴するようにかすかに震えていた。

「剣が雨ざらしに――」

 それらを取ろうとする総四郎に、治兵衛が「待て!」と手で制する。

 振動した剣は、ズッ、ズズッと路上を滑りはじめる。

「剣が動いている……」と於勝。

「まるでお互いに近づいているかのように」

「まさか、こんなことが、本当に」

 治兵衛はそれを緊張した面持ちで見つめている。

 彼は何か知っているようだった。


●雛人形


 やがて銀杏と黒竿がガチィンと接触した。

 そこからブワッと千の太陽が輝いたような白光びゃっこうが噴きあがった。一同目がくらみ、顔の前に手をかざす。

 強烈だが、あたたかく、やさしい光。

 その光を浴びた経臣、そしてカナコの顔から血糊が消え、傷がふさがっていく。

 小竹の手に伝わるカナコの体温も上昇している。経臣殿の顔もいくらか血色がよくなっている。

「こ、こんなことって……ああッ」

 かつて小竹は、経臣とカナコを「絶望的なほど合わない取り合わせ」と思っていたが、こうして相並んだ2人はお内裏様とお雛様のようではないか。しかもカナコは美しく着飾っていた。

 本来2人は夫婦になる定めだったのが、何の天機のいたずらかべつな縁でめぐりあい、2年ちかく生活をともにし、最後はこうして夫婦のように並んでいる。

(カナコ殿……少将様……)

 その2人を見つめる小竹の瞳からはとめどもなく涙が流れている。

 白い光は徐々におさまっていき、あたりはふたたび夕曇りの薄闇に染まる。

 銀杏と黒竿があったその路上には、一振りのみごとな剣。

 それは深海の底のごとき、絶峰上の蒼穹あおぞらのごとき深い青色をおびた刀身だった。透明感のある地肌には、龍神の鱗のようなニエがびっしりと浮かびあがり、薄闇でもなおキラキラと淡い光を放っていた。

 おぼえず平伏して見つめていた治兵衛が、震えながら叫ぶ。

「伝説はまことであった!!」

 神がかりともいえる技術をもつ刀鍛冶。その鍛冶師が打った雌雄一対しゆういっついの剣は、あることをきっかけに融合して一体となる事があるという。

 もちろん治兵衛はそんな刀などお目にかかったこともないし、ただ御伽草子おとぎぞうしの話だと思っていた。

 彼らのあるじは互いに冠絶した技量をもつ剣士。しかも互いに強い心の結びつきで結ばれていた。それが双方のあるじの血を浴びた剣は、あるじの危機を救うために相あゆみ寄り、ひとつの剣となったのである。

「―――!」

 見れば、今まで瀕死の状態だったカナコがふら、ふらと立ちあがり、路上に落ちている蒼い刀身を拾っていた。

 前のめりの姿勢のまま、南に向かって歩き出す。

 小竹があわててカナコに追いすがってくる。

「カナコ殿、どこへ! その体ではまだ!」

慶之進けいのしんが……」

 カナコは、ゆらりと手をのばし、小竹の肩をかるく突き押した。

 今まで淡くしか光ったことのないカナコの双眼が、強烈なみどり色の光で満ちた。

三吉長真みよしちょうしんが、待っている!!」


●牛車


「急げ、急げぇ!」

 そのころ西国方の陣営では、破壊された鉄獅子たちをさかんに川に投げこむ兵らの姿があった。

 それを急造の橋にして後続の兵らがどやどやと渡ってくる。

 太玄明王たいげんみょうおうの槍をたずさえた山宝殿滋持さんぽうでんしげもちの眼前には、山麒麟やまきりんの残骸が視界をふさぐように倒壊している。

「邪魔だ――」

 さっと蛇矛じゃぼう状の槍を払うと、バシュッという音とともに山麒麟の巨体が吹き飛んだ。大地になすりつけたような白いあとが100メートルにもわたって走る。

 視界がひらけ、その2キロ前方に京洛の街並みが浮かびあがる。もはや手が届きそうなほどの距離である。

 滋持の背後では、馬上の多治比龍寿たじひりゅうじゅがやつれたような顔をしていた。

(まったく……とんでもない戦だった)

 管領晴氏の打ってくる手は悪魔的なほどに巧緻こうちであり、龍寿は各部隊に伝令を飛ばし、ともかく戦線が崩壊しないようにするので精一杯だった。あと1時間も続けばどうなっていたかわからない。

「なんだい若いクセにその疲れたツラは」

 という声が龍寿の背後から響いた。

 振りむくと、眼帯の女――実穀院じっこくいん虎麿とらまろの姿があった。

 龍寿はふてくされたように口をとがらせる。

「虎麿さん……敵方がこんな用意をしてるんだったら、その事を調べてくれればよかったのに。おかげで明日はずっと知恵熱ですよ。減点ですからねコレ」

「無茶お言いでないよ。管領がなんかやってる事は知ってたけど、まさかこんな内容だったとは思わなかったんだよ。鉄獅子だけで戦するなんて誰が思いつくかってんだ」

 いやでかした虎麿――!

 耳をつんざくような大音声だいおんじょうがとどろく。

 滋持が喜びにぎらついた顔を虎麿にむけてくる。

「おかげでこの槍の威力を知ることができたわ。虎麿、戦後は瀬戸ノ海(せとのうみ)全域の支配をそなたに委ねようぞ!」

「瀬戸ノ海全域――」とするとその実質上の利益は百万石をゆうに凌ぐ。いかな冷静沈着の虎麿ですら全身が震えた。

 そのとき、カッポカッポとノンキな馬のひづめの音を響かせて、将軍藤氏が龍寿のそばに近寄ってきた。

 ぽーっと京洛の街並みを眺めている。

「やはりお懐かしいですか、京洛の街並みは」

 龍寿は声をかける。しばらく行軍をともにする事で藤氏とはちょっとした友達のようになっている。

「いや、あれ……」

 藤氏は袖をあげ、前方を指さした。京洛のほうから数台の牛車がこちらに向かってくるのが見える。なにやら泡を食ったように土煙つちけむりをあげながら走っていた。

(な、なんだあれ)

 あんな「快速」な牛車を見るのは龍寿もはじめてである。


●衣冠


「また誰か降伏してくるんだろうか。でも」

 すでに趨勢すうせいは決している。今さら降伏したところでこちらには何の利もなく、せいぜい滋持の怒りを買うだけである。

 やがて牛車の行列が、滋持たちのいるすぐ手前まで来て止まった。

 龍寿が鼻にかかったような、声変わりしたての声で誰何すいかする。

「何者でござるか、名をなのられよ」

「ああ待たれい、待たれい。よっこいしょ」

 牛車の御簾みすがまきあげられ、その中から一人の衣冠束帯した男がしずしずと出てきた。

 その男の顔を見て、滋持がピクリと表情を動かす。

「京兆院、晴氏……」

「滋持殿、久方ぶりにて」

 しゃくを両手にした長袖ちょうしゅうの晴氏が、ゆったり頭をさげる。

 上げた顔は、どことなくやつれていた。よほど心労が重なったあげくの降伏であろう。

(この人が京兆院晴氏)

 龍寿はじっと相手を見つめる。一度見てみたかった。想像通り、いかにも貴族を絵を描いたような風貌である。

 不世出の天才への敬意もある。それだけに不審もあった。

(なんで今さら降伏など。何かあるな)

 滋持があごを上げて言う。

「すこし遅かったな。後続が追いつき次第、京洛乱入は開始される。その前の血祭りにそなたはちょうどよいわ」

 同時に、西国方の武士たちがドヤドヤと槍をかまえて晴氏を取り囲んだ。しかし晴氏は表情も動かさず、

「そう言われると思い、こちらもそれなりの手土産がござる」

「手土産」

 言われて、滋持はおもむろに牛車の群れに目をむけた。吐き捨てるように、

「公家の老人、そして餓鬼がきが1人。それが手土産か。くだらん」

 その「餓鬼」は牛車の中でクークー寝息をたてて老関白の膝の上で眠っている。

 先ほどまで泣きわめいて手に負えなかったので、晴氏が法力で眠らせたのである。

「いやあれは」霞修寺経臣を使って追撃者をしばし足止めをするための人質である。

 晴氏は片袖に手を入れ、取り出したものを滋持にむかって捧げ持った。

「魔石剣護法(けんごほう)。西軍の総大将・滋持殿に進上いたします」

「あ――!!」と龍寿は驚倒した。今それを出すのは非常にまずい。

 ただでさえ理性を失いかけ、しかも強大すぎる力に酔っている滋持である。

 魔石が全部そろったら暴走して京洛を粉微塵にしてしまうのではないか。

 滋持の右ほおの巨大な傷が笑みでひきつった。

「ふ、ふふ……なるほど。それは天下に二なき手土産だな。おい龍寿」

 龍寿は聞こえないフリをして虎麿と雑談しようとしている。

「龍寿!!!」

 怒声を浴びせられて、龍寿はしぶしぶ馬から降りた。晴氏の前に立つ。

 魔石を差し出すとき晴氏は、

(なるほど、そなたが)

 という目をした。西軍方にいた「知恵者」とはそなただったかと。

「意外にお若いのですな」

「………」

 それに対して龍寿はかるく目礼し、晴氏から魔石を受け取った。

 ぐん、ぐんと槍を持ちなおし、スッと蛇矛の穂先を突き出す滋持。

「いよいよ最後の魔石。どうなるのか楽しみだ」

 しかし龍寿はぎゅっと魔石を握りしめたまま突っ立っている。


●悪鬼


「さあ龍寿、付けよ」

 突き出された穂先にそっと目をむける龍寿。魔石を装填しようと手をのばしたが、急にその手をひっこめ、馬上の滋持を見上げた。

「どうした。何を逡巡しゅんじゅんすることがある」

「もう、おやめください。もう十分でしょう」

「……何だと。もう一度申せ」

「何度でも申しあげます! これ以上槍が強くなれば、京洛が灰燼かいじんに帰するかもしれません。たくさんの貴重な知識が失われます。我らはその荒れ果てた地を得るために今まで戦ってきたのですか!」

