説得
公爵家の一室。
午後の日差しが窓から優しく差し込んでいる。
お茶の香りが、ゆるやかに部屋を満たしていた。
父レオンハルト・アーヴァイン公爵は、ソファで脚を組んで座り、娘と向かい合う。その隣では、母エレオノールがお茶に口をつけている。
「改まって話がしたい、とは珍しいな。セラフィナ」
「はい。お父様、お母様。大切な話です」
セラフィナは背筋を伸ばした。
彼女の真剣な様子に、両親はちらりと視線を合わせて頷き合った。
「昨夜の卒業記念パーティーの件か?」
父の問いに、セラフィナは頷く。
「はい。それから、私の人生についてです」
公爵は静かに息を吐いた。
「まず聞こう。結論は?」
「私は、アルベルト殿下と結婚しません」
一瞬、沈黙が落ちた。
母が、もう一口お茶に口をつけてから、カップを置いた。
「理由は?」
今度は、エレオノールが短く聞いた。
「殿下と私は、相性が悪すぎます」
はっきりとしたセラフィナの答えに、母は納得しなかった。
「それだけではないでしょう? あなたの婚約の意味は、わかっているはずです。相性だけで婚約を破棄する理由には、なりません」
セラフィナと同じ氷青の瞳で、鋭く娘を見つめた。
「正直に話しなさい」
母の言葉に、セラフィナは「もちろんです」と答える。
そして、自分とアルベルトの関係と、ゲームの話、それを思い出したことで、やりたいことができたことを、丁寧に説明した。
両親は、セラフィナの話に口を挟まず、じっと耳を傾けた。
話が終わると、また沈黙が落ちる。
父は目を瞑って天を仰ぎ、母はじっとセラフィナを見つめている。
セラフィナは、少し緊張してきた。
正直に話しすぎただろうか、とセラフィナは口が渇くのを感じる。ゲームの話など、到底信じることなどできないだろう。しかし、何かを誤魔化して説得できるような人たちではないことも、彼女は知っている。
長い沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。
大きく息を吐きながら、ゆっくりとセラフィナを見る。
「話はわかった。ゲームとやらの話については、私には判断できないが、お前とアルベルト殿下の相性が悪いのは、事実だ。このままでは、お前が言ったような結末になる可能性も、高いな」
頭ごなしに否定されないだけマシだと、セラフィナは思った。もう少し押せば、説得できるだろうか、と口を開こうとした時、父が「だが」と続けて言った。
「お前と殿下の婚約は、貴族のバランスを保つ手段の一つだ。それを覆すことができるほどの理由を、お前は持っていない」
レオンハルトの静かな声に、セラフィナは言葉が出ない。
「今、お前ができることは、殿下との関係を改善することではないのか?」
もっともな言葉に、セラフィナは俯いた。
そのまま、長い沈黙が続いた。
――
数日後。
友人とのお茶会の席は、なんとも言えない雰囲気が漂っていた。
「それで、どうしてこうなったの?」
応接室の扉付近をチラリと見たアーリーが、クッキーを手に取りながら小さな声で聞いた。
セラフィナは、うーんと腕を組んで考えた。
アーリーが見た方向では、二人の男性が沈黙を守っている。
金髪がヴィルヘルム・グラーフ、濃い茶髪がエーリヒ・フェルナーという。いずれも王国近衛騎士団の正近衛騎士だと、紹介を受けた。
「アルベルト殿下がよこしてきたのよ」
セラフィナも、アーリーにだけ聞こえるよう答える。
「昨日から、突然ね」
それ以上の情報は、ない。強いて言うなら、ヴィルヘルムは無表情で、エーリヒは柔らかい雰囲気だと言うことくらいか。
アーリーは、不信感でいっぱいの顔をしている。
「それって、あれでしょう? 卒業記念パーティーの……」
「たぶんね……」
セラフィナは、ため息をついた。
アルベルトとは、相性は悪いものの、それなりに婚約証として対応してきた。近づく女がいれば牽制するし、会話もほどほどにあった。
しかし、セラフィナは、あのパーティーで彼をしっかりと拒絶した。
「何かしらね。私のことが嫌いなら、放っておけば良いのに」
「無視されたから、追ってきたのではないの?」
「自尊心の塊には、悪手だったと言うことね」
セラフィナは、もう一度、今度は大きなため息をついた。
彼を放って帰ったことで、新たな問題が生じるとは、あの時は思わなかった。
なんにせよ、とアーリーが続ける。
「結婚は避けられないのだから、関係が拗れて憎み合わないように、注意しなさいよね」
