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番外編 珠の恋

作者: WAIai
掲載日:2026/09/29

秋の日差しが差し込む中、珠はぼうっとしていた。

頭の中は藤原教通の姿だけが浮かび、自分で自分を制御できなかった。

ーふう。教通様か…。

思い出すだけで、顔が赤くなる。

素敵な御方だったと、土御門邸に行ってから、ずっと思い続けていた。

ー可愛いらしい御方だって言われたし。

嬉しい自分と、訳が分からない自分と、色んなものが混ざり合い、珠はまた息を吐き出す。

この気持ちは何なのか、不明だった。

ーもう会えないわよね…。

紫式部のお供でついて行ったので、教通に会える確率は低かった。

顔は赤くなったり、青くなったりと忙しく、珠は目が回りそうだった。

「…ま、珠!!」

「!! え…?」

急に声をかけられ、珠はびっくりして、そちらに目を向ける。

すると賢子と手を繋いだ紫式部が、心配そうな表情をしている。

「こ、これは紫式部様…!! 失礼いたしました!!」

「いいのですけれど、墨が…」

「す、墨…? あー!!」

紙は貴重なものなのに、珠は筆を持ったまま、ぼうっとしていたらしく、慌てて離したが、時すでに遅しだった。

「も、申し訳ありません!!」

紫式部に向かって頭を下げると、紫式部が賢子を前に出す。

「賢子が様子がおかしいから、見てって言うから、見てみれば…。どうなさったのですか?」

「そ、その、あの…」

唇が上手く回らず、しどろもどろとなる。

紫式部は賢子を手放すと、

「女房達と碁でもしてきなさい」

と伝え、場を去らせる。

御簾の中には、珠と紫式部だけになり、二人は向き合う。

「どうしたんですの、珠? いつもならしっかりしているのに」

「も、申し訳ございません。ちゃんとします」

失敗を片付けようとしたのだが、紫式部がその動きを止める。

「待ちなさい。土御門邸に行ってから、おかしいですわよ? 何かあったのですか?」

「え…。えっと、その」

珠はおどおどしたが、言わないほうがいいと口をつぐむと、紫式部が床を叩く。

「こら、珠!! 言いなさい!!」

「は、はい…!! あ、あの」

紫式部には逆らえないので、勇気を出して事を伝えると、彼女が嬉しそうに微笑む。

「ほほ。そういうことでしたか」

「は、はい。私、おかしいんでしょうか…?」

「違いますわ。珠は光源氏を見つけたのよ」

「ひ、光源氏…? え? 教通様ですよ?」

「そう。教通様が光源氏なのよ」

よく分からず首を傾げると、扇で胸を示される。

「ー恋ですわ、恋。珠は教通様に恋をしているの」

「こ、恋…!! え、え、えー!! そ、そんな、そんな、滅相もない!!」

「どこが滅相もないことですか!! 立派な大人になるために必要なことですわ」

「立派な大人…」

珠は胸をゆっくりと押さえる。

恋と言われ、この苦しかったり、不安になったり、更にはときめいたりと、忙しい心がそうなのかと、初め知る。

ー私、教通様のこと…。

一目見ただけなのに、恋と呼べるのだろうか。

紫式部に問うと、彼女は嬉しそうに笑う。

「そういうこともあるのですよ。一目惚れというものですわ」

「一目惚れ…。なるほど」

声に出して言うと、ゆっくり納得し、紫式部にすがる。

「ど、どうしたらいいのでしょう…? この複雑な気持ちを楽にするには!!」

「結婚なさい」

「は…? 結婚?」

いきなり話がとんだような気がし、珠は目をぱちくりさせる。

「ど、どういうことでしょうか? 結婚って、いきなり」

「珠もいい年ですもの。まずは文のやり取りから頑張りなさい」

「ふ、文…? あの、どういう…?」

「光源氏を見習いなさい。ちゃんと文のやり取りをして、夜、忍び込んで来ているでしょう?」

「し…!! そ、そんな恥ずかしいことは!!」

「何が恥ずかしいですか。立派に成長している証ですわ」

ほほと紫式部は笑うと、珠の前に膝をつき、頭を撫でる。

「あなたは受領の娘。道長様のお母様も、そうなんですわよ」

「え…。道長様のお母様もそうなんですか?」

「家にお金があるかないかで、身分なんてどうとでもなりますわ。珠の家は…?」

「一応、順調です。お父様もやり甲斐があるようですし」

「そう。それなら教通様に恋をしてもいいわね。応援するから、頑張りなさい」