「たとえ京洛が消滅したところで、またワシが王として立つにふさわしき大都を再建してみせる。知識などそこから自然に湧いてくるわ。わかったなら、さっさと付けよ!」

「―――!」

 龍寿は拳をふりあげ、手の中の魔石をバァンと地に叩きつけた。しかし魔石は砕けず、コロコロと地を転がっていた。

 しずかに、てつくような視線をむけてくる滋持。

「なにをしている。魔石は何人なんぴとたりとも破壊する事はできぬ。かつてそう言っていたのはそなたではなかったか」

「知ってますよ。ただの意志表示です」

「死は覚悟の上か」

「………」

 瞬間、太玄明王から白い衝撃波が放たれる。龍寿の小柄な体が20メートルほども弾き飛ばされ、地に転がった。

「うぐあああっ……!」

「龍寿――!」

 すかさず虎麿が駆け寄っていき、龍寿の体を抱えおこした。

 彼の肩の衣が裂け、そこから白い煙が出ている。

 彼らの前にドス黒い滋持の巨大な影が立つ。

「この戦いが終わりし後はそなたを扶桑ふそうの大宰相とし、天下の事を総攬そうらんさせんと思ったに、やはりただの小童こわっぱにすぎぬか」

 滋持は左手をバッと突き出した。地に落ちていた魔石が変則的な動きで転がったあと、ぱっとその左手に飛びこんでいく。

「ふふふ、見よや者ども」

 手の上の魔石がふわふわと宙に浮かびあがり、天高く突き出された槍の穂先に近づいていく。

「この山宝殿滋持が神になる瞬間を!」

 その顔には、もう1人、別な顔が重なって見える。それは顔面にすみを塗りこめたような、牙をむいた魔神の面貌。

 龍寿はその流麗な瞳を苦しげに歪める。

(やはり今の太玄明王は、かつてのそれとは違う。長年の間、魔石はおおくの魑魅魍魎ちみもうりょう心邪よこしまなる者たちの気を吸いこみ、鎮護国家の浄力を失ってしまっている。あれではただの悪鬼羅刹(らせつ)だ!)

 剣護法から細かい電光が放たれ、槍にあいた6つ目の空洞に吸い込まれていく。

 ごふわあああああっ――

 猛烈な光の嵐が槍から噴きおこり、直後それはすぐにヒュッと槍に吸い込まれた。

 激しい振動とともに槍が「変化」をはじめる。

「う、ご、こ、これは、なんという」

 滋持の剛腕ですら抑えきれぬ衝撃。明滅する光により彼の全身がときおり白く染まる。人馬がごわん、ごわんとねあがる。

 そのとき、前方の京洛のかなたより、一騎の馬影が近づいてくるのが見える。

 それを見た滋持の目がクワッと見開かれた。

「み、三吉、長真!! お、おのれ」

 対応しようにも槍の振動はますます激しくなる。いまの滋持は無防備に近い状態だった。

 気がつくと、すぐ馬前にも晴氏が立っている事に気づいた。

 手には長剣が輝いている。

 口元には笑みを浮かべていた。

「ふふ、魔石を装填したあとの槍はわずかな時間スキができるという。この瞬間を待っていた。これが京兆院晴氏の最後の一手だ!!」


永応斬鉄録かなこ21


●大穴


 京兆院晴氏けいちょういんはるうじは衣冠束帯の姿で「飛翔」した。

 飛翔したとしか思えないほどの跳躍力だった。

「―――!?」

 これには山宝殿滋持さんぽうでんしげもち、そして三吉長真みよしちょうしんすらも目を疑った。

 というより晴氏にそれほどの身体能力があることを長真すら知らなかった。

 滋持の頭上。剣を片手でふりあげる晴氏がふわりと滞空している。

 落下する力を利用して、そのまま脳天に剣を叩き落とそうとする。

「取ったわ、山宝殿滋持!」

「ぬ、おのれ!」

 滋持はやむなく変化途上の槍を突き出さざるを得ない。

 ガキィィン

 頭上で金属音が弾ける。晴氏にも槍の振動が伝わり、宙でガクンガクンと撥ねあがる。

 しかし槍の動きは完全に封じた。

大膳だいぜん!!」晴氏が絶叫する。

「今だ、滋持を討て!」

「―――? お、おおっ!」

 長真はよく事態が飲みこめぬまま、猛然と馬を走らせる。剛槍聖護院(しょうごいん)を逆手に持ちなおし、

「うおおおおおっ」

 という掛け声とともに滋持むけて投げつけた。剛槍がさながら対空ミサイルのように兵士らの頭上をかすめ飛んでいき、狙いあやまたず、

 ズドッ

 と滋持の左胸を貫いた。

 背中に穂先が飛び出ている。

「………」

 これには多治比龍寿たじひりゅうじゅも、虎麿とらまろも、西軍の兵士らも然とするしかない。

 あまりに一瞬の出来事だった。

「う、ぐ、ぶっ、へへっ」

 滋持は口からさかんに血を噴き出しながら、ぐらりぐらりと頭を前後させる。

 やがて滋持は仰向けになり、ドガラシャッとけたたましい音をたてて落馬した。

 この時はじめて西軍の兵士らも我に返り、

 ウオオオオオオッ――

 と鯨波ときの声をあげた。

「御大将!」「おのれ三吉長真!」「京兆院晴氏の首をとれ!」

 と口ぐちに喚きたて、槍を突き出しながら晴氏にむかって殺到してくる。

 しかし晴氏はダラリと剣をさげたまま、ぼんやり突っ立っていた。

 おのれの命と引き換えに滋持を討ち取る算段だったのだろう。

(まったくあの人は)

 三吉長真は馬からおり、敵勢すれすれで立っている晴氏にむかって駆け出した。

「宰相殿!」

 滋持の遺骸に片足をかけ、ズボッと剛槍を引き抜く。それをブウウンと横殴りに払うと、たちまち敵兵が5人、10人と吹き飛んでいく。

 さらに槍を両手で持ち、どっと肉弾突撃を加えると、押しまくられた敵兵の壁が崩壊し、そのむこうで大いにドミノ状態を呈した。

 たちまち敵勢にひるみが出た。

 晴氏はかかってきた武者一人を斬り下げながら、カラカラと晴れやかに笑う。

「15万の大軍、もはや逃げられまい。だが滋持は討ち取った。命をかける価値はあったわ」

「しかしあなた様は、賢げな事をしても最後に大きな穴がござるな」

「穴?」

 百姓たちを利用したつもりが百姓の裏切りにあい竹槍で殺されそうになった。

 龍衝寺りゅうしょうじ城を見殺しにして東西の和平を成立させたが、それにより朝廷と不和になった。

 野洲義国やすよしくにをだまし討ちにしたわりに将軍藤氏(ふじうじ)を西国方に走らせてしまった。

 京洛南郊を荒地化し、鉄獅子だけで西軍を全滅させようとしたが、結局失敗した。

 そして滋持を討ち取ったわりに、みずからの生還策は何も考えていなかった。

「ふふ、なるほど」

 言われてみればたしかにそうだ。それが管領家の、いや自分の限界なのかもしれない。

 しかし長真がこれほど晴氏に直言するのはめずらしい。

 最後なだけに言いたい事を言っているのだろう。

「しかしこの三吉長真、ただ武骨だけが取柄の男にて、宰相殿のお考えはわかりません。ただその命に従うのみ。穴はこの長真が埋めてごらんずる」

 なおも勇をふるって槍を突き出しながら、長真は、敵勢のむこうにある牛車に気をとられている。

喜鶴きつる公はあそこか。やや遠いな」

「喜鶴を助け出すつもりか……。なぜだ」

 晴氏には長真の考えている事のほうがよっぽどわからなかった。


●新時代


 晴氏の頭上でゴッと聖護院が鳴った。晴氏のむこうにいた騎馬武者が「ぎゃああ」と絶叫をあげながら横倒しにたおれる。

「説明している暇はありません。さあお早く!」

 しかし西軍の兵らは十重二十重とえはたえに2人を囲みはじめる。

 そのむこうの牛車も遠ざかりはじめる。

 兵士の群れがくろぐろと大地を埋めつくし、中心にぽっかり丸い円があいたそこに、長真と晴氏がポツンと立っていた。

 頭上から大粒の雨が降りそそいでくる。

(もはやこれまでか)

 敵兵の壁にむかって槍を構えながら、長真で肩で大きな息をつく。

 もう5月であるはずだが、長真の口からもうもうと白い息が吐き出される。

(まかね殿、すまぬ……。喜鶴公をお救いすることはできなかった。せめてこの長真、鬼神の働きをふるい、まかね殿が洛外へ落ちのびる時間を稼がん)

 背後にいる晴氏の黒い礼装は濡れて重たげだった。その晴氏がいう。

「たとえ我らここで倒れるとも、西軍はもはやまとまりを欠いた烏合の衆。数年と京洛を保つことはできまい。あとは管領家・三吉家の残党が、何とかするであろう」

「いえ、それを率いるのはあなただ。あなたは生きて彼らを率いていかねばならん」

「そうかな」

 晴氏がさびしげな目をする。

 もはや自分の能力では、中世的権威の象徴のような管領家ではどうしようもない時代が来ている。その思いが日々強くなっている。

 思いながらも、そこから脱却できない自分にも気づいていた。結局は管領家とともに運命をともにするしかない、そのおのれの限界にも。

「この三吉長真、命にかえても宰相殿を落ち参らせる。どおりゃ」

 ぶううんと頭上で槍を旋回すると、まわりにいた兵らが血をいて噴き飛んでいく。

(なっ――)