その言葉に、セラフィナはぶるりと身を震わすのであった。
王城内に設けられたサロンは、午後の光に満ちていた。
白を基調とした広間には、すでに何人もの貴族令息令嬢が集まっている。
軽やかな笑い声と、食器の触れ合う音が、心地よく響いている。
アーリーとお茶をした、さらに数日後。セラフィナは、王城に来ていた。
「――セラフィナ、会いたかったぞ」
声の主、アルベルトは、いつも通り整った笑みを浮かべている。あの日の苛立ちなど、最初から存在しなかったかのように、彼女に自然に歩み寄る。
セラフィナの後ろにちらりと目をやり、アルベルトは聞いた。
「説明もなく護衛をつけて、悪かったな。卒業してから、お前の姿を見る機会が減り、不安になったのだ」
それは、愛する婚約者に対しては自然で、セラフィナにとっては疑問符ばかりが浮かぶ言葉だった。
「いいえ。殿下のご配慮をいただき、感謝しています。お二人とも、大変真面目ですね」
護衛二人とはあまり会話をしていないし、この二人がいるおかげで自由が制限されている。セラフィナは、ここ最近、模範的な令嬢の生活しかできていない。
しかし、ながら、この場で素直な感想をぶつけても、卒業記念パーティーの時と同じことになる。ここは、これまで通り王子の婚約者として振る舞うべきだと、無難に答えておく。口の端を上げて、笑顔を作った。
「そうか。近衛の中でも、真面目で優秀な者を選んだ。不都合があれば、言ってほしい」
アルベルトも笑顔を変えずに対応し、左手を差し出す。
その手を、セラフィナは一拍遅れて取る。
一瞬の逡巡すら、周囲には“照れ”として受け取られた。
会話、行動に満足したアルベルトは、自然な動作で彼女を隣に立たせた。
距離は近すぎず、遠すぎず。
けれど、確実に“並ぶ位置”だ。
周囲の視線は、王子と婚約者に集まっている。好奇と羨望。最初にあった、僅かな探る色は、すでになくなっている。
内実はどうであれ、眉目秀麗な二人が穏やかに会話をする様は、華やかなサロンの雰囲気と相まって輝いて見えた。
「まあ、噂通り……」
「お似合いですね」
「殿下が誇らしげなのも、納得です」
口々に向けられる言葉に、セラフィナは形式的な微笑みを返す。
その間も、アルベルトは彼女から半歩も離れない。
「セラフィナは、最近忙しかったからね。今日はゆっくりしていくといい」
まるで、生活を把握しているかのような言い方。
事実、家内の把握と領地経営の勉強、彼女の時間は主にこの二つに費やされている。二人の護衛から報告済みなのだろうことは、セラフィナも予測していた。
「殿下は、本当にお優しいのね」
「婚約者思いでいらっしゃるわ」
そう言われるたび、アルベルトは否定しない。ただ、穏やかに微笑むだけだ。その微笑みが、評価を積み重ねていく。
サロンを出る頃には、空気が変わっていた。
――アルベルト王子とアーヴァイン公爵令嬢は、良好な関係。
それが、誰の目にも“当然”として映るようになっていた。
それから、セラフィナとアルベルトは、たびたび人前に姿を見せるようになった。
王都の劇場での観劇では、二人は王族専用の席に並んで座った。幕間には穏やかに言葉を交わす二人の姿は、誰の目にも微笑ましいものだった。
アルベルトは上演内容を丁寧に説明し、セラフィナは時折感想を返す。
夜会では、必ず最初の一曲を共に踊った。
衣装は、お互いの瞳の色が差し色になっている。
彼女が他の令息に声をかけられれば、穏やかに視線を送り、必要以上に割り込むことはない。
だが、必ず視界に収めていた。
その距離感は、洗練された婚約者のそれだった。
贈り物も増えた。
髪飾りやブローチなどの装飾品は品がよく、周囲に良い印象を与える。
また、書物や文具などの実用品は、セラフィナの両親に興味を持たせた。
四ヶ月もした頃には、噂は定着する。
――第二王子アルベルト殿下は、婚約者思いだ。
――アーヴァイン公爵令嬢は、幸運だ。
――あの二人は、うまくいっている。
誰も疑問を持たない。
同時期に学園に通っていた者たちでさえ、二人の仲の良さ――特に、アルベルトがセラフィナを大切にする様子を、当然のように見守るのだった。
そして、セラフィナは、すべてを受け入れているように振る舞った。
笑顔も、返答も、立ち居振る舞いも、完璧だった。
“公爵令嬢”として、そして“王子の婚約者”として、求められる役割を果たしていた。