「え、でも、その、奥方様が…」

「皆、正室の他に女性達がいますわ。道長様だって、いらっしゃいますし」

「なるほど…。…でも、その、勇気が出なくて」

「断られてもいいのですよ? いい勉強になりますし、教通様に早く文を書きなさい」

「えっと…」

失敗した紙と筆を見、珠は固まる。

恋なんてまだ早いと思っていたが、突然、起こるものだと知る。

ー自分の心が止められませんわ。

早く文を書きたい自分と、そうでない自分がせめぎ合う。

自分と教通でつりあうだろうかと思ってしまうのだ。

ー教通様が私の光源氏…。…それなら私は。

珠はしっかりした顔つきとなると、紫式部に言う。

「ー私、やめておきますわ。その、もう少し紫式部様の側にいたいのです」

「まあ。せっかく叶うかもしれない恋なのに、やめるのですか?」

「はい。私、紫式部様の弟子ですので、この複雑な気持ちをいかして、物語を綴ろうと思います。そうしたら…読んでくださいますか?」

「珠…。…よく言いました」

紫式部は珠を側に寄せると、耳元で言う。

「恋は一つ間違えれば、命取りになるもの。しかも政に関わるとなると、珠では素直で優しすぎて無理かもしれませんわね」

「紫式部様…。ありがとうございます」

珠は一緒に心配してくれる紫式部の存在がありがたかった。

紫式部は珠の両方の肩を掴むと、真剣な顔つきで言う。

「物語にしてみなさい。それでこの恋は終わりにするべきですわ。いずれ教通様も偉くなる御方ですもの」

「はい。分かりました。…あー、何かすっきりしてきましたわ。紫式部様、話を聞いてくださって、ありがとうございます」

「ほほ。いいんですわよ。若いうちはたくさん恋愛しなさい」

「たくさん恋愛…。…私が紫の上になる日が来るのでしょうか?」

「くるに決まっていますわ。どんと構えなさい」

「はい!!」

珠が元気に答えると、紫式部が額と額をくっつけてくる。

「珠、いいですか。男といっても、色んな人々がいます。その中から、この人なら自分を預けても大丈夫だという人を探しなさい。あなたのことを大事にしてくれる人を探すのです」

「はい、分かりました」

珠がはっきりと告げると、紫式部は身体を離してくる。

奥から「きゃあ」と賢子の声が聞こえてきて、二人はくすりと笑う。

「いつもの珠ですわ。割り切りましたね」

「はい。私も不祥ながら、物語を書いてみようと思います。あと、素敵な男性が見つかったら、紫式部様に相談しようと思います」

「ええ、それでいいのです。…ああ、雰囲気が明るくなった。やはり珠がしっかりしていないと、部屋が淀みますわ」

「え? そうなんですか?」

珠が御簾の中を眺めると、外と内とを結ぶように、光が差し込んできている。

あとは秋の葉を揺らすように、風が流れているのが伝わってくる。

ーそうか。私が元気がないと、暗くなるのか。

珠はぱしりと両頬を叩くと、紫式部に頭を下げる。

「助言、ありがとうございました」

「いいのですよ。…でも初恋の御方が教通様で良かったですわ。見る目があるのね、珠は」

「これでも…色々と苦労していますから」

詳しくは言わないが、珠は口をつぐむと、静かに立ち上がる。

その影に驚いたのか、雀達が一斉に飛んでいく。

「ー私、頑張りますわ。まずはここを片付けないと」

「そうそう。その調子です」

「はい。では失礼して」

失敗した紙を丸めると、珠の心が爽快なものになっているのに気づく。

ー本当に初恋の人が教通様で良かった。

珠を攻撃せず、見守ってくれた御方。

そんな御方と出会いたいと、珠は願うのだった。

「よーし、やるぞ!!」

「まあ、珠ったら」

二人は声を立てて笑うと、明るい表情となり、それは部屋の雰囲気に広がるのだった。

ー次の恋、次の恋!!

光源氏ではないが、男性とのやり取りを学びたいと強く願うようになり、珠は紫式部に伝える。

「私、よい夫婦になれるように頑張りますわ」

「それがよろしくてよ。子どもも早いうちに生んだほうがよろしいですし」

「だったら賢子様みたいに育てたいですわ」

「そう? 頑張ってね。困ったら、また私に言いなさい」

「はい」

しっかりした声は外に響き、珠の心は静かなものとなったのだった。

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