 長真はふと槍を止めた。兵らが吹き飛んだのは、彼の剛槍が触れたからではなかったからである。

「ぎゃああっ」という断末魔の絶叫があちこちから聞こえ、兵らが乱れ立ちはじめる。

「なんだ、なにが起こって……!?」

 ドオオンンと白い柱のようなものが、敵兵の中から噴きあがった。それは2度、3度と立て続けにおこった。

 そのたび兵士らが蟻のように吹き飛んでいくのが見えた。

 晴氏はそれを見上げながら、呆然とつぶやく。

「まさか太玄明王たいげんみょうおうの変化が完了したのか……しかし」

 滋持はすでに死んでいるはずである。所有者の意志が加わらぬかぎり槍が発動するはずがない。

 ドオン、ドオン、ドオン

 という光の柱があがるたび、兵士らの輪が崩れたち、晴氏たちから遠ざかっていく。

 大地が激しく揺すぶられ、晴氏、長真は体勢をくずした。

 兵士らの壁が薄くなっていくにつれ、その向こうにある「それ」があらわになってくる。

 それは光の球体であった。

「なんだ、あれは」

 球体は直径8メートルはあろうか。よく見ればその中心に「人」が立っている。

 その人を中心として、無数の光芒こうぼうが高速回転し、おおきな球体を形成していた。

「み、みよし、ちょ、ちょうしん……」

 その「人」がグチャグチャと声を発する。それは山宝殿滋持だった。

 口から黒い血がドブッドブッと吐き出される。

 まとっていた白銀の甲冑も、みずからが吐き出す黒血によって暗赤色ダークレッドをなし、おぞましい装飾をトゲのように突出している。

 光芒はよく見れば短刀のようにも見え、あるいは矢のようにも見える。あまりに高速すぎてよくわからない。

 それらが何百、何千と滋持のまわりを旋回していた。

 しかしそれよりも滋持が持っている槍。

 それを晴氏、そして遠くから見ている多治比龍寿は注視していた。

(あれが太玄明王の真実の姿!)

 その穂先は巨大な松ボックリ、あるいは掘削機の先端部のようにたくさんのイボが出ている。楕円状であり、先っぽをつまんで捻ったかのように螺旋らせん状をなしていた。

 柄には無数の毛のようなものがびっしり生えている。

 その柄からたまに抜け落ちた毛が、そのまま光芒となって滋持のまわりを高速旋回しはじめるのである。

 槍全体が薄い膜状の光をおびているそれは、一種生物的であり、一種醜悪ですらあった。

(大殿!)

 それを見ながら龍寿の目からは悲痛の涙があふれている。

 かつての滋持は暴君としての性質はあったが、それでも家臣には優しかった。そのおかげで小領主の遺児にすぎなかった龍寿も、わずか11歳で側近に登用され、いまは東上軍の総参謀に抜擢されている。

 しかし今目にしている滋持はすでに別物だった。すでに死者であるに等しい。

(あんなものが鎮護ちんご国家の槍であってたまるものか!)

 と、涙で濡れた目にはげしい怒りが宿る。

(太玄魔王とでも名づければよい!)


●巻貝


「ぐ、ぐご、ごお……ぶちゃっ」

 球体の中の滋持――いや魔王が、おもむろに槍を突き出した。

 どうッ、どうッ、どううッ

 白い火弾が3つ放たれ、それは兵士らの頭上で炸裂した。火の雨が降りそそぎ、たちまち阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図を現出する。

 大荒野はおおいなる炎の壁で埋めつくされた。

 その燃えあがる炎にむかって歩みはじめる魔王。

 その視線の先には三吉長真がいる。

「退避、退避せよ! 全軍退避!!」

 馬上の龍寿はとっさに袖を払いながら甲高い声をあげる。

 その声に気づいた将校らも「退け、退けぇ!」の声をあげる。

 将軍藤氏、喜鶴たちを乗せた牛車も後方へ下がりはじめる。

 どすん、どすんと足音を踏み鳴らしつつ、長真に迫る魔王。

「わが顔に、傷を、つけた恨み……いま、ここで……」

(傷?)

 と長真は相手の顔を見る。というより傷がどうこうという次元なのか。すでに人の顔とも思えなかった。

 顔面はすでに青黒く染まり、点のような瞳孔をなす眼球は大きく剥かれ、唇の上下からは鋭い牙が飛び出ていた。

 長真は背後にいる晴氏に顔をむけ、

「宰相殿、敵は浮き足立っている。好機じゃ。拙者がこやつの相手をしている間に宰相殿はいずこかへ」

「大膳!!」

 晴氏の絶叫とともに、長真の左胸にドスッと何かが貫いていった。

 それは背中まで飛び出ている。

「なに、これは……一体」

 魔王の槍が、100メートル先にいるはずの長真を貫いていた。さながら虎麿の唐剣のように伸びたのである。

 長真を貫いたままで、魔王が「仕返し、仕返し」とつぶやきながら近づいてくる。それにつれて槍も短くなっていく。

「う、ぐ、ごはっ!」と長真の口から血が吐き出された。

 長真はその怪力で引き抜こうとするが、槍はビクともしない。

 長真の出血がひどくなる。

 ひゅんと槍が引っこみ、すぽんと魔王の手元にもどった。

 支えを失った長真の体がグワリと倒れそうになる。

 そこへふたたび槍が飛んできて、それはムチのように相手を乱打し、あるいはドリルのように穿孔せんこうする。

万夫不当ばんぷふとう」といわれた豪傑がまったく手も足も出ない。

(いや、それでも)

 多治比龍寿は打たれつづける長真を震えながら見つめている。

 完全体となった太玄明王はすでに武器としての範疇はんちゅうを超えている。それに対抗しうるには戦車とか戦闘機とかいった近代兵器でも持ってくるしかないが、それですら勝てるかどうかわからぬ。

 その「時代錯誤」的な攻撃を受け続けて、なお長真は死んでいない。

 あんな強靭な人間がこの世にいたのか――

「ぐあっ」

 大地に叩きつけられる長真。地の泥をつかみ、なおも苦しげに声をもらす。

「はやく……宰相殿……ッ!」

「大膳……私は」

 よろ、よろ、と後ろにむかってよろけたあと、晴氏はダッと西にむかって駆け出していった。

 晴氏の姿はしだいに小さくなり、敗走していく兵らの群れにまぎれていった。

(これで、いい)

 それを安心したように見送ったあと、長真はふたたび槍を杖にして立ちあがろうとする。

 その地面はすでに長真の鮮血でおびただしく濡れていた。

(な、なんて人だ、まだ立ち上がれるのか)

 味方の兵はだいぶ遠くまで遠ざかっているが、龍寿はなおその場から離れられないでいた。太玄明王をここまで強化してしまったのは自分の責任だという思いもある。この成り行きを見届けたいという思いもある。

 あとは三吉長真という勇者とともに死ぬだけだった。

 ぎゅんぎゅんと魔王のまわりを回っていた光弾が、いっせいに長真にむかって飛来してくる。

(叔父御、休之助、芝波――)

 ふとそれらの顔が浮かんだ。直後、

「ぬあああああああああっ!!!」

 という咆哮ほうこうをあげ、右脇に手挟たばさんだ剛槍聖護院を旋回させた。

 ガキ、ガキガキガキ、ガキガキーン

 その巨大な穂先の一撃は、光芒のいくつかを地に叩き落としていた。

 地に転がったそれは鉛色をなす独鈷とっこ剣の姿をしていた。

 しかし長真の全身にもびっしりと光の剣が突き刺さり、さながら針鼠はりねずみのようになっている。

 雨をふらす暗い天に顔をむけ、長真は目を細めた。

(まかね殿――おさらば)

 そのままゆっくり前傾になり、どうっと地に倒れた。

 その上にざあざあと雨が降りそそぐ。


●百鬼


「ぐおおおおおおおおおああああああ」

 長真が倒れたのを見た魔王は、暗黒の天空にむかって狂ったような叫喚をあげる。それは復讐を遂げたことの喜びだったのか。

 しかし「復讐」という人間臭い感情をいまの滋持は持ちあわせているのだろうか。

 地に落ちた独鈷剣は、むく、むくと動き出し、ふくらみ、巨大化していく。

 それは6つの足をのばし、巨大なカマドウマのような形状になる。

 無数の脚をのばして、ムカデのようになっている物もある。

 盆のような丸い形状で、そのまわりに繊毛を備えたもの。

 プルプルしたゼラチン状の、人型をした槍兵。

 丸い盾と短刀をもった小鬼のような兵隊。

 あるいは車輪をそなえた古代の戦車のような形状になっている物もあった。

 まさに百鬼夜行ひゃっきやぎょうの群れ。

 それらがドンガドンガと賑やかな音を響かせながら、周囲にいる15万の兵らに殺到していく。

 兵士らは「わあわあ」と槍を構え、その化物たちを追い払おうとするが、槍は小枝のごとくへし折られ、絶叫とともに血潮が飛び、肉塊が舞う。

 毛むくじゃらの盆がドーンと群衆の上にのしかかり、そのあとコインが回るようにグルグルと回転する。

 ムカデ、カマドウマが無数の脚をあげてドスドスドスと踏みならしていく。

 戦車があっちに突撃し、こっちに突撃する。そのたびボカンボカンと爆発がおこる。

「なんだ、なんなんだ、これは」

 もはや龍寿の思考の範疇を超えた世界だった。

 よたよたと京洛にむかって馬を進めようとする龍寿。

 そのくつわを虎麿がとらえる。

「龍寿! どこへ行こうってんだ、はやく逃げるんだよ!」

「知識が……文章が……寺院が……700年の都が!!」

 その龍寿の向こうすねをゴンと殴りつける虎麿。はっと我にかえる龍寿。「いてて」と脛をなでたあと、いつもののんびりした声で、

「あ、そうだ。そういえば藤氏公は?」

「あそこにいるよ」

 虎麿が肩ごしに親指で背後をさす。

 見れば虎麿のはるか後方に、数台の牛車、そして白馬にのった藤氏の姿が見てとれた。

 その近くまで化物の群れが迫っており、それを兵士らがさかんに槍衾やりぶすまをつくって防いでいる。

 虎麿がいう。

「はやく将軍様を安全な場所に避難させないと」

「ど、どうやって」

 見れば遅滞した兵士らが壁になっており、藤氏たちも後方へ下がるに下がれない。

「どうやって? 倒すんだよ、あのバケモノを!」

「どうやって!」

「こうやってだよ!」

 虎麿が手にした唐剣を引き抜くと、彼らの10メートル先まで迫っていた小鬼を脳天から貫いた。

 そのあと「緋華嵐翠ひからんすいの陣!」と叫ぶや、剣は渦になって小鬼をズタズタに引き裂いた。

(た、倒せるんだ)とキョトンとそれを見つめる龍寿。

 といっても虎麿もかなり奥の手を使った結果であるが。

「よし、ならば私も」

 と佩剣はいけんを引き抜き、いそいで将軍藤氏のもとへ駆けつける龍寿。

 白馬にのった藤氏は、あいかわらずぽーっとした顔をしている。

「上様、なにとぞ後方へお引きください! ここは私どもが食いとめます」

「………」

 藤氏は応えない。なにやら背後の牛車を気にしているらしい。

「余もここにとどまる」

「な、なにを申されます」

「喜鶴が」と藤氏は言う。

 牛車の中には、老いた公卿くぎょうの膝の上で、スースー寝息を立ている童子がいる。見たところ5、6歳であろうか。

「ならば喜鶴公もご一緒に」

 というと、藤氏はゆっくり首をふった。

「もはやどこにも逃げ場はあるまい。牛車ならなおさら。ならばうろたえる事なく、余も喜鶴ともどもここで死んでやろうと思う」

 例のアルカイックスマイルで、じっと龍寿を見つめてくる。その瞳は、

(そなたならわかってくれるであろうな)

 と言っているようだった。というよりこれほど多弁な藤氏ははじめてだった。

 龍寿はぐっと胸がつまり、首を垂れた。

「ならばこの龍寿もお伴つかまつります」

「そうか、よきにせよ」

 そういったきり、藤氏は何の感興もない微笑をたたえたまま、まっすぐ前を向いた。

 その藤氏の瞳が、かすかにみどり色の光を映じていた。


●現出


 その「光」に気づいた者が何人あったろうか。

 この荒野にいる者いずれもが妖怪変化に追いたてられ、身も世もなく槍をまわし、剣をかざし、あるいは逃げまどっている。

 尻もちをついたままムカデに食い殺されている者もあり、倒れたところを戦車でかれていく者もある。落馬したところを小鬼たちに馬乗りにされ乱刃を受けている武士もあった。

 それを太玄明王の槍をたずさえた魔王(山宝殿滋持)が、さながら地獄の獄長のごとく喜悦の雄たけびをあげて眺めている。

 ぎらっ、ぎらっ

 それは確かに光っていた。将軍晴氏だけがぼんやりそれを見ている。

 京洛の上空にはひとつの巨星。

 その下の地上で、それは碧色に輝いていた。

 時折その光は強くなる。そのたびブワッと蒼い衝撃波のようなものが噴きあがり、霧のように横へ流れていく。

「………?」

 龍寿もその光に気づき、視線が釘づけになった。

 それはゆっくりこちらへ近づいてくる気がする。

 やがて藤氏のまわりにいる兵のすべてがその存在に気づいた。

「人だ……」と誰かがいう。

「人がこっちに近づいてくる」

 その「人」の顔から碧色の光は放たれていた。

 その「人」に近づいた魑魅魍魎ちみもうりょうたちは、何か巨大な壁にでもぶちあたったかのように一人でに弾き飛ばされ、霧となって消滅していく。

 そのたび蒼い光がキラッキラッと光る。

「剣士だ」と龍寿はつぶやいた。

 怪物が近づくたび、その人は剣を振りまわしている。振りまわすたび蒼い光が走る。

 怪物は一瞬で斬り飛ばされる。

 そのあと剣を肩にかつぎ、やや首をかしげた風情で、人はこちらへ歩いてくる。

 空に暗雲がかかっているためよく見えないが、その人はボサボサ髪をしていた。

 目だけがギラギラと光って、一線になにかを見据えている。

 それを見ていた虎麿がぬっと首を突き出した。口をポカンとあけている。

(ありゃあ、神宮寺村にいたカナコっていう……え?)

 よく見ればカナコの背後に5人ほどの人影があり、その中に於勝らしき姿もあった。

 於勝は大きく跳躍して、ゼラチンの槍兵に飛び蹴りをくらわせ、ついで「とおあっ」と鉄拳をブチあてている。

 その他の者たちも、剣をふるい、長巻をひらひらと舞わせ、柱のような角材を旋回させながら、近づく化物たちを撃退している。

 虎麿はあいた口がふさがらない。

(な、な、なにやってんだあいつら)

 じゃり

 カナコは立ち止まった。その100メートルほど先に、まがまがしい槍をたずさえた魔王の姿がある。

 その魔王の背後には、血にまみれ、倒れ伏した三吉長真の姿があった。

(………)

 その長真に目をやるカナコ。しかしその瞳に悲しみはない。

 立ちはだかるものをすべからく両断する、怒りに似た静けさだけがあった。

 もはやここにいるのはカナコなのだろうか。


●夕空


 ようやく魔王も出現者の存在に気づいた。重い声を発する。

「何者だ」

 さきほどより声色がひきしまっている気がする。左胸にあいた大穴も、肉が盛りあがってすっかり埋まっている。

 しかしカナコは剣を担ぎ、首を傾げたまま、じっと相手を見据えている。

 何やらいつものカナコとは様子が違う。

 あまりに違いすぎて、追いかけてきた小竹たちも近づけずにいる。

 カナコはコキッコキッと首を鳴らしたあと、蒼い剣を突き出した。

「西から軍勢が来る来るいうから来てみれば、なんの妖怪変化の親玉だそなたは。化物ならば化物らしく大江山に帰れ」

「我こそは山宝殿滋持。太玄明王の現人神あらひとがみにして、この九大の帝王となるべ……」

「何言ってるかわからん。そこをどけ。たたっ斬るぞ」

「………」

 ゴオウッと魔王のまわりに円形の霊光が浮かびあがる。

 その槍に霊気が充填されていく。

 ドドドドドと大気をふるわせる轟音。

 小石がパラパラと上空へ浮かびあがる。

 落ちてくる雨滴が不規則な動きをしめし、上に行ったり横に行ったりする。

 やがて魔神の槍がはげしい光を帯びる。

「ドゥヴォラアアアアァァァ!!!」

 形容しがたい絶叫とともに放たれる輪光。

 それは大地をえぐり取り、空間を歪め、雨を蒸発させながら、カナコにむかって殺到してくる。

 それをまともに受けるカナコ。爆風があたりの地面を掃きさらってゆく。

 まとっていた白い武衣、赤い胸当て、そして黄金の天冠が粉微塵となって吹き飛ばされていく。

「キャアアアッ」小竹たちは悲鳴をあげて地面に身を伏せた。

 ズサササササササッ――

 仁王立ちの姿勢のまま後方へ吹き飛ばされるカナコ。

 100メートルほど先でピタリと止まった。

「………」

 カナコは武衣の切れはしを脱ぎ捨て、頭に載っている天冠の残骸をもぎとると、ふたたび剣をかついで歩き出す。

 その時のカナコの装束はいつもの墨染の衣にもどっていた。

 ふたたび絶叫とともに輪光をはなつ魔神。今度は2つ。

 カナコはとっさに剣を振りおろし、振りあげて、それらを上空へ弾き飛ばした。

 はるか東の天、そして西の天それぞれの黒雲にぽっかり大穴があき、そこから夕暮れ時のあざやかな空をのぞかせた。

 一瞬、雲が赤い夕陽の色で染まる。

「おおお……」

 これを遠望する兵士らの間からどよめきがあがる。

 が、その空はすぐに濁流のような暗雲で塗りつぶされていく。

 なおもカナコは歩いてくる。

 魔王はさらに気を放つ。今までより大きめの輪だった。

 カナコはただ突っ立っている。

 ドカアアアァン

 カナコに直撃した輪光はやや軌道をずらされ、爆炎を巻きこみながらシュルシュルと斜め上空に飛んでいく。

(殺られた――)

 誰しもがそう思った。彼らの位置から見ると、カナコは腰から上を吹き飛ばされたように見えた。

 しかしカナコは腰からほぼ直角に後ろへのけぞっていた。

 ぐ、ぐ、と軋むような音を立てながら、ふたたび上身を起きあがらせていく。

 ベっと血のまじった唾を吐いた。

壬賀茂みかもなる、川面かわもそよふく、春風のごと」


●新生


 地獄の底の色のごとき、暗赤のまがまがしい甲冑をまとった魔王。

 墨染の粗衣1枚のカナコ。

 双方がふたたび対峙する。

(な、なんなんだあの人は)

 不意に現れた得体のしれない剣士。かの三吉長真ですら手も足も出なかった魔王を前に、その剣士の闘気にまったくひるみの色がない。

 カナコを包みこむのは鉄のごとき硬質の沈黙。

 ふいに魔王が能楽師のように厳かな声を発した。

「わが槍は死出の道標みちしるべ

 舞踊のようにグルリ、グルリと槍を廻したたあと、サッとそれを突き出してくる魔王。その穂先が驚異的にのびる。

 カナコは片手殴りで脇にはらう。

 穂先が超旋回しているため剣が触れると凄まじい火花を噴出する。

千々(ちぢ)に乱れたる混沌の裁定者」

 穂先でサッ、サッと宙をかくするように掃いたあと、さらに突き出す。

 それを右へ引っぱずす。

 ぐにゃりと曲がった穂先がバシィィンと地を撃ち、泥水をはね飛ばした。

 魔王はさらに踊りつつ槍。舞いつつ槍。神遊びのごとく槍。

 それらはカナコが剣を払うことでことごとく軌道をはずされる。

「―――!」

 カナコはガクッと体勢を崩した。槍の一撃がわずかに左膝をかすめたらしい。

 直後、魔王のまわりを旋回していた光の剣が、いっせいに飛来してきた。

 カナコはそれらも剣を舞わしてたたき落とし、そのうちの一つを魔王にむかって弾き返しさえした。

 その光の剣は、相手にとどく前にジュッと蒸発して煙になる。

 見ればカナコの左肩に、光の剣のひとつが突き刺さっていた。

 カナコはそれを引き抜くが、傷口は泡立ち、ジュウジュウと赤い煙があがっている。

 カナコの息が乱れはじめる。

 魔王がヌラリとその牙をむいた。わらっている。

「なるほど。世にはこれほどの者が……。唯一絶対の力を得て、我に敵する者は一人として無しと寂しい思いをしておったところだ」

 ドスンと太玄明王の石突いしづきを地についた。その槍をおおっていた光の膜がゆるゆると回転しはじめる。

「まさかかほどに早く太玄明王の真価を顕現させるとは思わなんだが……善きかな。この視界にあるものすべてと共に、そなたの霊肉を無に帰し去ってくれよう」

 膜の回転は激しさをまし、その上空に渦を発生させる。混沌として乱れたつ暗雲から、槍にむかって一垂の竜巻がおりてきた。

 ドドドドドドドドド

 魔王のまわりを包みこむ悪夢のような颶風ぐふう。あたりに稲光が乱射される。

「余が帝王として立つに、この京洛も不要。20万の大軍もいらぬ。大名も、管領も、将軍も、朝廷も、なにもかも泡沫うたかたに帰し、余がすべてを一元統治する。九大の民は今まで見たこともない帝国を目にすることになろう。残念ながら新しく生まれかわった神の国にそなたは存在せぬ」

「喜鶴を……」

「………?」

「喜鶴を返せ」

 横殴りの突風に、カナコの髪がぼうぼうと激しく波うつ。カナコは腰を低くし、蒼白く輝く剣をかかげた。

 ぶわあああっとカナコの両眼が碧色に光り、それは彼女の全身を包みこんだ。

「んなことより喜鶴を返せいうとるんじゃ、この惚茄子ボケナスがァ!!!」


永応斬鉄録かなこ22


●結晶


喜鶴きつる……喜鶴だと」

 多治比龍寿たじひりゅうじゅはしばらく女剣士の姿を凝視していた。

(まさか、あの人が)

 幼くして母を亡くした喜鶴をわが子のように育てたというカナコ刀自とじ。いや刀自というには若すぎる気もするが。

 自分の子でもない喜鶴を救うために、15万もの軍勢がむらがる戦場にむかい、見るからにおぞましき魔神の前に立ち、おのれの死命もかえりみず怒りに身をふるわせる。

 他の者なら信じられないだろう。しかし龍寿はかつてその「愛」により生かされたのである。

 いまその婦人は北安芸の山奥にある小さな屋敷で、龍寿の立身をよろこび、その息災を祈っているのに違いない。

柘御方つげのおんかた様)

 カナコとその婦人が重なって見えた。

「最後にそなたの名を聞こう」

 魔王がカナコにむかって太玄明王たいげんみょうおうの槍を突き出すと、螺旋らせん状をした穂先がグワッと開いた。

 それは6つの手をひろげたヒトデのような形状をしていた。

 毛細血管をおびた生物的な手。その一つ一つに、だいだい、黄、群青ぐんじょう、深紅、紫、浅葱あさぎなど6つの魔石が輝いている。

 6つの魔石からチリチリと細かい粒子が放たれ、それは中心部にむかって集束し、黄金に輝く光の球体を形成していく。

「神宮寺六軒のカナコ」

 名乗るや、カナコの蒼い剣も激しく輝き、その色は純白に近くなる。

 黄金の光、純白の光が、わずか50メートルの至近距離でせめぎあうように放射しあう。

 その熱気は、遠くから見ている龍寿や小竹こちくたちの頬にもじりじりと伝わってくるほどだった。

(あの槍はなんなのだろう。あの怪物はなんなのだろう。カナコ殿はいったい何者と戦っているのだろう)

 小竹には何もわからない。

 カナコにも分からないだろう。

 ただ自分の前に立ちはだかっているから倒す。仏にうては仏を殺し、神に遭うては神を殺す。今のカナコはそれだけだった。

「そなたを」

 黄金の光はさらに強くなる。あたりを取りまく竜巻が魔王にむかって収斂しゅうれんされていく。

阿僧祇あそうぎの彼方まで吹き飛ばしてくれるわ」

 カナコは鋭い視線のままニタリと笑う。

「へへ、やれるもんなら早くやってみい。待ちくたびれていいかげん婆ァになっちまうわ」

 ズアアアアアアアアァァァァァ――ッ

 光の奔流ほんりゅうの中、なおも前進し、必殺の一撃を加えようとするカナコ。

 一歩。また一歩。

 やがてその歩みは止まった。前傾姿勢のまま立ち止まるカナコ。

 光の発生源にいる魔王の姿は影だけしか見えない。

 その影が声を発する。

「なぜこれほどの……。わが波動を数度も喰らい、槍の突出も見切り、さらには独鈷どっこ剣でさえ凌いだ。それだけの力があれば、太玄明王などなくとも人からは神とも称されよう……。なぜそなたは今まで"我の知らざる存在"であったか」

「よくわからんが、さっきから力が湧いて湧いて仕方がないんだよ。わらわにもこんな力があるとは知らなんだわ。それを発散する相手がそもじのようなバケモノでちょうどよかったわい」

「………。まあよい。栄光の時代がくれば今の世など誰の記憶にも残らぬ。そなたもまた過ぎ去った時代の存在になる。名も消え果てる」

 黄金の嵐がさらに強まり、魔王の姿も、カナコの姿も見えなくなった。

 いやそこにいる兵士らの姿さえ。

(ただ滅せよ――)

 空間がすべての光と音を拒絶した。

 すべては1つの線になり、1つの点になり、やがて0になった。


●零次元


「………」

 それからどれくらいたったのか。あたりはすでに暗い夕曇りの光度にもどっていた。

「カ、カナコさん……」

 地に伏していた於勝おかつがフラフラと立ちあがった。

 カナコの姿を求めて視線をさまよわせ、その名を呼び続けるが、そこに魔王の姿はあっても、カナコの姿は視界のどこにもなかった。

「ウ、ウソだ、カナコさん!」

 焦点をうしなった目で地にくずおれる於勝。あのとき――経臣つねおみ殿から手紙を受け取った日、カナコに感じた「手の届かない所へ行ってしまうような」嫌な予感がこんな形で適中してしまったというのか。

 なぜあの時カナコがどこにも行かないようしっかりと抱きとめておかなかったのか。

「ガ、ガナゴざあぁぁぁん!」

 於勝はみずからの腕を抱き、天をあおいで子供のように泣きじゃくった。

「よ、よくも」

 多治比龍寿は馬からおりた。その目ははげしく涙に濡れている。

「よくも殺したな……!」

 震える手で剣をかかげ持つ。

 喜鶴を追ってこの戦場まできたカナコ。他人はどう思え、龍寿にとって彼女はまさに良心の結晶のように見えた。この時代のこの国に、後世的な意味での「愛」という観念はまだ存在しないが、たしかにカナコはそれを具現化した存在だった。

 そのカナコを、愛を、魔王は消し飛ばしてしまった。

 気がついた時には魔王にむかって駆けだしている自分がいた。

「うわああああっ!」

 飛びあがり、魔王の背後から一撃をくわえようとする龍寿。その彼が壁にぶちあたったかのように地へ叩き落とされた。

 攻撃を受けたのではなく、虎麿とらまろがとっさに唐剣を飛ばし、龍寿の足首を絡めとったのである。魔王に触れていれば即死だったろう。

 しかし龍寿はなお「よくも、よくも」と魔王に這って行こうとする。

 しかし魔王に飛びかかっていったのは龍寿だけではなかった。見ていた兵士らも何かに取りつかれたように槍を揃え、わらわらと魔王のまわりに雲集しはじめたのである。

 さきほどまで京洛乱入を前にして血に猛っていたはずの兵士らが、今度は何か失ってはならぬものを守ろうとする純粋な意志で結束していた。

 その群衆の中心で、影法師のように立った魔王は笑っている。

 スーッと天にむかって槍を差し出した。

「ふふふ、いかに姿を変えたとはいえ我が本体は山宝殿滋持。その主にむかって槍を向けたは大逆無道なり。逆賊は滅ぶべし。まずはそなたらを世界制覇成就のための生贄とし、わが新生帝国を支える血の漆喰しっくいとしてくれるわ」

「ほざくな、かかれぇぇぇ!」

 将校の掛け声とともに、ピカッと空間全体が光り、ドオオォンという壮大な爆発がおこった。たちまち兵士らの壁が上空へ吹き飛ばされていく。

「小虫どもが何億、何兆と群がろうとも明王の業炎を消すことはできぬ」

「ええい、ひるむな!」

 なおも兵士らは目の色を変えて突撃をくわえてくる。その彼らも業風を浴び、塵と吹き飛ばされていく。

 燃えあがる炎を仰ぎつつ哄笑こうしょうする魔王の影。

 その魔王がゆっくりと京洛に――いや上空の星にむかって歩きはじめる。

「ワハハ、ワハハ、ワハハ!」

 ピュン、ピュン、ピュンと槍がのび、そのたび兵士らが串刺しにされる。

 そのゆく所、一定の直径で人垣が消えてゆく。

 たちまち十数万の軍勢が潰乱かいらんをはじめた。

「星よ、今こそそなたの同胞はらから、そなたの嬰児みどりごたる太玄明王と対面させてくれようぞ。そして我があの星の直下に立った時、この世に神が出現する!」

 星は槍に共鳴してさらに輝きをました。

 さながらもう1つ太陽が出現したかのように。

 龍寿は剣を杖にして立ちあがる。

(あの星は一体なんなのだ!)

 もはやこの時代、その記憶は失われてしまったが――

 京洛上空にある星は、かつて山城盆地に落下した隕鉄である。それを命燕みょうえん上人がわが命とひきかえにふたたび天空に舞いあげていた。

 しかし700年の時をへて、命燕の法力も力を失っていき、星もふたたび地上に接近しはじめているのである。

 星と太玄明王の共鳴作用はこれまでになく高まっている。その破壊力はまさしく「無限」に近くなる。

 しかしその輝きは何やら異様だった。

 ふわり、ふわりと光度を変化させるのである。

 それをボーッと見つめている龍寿の目が、突如驚愕に見開かれた。

「ほ、星が――!」

 音もなく、それは爆発した。


●童子


 バアアアアァァァン

 音はなかったが、擬音化すればそうだったろう。無数の色彩をなす炎の渦をまわりに吐き散らしながら、それは破裂していた。

 あまりにも非現実的な光景に、龍寿は鳥肌を立て、放心しつつ見つめている。

 その爆発の中心が、きら、きら、と輝いていた。それは徐々に大きくなる。

(まさかこっちに――!?)

 星から吐き出された光輝の一点が、猛烈な速度でこちらへ迫ってきていた。

 輝点は螺旋状にジェット気流を放ちつつ、龍寿たちのいる地上にむかって斜めに直進していた。

 兵士らもようやくそれに気づき、わあわあと悲鳴をあげながら魔王から遠ざかっていく。

 地上には魔王だけが残される。

「………?」

 ふと、魔王は顔をあげた。こちらに接近してくる光。それはさらに巨大化し、ついに太陽と見まがうほどの輝きをなした。

 魔王もただ呆然と見つめている。

「な、なんだこれは……星が」

 見れば光の中心に、点のような影があった。人だった。

 人は剣を片手にしている。それをゆっくり前方に突き出す。

「な、なんだと、生き――」

 カナコだった。

 カナコは先ほどの攻撃でかの星にまで吹き飛ばされていた。その彼女は爆発した星の衝撃波に乗ってこちらへ再接近してくるのである。

「なぜ星が爆発する。なぜだ」

 魔王もいまだ信じがたい呈で、槍を上空のカナコにむかって突き出した。

 その穂先が高速旋回をはじめ、バチバチと耳触りな破裂音をたてて霊気を結集しはじめる。

「しかし太玄明王の力はいまだ衰えておらぬ。いやこれまでになく高まっている。ならば最後の力をもってそなたを京洛ごと、ここにいる20万の軍勢とともに消し去ってくれるわ」

 暗赤をなす霊気がドームのように盛りあがり、魔王を包みこむ。

 その赤い霊気と、白い輝きが

 ドオオオオオオオオオォォォォン

 と衝突した。空間全体が狂ったような明滅をしめす。

 もはや京洛との距離は1キロもない。魔王から放たれたわずかな気の漏出でも京洛に甚大な被害が出るだろう。

 それをカナコの放つ光がすべて支えていた。

「我こそは太玄明王の化身なり。森羅万象をつかさどるべき裁定者たり。こんな所で、そなたごときに、わが野望を無にされてたまるかアアアアアッ!!!」

 魔王は絶叫をあげ、カナコを圧倒しようとする。魔王の気が飛躍的に高まる。

 カナコの気がやや圧されはじめた。魔王の気はどんどん強大化していくが、彼女を包みこむ光は小さくなっていく。

 しかしカナコの表情はあくまで穏やかだった。まるで彼女本人ではない、何かの化身であるかのような、たおやかな瞳。

 魔王は見た。光の中、白衣を身に包み、宝剣を手にした女神。

 そのまわりに6人の童子が立っているのを。

 童子らは目をおおって泣いていた。

(なんだこやつらは……)


●京洛


 太玄明王は本来多くの民を守るために生み出された神器である。

 その槍の魔力はあまりに強大すぎるため6つの石に封印された。

 その魔石を具人化したもの、それが童子たちだった。

 戦うべきではない相手と戦い、殺すべきではない相手を殺す。

 その悲しみで泣いている。

 悲嘆する童子らを、白衣の女神は深い慈悲の目で見つめている。

 このときなぜ星が爆発したのかを魔王は直感的に悟った。魔界に堕ちてしまった太玄明王に対する星の悲しみ。

 そのときカナコが蒼い剣を両手で持った。そしてバッと両手を広げる。

 右手には黄色く輝く銀杏いちょう

 左手には墨のごとき漆黒をなす黒竿。

 2つの剣を両手にしたカナコがゆっくりと回転しはじめる。

 その回転は徐々に速さを増していく。

 カナコを包みこむ光も膨らんでいき、魔王のそれを凌駕りょうがしていく。

 魔王の顔が苦悶にゆがみ、牙をむいて濁った唾液を垂れ流す。

「無限、槍の力は今ほぼ無限大に達しているはず。この太玄明王は何人たりとも破壊することはできぬ。で、できぬはずだああああああああっ!」

 手を伸ばせば触れられるほどに近接したカナコに、穂先を向ける魔王。

「できぬ、でき、で……」

 超旋回する2つの剣。

 それに触れた穂先が――何人たりとも破壊することのできぬはずの槍が――一(りん)、また一厘と切断され、火花を吹きあげ、蛍火ほたるびのように上空へ舞っていく。

 やがて穂先はすべて失われ、今度は柄が同様に消し飛ばされていく。

「こ、こんな莫迦ばかな……こんな莫迦なことが」

 おのが手元を虚脱したように見つめる魔王。

 カナコは細めていた双眼を、カッと見開いた。

 彼女を包みこんでいた白い光が集中して点のようになる。

 このときカナコが初めて叫び声をあげた。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああッ!!!」

 ビシュウウウゥゥゥ……ン

 光はひとすじの直線となって、魔王の全身を貫いていった。

 直後、目に見えない衝撃波がおこり、大気を走り抜けながら、あたりの暗雲を吹き飛ばしていく。

「おおお……!」

 これにはそこにいたすべての者が歓呼の声をあげた。ここ1ヶ月ほど上空を覆っていた重苦しい雲が一瞬で晴れあがったのである。

 そこには今まで見たこともないような、清澄な夕景の大天空があった。

 魔王の眼前にカナコの姿はない。魔王は槍をうしなった右腕をぼんやり突き出している。

 カナコの姿は魔王よりはるか後方、300メートルほど先にあった。彼女は地に片膝をつき、うずくまったままじっとしている。

 右手にはふたたび1つになった蒼い剣が、残照の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 バリ、バリ、バリ

 という乾いた音とともに、魔王を包んでいた暗赤色ダークレッドの甲冑がはがれ去っていく。

 それは上空に舞いあがり、走査線のような細かいラインを流しながら消えていく。すべては「幻」であったと言わんばかりの電子的な色合いをなしつつ。

 やがて白銀の甲冑をまとった山宝殿滋持さんぽうでんしげもちの姿があらわれる。

 彼はきょとんとあたりを見回していたが、ふと眼前に京洛の町なみがあることに気づき、何げなく手をさしのばした。

「京洛……」

 そのまま前のめりにドサッと倒れた。その左胸には三吉長真みよしちょうしんによって開けられた大きな穴があった。

 そこは京洛まであと800メートルの郊外だった。


●将軍


 カナコは立ち上がった。

 その頭上、壮大な夕空には粒子にされた太玄明王の破片が、さながら蒲公英たんぽぽの綿毛のように乱れ飛んでいた。

 それらの粒子はあたりの荒野に静かに降り注いでいく。

「………」

 それをじっと見上げたあと、カナコは右手に剣をぶらさげたまま、ある方向にむかって歩きはじめる。

「こ、こっちへ来るぞ」

 兵士らの間からかすかな動揺がおこる。彼女はある一つの牛車にむかって歩いている。カナコの往くところ、兵士らの垣がざああっと割れていく

「………」

 白馬の上からぼーっと眺めていた将軍藤氏。何を思ったのか急に馬から降りた。

 牛車に歩み寄り、中で眠っている喜鶴を老公卿から受けとっていた。

 喜鶴を袖に抱きあげたまま、藤氏もゆっくりカナコにむかって歩いていく。

 やがて彼女の前で立ち止まった。

 カナコも立ち止まり、しばらく相手の顔を見つめている。

 小竹、於勝たちもカナコのそばに駆け寄ってきたが、この衣冠束帯の青年に遠慮して近づけないでいる。

 微妙な緊張感が空間全体を覆っていた。

 やがてカナコはスッと片膝をつき、手にした剣を背中にまわした。

 顔を伏せながら言う。

「上様……」

朝隈あさくまの姉君、余を覚えておられたか」

「はい」

「カナコという女性の名は聞いていたが、まさか姉君の事だとは気づかなかった。あのころ余はまだ喜鶴ほどに幼い身であったが、姉君の舞う陵王りょうおうの舞の美々しさ、この目にはっきりと焼きついている」

 今までの藤氏とは別人かと思えるほど威に満ちた声だった。

「畏れいります」

「喜鶴を、連れ戻しに参られたのであろう」

 藤氏はカナコの前にしゃがみこみ、彼女の手に喜鶴をゆだねた。彼女は喜鶴の頭をギュッとかい抱く。

「まさに姉君の剣は、古今無双、扶桑第一の剣。朝隈真鉄(まかね)のなしたる鴻業こうぎょう、しかと歴史に刻み、ひろく衆に伝え、長く後世に語り伝えようぞ」

「どうか、その儀ばかりはご容赦くださいませ」

「なにゆえ」

「朝隈の真鉄はすでに死にましてございます。私はただその日の無事なるを喜び、明日の実りを願う一介の農婦にすぎません。なにとぞ」

「………」

 藤氏はいとおしげに喜鶴の額を撫でた。親類の情に恵まれずに育った藤氏。カナコには彼の気持ちが痛いほどわかった。

「あいわかった。山宝殿滋持は、三吉長真との一騎討ちで相ともに果てた。それでよろしいな」

「上様のお心づかい感謝いたします。慶之進も……いや三吉長真も喜ぶでしょう」

 カナコは手にした剣を藤氏の前に置いた。

「これはもはや私には必要のないもの。なにとぞ上様がご存分になさってください」

「この剣を……」

 かの魔王ですらほふった稀代きたいの名剣を前に、いかな無表情の藤氏もやや当惑したような目をする。


●付託


「余に扱いきれるかどうか」

 そのとき腕の中の喜鶴が「ウーン」といいながら身をゆすった。

 パチリと目を開ける。そしてすっ頓狂な声をあげた。

「あれ、カナコ!?」

「へへ!」

 カナコは鼻をこすって片目をつぶる。

 小竹、於勝たちも近づいてきて「喜鶴さん!」「喜鶴!」と顔をのぞきこむ。

「どうしてみんなここにいるの! あれ僕……あれ」

 何やら首を揺すっている。カナコはペシンと喜鶴のおでこを叩いた。そして喜鶴を抱きかかえたまま立ちあがる。

「さあ、かーえろ!」

「え、どこに」

「決まっておる。神宮寺六軒じゃ!」

「えー、ホントにィ、なんでー!」

「もう将軍様の役はしまいじゃ。帰ったらうまいもんたらふく食わしてやるわい!」

 カナコはそう言ったあと藤氏にむかって一礼した。

 そのあと彼らは、京洛のある北ではなく、神宮寺村のある東にむかって歩いていった。

 喜鶴も「もうおんぶしないでも歩けるよー」とスキップしながら歩いていた。

 遅れて。

 カナコたちを追おうと駆けだそうとした権十郎が、

 一剣劫魔(ごうま)――

 という声で足をとどめた。

 見れば藤氏はカナコが置いていった剣を持ち、じっと蒼い刀身を見つめていた。

「この輝き、さながら天空輝く日輪にちりんのごとし。日輪剣一文字(いちもんじ)……」

 と言ってから、藤氏は「そこの」と権十郎に顔をむけた。

「は……? ははっ!」

 権十郎はパッと地に這いつくばる。

「そなたは真鉄(ひめ)……いやカナコ殿の存じよりのものか」

「はっ、拙者はカナコ殿の一の子分、おなじ神宮寺村に住せし馬崎権十郎と申しまする」

「ハハハ、カナコ殿の子分とは心強い。では馬崎、近う寄れ」

 藤氏はそっとさし招いた。

 権十郎は小首をひねりながらも、身を低くした姿勢でサササッと歩いてくる。

 その彼に、藤氏はスッと剣をさしだした。

「この剣、そなたにしばし預け置く」

「はァ?」

「そして余に仕えよ」

「へぇ??」権十郎はバカみたいな顔をしている。

「思うに、いまだ余はこの剣のあるじとして相応しくない。もし余がその剣のあるじとして相応しい君主となったと判断した時、馬崎よ、その剣を余に託せ」

 そう言われても権十郎には理解が追いついていない。

「返答はいかに」

 ようやく事態がつかめてきて、権十郎の総身は鳥肌でブツブツになった。

 ワナワナと震えながら、

「は、ははー、身命に代えましても!!!」

 と地に額をこすりつけた。

 この時をもって幕臣馬崎権十郎、すなわち後年史書にもあらわれる御供衆おともしゅう真木島玄蕃允武光まきしまげんばのすけたけみつが誕生する。もし一瞬でも立ち去るのが速かったら彼の人生はまた違ったものになっただろう。


●流離


 そのあと多治比龍寿は、戦場に野ざらしになったままの三吉長真のもとへ歩み寄っていた。

 しかしまわりには魔王に殺された兵士らの遺骸も転がっており、どれが誰とも見分けがつかない。

(あれは)

 ある亡骸なきがらの前で、がっくりと両膝を落としている京兆院晴氏けいちょういんはるうじに気づいた。

 頭には冠を帯びていなかった。

 彼の前には甲冑をまとった長真の遺骸がある。

 微かに開かれた長真の目を、晴氏は手でそっと閉ざしている。

 その後うな垂れたまま、じっとしていた。

 歩み寄ろうとする龍寿の足元に、水に濡れ、兵らに踏みしだかれた冠が落ちていた。おそらく晴氏のものであろう。

 それを拾い上げ、晴氏に「管領殿、これを」とさしだす。

 晴氏は冠に目をやる。

 それを力を失った手で受け取ったあと、頭に載せようとしたが、その手がとまった。

「………」

 泥の水たまりにむかって冠を投げ捨てていた。

 身も重たげに立ちあがり、京洛とは違う方向にむかって歩き出そうとしている。

「管領殿、いずこへ」

「私はもう、管領ではない」

 寂しげな笑みを向けたあと、晴氏はフラフラと夕闇の中に消えていく。

 その後ろ姿を龍寿はいつまでも見送っていた。

 これ以後、晴氏の名は歴史に登場しなくなる。

 はるか後年、襤褸ぼろをまとい、さまざまな幻術をあらわし、あらゆる権力者を茶にし、河内の大名になった五百住弾正いおすみだんじょうに小遣いをせびっては嫌がられている老人の伝説があるが、それが管領晴氏のなれの果ての姿であることを知る者は何人もいない。

 老人の名は迦心居士かしんこじといった。


永応斬鉄録かなこ23


●西国


 その後、西国軍は多治比龍寿たじひりゅうじゅ指揮のもと、粛々と京洛に入った。

 そして山宝殿滋持さんぽうでんしげもちの従弟である山宝殿義隆(よしたか)が管領となり、京洛周辺を支配した。

 しかし京兆院晴氏の予言どおり、彼らは2年と畿内を保つことができなかった。西国で内乱がおこり、九州の諸勢力の活動が活発化し、さらに農民一揆が多発したのである。

 西国派の大名たちは続々と国元へ引き上げていった。

 さらに畿内でも、磐鳴芝波いわなりしなみ曽合凌為そごうりょうい松長まつなが五百住いおすみ弾正だんじょうなどの三吉みよし家残党が勢いを盛りかえし、京洛を奪回、将軍藤氏を陣営に迎え入れた。

 この段にいたり多治比龍寿もようやく全軍の撤退を決断し、周防に帰還した。ついで主君義隆を謀殺した陶藤晴房すえとうはるふさを討って実権をにぎり、かつての山宝殿家を凌ぐほどの大勢力を中国地方に築きあげた。

 しかし多治比玄就(げんしゅう)と名乗った晩年になっても龍寿はついに京洛に軍勢を向けることはなかった。

「京洛には恐ろしき人がいる」

 と冗談まじりに言うのが口癖だったが、その話をまともに信じる家臣はなかった。

 ちなみに実穀院じっこくいん虎麿とらまろは老婆になるまで多治比家を支え、その水軍を一手に統括して海賊たちから鬼のごとく恐れられた。対外貿易でも莫大な巨利を得、その実質的な収益は百万石を下らなかったという。


●東国


 東国では、相模で豪族たちの内紛が激化していた。

 やがて彼らの中から「典厩てんきゅう家の小竹ノ君(こちくのきみ)を擁立しよう」という動きが出はじめ、京洛の小竹のもとに帰還要請の使者が派遣される。

 小竹はそれを受け、典厩家の遺臣5人、そして神條総雲しんじょうそううん田名布たなぶ総四郎)とともに相模へくだった。

 しかし小竹はなぜか典厩という名乗りをもちいず、もっぱら神條総雲の妻としてその補佐に徹していた。

 京洛周辺では武家の力が強すぎて、総四郎たちの思い描いていた理想は実現できなかった。そこで総四郎にすべての権力をゆだね、彼にやりたいようにやらせてみる。自分はそれに従うだけでいい。

 やがて相模を平定した総雲は、それまで「誰も見たことのなかった」王国を実現させた。上からの支配ではなく、下からの要請により政策を決定するという、これまで扶桑に存在しなかった大名だった。

 彼らはついに南関東を支配下におさめるほどの勢いをしめしたが、その成長は皮肉にも総雲を模倣した「戦国大名」の出現によって阻まれた。

 総雲、そして小竹たちの試みは成功したのだろうか。

 しかしその王国は3代にわたって存続し、後におこる江土えど幕府は神條家が築いた基礎をそっくり受け継いでいくことになる。


●無常


 三吉家残党に擁立された将軍藤氏は、20歳を過ぎたあたりから「武者将軍」としての片鱗を見せはじめる。

 ついに藤氏は幕府に反抗的な大名を討伐するほどの勢いをしめしたが、わずか25歳で陣没している。その武勇をおそれた大名による毒殺とも伝わる。

 そのころ真木島玄蕃まきしまげんばとなのり、宇陀うだに2千貫もの所領をもらっていた馬崎権十郎うまさきごんじゅうろうは、預かっていた名刀「日輪剣一文字にちりんけんいちもんじ」を何度も藤氏に進上しようとしたが、藤氏はそのつど、

「我いまだこの剣のあるじ足りえず」

 といって受け取らなかった。

「やはり日輪剣の主はこの世にただ一人いちにん

 受け取らぬまま藤氏は帰らぬ人となる。

 そのころ権十郎は藤氏の死もふくめ、色々な事が重なって打ちひしがれていた。

 尊敬していた霞修寺経臣かしゅうじつねおみが病死したのもある。

 親友だった総四郎が京洛を去ってしまったのもある。

 土一揆でむざむざ田名布六蔵を死なせてしまった事も心の深い傷になっていた。

 12歳に成長した喜鶴きつるが、関白土御門(つちみかど)家に勤仕ごんしするため神宮寺村を去ったのも大きかった。

 屋敷から見送る時、カナコはいつまでも喜鶴を抱きしめていた。

 その場には権十郎も立ちあっていた。

 泣いて泣いて、泣き死んでしまうかと思った。

 喜鶴が去ることよりも、屋敷に一人きりになってしまうカナコを思うと悲しくて、やりきれなかったのである。

 そのため権十郎は世の無常を感じ、30代で剃髪ていはつして真木島伯淳(はくじゅん)となのり、幕府滅亡後は本格的に修行にうちこむため比室ひむろ龍雲寺に入山した。それが60代の時。

 真木島家は親戚筋から養子をとって跡を継がせた。

 しかし出家後も、時の権力者から寺院を守るため日々闘争の連続だった。


●結


「というわけで、まあ」

 今年89歳になる白景はっけい伯淳老師は、みずからの禿頭とくとうをつるりと撫でた。

「考えればずいぶんとせっかちな事をしたもので」

 あのまま俗界に留まっていれば今でも殿様身分だったかもしれない。

「いや、おかげで」

 伯淳の前にすわった御耀光ごようこう帝が、そっと流麗な瞳を笑ませた。

「衰えた龍雲寺は寺勢をとりもどし、さらに寡徳かとくなる身のよき師となり、何にも替えがたき教えを授けてくださった。そのせっかち、げにも尊かるせっかちかな」

 朝方にこの比室龍雲寺おとずれた帝だが、あたりはすでに夕闇が迫っていた。

 その間、帝はまんじりともせずに伯淳の話を聞いていた。

「その喜鶴というのは、もしや」

 帝は顔をむけてくる。伯淳はうなずく。

 のち霞修寺少将経允(つねのぶ)となのった喜鶴は、5人の子女をもうけた。

 そのうちの娘は、霞修寺堂上(どうじょう)家にして一女をもうけた。

 名は清子といった。それすなわち、

「畏れ多くも、帝の御母君でございまする」

「そうか、知らなかった」

 帝はそっとうなだれた。曽祖父の経允のことは知っていたが、その幼名が喜鶴であり、どんな幼少期を送ってきたのかは知らなかった。

「とすると、ちんもまたカナコ刀自とじの愛により生かされていることになる。我もまた刀自の息子である」

「………」

 それを聞いた伯淳は胸がふさがったようにしばらく声を失っていた。

「その帝の御言葉を聞けばどれほどカナコ殿が喜ぶかわかりません」

 しかしなぜ自分の血筋にも関わる大事なことを伯淳は今まで黙っていたのだろう。

「あれからもう70年。しかも喜鶴様の血をひかれる帝に話すのなら、カナコ殿もお許しくださるだろうと思ったまでです」

 あの魔王との戦いのあと、カナコはいかに暮らし、経臣殿もそれから何年生きたのかと聞こうと思ったが、あとは想像によるしかなかった。

 その10日後に白景伯淳が亡くなってしまったのである。

 伯淳は生涯独身だった。ひょっとしたら伯淳はカナコに片想いをしていたのではないか……と帝は勘繰かんぐってみる。

 しかし彼女の心の中には休之助、そして少将経臣という、権十郎では逆立ちしても太刀打ちできぬ男たちの存在があった。

 それゆえに彼女に想いを打ち明けられぬまま、その傷心を癒すように仏門にすがったのではないか。そんな気もする。

 とすれば今まで帝は権十郎の壮大な片想いの話を聞かされていたことになる。

「まったくバカな野郎で」

 権十郎の話をするとき、伯淳はそれを枕詞まくらことばのように言った。そして消え入りたいような含羞がんしゅうを浮かべていた。その巨躯きょくに比して、その仕草はあまりにも可憐であった。

(それでも老師の生涯は荘厳そうごんの一言に尽きる)

 その夜、帝は伯淳がなくなった比室山の方角にむかって手をあわせ、落涙した。

 夜空を横切って一条の流星がながれた。

 馬崎権十郎はカナコに再会したのだろうか。

 ………

 伯淳の死の3日後、内裏にて世羅田行家せらたゆきいえの征夷大将軍の任官が行なわれた。

 その場に居並ぶ大名・公卿たちの半分ほどは喜鶴、小竹、総雲、芝波、藤氏、龍寿など、カナコにゆかりの深い人々の血をひいているはずである。

 カナコ本人は生涯を一農婦として送ったというが、彼らはみな彼女によって生かされ、運をつかんだ者たちの末裔である。

 ときに御簾みすのむこう、帝の背後に、かの「日輪剣一文字」の刀が置かれていたことに気づいた者が何人あっただろうか。

 しかしようやく平和な時代が来たことを、この剣の持ち主に、カナコに見せてあげたかったのである。


皐月さつき


 神宮寺屋敷。その崖下にあるカナコ農園。

 その畑は周囲より10メートルほど高台にあり、そこから向かいの蘭山らんざん山脈が一望できる。

 その手前には一面鏡を敷きつめたような水田が広がる。

 そこでテンテケテンという太鼓の音とともに、苗を植える女たちの姿があった。

 丘のへりにある丸太に腰かけ、この光景をぼんやり眺めている2つの影。

 一人は頭巾をかぶり、亜麻あま色の小袖をまとった婦人。

 一人は烏帽子をいただき、水色の直衣のうしをまとった公家風の青年だった。おそらく20歳前後であろう。

 女性はさきほどまで田植えの手伝いをしており、両手が乾いた泥でまみれていた。

 両手をこすりあわせて土を払っている。

「もうこんなに田んぼが広がって、すごいなぁ」

 と公家の青年が言う。

「それでも10年じゃ」と女性がこたえる。もう刀自といっていいほどの年齢だが、姿勢がよく、目元が清らげでまだ若々しい。

「10年でやっとここまでになったわ。芝波もようやっとるよ」

 ちなみにこの神宮寺六軒も、年々農家がふえて神宮寺15軒になっている。

「ところで」と青年が顔をむけてくる。「なんぞや?」と女性が首を傾げる。

「……いや、何でもない」

 青年はふたたび水田に顔をもどした。

 女性の縁談のことである。たびたび良縁があってそれを彼女に持ちかけるのだが、彼女は首を縦にふらぬ。

 以前、宇陀の殿様になっている馬崎権十郎に「どうか」とその話をもちかけたところ、権十郎から「それは若でも差し出口というものですぞ」と真っ赤になって怒られたことがあった。だから権十郎に話を振るのは諦めている。

「わらわは、この男のためなら死んでもいい、と思える男をこの生涯で2度も得た。女として生まれてこれほどの冥加みょうがはない。それ以上の事を望んだらバチがあたるわい」

 というのが彼女の言い分だった。

 あまりしつこく勧めると殴られそうなので青年は黙っている。なので話題を変える。

「於勝さん、近ごろ見ないね」

「於勝殿はもうトシで海が怖くなったと言っておった。故郷の与姥呂よぼろ島に腰をすえてゆっくり暮らすつもりらしい」

「そうか、でも会いたいなぁ……。小竹さんも元気してるだろうか」

「元気すぎて相模一国を討ち平らげたそうな。総四郎が殿様なら百姓たちはイヤでもくっついてくるわ。なんならわらわも相模に移り住みたいぐらいじゃ」

「え……。とすると、寂しくなるなぁ」

「冗談じゃ。わらわはこの村からどこにも行かんよ」

 そのあと沈黙。

 ひゅうっと五月の風が吹きわたり、崖のわきに生えている笹葉を揺らした。

 崖はすでにがっちりと石垣でかためられ、城壁のようになっている。

 その城壁の上から、ひょいっと顔をのぞかせる女性があった。痩せているが美人の部類に入る容姿である。背には3歳ぐらいの子をおぶっていた。

 公家風の青年に気づくと、

「あらあら若様……。あんた、あんたァ!」

 と背後の屋敷にむかって声を張りあげる。何度もあげる。

「なんじゃあ、お紺。そんな大きい声出さんでも聞こえとるわい!」

 とガニ股歩きで、屋敷から出てくる小男があった。折烏帽子をかぶった、いかにも成金の長者風といった男である。口にチョビ髭が生えている。

 その男の声を聞きながら、青年がクスクス笑う。

「ハハ、茂助さん大変な鼻息だな」

馬飼うまかいでもうけてえらく威張っとるわい。近隣じゃ名嶋長者とか言われとるそうじゃ」

 女性も手を払いながらフフンと笑っている。

「ん、あれ」と崖下をのぞきこんだ小男は、急に低姿勢になって、

「な、なぁんだ若様、水臭いな。お出でなら一言お声をかけてくださればよかったのに。ささ、屋敷の方へ、なんぞ茶菓さかでも出しますゆえ、さささ。ほらカナコ姐さんも坐ってないで」

「へいへい」

 と女性は言ったあと、青年にむかってピラピラと手で招き、

「おい喜鶴喜鶴、おぶれ」

 彼の背中にひょいっと乗った。

 女性をおぶりながら、青年は口を突き出す。

「もう、またその名で呼ぶ。麿はいつまでも子供じゃないんだから」

 すると女性はケタタッと歯をむき出して笑い、青年の肩をパシンと打った。

「なに言うとる、そもじはいつまでたってもわらわの子供ぞ」

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